Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

Kunioの世界の切手紹介と海外写真集 国内写真集|北信越の福井県、石川県、富山県、新潟県、長野県 : 福井の東尋坊や曹洞宗の大本山・永平寺、石川の能登半島、輪島の朝市、狼煙灯台。加賀百万石の城下町・金沢の名所旧跡(武家屋敷、兼六園)や新潟・長岡の大花火。世界遺産の五箇山・・・。

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北信越の良い所・お気に入りの場所の写真集   福井県、石川県、富山県、新潟県、長野県

 北信越の良い所やお気に入りの場所を写真でご案内します。 北信越では福井の東尋坊や曹洞宗の大本山・永平寺、石川の能登半島、輪島の朝市、狼煙灯台。 加賀百万石の城下町・金沢の色々な名所旧跡(武家屋敷、兼六園)や新潟・長岡の大花火も。 北信越は、寒い冬を越えると一気に花が咲き始めます。 富山では、砺波平野のチュリップや冬の初めの甘エビなど欠かせません。 長野県は矢張り上高地などを中心とした山岳地帯です。 北信越の対象は福井県、石川県、富山県、新潟県、長野県。 北海道(小樽)に渡るフェリーが敦賀から出ており、かっては頻繁に利用しました。 出航までの時間つぶしで、敦賀港の釣りも思い出(スズキを釣った思い出)に残っています。 また、富山県には白川郷と並び五箇山と言う合掌造りの集落が有り、世界遺産に指定されています。 永平寺はパワースポットのひとつ。長野の高遠城址公園のタカトウコヒガンザクラは天下一品です。
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松尾芭蕉・奥の細道(俳句) 

北信越(石川県)

■金沢市は、石川県のほぼ中央に位置する、石川県の県庁所在地。江戸時代には、江戸幕府(約700万石と言われる)を除いて最大の石高を誇る加賀藩(「加賀百万石」)の城下町として、江戸・大坂・京・名古屋に次ぐ大都市として盛えた。第二次世界大戦で空襲を受けなかった事から市街地に歴史的風情が今なお残っている。また、長年の都市文化に裏打ちされた数々の伝統工芸、日本三名園の一つとして知られる兼六園、加賀藩の藩祖・前田利家の金沢入城に因んだ金沢百万石まつり、さらに庶民文化(郷土料理の治部煮等)などにより、観光都市として知られる。 

石川県金沢市・武家屋敷や香林坊界隈

長町武家屋敷

金沢で一番古いあめ屋・俵屋

武家屋敷跡

尾山神社神門

長町武家屋敷

■繁華街の香林坊より徒歩5分ほどで見えてくるのが「長町武家屋敷跡」です。跡という名前で解るように、一部を除いて、基本的には当時の建物は残っていません。しかし、今に伝わる木羽板葺きの屋根のついた黄土色の土塀や武士窓のある門構、そして狭い路地は当時の生活を彷彿させるに充分な構造です。
■尾山神社は、明治6年に創建された加賀藩祖前田利家公と正室のお松の方を祀る神社。 明治8年に建てられた神門は、和漢洋折衷のる層式で、明治初期に建てられた数少ない擬洋風建築遺構の1つであり現在は、国の重要文化財に指定。3層目には、ギヤマンがはめ込まれ、夕刻のギヤマンが夕日に映える頃や、日没から午後10時までの明かりが点灯する頃は見頃。 金沢市・香林坊・長町

能登・軍艦島(見附島、拡大×)

■見附島(軍艦島):能登内浦海岸を代表する景勝地の一つでしょう。その昔、弘法大師が佐渡から能登へ布教に訪れた際に見付けたことからこの名前がつけられたそうです。また、形状が軍艦に似ていることから、地元の人々は「軍艦島」という愛称で呼んでいます。 

白山スーパー林道から見える白山国立公園の山々と木々

能登・軍艦島 見附島

白山スーパー林道
(白山林道)岐阜県?

