Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

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歴史・考古学の切手と写真|日本の古墳(an ancient tomb)や遺跡(Site)・遺構 日本では多数の古墳が身近にあります

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歴史・考古学の切手と写真|日本の古墳(an ancient tomb)や遺跡(Site)・遺構

 歴史・考古学の切手と写真|日本の古墳(an ancient tomb)や遺跡(Site)・遺構。 遺跡は、確かな過去を一つ一つの事実として内包している。それらの遺跡を理解することによって、人間の歴史を構築し、これによって人間社会のあるべき未来に見とおしを持つことが可能となります。 古墳は、規模・形状、およびその他の要素において、弥生時代の墓制にとって変わったものでなく、非常に変化した墓制としてあらわれた。日本列島で大規模な古墳が築造された3世紀半ば過ぎから7世紀後半にかけての時期には、朝鮮半島でも墳丘をもつ古墳をまねて盛んに造営された。古墳時代の日本列島では墳丘長120メートル以上の古墳が123基もつくられ、そのうちの過半数が大阪府と奈良県に分布している。写真も併用してます。

  

日本の世界遺産と遺跡・古墳

■日本の世界遺産(The UNESCO World Heritage ) 
  [ 法隆寺姫路城屋久島白神京都白川郷広島厳島奈良日光琉球紀伊知床石見平泉小笠原
   富士山と三保の松原富岡製糸場と絹産業遺産群遺跡・古墳 ]  
  奈良特別編 [ 東大寺春日大社法隆寺室生寺薬師寺・唐招提寺  ]  仏教美術 [ 仏教美術の切手と説明 ]

歴史・考古学の切手|日本の古墳(an ancient tomb)や遺跡(Site)

■考古学(こうこがく)は人類が残した痕跡(例えば、遺物、遺構など)の研究を通し、人類の活動とその変化を研究する学問。

日本の古墳・切手編

■古墳(こふん)とは、一般に日本史上、3世紀後半から7世紀前半に築造された墳丘を持つ古い墓である。古代の東洋では位の高い者や権力者の墓として盛んに築造された。 日本史では、墳丘を持つ墓は墳丘墓と呼んでいるが、この内、3世紀後半から7世紀前半に築造されたものを特に「古墳」と呼んで区別している。 日本の古墳には、基本的な形の円墳・方墳をはじめ、八角墳(天武・持統天皇陵)・双方中円墳(櫛山古墳・楯築古墳)・上円下方墳・双方中方墳(明合古墳)・帆立貝形古墳(乙女山古墳) などの種類がある。また、前方後円墳・前方後方墳・双円墳・双方墳などの山が二つある古墳もある。主要な古墳は、山が二つあるタイプの古墳であることが多い。その他、墳丘を石で構築した積石塚、石室に線刻、絵画などを施した装飾古墳、石室の壁に絵画を細越した壁画古墳(高松塚古墳・キトラ古墳)、埋葬施設の一種である横穴などがある。

西都原古墳と尾鈴山と山桜
(宮崎、2004年)

奈良・明日香の石舞台古墳

大和三山と明日香の石舞台古墳(日本、1999年) 切手

西都原古墳と尾鈴山と山桜(宮崎、2004年) 奈良・明日香の石舞台古墳 大和三山と明日香の石舞台

■埴輪(はにわ)は、日本の古墳時代に特有の素焼の焼き物。古墳上に並べ立てられた。日本各地の古墳に分布している。埴輪は、3世紀後半から6世紀後半にかけて造られ、前方後円墳とともに消滅した。基本的に中空である。造り方は粘土で紐を作り、それを積み上げていきながら形を整えた。時には、別に焼いたものを組み合わせたりしている。また、いろいろな埴輪の骨格を先に作っておき、それに粘土を貼り付けるなどした。型を用いて作ったものはない。中心的な埴輪には、表面にベンガラなどの赤色染料を塗布した。畿内では赤以外の色はほとんど用いられなかったが、関東地方では、形象埴輪にいろいろな彩色が施されている。

はにわ(埴輪)の馬(1966年)

はにわの馬(1967年)

「はにわの馬」 埴輪馬 埼玉県熊谷市上中条(かみちゅうじょう)出土(東京国立博物館) 重要文化財。古墳時代(6世紀)。高さ87.2cm。
古墳時代中期中葉(5世紀中ごろ)からは、巫女などの人物埴輪や馬や犬などの動物埴輪が登場した。

はにわの兵士(1974年)

はにわの兵士(1976年)

はにわの兵士(1989年)

「はにわの兵士」 埴輪武装男子立像 群馬県太田市出土(東京国立博物館) 。国宝。
古墳時代(6世紀)。高さ13.5cm。

高松塚古墳の壁画(左から 男子群像、青竜(青龍)、女子群像)

