時計や時刻の切手|世界のアンティークな時計やガリレオやアインシュタイン、タイムマシン
世界の時計(clock、watch)や時刻(time)に関する切手(stamp)です。世界最初の時計切手は時計で有名なスイスで発行されました。時計は日頃の生活では切っても切れない関係にあるものです。時計の歴史は古く、有史以前より人類(おそらく他の動物にも)は太陽の位置などにより、朝-昼-夕程度の曖昧で不明確な時の概念を持っていたと考えられる。太陽の位置を知る方法に「固定された適当な物の影を見る」というのがあり、これはいわゆる紀元前約2000年頃に発明されたといわれる日時計である。1583年ガリレオ・ガリレイは、振り子の周期が振幅によらず一定であること(正確には振幅がごく小さい場合に限られる)を発見し、振り子時計を思いついた。14世紀以降の機械時計には、動くための動力、一定の速度で動かすための調速機、計った時を外部に伝える部分の三要素からなる。動力としては、重力、ぜんまい(ネジ)、電気など。調速機としては、振り子、テンプ、音叉、電力線、水晶、原子など。外部に伝える部分は、一般的には針(アナログ)や文字(デジタル)、音です。1970年代頃までは、腕時計や置時計では動力にぜんまいを使った機械式、掛時計では電気(トランジスタ)式がほとんどであったが、1980年代以降、現在のほとんどの時計は、動力に電気、調速機に水晶振動子を使ったクォーツ時計となった。H.G.ウェルズの小説・タイムマシンや砂時計も。 カラクリ時計はドイツが有名。
暮らし・生活・風習・世相に関する切手 |
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世界の時計や時刻 |
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「日本の時計産業の概況(2007)」による日本メーカーの2006年のウオッチ総生産(海外生産を含む完成品+ムーブメント)は7億600万個、1,809億円で、世界の推計総生産量に占める比率は59%です。同じくクロック総生産は2,600万個、277億円で、世界の推計総生産量に占める比率は約5%です。国内需要に関しては、国内メーカーの国内出荷個数・金額はウオッチで860万個、443億円、クロックで1,550万個、235億円です。「2007年スイスと世界の時計産業」(スイス時計協会)によると輸入金額は23億ドルで、香港、米国に次ぐ第3位となっています。 |
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18世紀の”Bracket Clock”チェコスロバキアの時計(1979年) |
プラハ旧市庁舎の天体時計 |
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■プラハの天文時計またはプラハのオルロイは中世の天文時計のひとつで、チェコ共和国の首都プラハの観光名所です。このオルロイは3つの主要な部分、すなわち空の太陽や月の位置などの天文図を示すための文字盤、「使徒の行進 (The Walk of the Apostles)」と呼ばれるキリストの使徒などが時間ごとに動く人形仕掛け、それから月々を表す浮き彫りの暦版からなっています。最も古い部分は時計の機構と天文図の文字盤であり、製作は1410年にさかのぼる。作成者は時計職人であったカダンのミクラシュ とプラハ・カレル大学の数学・天文学教授であったヤン・シンデルの2人です。 |
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東ドイツのカラクリ置時計(1975年) デザイン博物館 |
チェコ・プラハの |
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Paulus Shuster の |
卓上天文時計(Augsburug)、 |
Hans Schlottheim の |
大きなオルゴール時計 |
画像クリックで拡大 「チェコ共和国」の写真 |
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ヨハン・ハインリッヒ・ケラー |
ケラーの卓上時計、1700年 |
ヨハネスクラインの |
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■ここでは、カラクリ置時計ですが、ドイツはどこに行ってもカラクリ人形の時計が街中の随所で見れます。ドイツ人は緻密な技術の民族なのかなとも思います。旅行者が必ず立ち寄るのは、からくり人形の時計台のあるミュンヘン市庁舎 です。毎時00分にオルゴールとともにからくり時計が動き出すらしい・・・。 あのハト時計もからくり時計の一種でドイツ生まれだそうです。 家にも2つありました。 そうです、ヨーロッパはどこの国に行っても時計台があります。 几帳面なのかな? |
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ハリソンの航海用時計300年記念(イギリス、1993年) |
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■イギリス1993年2月16日発行のハリソンの航海用時計300年記念・緯度測定用精密時計ハリソン4型文字盤。 ジョン・ハリソン(John Harrison 、1693年3月24日 - 1776年3月24日)はイギリスの時計製作者である。渡洋航海に必要とされる経度の測定が可能な精度をもった機械式時計(クロノメーター、chronometer)を初めて製作した。1761年に作られたH4のジャマイカ島への航海実験によりその正確さが立証された。 |
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航海用時計・時計部 |
航海用時計・背面 |
航海用時計の文字盤 |
航海用時計の脱進機 |
スイスの時計 |
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■右にあるのが世界で最初に発行されたスイスの時計切手です。1923年に紋章シリーズの1枚でヌーシャテルの紋章切手として発行されました。ヌーシャテルはジュラ山麓に位置しスイス時計産業の中心地です。如何にもの感が強いです。 この切手の周りには26個の時計が描かれて流石に時計王国である事を誇らしげに物語っている切手です。画像は拡大していますので時計の模様も見えると思います。 |
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スイスの高級時計(クリックで拡大) 女性と懐中時計 |
宗教改革のルターと砂時計(ポルトガル) |