ふくべの大滝
(石川県白山市)

■白山スーパー林道には多くの滝があり、車から簡単に様々な滝を見ることができる。ふくべ大滝は石川県側の料金所からは最後に見れる滝で、落差もスーパー林道内では最大を誇る。両岸のそそり立つ岩壁がスケールの大きさを物語っており、一見の価値ある滝である。
■舳倉島(へぐらじま)は、石川県能登半島の北約50kmの日本海上に浮かぶ島。周囲約5km、面積0.55平方km、標高12.4mの安山岩でできた島で、北側は崖や岩礁が多いが、南側はなだらかで漁港や砂浜がある。島の南端に近い字高見には延喜式内社奥津比刀iおくつひめ)神社が鎮座し、近くからは5世紀と8世紀・9世紀の重層遺跡「シラスナ遺跡」が発見されている。この島は古代から日本海交通の要所であり、海士の拠点でもあった。「沖つ島 い行き渡りて 潜(カヅ)くちふ 鰒珠(アワビタマ)もが 包みて遣(ヤ)らむ」。大伴家持がこの歌を詠んだのは国守として能登に赴任していた天平感宝元年(749)のことです。“沖つ島”というのは舳倉島のこと。

ふくべの大滝

■白山スーパー林道(白山林道)(はくさんスーパーりんどう)は、石川県白山市(旧尾口村)と岐阜県大野郡白川村を結ぶ、全長33.3キロメートルの有料道路。 白山スーパー林道は、白山国立公園を通過するため、夜間は通行止めとなっている。 春の青葉や秋の紅葉は見事です。

石川県能登半島の北約50kmの日本海上に浮かぶ舳倉島

輪島沖の「七ツ島」 無人島群

石川県能登半島の北約50kmの日本海上に浮かぶ舳倉島 輪島沖の「七ツ島」

■輪島市から北へ約20km。5km四方の中に7つの島が点在する海域があります。この小島群が「七ツ島」。 大島、狩又島(かりまたじまorやわずじま)、竜島(うじま)、御厨島(みくりやじま)、赤島、烏帽子島(えぼしじま)、荒三子島(あらみこじま)の7つの島で構成されています。 

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切手でめぐる北信越(石川)の良い所

能登半島・氷見海岸からの
立山連峰(1970年、国定公園)

越前加賀海岸・呼鳥門付近
(1969年、国定公園)

能登半島・木の浦海岸と御神事太鼓(1970年、国定公園)

 尾山神社神門
(金沢、1875年)

能登半島・氷見海岸からの立山連峰 越前加賀海岸・呼鳥門付近(1969年、国定公園) 能登半島・木の浦海岸と御神事太鼓(1970年、国定公園) 日本の近代洋風建築 尾山神社神門

■又の名を大宮太鼓とも称せられるこの御神事太鼓(ゴシンジダイコ)は人皇17代仁徳天皇12年甲甲歳に住吉大神を能登国に奉斎し海上鎮護・護国豊穣万民守護の大神として尊崇せられ能登の国の大宮として古来、奉至比古神社(ほうしひこじんしゃ)・住吉大明神と称して地方の崇敬を集め今日に及んでいる住吉神社(輪島市鳳至町)に振古より伝えられている神楽太鼓である。
神殿に祭られた奇面を付け神の下部と化した者々が、日本の海に立ちはだかる荒々しい岩壁のごとく打ち鳴らす音は、低く神を呼起こす音と鳴り、高く神威を願う音と響き、能登国の万民の心を支え、天に、地に、水に振古より打ち伝えられ今日に至っておる太鼓である。
住吉神社には、毎年正月五日に神楽始めという祭事が厳かに行われ、神社拝殿にてこの太鼓の打ち始め奉納が行われる。 

雪景色の金沢・兼六園(1966年)

雪景色の金沢・兼六園(1966年)

兼六園(海石塔)

兼六園(噴水)

兼六園(金城霊沢)

兼六園(ことじ灯籠と雪吊り)

■日本三名園の一つである金沢の兼六園は、年間200万人が訪れる北陸を代表する観光地で、江戸時代の林泉回遊式大庭園の特徴を今に残しています。 海石塔は、6層に積み重ねられている笠石が海石に似ていることから命名されたと言われています。  噴水は、庭内にある霞ヶ池を水源としており、自然の水圧を利用して水を吹き上げています。高さは通常3.5mと言われていますが、霞ヶ池の水位とともに変化します。 金城霊沢は、昔、山から掘ってきた砂金のついた芋を、ここで洗ったということから「金洗いの沢」と呼ばれるようになり、後にこれが縮まり「金沢」の地名が起こったと言われています。 ことじ灯籠は、琴の胴の上に弦を張り、音を調節する琴柱に似ていることから命名されたと言われています。雪吊りには熟練の技が必要で、黄金色に輝く円錐が浮かぶさまは雄大さを感じさせます。雪吊りは例年11月1日から作業が始められます。
■金沢城(かなざわじょう)は、石川県金沢市丸の内にあった城である。加賀藩主前田氏の居城だった。、白漆喰の壁にせん瓦を施した海鼠壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓1重目や塀に付けられた唐破風や入母屋破風の出窓は、金沢城の建築の特徴。この地は加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院である「尾山御坊(おやまごぼう、または御山御坊)」であった。寺とはいうものの大坂の石山本願寺(大坂御坊)と同じく石垣を廻らした城ともよべる要塞でもあった。 石川門(別名は白門)は国の重要文化財。独特の璧はなまこ壁と呼ばれ、白壁の表面に瓦を貼り付けたもの。鉛葺きの屋根は、戦いで鉄砲の弾に早変わりする、との説もある。

金沢城と石川門(重文).

