地理学や交通関係の切手|世界の港町
世界の港町に関する切手です。 港町と聞くと、マドロスさんやガス燈や哀愁を帯びたエキゾチックなイメージが非常に強いです。 古代より世界各地では、多くの場合、陸上交通より水上交通のほうが移動速度が速く、大量輸送を可能とし、船舶を利用した交通移動が盛んでした。その為、海や河川・湖に面した船舶の停泊に適した陸地に人々が集住し、内陸方面と水上方面とを結ぶ交易市場として栄えました。その後、都市へと成長して港町と呼ばれるようになった。港町の形成されることが多い場所には、入り江や河口付近、岬付近などが挙げられる。また、港の周辺の水域で海産物が捕ることのできる街であれば、港は漁港としての役割を果たしています。 日本で思い出される有名な港町は、函館、横浜、新潟、津・松阪、神戸、長崎です。 青森県にある縄文時代の三内丸山遺跡を港町とする有力な見解があり、この事から、日本の港町は縄文時代まで遡るとも考えられます。 私のイメージでは、鎖国時代の長崎の出島と伊豆の下田が思い出される。 フランスの古い港町マルセイユ。欧州有数の貿易港の旧港はとても風情があります。
港町の索引 [ 日本 | 海外 ]
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日本開港150周年記念で2009年に多数発行。 |
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日本書紀には、仁徳天皇が河内平野を開発し、難波(大阪)を外港・宮都(首都)として整備したことが記されている。古墳時代以降、北部九州と畿内を結ぶ瀬戸内海が、倭国(日本)の重要な交通路となり沿岸には多くの港町が形成された。 |
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港町・函館 |
函館 五稜郭 |
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■戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、薩摩藩・長州藩らの西南諸藩(薩長土肥)が明治天皇を擁立して王政復古にて明治政府を樹立し、江戸幕府側(旧幕府勢力(彰義隊・会庄同盟・榎本政権を含む))及び奥羽越列藩同盟と戦った日本の内戦。 この時、函館は最後の激戦地でした。 榎本武揚ら旧幕府海軍を主体とする勢力は、もはや奥羽越列藩同盟の敗色が濃い8月19日になって江戸を脱出した。10月26日榎本は箱館五稜郭などの拠点を占領し、12月5日に北海道地域に事実上の権力を成立させた(通称、榎本政権または蝦夷共和国)。旧幕府軍は松前、江差などを占領する際に軍事力の要となる開陽丸を悪天候で座礁沈没させており、海軍兵力の低下は否めず、宮古湾海戦を挑んだものの敗れた。その後新政府軍は、青森に戦力を築き、旧幕府軍の不意を突いて4月9日江差の北、乙部に上陸する。その後、進軍され5月18日(同6月27日)、新撰組の土方歳三は戦死し、榎本武揚らは新政府軍に降伏し戊辰戦争は終結した。 |
日本開港100年(1958年) |
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八幡坂と函館港夜景 |
函館ハリストス正教会 |
旧桟橋と函館港夜景 |
函館公園と函館港夜景 |
函館山からの函館港夜景 |
■函館港 |
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函館・五稜郭 |
函館真景(部分) |
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■五稜郭は、最後の決戦当時の正式名称は亀田役所土塁(柳野城とも)。国の特別史跡に指定され、「五稜郭と箱館戦争の遺構」として北海道遺産に選定されている。 |
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港町・横浜 |
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■横浜港 横浜は、1859年の開港 |
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横浜弌覧之真景(部分) |
横浜港夜景(横浜ランドマークタワー) |
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横浜 港を行き交う船 |
■横浜ランドマークタワーは、横浜みなとみらい21の中核となっている超高層ビルで、オフィスのほかホテルやショッピングモールなどからなる複合施設。三菱地所が保有している。1990年(平成2年)3月20日に着工され、1993年(平成5年)7月16日に開業した。70階建て、高さは296.3
mで、高層ビルとしては日本一の高さである。世界では第55位の高さ(2010年1月時点)。69階の展望台スカイガーデンは、地上からの高さが272mであり、日本で最も高い。 |
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横浜市開港記念会館 |
帆船日本丸 |
横浜港大さん橋 |
横浜ベイブリッジ |
開港のころの横浜の錦絵(三代目歌川広重)、 |
「みなと横浜」は、横浜港を中心とする観光エリアとして知られています。 横浜港は、1859年に開港して以来、貿易立国日本の物流の拠点として、横浜市の発展に大きな役割を果たすとともに、我が国経済を支えてきました。 港を取り巻いて発達した市街では、赤レンガ倉庫など近代以降の建造物を多く目にすることができ、一方、みなとみらい21地区を中心に現代の建造物が立ち並ぶなど、新旧織り交ぜた景観が呈されています。 |
