世界の馬(ウマ・シマウマ)・ロバ等の切手
世界の馬の切手です。ウマ(馬)は、社会性の強い動物で、野生のものも家畜も群れをなす傾向がある動物です。 Equus(エクウス:ウマ属)の学名で呼ばれるウマやロバの直接の先祖は、200万年前から100万年前にあらわれたと考えられている。 北アメリカ大陸原産とされるが、北米の野生種は、数千年前に絶滅している。欧州南東部にいたタルバンが家畜化したという説もある。 ウマ(馬)は、ウマ目(奇蹄目) ウマ科に属する動物の総称。現生は、いずれもウマ属に属するウマ、シマウマ、ロバの仲間、5亜属9種のみである。 古くから中央アジア、中東、北アフリカなどで家畜として飼われ、主に乗用や運搬、農耕などの使役用に用いられるほか、食用にもされ、日本では馬肉を桜肉と称する。 知能は家畜の中ではかなり高く、飼ってみると可愛い動物です。 牧場で家畜の世話をするのに飼われています。 シマウマも入れてます。 新生代の中新世から鮮新世にいたヒッパリオンの切手や、中国の唐時代の名君・太宗遺愛の名馬6頭“昭陵六駿”も掲載。 サラブレッド(Thoroughbred)が一番有名です。 旅行で出掛けたアフリカ・エジプトのロバの写真も巻末に掲載。 競馬やダービーは「娯楽・ゲーム」の頁で。
哺乳類(海洋生物除く)の切手の索引 [ 哺乳類・爬虫類・両生類・節足動物トップ |犬|家畜(牛・豚・いのしし)|馬・シマウマ・ロバ| |
|||
馬(ウマ) |
|||
■ウマ(馬)は、ウマ目(奇蹄目) ウマ科に属する動物の総称。現生は、いずれもウマ属に属するウマ、シマウマ、ロバの仲間、5亜属9種のみである。知能は家畜の中ではかなり高い。脳の発達度を示す指標の一つである脳化指数は犬猫に次ぎ、少なくとも長期記憶は非常に高いことが知られている。 アラブ(種) (Arab,Arabian) とは、ウマの品種の一つ。現存する馬の改良種の中で最初に確立した品種とされる。体高約150cm、体重約400kg。 サラブレッドよりは小柄で華奢な体躯で、速力もサラブレッドには劣るが、耐候性、耐久性に優れる。サラブレッドはこのアラブを元にイギリスやその他の在来馬と掛け合わせて作られた品種であり、三大始祖は全てアラブ種かそれに類するターク、バルブ種である。特にダーレーアラビアンはジェネラルスタッドブックにおいて純粋なアラブとされている。バルブ種(Barb)は、北アフリカ原産の軽種馬である。その起源は不明。スペインにおいて在来種やアラブ種と交配され、アンダルシア馬と呼ばれる品種を生み出した。 |
|||
アゼルバイジャンの馬達(1993年) | |||
Akhalteka馬 |
北コーカサス品種・Kabarda馬 |
Qarabair馬 |
Don・ドン馬 |
ヤクート馬 |
オルロフ馬 |
カマルグ馬(camargue、 |
アングロサクソン系のアラビア馬(anglo-arabian thoroughbred 、モナコ、1970年) |
ノニウス(nonius、 |
栃栗毛(とちくりげ、 |
Furioso (フリオーソ) |
|
■ノニウス:体高:153-162cm 原産地:ハンガリー。アングロ・ノルマンの血をひく軽快な馬。1810年に生まれた種牡馬ノニウス・シニアを基礎として騎兵用の馬として作りだされた。 |
|||
アラブ種の馬(ギニア、1995年) |
馬の親子 |
馬上の17世紀のメッセンジャー(ボヘミア・モラビア,1943年) |
|
農業見本市100年 |
|||
中国 徐悲鴻(奔馬) |
■中国現代絵画の礎を築いた美の巨星・徐悲鴻(1894~1953)。留学による日本画・西洋画の研究と中国伝統芸術のなかに独創的な美を見いだし、その後の中国絵画と美術教育の進む方向を決定した天才。 |
||
昭陵六駿(中国、2001年) |
|||
■昭陵:唐二代目の皇帝太宗(たいそう 598年 - 649年、在位626年 - 649年、中国史上最高の名君の一人)李世民の陵園。中国陝西省醴泉県の北東約25km,九峻山の山腹に作られている。太宗はその妃である文徳皇后のために陵をつくり,自からもそこに葬られた。陵の東西に3個ずつ並んでいた六駿(しゅん)は,“昭陵六駿”として名高いが、このうち4個は西安市内の碑林博物館に,他の2個はアメリカのフィラデルフィアにある。六駿とは,太宗遺愛の名馬6頭の像を,板石に浮彫したもので,唐朝芸術の傑作といわれている。 |
|||
台湾発行の元の皇帝の出陣の絵画(故旧博物館) |
コナーラクの戦車を引く馬(インド、1949年)・・世界遺産 |
||