金沢城と石川門
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北信越(福井県)

漁港・魚船の格納・民家(拡大せず) 

旧森田銀行本店・正面
(福井県坂井市)

旧森田銀行本店・重役室

旧森田銀行本店・内部

旧森田銀行本店・回廊

■九頭竜川の河口に位置する坂井市三国町は、古来より越前の玄関口ともいうべき経済の要港として発達してきました。 その三国湊にあって中世以来、湊の発展を支えてきたのが、北前船による廻船業を生業とした豪商たちで、その中のひとつが森田家です。 明治時代になり廻船業の衰退を察知した森田三郎右衛門は、1894年(明治27年)に森田銀行を創業し、業種転換を図りました。森田銀行は確かな信用のもと、県内上位の優良な銀行に成長します。そして、1920年(大正9年)この建物が新しい本店として落成しました。 外観は西欧の古典主義的なデザイン、内部は豪華な漆喰模様があります。細部のデザインや技術へのこだわりは建築思想の質の高さの表れであり、県内に現存する鉄筋コンクリート造の最古のものです。文化庁の登録有形文化財。

敦賀 赤レンガ倉庫  敦賀港の東側に2棟並んで建っている『赤レンガ倉庫』

■敦賀市(つるがし)は、福井県南部(嶺南)の、敦賀湾に面する都市。古代より港湾を中心に栄え、北陸と関西を結ぶ位置から近代以降は鉄道や道路の要地ともなっている。
■敦賀港の東側に2棟並んで建っている『赤レンガ倉庫』は、1905年(明治38年)に紐育スタンダード石油会社によって建設された石油貯蔵用の倉庫。

敦賀 赤レンガ倉庫 敦賀 赤レンガ倉庫

■東尋坊(福井県、越前海岸):時は寿永、民に巨悪の限りをつくした東尋坊という名の怪力の悪僧。在所の美しい姫君に心を奪われた東尋坊は、恋敵である真柄覚念という僧と激しくいがみ合ったとされる。ある時、岩場の上で酒宴を催した真柄覚念は、すきを見て東尋坊を断崖絶壁から突き落とした。天候はにわかに崩れ、雷と暴風雨が四十九日続いたそうな。毎年命日にあたる四月五日は、東尋坊の怨霊が大波と化し、岩壁を激しく打ち殴り続けたとか。 この岩壁が「東尋坊」と呼ばれることになった由縁に、こんなにもはかなく切ない無骨な男の悲恋物語があったという逸話を、福井県民も以外と知らないはず。 絶景に心打たれ、海面を遊覧船で滑り、美味しい海の幸に舌鼓を打ち、買物に興じる、そんな自由で平和な現代人の姿を、いにしえ人東尋坊は「俺もこの時代に生まれていれば・・・・」と、きっとボヤいていることでしょう。(三国観光協会)

福井・東尋坊の断崖絶壁

福井・東尋坊の観光船

福井・東尋坊

福井・東尋坊タワー

福井・越前海岸

福井・東尋坊

福井・東尋坊の地図

越前海岸 越前海岸 東尋坊

福井・東尋坊(観光船から)

福井・東尋坊の雄島と雄島橋

敦賀港の遠景

暮れなずむ佐渡沖の日本海

敦賀・新日本海フェリー「ニューすずらん」小樽行き

敦賀港の遠景 暮れなずむ佐渡沖の日本海 敦賀・新日本海フェリー「ニューすずらん」小樽行き

■越前岬灯台(えちぜんみさきとうだい)は、福井県丹生郡越前町にある越前岬の断崖上に立つ白亜塔形鉄筋コンクリート造の中型灯台。水仙ランド経由で行けます。 越前岬は、越前海岸が緩く突出する地点で、越前加賀海岸国定公園。 水仙は福井県の県花。

越前海岸の奇岩

越前海岸の民宿・宇野さん
(親切で料理も多い)

越前海岸とシャリンバイの花

越前岬灯台

越前岬灯台

恐竜博物館
モニュメント

恐竜博物館の入口
(福井市自然博物館)

恐竜博物館
内部

恐竜博物館
恐竜の卵と孵化

恐竜博物館
恐竜の骨組み

恐竜博物館
内部・ 恐竜の骨組み

恐竜博物館
内部・ 恐竜の骨組み

恐竜博物館
フィギュア?