三代目広重の「海岸通異人館」 |
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港町・神戸 |
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■神戸港は、兵庫県神戸市にある港湾。港湾法上の特定重要港湾に指定されている日本の主要な国際貿易港(五大港)の一つ。その歴史は大輪田泊(おおわだのとまり、和田岬の東側にいだかれて天然の良港をなし、奈良時代から瀬戸内海を航行する際の要津、812年(弘仁3年) 大輪田泊修築 )や兵庫津(ひょうごのつ)と呼ばれた兵庫港に始まり、かつての都であった奈良や京都と、日本国内の東西航路や大陸との交易の拠点として古くから栄えてきた。明治時代に外国人居留地として整備された建造物が数多く残っており、エキゾチックな市街地の雰囲気や神戸の夜景スポットとして非常に有名なハーバーランド、メリケンパーク周辺は観光地・お洒落な町としても人気が高い。 |
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神戸港と神戸タワー |
旧ハンター住宅(神戸、1889年) |
兵庫・神戸港の花火大会・ 神戸ポートタワー |
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■旧ハンター住宅は、屋根は寄棟造、日本で最初の時期の石綿スレート葺で、天井裏は洋式小屋組になっている。 1階に玄関ホール、書斎、食堂、応接室などがある。現存する神戸の異人館の中では最大の規模のものの1つである。 |
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ルミナリエ(兵庫・神戸) |
ルミナリエ(兵庫・神戸) |
神戸異人館・風見鶏の館 |
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■風見鶏の館は、城館風の高い天井やアール・ヌーボー風の装飾等 異人館の中でも異彩を放つ建物で、昭和53年に 神戸市の所有となり、同年に国の重要文化財に 指定されています。(写真クリックで拡大) |
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港町・長崎 |
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崎陽大浦真景図(部分) |
港町・長崎港夜景 |
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■長崎港 |
長崎の出島(日本、1999年) |
旧グラバー住宅 |
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にっぽん丸と長崎・女神大橋 |
グラバー園と長崎港 |
長崎港夜景 |
長崎・大浦天主堂(国宝) |
■日本最古のステンドグラスとも言われる、大浦天主堂は長崎県長崎市にあります。国宝であり、大浦天主堂を始めとする教会群は、日本で最も世界遺産に近い位置にいます。さて、国宝というのは、特に歴史的な文化意義が強いものに与えられる称号なので、日本の場合は東大寺など寺院仏閣や日本風の書画骨董など、日本古来の文化に与えられることがほとんどで、洋風建築の大浦天主堂はこの意味で唯一の国宝と言えます。この国宝指定に大きく尽力したのが、日本最古とも言われる大浦天主堂のステンドグラスなのです。 |
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長崎・大浦天主堂(1951年) |
大浦天主堂(1864年、国宝) |
長崎くんち |
チューリップと |
旧オルト住宅及び旧リンガー住宅と花(チューリップ) |
長崎・原爆投下(平和記念像) |
■1945年(昭和20年)8月6日に広島、ついで9日には長崎に人類史上最初の原子爆弾が投下されました。これによって両市は一挙に壊滅し、同年12月末までに、広島で約14万人、長崎で約7万4千人もの生命が奪われたと推定されています。最近のアメリカの大統領の言葉ではありませんが「世界の核廃絶」を切に願っています。 |
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長崎街道(長崎・出島、佐賀・精煉方、鳥栖・九州自動車道、小倉・小倉城と常盤橋 ) |
■長崎街道は、正式には長崎路、別名を肥前街道、豊前街道と呼ばれた。小倉から筑前六(む)宿を経て、肥前に入り、天領の日見(ひみ)、長崎に至る25宿、57里(228キロ)の道のり。当時の人はこの距離を約1週間で歩いたという。鎖国下にあって、江戸と幕府の対外交渉の窓口・長崎とを結ぶ街道(最重要の幹線)であり、西洋への唯一の窓口。 |
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デ・リーフデ号とオランダ人の図と長崎の出島(日本、2000年) |
■日本とオランダの交流は、1600年4月19日、豊後(現在の大分県)臼杵湾にオランダ船デ・リーフデ号が漂着したことに始まり、2000年で400周年を迎えました。 オランダは、鎖国時代に長崎の出島で通商を許可された唯一のヨーロッパの国として、日本と世界をつなぐ架け橋となっていました。この交流では通商だけでなく医学、工学技術など広い分野の知識が日本に伝えられ、また、日本の文物が世界に紹介されました。こうした長い交流の歴史を基礎として、今日、両国は緊密な友好関係を築いています。 |