■コナーラク(Konark)は、インドのオリッサ州の都市。コナラク、コナラーク、コナークとも表記する。州都のブヴァネーシュヴァルから南東約70kmに位置している。太陽神寺院(スーリヤ寺院)が有名で、「コナーラクの太陽神寺院」として世界遺産に登録されている。 |
|||
イランの馬たち(アラブ種ほか、2002年) |
レバノンの馬 |
||
カスピアン(Caspian)、クルド(Kurd) |
|||
アフガニスタン(1985年) |
ふみの日の馬(日本) |
||
馬の親子・農民の日 |
|||
ヒッパリオン (Hipparion、 |
■ヒッパリオン (Hipparion) は新生代の中新世から鮮新世に、主にユーラシア大陸や北アメリカ大陸に生息していたウマ目ウマ科の哺乳動物。学名は「より良いウマ」の意。三趾馬の一種。メリキップスの子孫であると考えられており、体長は1.4mほどで、各脚に3本の指を持っていた(但し、中指に当る指以外は著しい縮小傾向にあった)。 |
宮崎・都井岬 ミサキウマ |
ワルシャワ動物園のポニー |
アフガニスタンの馬 |
|||
女王陛下の馬(英国、1997年) |
|||
馬車の馬 |
近衛連隊の馬 |
騎兵隊の馬 |
エジンバラ公の馬 |
イギリス(英国)の馬(1978年) |
|||
シャイアホース(荷馬車馬) |
シェットランド・ポニー |
ウェルシュマウンテンポニー |
サラブレッド |
■ポニー(Pony)とは、肩までの高さが147cm以下の馬の総称。品種ではなく馬のタイプの一つ。シェトランドポニーは、イギリス原産、平均体高は100cm程度。主に乗馬や引き馬として使われる。 |
|||
アラビアン・スタリオン |
Wielkopolska馬(ポーランド) |
フィリピンの馬(Pintos) |
フィリピンの馬(Palomino) |
フィリピンの馬(Bay) |
フィリピンの馬(Brown) |
フィリピンの馬(Gray) |
フィリピンの馬(Chestnut) |
イギリス領モロッコのシーホース |
オーストラリアの牛を追うカウボーイ(アボリジニ) |
アラブ種の馬(シリア、加刷、1950年) |
|
タンザニアの馬(1991年) |
ゴットランドのウマ |
プシバルシキーウマ(スウェーデン、1997年、絶滅危惧種) |
|
■サラブレッド(Thoroughbred)は18世紀初頭にイギリスでアラブ馬やハンター(狩猟に用いられたイギリス在来の品種)等から競走用に品種改良された軽種馬である。現在も、競馬で勝つことのみを目的とし日々交配と淘汰とが繰り返されており、人が創り出した最高の芸術品とも呼ばれている。騎乗、つまり50数kgの重量を背負った状態において、数分間継続して60〜70km/hの速度で走ることができる。 |
北スウェーデンの馬(スウェーデン、1994年) |
||
乗馬と厩舎(フィンランド、1990年) |
「八ヶ岳 高原と馬」(山梨、2001年) |
||
リヒテンシュタインの馬のいる風景と中世の絵画 |
|||
シマウマ |
|||
■シマウマ(縞馬、英: Zebra)は哺乳綱ウマ目ウマ科ウマ属 (Equus) のうち、白黒の縞模様を持つ数種の総称。食性は植物食で、概して草を食す。繁殖形態は胎生。大きな耳、先端がふさ状になった尾など、その姿は野生のロバとよく似ている。鳴き声もロバに近いそれである。毛の縞模様は白地に黒だが、まれに黒地に白の個体もいる。ただし、地肌はグレーや茶褐色であるといわれている。霊長類以外の哺乳類は色の識別能力が低いため、白黒でも遠くから見ると草原の模様に埋もれて判別しにくいとされる。 |
|||
シマウマ(モンゴル) |
ニュージーランドの |
シマウマ(北ベトナム) |
シマウマとバッファロー(ソ連) |
シマウマ(アンゴラ、1953年) |
シマウマ(ケニア・ウガンダ・ |
シマウマ(Zebra、 |
シマウマの親子(ハンガリー) |
シマウマの親子(チェコ) |
横断歩道を渡るシマウマと交通標識(キューバ、1970年) |
モザンビークのシマウマ(1937年) |
グラントシマウマ(Grant's Zebra,Equus quagga) |
日本の馬と文化シリーズ(1990−91年) |
|||
尾形光琳・佐野渡硯箱 |
葛飾北斎・武州千住図 |
郵便現業絵巻 |
|
郵便物運送馬車への積み込み |
|||
西郷弧月・春暖 |
子馬 |
||
■佐野渡硯箱は、江戸時代・尾形光琳作の硯箱の絵柄。「新古今和歌集」の定家の歌心を表現。万葉集に「上毛野佐野の舟橋取り放し親はさくれど吾はさかるがへ」と詠まれた群馬の佐野の渡し。謡曲「舟橋」で知られ、佐野の舟橋を渡って女のもとへと通っていた男が女の親の企みで川に落ち溺死。彷徨える男の魂は旅の山伏に救われる。悲しい男の物語。(五島美術館所蔵) |