高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、奈良県高市郡明日香村(国営飛鳥歴史公園内)に存在する古墳。7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳である。1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目されるようになった。東壁には手前から男子群像、四神のうちの青龍とその上の日(太陽)、女子群像が描かれ、西壁にはこれと対称的に、手前から男子群像、四神のうちの白虎とその上の月、女子群像が描かれている。男子・女子の群像はいずれも4人一組で、計16人の人物が描かれている。中でも西壁の女子群像は(壁画発見当初は)色彩鮮やか。

高松塚古墳の壁画(左から 男子群像、青竜(青龍)、女子群像) 高松塚古墳の壁画(左から 男子群像、青竜(青龍)、女子群像) 高松塚古墳の壁画(左から 男子群像、青竜(青龍)、女子群像)
 

キトラ古墳(キトラこふん)は、奈良県高市郡明日香村にある古墳。東西南北の四壁の中央に四神の青龍、白虎、朱雀、玄武が描かれている。四神の下に、それぞれ3体ずつ十二支の獣面(獣頭)人身像が描かれていると想定されているが、北壁・玄武の「子(ね)」、東壁・青龍の「寅(とら)」、西壁・白虎の「戌(いぬ)」、南壁・朱雀の「午(うま)」など6体の発見に留まっている。 同時代の中国や朝鮮半島では獣頭人身を象った浮き彫りや土人形が埋葬された墓が発見されている。このような共通性から、キトラ古墳は高句麗や新羅などの文化的影響を受けていたと考えられている。なお、2005年になって発見された「午」の衣装は、同じ南壁に描かれている朱雀と同じ朱色であった。このことは、十二支像がそれぞれの属する方角によって四神と同様に塗り分けられていることを推測させる。これは中国・朝鮮の例には見られない特色である。
■右は特別史跡キトラ古墳シート (切手シート)に描かれた明日香村夕景と二上山に沈む夕陽です。上段は北面「玄武」。(1988年) 

キトラ古墳の壁画(石室内西面「白虎」、南面「朱雀」壁画)

天井には本格的な天文図があり、太陽、月、星座、赤道などが描かれていた。中国や朝鮮などに残っている最古の天文図は11世紀や12世紀のものであるから、現存する天文図のなかでは世界最古ではないかと注目されている。

キトラ古墳の壁画(白虎、朱雀)
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日本の遺跡・切手編

■遺跡とは、過去の人々の生活の痕跡がまとまって面的に残存しているもの、および工作物、建築物、土木構造物の単体の痕跡、施設の痕跡、もしくはそれらが集まって一体になっているものを指している。内容からみれば、お互いに関連しあう遺構の集合、遺構とそれにともなう遺物が一体となって過去の痕跡として残存しているものを指す。

岩宿遺跡(群馬)

吉野ヶ里遺跡(佐賀)

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■岩宿遺跡(いわじゅくいせき)は、群馬県みどり市笠懸町にある旧石器時代の遺跡である。1946年に、当時在野の考古学者であった相沢忠洋によって発見された。この発見によって、日本の旧石器時代の存在が証明された。発掘調査によって関東ローム層の別々の層から2つの石器群が発見された。このことから約3万年前と約2万年前の2つの異なる文化の段階が分かる。

■吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)とは、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵に、およそ50haにわたって遺構が残る、弥生時代の大規模な環濠集落跡である。1986年からの発掘調査によって発見され、現在は国営吉野ヶ里歴史公園として一部を国が管理する公園となっている。物見やぐらや二重の環濠など防御的な性格が強く日本の城郭の始まりとも言えるもの。

ハート形土偶 群馬郷原出土、重要文化財(1981年)

「縄文のビーナス」 棚畑遺跡出土、国宝(1998年)

ハート形土偶 群馬郷原出土、重要文化財

■ハート形土偶は、 群馬郷原出土。重要文化財。縄文時代後期(前2000年〜前1000年)。高さ30.5cm。
顔面がハート形を呈することからこの通称がある。縄文時代後期の前半の関東地方及び東北地方南部で多く造られた。

「縄文のビーナス」 棚畑遺跡出土、国宝

■「縄文のビーナス」 棚畑遺跡出土。国宝。縄文時代中期(前3000〜前2000年)。高さ27cm。昭和61年、長野県茅野市米沢の棚畑遺跡から出土した約4500年前の土偶は、日本で最古の国宝となりました。縄文時代の土偶・土器の感覚を超越した特異なまでに近代的なこの土偶は、人々に感動を与え、いつしか「縄文のビーナス」と呼ばれるように。