禅宗・曹洞宗本山・永平寺山門

永平寺山門

恐竜博物館の外観
(福井市自然博物館)


■福井県にある恐竜を中心とする地質古生物学専門の博物館のWebサイト。50体近くの全身骨格をはじめとする千数百点もの標本や巨大復元ジオラマなどが圧巻の博物館。  公式サイト

永平寺・境内の門

永平寺・境内の広間

永平寺・龍門(りゅうもん)

永平寺・階段状の回廊

龍門(りゅうもん) 永平寺

永平寺・唐門(「勅使門」)

永平寺・報恩塔

■永平寺(えいへいじ)は、福井県吉田郡永平寺町にある曹洞宗大本山の寺院である。山号を吉祥山と称する。寛元2年(1244)道元禅師によって開創された「日本曹洞宗」の第一道場で出家参禅の道場です。本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏。總持寺とならんで日本曹洞宗の中心寺院(大本山)永平寺(えいへいじ)は、福井県吉田郡永平寺町にある曹洞宗大本山の寺院である。山号を吉祥山と称する。開山は道元、本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏である。總持寺とならんで日本曹洞宗の中心寺院(大本山)。全国に1万5千の末寺、檀信徒は800万人といわれております。

蘇洞門(そとも)の風景

蘇洞門(そとも)の風景

蘇洞門(そとも)の海鮮丼

蘇洞門(そとも)の風景

■蘇洞門(そとも)とは、福井県小浜市の、内外海半島にある海岸景勝地。全長は6キロメートルに亘り、一帯には洞門、瀑布、断崖が見られる。若狭湾国定公園の景勝地の一つであり、「若狭蘇洞門」という名で、1934年に国の名勝に指定されている。蘇洞門を構成する地質は花崗岩であり、この岩の柱状節理が日本海の波食や風食などを受けて浸食され、長年の歳月を経て形成されたもの。蘇洞門を象徴する景勝として特に知られ、大門は遊覧船での通行が可能であり、そのほかの見所としては夫婦亀岩、獅子岩、唐船島などが見られ、遊覧船で探勝ができる。

明鏡洞(めいきょうどう)

蘇洞門(そとも)の風景

明鏡洞(めいきょうどう)

■明鏡洞(めいきょうどう)とは、福井県大飯郡高浜町の若狭湾国定公園、城山公園内にある海食洞で、城山公園には他に八つの洞穴があり、奇岩が海水の浸食作用によりできたものであり、蛭子が洞・鼓ヶ洞・猩々ヶ洞・乙女ヶ洞・外ヶ洞・鋏み洞・揚ゲ小洞・明鏡洞から成る。

切手でめぐる北信越(福井)の良い所

紫式部と出会えるまち武生

高速増殖原型炉
「もんじゅ」臨界(1994年)

東尋坊(福井、1999年)

めがねをかけた女性
(福井、1991年)

紫式部と出会えるまち武生 高速増殖原型炉「もんじゅ」臨界(1994年) 東尋坊(福井、1999年) めがねをかけた女性(福井、1991年)

■福井県武生市は、かつて越前国府が置かれていたところで、源氏物語で有名な紫式部が一時期を過ごした地としても知られています。今年は、紫式部が父とともに武生に来てから千年を迎えます。
 切手(1996年)の意匠は、 紫式部公園から眺めた越前富士といわれる日野山を背景に、若き日の紫式部をイメージしたものを描いています。原画作者の加藤進(かとうすすむ)氏は福井県在住で、日展の入選をはじめ様々な分野で御活躍。
■雁木造(がんぎづくり)は、雪国の商店街等で見られる雪よけの屋根の事である。アーケードに類似の建築物。一般に雁木と呼ばれる。福井の町は雁木が多かった記憶があります。

若狭湾・高浜海岸(1964年)

若狭湾・高浜海岸(1964年) 国定公園

福井・気比の松原

越前ガニ(福井、1999年)

福井・気比の松原

■気比松原(けひのまつばら)とは、福井県敦賀市の景勝地である。三保の松原、虹の松原と共に日本三大松原。国の名勝に指定されている。9世紀には、石川県羽咋郡志賀町福浦港の福良津と共に渤海使の為の使節松原客館が置かれた。