西山翠嶂画・馬 |
||
葦穂蒔絵鞍、葦穂蒔絵鐙(あしほまきえあぶみ) |
賀茂競馬文様小袖 |
けってい(馬偏に夬、馬偏に是) |
|
■葦穂蒔絵鞍鐙〔あしほまきえくらあぶみ〕は、 豊臣秀吉所用と伝えられる鞍と鐙のセット。鞍橋は全体に素地が薄く,いかにも軽快な印象をうける。前輪・後輪には金の覆輪を廻らし,外側に金の高蒔絵と金貝を用いて右から左へと靡く一茎の葦穂を立体的に描く。鞍の変則的な画面を活かした大胆なデザインと,金銀を多用した豪華な装飾に,進取の気風が横溢した時代の雰囲気がよく表われた作品。東京国立美術館。 |
|||
■調馬〔ちょうば〕・厩馬図屏風〔きゅうばずびょうぶ〕重要文化財桃山時代(16世紀) 紙本金地著色 各縦 154.0cm 横 355.0cm 6頭の馬が繋がれる厩と、武家屋敷の庭先での馬術の訓練・調教の様子を描いた屏風が1組となります。人物描写の巧みさ、動勢のあふれる馬の姿態、金雲を効果的に配した画面構成などから、狩野派〔かのうは〕正統の絵師の作と考えられています。金地に鮮やかな緑青や群青、深い茶色が映え、豪放な力強さ感じさせる桃山時代の優品です。 |
厩図屏風・多賀大社 |
||
ロバ(驢馬) |
|||
■ロバ(驢馬)は哺乳綱奇蹄目ウマ科ウマ属ロバ亜属 (Asinus) の総称、もしくは、その1種 Equus asinus。別名うさぎうま。ロバ(驢馬)は約5000年前に野生種であるアフリカノロバから家畜として使用される。現生ウマ科の中で一番小型だが、力は強く、記憶力も良い。家畜としては、比較的少ない餌で維持できる。寿命は長く、飼育環境によってはロバは30年以上生きることがある。ただし気性は気まぐれであり、ロバ自身が気が乗らないと言うことを聞かない。野生種の中で現存するのは、ソマリノロバ
(Equus africanus somaliensis) のみ。中国には、全世界で飼育されているロバの3分の1に相当する頭数が飼われていて、中国の、特に華北においては、ロバは一般的な食材のひとつとなっている。ギリシャ神話・ミダース、「王様の耳は、ロバの耳」。 |
|||
ロバかウマの子供 |
ロバ(モナコ) |
ロバでお引越し(スイス) |
ペルシャロバ(Onager、 |
部屋をのぞく、ロバと牛 |
■アルバ(オランダ語:Aruba)は、西インド諸島の南端部、南米ベネズエラの北西沖に浮かぶオランダ領の島。高度な自治が認められた自治地域(州に相当)。ヨーロッパ系の白人と黒人、さらに先住民アラワク族の血が混ざり合った混血が80%を占める。 |
ロバ (Asinus) の親子(アルバ、1999年) |
|
世界の工芸品に見るウマ・ロバ |
|||
唐三彩(中国、1961年) |
唐三彩・驢馬(ロバ) |
驢馬(ロバ) |
|
■唐三彩は中国・唐代につくられた低火度焼成の三彩陶のこと。陶質の素地に白化粧あるいは透明釉を掛けたのち、緑や褐色の鉛釉を加えることで三つの色が互いに入り混じり独特の文様をあらわす。コバルトの藍釉が加わったもの、緑・白,青・白といった二彩のものを含めて呼ぶことが多い。 主として洛陽・長安における貴族の葬礼及び明器(副葬品)として使われ、そのために様々な器形や人形,家財をかたどったものがつくられることとなった。その美しさと技術は渤海三彩・遼三彩・宋三彩・新羅三彩・奈良三彩・ペルシア三彩といった広範かつ長きに渡って多大な影響を与える。漠が減び、六朝時代の争乱期ののち、再び全中国を長期にわたって統治したのは唐(618−907)で、この時代を特徴づける陶磁器はいうまでもなく唐三彩である。三彩は漢代に本格化した鉛釉から発展した低火度焼成の鉛釉陶である。 |
|||
唐三彩・馬(ウマ) |
馬(ウマ) |
唐三彩・馬(ウマ) |
馬(ウマ) |
アフリカ・エジプトのロバ(驢馬)や馬の写真 |
(クリックで拡大) | ||
エジプト旅行写真索引[ トップ|遺跡( 神殿 ルクソール(西岸、東岸)|エドフ|コム・オンボ|アスワン|アブ・シンベル| |
|||
ロバに曳かれる農家の女性と白いブーゲンビリア(ルクソール) |
ロバの車に乗った農夫 |
ロバが曳く大きな荷物の荷車 |
ギザの町のロバが曳く車 |
エジプト人は、お酒は飲まないが、甘いものが大好きです。 |
コム・オンボからアスワンに |
||
ルクソールの市街地と馬車 |
|||
世界の馬(ウマ・シマウマ)・ロバ等の切手 |
|||