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ハンガリーのアンティーク時計(1990年) |
イギリスの時計台 | ||
1576年製の旅行用時計 |
1790年製のマントル時計 |
1643年製のテーブル時計 |
ビッグベン(ハンガリー、1966年) |
詳細は「世界遺産イギリス」 |
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ルーマニアの時計台 |
東ドイツの置時計(1983年) Sand Glasses とSundials |
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シギショアラの時計台 (ドラキュラ、ルーマニア、世界遺産) |
Sand Glasses 1674年、Sand Glasses 1700年、Sundial 1611年 |
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世界遺産「シギショアラ歴史地区」/ルーマニア |
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東ドイツの時計(1970年) |
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懐中時計と腕時計 |
Sundial 1750年、Sundial 1760年、Sundial 1800年 |
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ルーマニアの置時計 |
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日本の時計と時計台 |
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■日本における時計産業の歴史は、16世紀中期のキリスト教の伝来とともに始まった日本に渡来した最初の機械時計は、天文20年(1551年)、宣教師フランシスコ・ザビエルによって、周防の国(現在の山口県)の領主であった大内義隆に献上されたものと云われています。それから、ローマ法王訪問使節が豊臣秀吉を訪ね、自鳴鐘を献上するなどして、我が国に機械時計が少しずつ入ってきました。なお、現存する最古の機械時計は、イスパニア(現在のスペイン)から徳川家康に贈られたもので、静岡県の久能山東照宮に保管されています。1600年頃、天草島の志岐ではゼミナリヨと云うキリスト教の付属機関(職業学校)において、宣教師が日本人へ、時計、オルガン、天文機械等の製作法を教えました。これが日本での機械時計製作の始まりかもしれません。(参考:日本時計協会) |
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和時計・平賀源内 |
札幌・時計台(写真) |
旧札幌農学校演武場 |
札幌時計台(札幌市中央区) |
■万歩計:ヨーロッパで開発された歩数計を、江戸時代中期に平賀源内が改良して「量程器」というものを作り、江戸時代後期には伊能忠敬が日本地図の作成にあたって、「量程車」という計測器と「歩度計」という歩数計を使用して全国を歩いたといわれている。 |
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■和時計(わどけい)とは、江戸時代を中心に日本で作られた時計である。日本に初めて器械時計が持ち込まれたのは1551年(天文20年)フランシスコ・ザビエルが大内義隆に献上したのが最初とされており、当時より国産化へ向けての取り組みが為されていたものと思われる。1605年(慶長10年)津田助左衛門政之が、徳川家康に自鳴鐘を献上。徳川幕府により御時計師と呼ばれる時計技術者が誕生し、ここに和時計の歴史が始まる。特徴として、一般の時計が1日を24等分した時刻法の定時法を原則としているのに対し、季節によって変化する太陽の日の出から日の入り、日の入りから日の出の間をそれぞれ6等分した不定時法を前提として製作されている。江戸時代は「時計師」と呼ばれる技術者を多く輩出しています。江戸初期では津田助左衛門、中期では幸野吉郎左衛門、廣田利右衛門、後期では田中久重(からくり儀右衛門の名で知られている)、大野規周などが有名です。彼らは幕府のお抱えの時計師として和時計を製作しました。 |
京都大学の時計台(みほん) |
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野良時計 |
■武家町の外には有名な野良時計があります。「野良時計」は、高知県安芸市のシンボルであるアンティークの時計台。1887(明治20)年頃、地主の畠中源馬が野良仕事をする人々のために、アメリカから取り寄せた時計を参考に、分銅から歯車まで、すべての部品を自作で造りあげた。 |
万年時計 ・・ 幕末から明治 |
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辰鼓櫓とコウノトリ(日本、兵庫) |
野良時計 (高知県 安芸市) | ||
■辰鼓櫓(しんころう)は兵庫県豊岡市出石の出石総合支所敷地(旧出石町役場、旧弘道小学校敷地)に現存する明治時代初期の時計台。 |
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マレーシアの時計台(2003年) |
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マレーシアの時計台・統治時代のものが多い 大時計台(KEDAH)、ビクトリア女王'ジュビリー時計台(PULAU) |
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クアラルンプールの時計台「スルタン・アブドゥル・サマド・ビル」 |
ウクライナの置時計・各種(2008年) |
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イギリス統治時代に作られた旧連邦事務局のビルです。 |
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ドバイの時計台 |
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ドバイの鉄製時計タワー |
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ガリレオ・ガリレイ(ハンガリー、1966年) |
ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei、ユリウス暦1564年2月15日 - グレゴリオ暦1642年1月8日)はイタリアの物理学者、天文学者、哲学者です。1589年にピサ大学の教授の地位を得て、数学を教えた。1592年パドヴァ大学で教授の職を得、1610年まで幾何学、数学、天文学を教えた。この時期、彼は多くの画期的発見や改良を成し遂げている。さらにガリレオは科学の問題について教会の権威やアリストテレス哲学に盲目的に従うことを拒絶し、哲学や宗教から科学を分離することに寄与し、「科学の父」と呼ばれることになる。イタリアのピサの大聖堂(世界遺産)で揺れるシャンデリア(一説には香炉の揺れ)を見て、振り子の等時性(同じ長さの場合、大きく揺れているときも、小さく揺れているときも、往復にかかる時間は同じ)を発見したといわれている。ただしこれは後世に伝わる逸話で、実際にどのような状況でこの法則を見つけたのかは不明である。この法則を用いて晩年、振り子時計を考案したが、実際には製作はしなかった。 |
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■1583年ガリレオ・ガリレイは、振り子の周期が振幅によらず一定であること(正確には振幅がごく小さい場合に限られる)を発見し、振り子時計を思いついた。 |
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ガリレオ・ガリレイ(ソ連、1964年) |
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アルベルト・アインシュタイン |
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A.アインシュタイン(中国) |
A.アインシュタイン(スウェーデン) |
アインシュタイン(北ベトナムで発行)公式も載ってます |
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1921年 |
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A.アインシュタイン(ポーランド) |
■アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein 、1879年3月14日 - 1955年4月18日)は、ドイツ生まれのユダヤ人理論物理学者。20世紀に於ける物理学史上の2大革命として“量子力学”及び“相対性理論”が挙げられるが、以前から論理的に展開されていた相対性原理(アンリ・ポアンカレ、ジョゼフ・ラーモア、ヘンドリック・ローレンツなど)に新しいいくつかの仮定を導入し物理学における相対性理論の基礎を築き上げたその業績から、20世紀最高の理論物理学者と目されている。1905年に特殊相対性理論を発表。ニュートン力学とマクスウェルの方程式を基礎とする物理学の体系を根本から再構成した。特殊相対性理論では、質量、長さ、同時性といった概念は、観測者のいる慣性系によって異なる相対的なものであり、唯一不変なものは光速度cのみであるとした。 特殊相対性理論は重力場のない状態での慣性系を取り扱った理論であるが、1915年-1916年には、加速度運動と重力を取り込んだ一般相対性理論を発表した。一般相対性理論では重力場による時空の歪みをリーマン幾何学を用いて記述している。 |
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イギリスの空想小説家 H.G.ウェルズ タイムマシン他 |
グリニッジ子午線 |
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■H.G.ウェルズ(Herbert George Wells)は、イギリスの小説家・SF作家。 |
グリニッジ子午線(グリニッジしごせん)は、旧王立グリニッジ天文台の跡地を通る子午線(経線)のことである。「本初」とは「最初」という意味であり、この子午線が経度の基準である経度0°0′0″と定められている。 |
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■H.G.ウェルズ(Herbert George Wells)は、社会活動家や歴史家としても多くの業績を遺した。1890年代から1900年代初頭にかけて、『タイム・マシン』(1896年)をはじめ、動物の知性化・『モロー博士の島』、『透明人間』、蛸型の火星人・『宇宙戦争』など現在でも有名な作品を発表する。これら初期の作品には、科学知識に裏打ちされた空想小説が多く、ウェルズ自身は「科学ロマンス」と呼んだ。その他にも、テロの道具としての細菌(『盗まれた細菌』)、合成食品(『神々の糧』)、反重力(『月世界最初の人間』)、新兵器(『陸の甲鉄艦』『空の戦争』『解放された世界』)などがある。 |
日本の標準時間 |
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日本標準時制定100年(1986年) |
水準儀と日本水準原点標庫 |
砂時計(パキスタン、1951年) |
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■日本標準時(JST: Japan Standard Time、ジャパン・スタンダード・タイム)は、独立行政法人情報通信研究機構の原子時計で生成・供給された協定世界時(UTC)を9時間進めた日本の標準時です。子午線上にある明石市立天文科学館では、日本標準時を刻む大きな時計が設置されている。1978年に設置された2代目は1995年の阪神・淡路大震災で破損し、停止してしまったため、その時計は撤去されて神戸学院大学で展示されています。 |
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イギリス 万有引力 ニュートンのプリンキピア300年 |
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「プリンキピア」は略称で正式には「自然哲学の数学的諸原理」といい、万有引力の法則などを説明した書物。 |
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■サー・アイザック・ニュートン(英: Sir Isaac Newton, ユリウス暦:1642年12月25日 - 1727年3月20日、グレゴリオ暦:1643年1月4日
- 1727年3月31日)はイングランドの自然哲学者、数学者。神学者。 |
時計や時刻の切手|世界のアンティークな時計やガリレオやアインシュタイン、タイムマシン |
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