越前ガニ
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北信越(長野県)

諏訪・北アルプスと上高地・大正池の写真(長野県)

(北アルプスなどの写真の詳細はこちらで)

長野・霧ケ峰 蛭原記念牧場

■車山から鷲ヶ峰にかけて、ゆるやかな起伏が続く霧ヶ峰高原。レンゲツツジやニッコウキスゲ、マツムシソウなど、季節の高山植物が緑の草原を色とりどりに染め上げます。
■乗鞍岳は3000m級の山々が連なる中で、23の峰、7つの湖、8の平原があり、壮大な自然を堪能できます。又、乗鞍岳からは槍ヶ岳、穂高連峰など、まさに雲上の世界が眺められます。乗鞍岳は高山植物の宝庫でもあり、初夏には、白、黄、ピンクなど色とりどりの花が満開です。
■諏訪湖にある高島城です。小さなお城ですが黒塗りの綺麗なお城です。1598年に、日根野織部正高吉が設計し、完成したもの。

長野・霧ケ峰 牧場

諏訪・高島城

諏訪・高島城の城門

■高島城の城郭の形式は連郭式平城である。かつては諏訪湖に突き出した水城で「諏訪の浮城(すわのうきしろ)」と呼ばれていたが、江戸時代初めに諏訪湖の干拓が行われ、水城の面影は失われた。しかし、浮城の異名を持っていたことから日本三大湖城の一つに数えられている。

乗鞍スカイラインから見る
日本アルプス

諏訪・高島城 諏訪・高島城の城門 乗鞍スカイラインからアルプス

南アルプスの峰(前のお店の色とコントラストが綺麗です)

■上高地は、長野県西部の飛騨山脈南部の梓川上流の景勝地で、標高約1,500m。松本市域に含まれ、中部山岳国立公園の一部ともなっており、国の文化財(特別名勝・特別天然記念物)に指定されている。「かみこうち」の名称は本来「神垣内」の漢字表記だが、後に現在の「上高地」の漢字表記が一般的となった。「神垣内」とは、穂高神社の祭神、穂高見命(ほたかみのみこと)が穂高岳に降臨し、この地(穂高神社奥宮と明神池)で祀られていることに由来する。

■梓川(あずさがわ)は、長野県を流れる信濃川水系犀川の上流域を示す別称。古来より上流部は上質の梓の産地であり、梓弓の材料として朝廷にも献上されていたが、このことが川の名前の由来になったと考えられている。

南アルプスの峰

西穂高岳(ロープウェイから)

上高地の涸沢と梓川

渓流・梓川

上高地の田代池

槍ヶ岳 上高地と梓川 渓流・梓川 上高地の大正池

長野県・美ヶ原高原美術館
の彫像群(サイ、ネズミ?)

■美ヶ原高原美術館The Utsukushi-ga-hara Open-Air Museum)は長野県上田市武石上本入美ヶ原高原(旧小県郡武石村上本入)にある、財団法人彫刻の森美術館が管理運営する野外彫刻のある彫刻庭園を中心とした美術館。面白い彫刻が多数展示。

■高遠は七百年の歴史を持つ城下町で、天正16年武田信玄により改築されました。昭和48年に国史跡に指定されました。
■長野県の天然記念物に指定されているタカトオコヒガンザクラは高遠固有の桜として、 ソメイヨシノなどに比べてやや小さめの花弁を持ち、色は河津桜ほども濃くないですが、 やや濃いピンクがかった色をしているのが特徴です。「天下第一の桜」と称されています。
長野県伊那市高遠町東高遠  2011.04 撮影

高遠城址公園のタカトウコヒガンザクラ

高遠城址公園のタカトウコヒガンザクラと桜憲章

高遠城址公園のタカトウコヒガンザクラ 高遠城址公園のタカトウコヒガンザクラと桜憲章

高遠城址公園の
タカトウコヒガンザクラ

高遠城址公園の問屋門の謂れ

高遠城址公園の問屋門とタカトウコヒガンザクラ

高遠城址公園の問屋門の謂れ 高遠城址公園の問屋門とコヒカンザクサ

高遠城址公園の
タカトウコヒガンザクラ

高遠の戦いの謂れ

高遠城址公園のタカトウコヒガンザクラ 高遠の戦いの謂れ

切手でめぐる中部地方(長野)の良い所

中部山岳・穂高岳
(1972年、国定公園)

中部山岳・立山
(1972年、国定公園)

上信越高原・浅間山(1954年)