奈良・飛鳥資料館の石人像

■石人像は、重要文化財 高さ1.7m 7世紀 明日香村 石神出土。噴水である。飛鳥時代の庭園に使われたもので、水は底から通じた孔を上り、男の口に当てた盃と、女の口とからあふれ出るようになっている。今は、盃の下が欠けていて、枝分かれした孔が見える。異国風の風貌が注目される。1903年(明治36年)に、当館西南600mの石神の地で掘り出された。1930年代以来、道祖神の名でも親しまれている。

奈良・飛鳥資料館石人像
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日本の古墳や遺跡の写真編

大阪・藤井寺
国府遺跡と衣縫廃寺の跡

国府遺跡の
関係ないモニュメント

国府遺跡の文化財
(衣縫廃寺の塔心礎)

仲津姫命陵(仲津山古墳)
古市古墳群

■日本有数の大型古墳が密集する古市古墳群(ふるいちこふんぐん)は、大阪府の東南部に位置する、羽曳野市・藤井寺市を中心に広がる古墳群で、4世紀末から6世紀前半頃までのおよそ150年の間に築造された。 東西約2.5キロ、南北4キロの範囲内に、墳丘長日本第2位の誉田御廟山古墳(伝応神陵)など墳丘長200メートル以上の大型前方後円墳6基を含む、123基(現存87基)の古墳で構成されている。いずれも標高24メートル以上の台地や丘陵上にある。

応神天皇 恵我藻伏崗陵 陪塚(えがのもふしのおかのみささぎ)

大鳥塚古墳
古市古墳群

岡ミサンザイ古墳の遠景
古市古墳群

岡ミサンザイ古墳のハッキリ
分かる前方後円墳も姿

大鳥塚古墳

誉田御廟山古墳
古市古墳群

拝所誉田御廟山古墳

允恭陵古墳 拝所
市ノ山古墳

割塚古墳
古市古墳群

アイセルシュラホール(藤井寺)の遺跡の発掘例の展示

4世紀ごろの津堂城山古墳の「水鳥形埴輪」(実物)

■日本最大級かつ最古とされる「水鳥形埴輪」は津堂城山古墳から
■津堂城山古墳(つどうしろやまこふん)とは、大阪府藤井寺市にある前方後円墳。4世紀後半ごろに築造されたと推定されている。島状遺構(方墳形の祭壇)からは3体の水鳥形埴輪が出土。初期の大王の陵墓ではないかと考えられている。

崇神天皇陵・拝所
奈良県天理市

崇神天皇陵・陵と堀

景行天皇陵
奈良県天理市

景行天皇陵・拝所

箸墓古墳(はしはかこふん、2010年秋)

■箸墓古墳(はしはかこふん、箸中山古墳とも)は奈良県桜井市箸中に所在する箸中古墳群の盟主的古墳であり、出現期古墳の中でも最古級と考えられており3世紀半ばすぎの大型の前方後円墳である。建造時期や大きさなどから卑弥呼の墓に見立てられることも多いが、未だその確証は無い

箸墓古墳(はしはかこふん、箸中山古墳とも)は奈良県桜井市纒向遺跡の箸中に所在する箸中古墳群の盟主的古墳であり、出現期古墳の中でも最古級と考えられており3世紀半ばすぎの大型の前方後円墳。 宮内庁によって第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓として管理されているがこの古墳を卑弥呼の墓とする研究者もいる。

夏見廃寺(金堂・三重塔・講堂跡) 三重県名張市

 

■夏見廃寺は名張川右岸の夏見男山南斜面にある古代寺院跡で、出土遺物から 7世紀の末から8世紀の前半に建立されたと推定されてます。 674年10月9日には、「大来皇女は、泊瀬斎宮から伊勢神宮にご出発になった。」と書紀に書かれています。 醍醐寺本薬師寺縁起に「大来皇女(おおくのひめみこ、天武天皇(大海人皇子)の皇女)、最初斎宮なり、 神亀2年(725)を以て浄(御)原天皇(天武天皇)のおんために昌福寺を建立したまう。夏身と字す。 もと伊賀国名張郡に在り。」と記載された個所があり、その昌福寺が夏見廃寺と考えられてます。

史跡 美旗古墳群の石碑

美旗古墳群 馬塚の後円墳

明日香の石舞台(蘇我馬子の墓?)


Ishibutai Burial Mound

■「石舞台」の名前の由来については、昔狐が女性に化けて石の上で踊って見せた話や、この地にやって来た旅芸人が舞台がなかったので仕方なくこの大石を舞台に演じたという話があります。

城之越遺跡他からの出土品(弥生時代、古墳時代から) 鏃、土器、鎧や兜

伊賀市神戸・城之越遺跡の大溝

御墓山古墳の案内図・説明文

国道25号線から見た御墓山古墳

御墓山古墳 御墓山古墳
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