世界の人権問題や人権宣言、著作権、工業所有権の切手
世界の人権問題や人権宣言、著作権、工業所有権の切手を集めたページ。人権(じんけん)とは人の権利。 社会的に人間と認められる存在が生まれながらに持っていると主張される社会的権利のことを人権と言います。 通常は基本権や基本的人権(fundamental
human rights) と同義のものとしてとらえられる。 ただし、基本権という場合とは違い、他人から与えられたのではなく生来的に有するものであるという意味合いで語られることが日本では多い。多くの人権侵害、場合によっては大量虐殺が国家の維持あるいは全国民の名のもとに行われたのは事実である。人権は法律上「生来」のものとされているが、「絶対」のものとはされていない。基本的人権(きほんてきじんけん)とは、人間が、一人の人間として人生をおくり、他者とのかかわりをとりむすぶにあたって、決して侵してはならないとされる人権のことである。 すべての人間が生まれながらにして持つ権利です。 他には最近コピー商品の横行などで話題の著作権や工業所有権の切手を掲載。
暮らし・生活・風習・世相に関する切手 |
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■索引 [ 生活・風習・世相|女性、母の日|こどもの日|結婚式・花嫁・LOVE・バレンタインデー|キャンドル(蝋燭)とローソク・街灯|音楽・演劇関係(音楽関係全般)|スポーツ切手|医療・福祉(医療全般、家族計画・世界家族年)|時計や時刻|コイン・紙幣・メダル|人権|教育・学校|議会・議事堂・制度|郵便・通信|100年記念|エコ・節約|コミュニケーション ] |
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■灯関係の索引 [ 切手:キャンドル・街灯・ランタン|灯台・イルミネーション|祭り|クリスマス(サンタ)| 雑貨:提灯 ] |
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世界の炎やトーチ(人権宣言) |
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■世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights:UDHR)は、1948年12月10日の第3回国際連合総会で採択され、その後の国際連合で結ばれた人権条約の基礎として、世界の人権に関する規律の中でもっとも基本的なものとされています。“人権の炎”とも呼ばれるシンボルマークは、平和と実りの象徴であるオリーブの葉で作られた環の中に、命を象徴する炎を配しており、“世界の平和と生命の尊厳”が表現されている。これを記念して、1950年の第5回総会において、毎年12月10日を「世界人権デー」とし、世界中で記念行事を行うことが決議された。日本は、この日に先立つ1週間を人権週間としている。人権週間とは、世界人権宣言の趣旨と重要性を広く日本国民に訴えかけるとともに人権尊重思想の普及高揚を図るための週間です。 |
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国連で発行されたJ.F.Kと |
地球と炎(国連,1956年) |
地球と輪になった炎 |
地球と炎(国連,1956年) |
人権の炎(国連、1968年) |
トーチを持つ(国連、1955年) |
人権宣言(国連、1963年) |
炎に差し伸べられた手 |
インドネシアの世界人権の日 |
世界人権宣言10周年(日本) |
エクアドル・トーチ |
世界人権の日(イラク、 |
日本の人権の日・トーチ |
国際人権年・人と地球とトーチ |
世界人権の日(アフガニスタン) 親子 |
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たいまつ(USA) |
国際人権年・人と地球とトーチ |
聖なる炎(tulaga、モンゴル) |
トーチと羽根ペン |
スウェーデン印刷300年 |
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女性の権利 |
国際人権年・ランプの炎 |
世界人権宣言(チリ) |
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世界人権宣言15年 |
世界人権宣言30年 |
世界人権宣言(仏領ポリネシア) |
世界人権宣言30年 |
人権宣言 トーチ、鎖の切断、天秤、国連、ハト(パラグアイ、1960年) |
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アムネスティ(Amnesty、デ領、グリーンランド) |
人権宣言(ラオス、1963年) |
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人権宣言(シリア、1963年) |
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著作権(copyright)・工業所有権(industrial property) |
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著作権保護(台湾) |
国際工業所有権保護協会(1966年)実用新案、意匠、商標 |
工業所有権制度100年(1985年、日本) 高橋是清 |
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■高橋 是清(たかはし これきよ)は、1854年(安政元年)江戸・芝露月町(しばろげつちょう)にて生誕。十四才からの海外流浪などののち、1872年(明治5年)官吏の道に入る。大蔵省を振り出しに、1881年(明治14年)農商務省入省、1884年(明治17年)商標登録所長、1885年(明治18年)には専売特許所長を兼務。1906年(明治39年)正金銀行総裁、1911年(明治44年)日本銀行総裁、1920年(大正9年)子爵、1921年(大正10年)総理大臣兼大蔵大臣、政友会第四代総裁、1924年(大正13年)衆議院へ。1934年(昭和9年)岡田内閣の蔵相となり、在任中の1936年(昭和11年)、2・26事件に倒れる。日本には著作を保護する版権はあるが、発明・商標を保護する規定がない。外国人は、日本人が外国品を真似たり、商標を盗用して、模造品を舶来品のようにして販売していることを非常に迷惑に思っている。米国では発明、商標、版権の3つを智能的財産(Three
intellectual properties) と称して最も重要な財産としている。日本でも発明・商標を保護する必要がある。」この話を聞いた是清は工業所有権の重要性を大いに感じ、大英百科事典の概略をたよりに、研究を進めたという。 |
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