上信越高原・谷川岳(1954年)

中部山岳・穂高岳(1972年、国定公園) 中部山岳・立山(1972年、国定公園) 上信越高原・浅間山(1954年) 上信越高原・谷川岳(1954年) 国立公園

■南アルプス国立公園は山梨県、長野県、静岡県の3県にまたがり、東西約15km、南北約50kmに及ぶ、南北に長い国立公園です。日本第二位の高峰北岳(3193m)をはじめ、3000m級の高峰十座を有する、日本で有数の山岳公園です。
南アルプスは日本で氷河が存在した最も南の場所で、キタダケソウやチョウノスケソウなど、氷河とともに南下してきた植物の生息地の南限となっています。 また、ライチョウ等の貴重な野生生物の生息地にもなっています。

南アルプス・北岳と甲斐駒ケ岳
(1967年、国立公園)

南アルプス・赤石岳・聖岳・東岳
(1967年、国立公園)

八ヶ岳中信高原・赤岳
(1968年、国定公園)

八ヶ岳中信高原・蓼科山
(1968年、国定公園)

南アルプス・北岳と甲斐駒ケ岳(1967年、国立公園) 南アルプス・赤石岳・聖岳・東岳(1967年、国立公園) 八ヶ岳中信高原・赤岳(1968年、国定公園) 八ヶ岳中信高原・蓼科山(1968年、国定公園)

中部山岳・槍ヶ岳(1952年)

剣岳と立山連峰の紅葉

山里の風景

国宝・松本城とアルプスの峰々

中部山岳国立公園・槍ヶ岳(1952年) 山 剣岳と立山連峰 山里の風景 松本城とアルプスの峰々

大正池と上高地(1939年)

上信越高原・野尻湖と妙高山
(1965年、国立公園)

国宝・松本城(日本、1977年)

■松本城(まつもとじょう)は、長野県松本市にあった城である。現在は天守群などの建物が現存し、城跡は国の史跡に指定されている。松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といった。市民からは別名烏城(からすじょう)とも呼ばれている。日本国内に12基現存している、安土桃山時代後期から江戸時代にかけて建造された天守を有する城郭の1つ。天守群は国宝に指定されている。

大正池と上高地(1939年) 上信越高原・野尻湖と妙高山(1965年、国立公園) 国宝・松本城(日本、1977年)

■野尻湖(のじりこ)は、長野県上水内郡信濃町にある湖。芙蓉湖(ふようこ)とも呼ばれる。ナウマンゾウ化石が出土する湖としても知られており、発掘調査が行われる。湖沼水質保全特別措置法指定湖沼。天然湖で、妙高高原、黒姫高原とともに上信越高原国立公園に指定されている。
■松本城太鼓門は、一の門、二の門からなり、その間に枡形が形成されていました。門台北石垣には太鼓楼があり、太鼓と半鐘が置かれ、様々な合図が打ち鳴らされたので、通称太鼓門と呼ばれていました。 太鼓門は、文禄4(1595)年頃に石川康長によって二の丸の正門として築造されたと言われ、しばしば改修も行われましたが、明治4(1871)年12月頃取り壊されました。残雪残る北アルプスをバックに、朝日に照らし出された桜咲く季節の松本城と太鼓門の切手。

松本城太鼓門

国宝・善光寺と 飯綱山とりんごの花(日本、長野、2001年)

縄文のビーナス

松本城太鼓門 国宝・善光寺と 飯綱山とりんごの花(長野、2001年) 縄文のビーナス

■長野市は、善光寺を中心に門前町として発展を遂げてきました。その善光寺は、昔から宗派の区別なく多くの人々に親しまれており、現在の本堂は江戸時代中期に建築されたもので、国宝に指定されています。 長野市は、自然に恵まれ、例年5月頃、市の花であるりんごの花が満開となります。また、市街の北には標高1917mの飯綱山が穏やかな姿でそびえています。

■縄文のビーナス:昭和61年、長野県茅野市米沢の棚畑遺跡から出土した約4500年前の土偶は、平成7年に国宝に指定され、日本で最古の国宝となりました。 縄文時代の土偶・土器の感覚を超越した特異なまでに近代的なこの土偶は、人々に感動を与え、いつしか「縄文のビーナス」と呼ばれるようになりました。八ヶ岳連峰を背景に。

■旧開智学校校舎:開智学校は、 1873年(明治6年)5月に松本藩学(廃藩置県後は筑摩県学)を継承して開校されました。 開智の校名は『学制序文』の「人々…其身ヲ修メ智ヲ開キ才芸ヲ長スルハ学二アラサレハ能ハス」から命名されたといわれています。この校舎は、学事を施政の中心にすえ、 文明開化政策を強力にすすめた当時の筑摩県権令・永山盛輝(ながやま・もりてる)によって計画され、 松本の大工棟梁・立石清重(たていし・せいじゅう)が設計施工しました。

旧開智学校校舎(1876年)

日本の近代洋風建築 旧開智学校校舎
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北信越(富山県)

■白川郷・五箇山の合掌造り集落は、飛騨地方の白川郷(岐阜県大野郡白川村)と五箇山(富山県南砺市)にある合掌造りの集落で、1995年12月9日にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
※合掌造りは、江戸時代から始められた養蚕のため、屋根裏に棚を設置したのが始まりと言われている。豪雪による雪下ろしの作業軽減と屋根裏の床面積拡大のため、急な角度を持っている特徴的な茅葺屋根になったと考えられている。白川郷の「荻町」と、五箇山の「相倉」、「菅沼」の三つの集落がある。荻町は1976年に、相倉と菅沼は1994年に重要伝統的建造物群保存地区に選ばれている。

五箇山、相倉合掌集落

五箇山、相倉合掌集落

五箇山、相倉合掌集落

五箇山、村上家

■「五箇山」には、平家の落人が住み着いたと伝えられている。1183年、富山県と石川県の県境にある倶利伽羅峠で、木曾義仲(源義仲)と平維盛(平清盛の孫)が戦った(倶利伽羅峠の戦い)。この時、義仲は火牛の戦法で平家に大勝した。その残党が五箇山へ落人として逃げ隠れたとされる。物的証拠はないが、一部の五箇山の民家の家紋として残っているとされている。加賀藩は、外様大名として100万石の経済力をもち江戸幕府の8分の1の力を持っていたので、取り潰しの危機にあったが、裏では五箇山での火薬の原料を調達していた。

切手でめぐる北信越(富山)の良い所

富山・おわら風の盆

富山・おわら風の盆

富山 おわら風の盆

立山と称名滝(1990年、富山)

瑞龍寺・山門

富山・立山連峰

立山と称名滝(1990年、富山) 富山・立山連峰

■瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、富山県高岡市にある曹洞宗の仏教寺院。山号を高岡山と称する。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は前田利常であり、開山(初代住職)は広山恕陽(こうざんじょよう)である。仏殿、法堂、山門の3棟が近世禅宗様建築の代表作として、1997年に国宝に指定されている。山門は、二重門(2階建てで、上層と下層の境にも軒の出をつくるもの)で、屋根は入母屋造、こけら葺き。
■弥陀ヶ原は、火山活動によって形成された称名川左岸の熔岩台地です。標高2,000m級に広がる高原としては日本一の広さで、夏には可憐な高山植物が咲き誇ります。平成24(2012)年7月、国際的な環境保護条約のラムサール条約に登録されました。

富山・弥陀ヶ原(みだがはら)

弥陀ヶ原

富山・ライチョウ(雷鳥)

富山・雪の大谷

富山・称名滝

富山・タテヤマリンドウ

ライチョウ 雪の大谷 称名滝 タテヤマリンドウ

■雪の大谷は、室堂ターミナルから大谷までの約500mの道路を除雪してできた雪の壁の区間です。この場所は、立山黒部周辺では最も積雪が多く、雪の壁の高さは20mを超えることもあります。
■称名滝は、主峰雄山を源に地獄谷、弥陀ヶ原(みだがはら)高原、大日岳の清水を集めた称名峡谷から4段となって一気に流れ落ちます。350mという日本一の落差を誇り、その滝音が「称名念仏」を唱えているように聞こえることから、名づけられたとも言われています。
■室堂平は標高2,450mに位置する立山黒部周辺の中心地で、観光と登山の拠点として最も賑わいを見せる場所です。室堂平からは、立山三山をはじめ剱岳や大日連山など3,000m級の山々を望むことができるほか、「ミクリガ池」や「地獄谷」など見所も豊富です。

富山・室堂平

富山・オコジョ

富山・チングルマ

富山・大観峰 黒部ダム

室堂平 オコジョ チングルマ 大観峰 黒部ダム

■大観峰は、断崖絶壁にせり出すようにして建つ立山ロープウェイや立山トンネルトロリーバスの駅舎です。駅の屋上展望台から一望する黒部湖や後立山連峰の大パノラマは、立山黒部周辺屈指の美しさです。
■黒部ダムは、高さ186m、長さ492mを誇る日本最大のアーチ式ドーム越流型ダムです。大自然の中、世紀の大事業として、約7年の歳月と延べ1,000万人の人手をかけ、昭和38(1963)年に完成しました。毎秒10トン以上の水を吹き出す黒部ダムの観光放水は迫力満点です。

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北信越(新潟県)

 

切手でめぐる北信越(新潟)の良い所

新潟・長岡の大花火(日本)

■長岡の大花火の発祥は、天保11(1840)年、長岡藩第10代藩主牧野忠雅に「川越移封(国替え)の命」が下るものの、その翌年にこの命が取りやめになったことを祝って打ち上げた「合図」が始まりともいわれています。 現在は、信濃川河川敷を舞台に、正三尺玉、ナイアガラ大スターマイン等の花 火が2日間で約2万発打ち上げられ、多くの観覧客で賑わいます。直径約650メートルもの大輪の花を咲かせる正三尺玉と、水しぶきを上げ流れ落ちる雄大なナイアガラの滝を再現するため、長生橋に仕掛けられたナイアガラ大スターマインをダイナミックに。
■上越(新潟)・高田城跡の夜桜については、高田城は、松平忠輝公により慶長19年(1614年)に築城された平城です。特色として天守閣がなく、それに代わる三重櫓が建設されています。また石垣が積まれていません。 高田城三重櫓は、上越市発足20周年記念事業として再建されました。 周囲は公園となっており、約4,000本の桜が植えられており、夜桜は特に有名で多くの人が訪れます。

上越・高田城跡の夜桜

長岡の大花火 新潟

直径約650メートルもの大輪の花を咲かせる正三尺玉と、水しぶきを上げ流れ落ちる雄大なナイアガラの滝を再現するため、長生橋に仕掛けられたナイアガラ大スターマインをダイナミックに

上越・高田城跡の夜桜 2001年

弥彦山と越後平野

五号庵と日本海

新潟県政記念館
新潟食と緑の博覧会

外海府海岸と佐渡おけさ
(1958年、国定公園) 新潟県

弥彦山と越後平野(1958年、国定公園)

(1958年、佐渡弥彦国定公園)

五号庵と日本海 新潟県政記念館 外海府海岸と佐渡おけさ(1958年、国定公園)

■五合庵( 新潟)は、国上寺の中興の祖といわれる、萬元上人が隠居する際に、毎日五合の米を給されていたところから名付けられた。良寛も、この庵に20余年住んでいたと伝わる。

「ユキツバキ」と加茂山公園

「カンゾウ」と巨岩大野亀

「アヤメ」と五十公野公園

「イワカガミ」と妙高山

越後(新潟県)は、自然に恵まれ、春から夏にかけて各地で美しい花を目にすることができます。「ユキツバキ」と加茂山公園(加茂市)(中越地方)、ツバキ科の常緑の低木又は小高木で、4月から5月にかけて花が咲きます。 「カンゾウ」と巨岩大野亀 (両津市)(佐渡地方)、「カンゾウ」は、ユリ科の多年草で、5月から8月にかけて花が咲きます。 「アヤメ」と五十公野公園(新発田市)(下越地方)、 「イワカガミ」と妙高山(上越地方)、「イワカガミ」は、イワウメ科の多年草で、6月から7月にかけて花が咲きます。 

一茶の里柏原

■一茶の里柏原:信濃町柏原は豪雪地帯として知られ、北国街道の宿場町として栄えました。館内にはこの地方の民具や古文書を数多く展示しています。なかでも雪国の民具、信州鎌、凍りそばは、この地方独特のものです。俳人「小林一茶」は私達の心に残るたくさんの俳句を残して、文政10(1827)年ふるさとの柏原で亡くなりました。 「やせ蛙まけるな一茶これにあり」。

ヒスイの里と相馬御風(新潟県)

■全国で唯一、ヒスイの里と呼ばれている糸魚川市は、古くから神話・伝説の多い所であり、相馬御風の生まれたところでもあります。 糸魚川市の南に位置する明星山の大岸壁が、小滝川に落ち込むところで、色彩豊かなヒスイの原石が産出されていましたが、現在は、国の天然記念物に指定されてます。この小滝川と姫川が合流し、日本海に流れ出たところは、ヒスイの原石が見付かることがあり、地元では、ヒスイ海岸と呼ぶことがあります。 

一茶の里柏原 ヒスイの里と相馬御風(新潟県)
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北信越の良い所・お気に入りの場所の写真集   福井県、石川県、富山県、新潟県、長野県

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