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銅版画(部分)・・・リンスホーテン協会叢書の挿し絵、「寛文長崎図屏風 (六曲一双)」(部分)・・・長崎市立博物館所蔵、長崎版画「阿蘭陀人之図」(部分)・・・神戸市立博物館所蔵 |
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「山陰・夢みなと博」鳥取 |
鳥取県境港市 山陽・山陰 |
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船とニジッセイキナシの花 |
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■山陰・夢みなと博覧会(さんいん・ゆめみなとはくらんかい)とは、1997年7月12日から9月28日にかけて鳥取県境港市で開催された地方博覧会である。来場者は約193万人にのぼった。 |
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港町・小樽 |
小樽市は、北海道後志支庁北部の石狩湾に面し、古くから港湾都市として発展した 小樽 |
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小樽の風景・小樽運河 |
小樽運河(小樽市) |
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港町・津/松阪 |
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津の港湾は、中国の歴史書には「日本三津」、日本の書物には「三津七湊」と記載された「安濃津」(あのつ、あののつ)を起源とし市名の由来ともなったが、往時に比べれば日本国内における重要性は低下している。一方松阪の港湾は、蒲生氏郷が松阪城の城下町を整備した頃から物資の積み出し港として町の発展を支えてきた。津松阪港(つまつさかこう)は、三重県中勢地区にある 重要港湾。 |
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古代には安濃郡の港として安濃津(あののつ、あのつ)、転訛して洞津(あなのつ、どうしん)と呼ばれた港で、平清盛がこの港から熊野三山への参拝のために出港したと『平家物語』に記述されるなど、平氏にとって重要な港であった。中国・明代の茅元儀が著した『武備志』の「日本考」にも筑前・博多津や薩摩・坊津と並ぶ日本三津として紹介された。 |
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フランス・マルセイユ |
ノルウェー・ヴァードー |
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マルセイユ(Marseille、 |
■マルセイユ(Marseille)は、フランス最大の港湾都市で、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏(PACA)の首府。南フランスにおける貿易・商業・工業の一大中心地である。近接するトゥーロン軍港に対して、貿易港を有する。これはフランスおよび地中海で最大、ヨーロッパでは第3位の玄関港です。 |
不凍港 ヴァードー |
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マルセイユ旧港よりノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院を望む |
■ヴァードー は、ノルウェー・フィンマルク県の町。面積600平方キロメートル、人口2,396人(2004年)。ノルウェーの最も北東の地点にある。ヴァードー港はバレンツ海に面し、暖流の北大西洋海流の影響で一年を通して不凍港である。 |
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フィンランド・ヘルシンキ |
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ヘルシンキ大聖堂とヘルシンキ港周辺(フィンランド) |
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中国・香港 |
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香港の風光名勝(中国、1995年発行の切手) |
香港でもっとも有名な観光名所であるザ・ピークからの |
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香港・ビクトリア湾 |
セントラル広場(中環広場) |
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高層ビルに彩られたビクトリア・ハーバーの美しい夜景を楽しむベストスポットは海の上。 |
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香港・文化芸術センター |
香港・浅水湾(リパルスベイ) |
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中国・澳門(マカオ) |
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マカオタワーから臨む澳門(マカオ)の町 マカオタワーから臨むマカオの町(マカオの中心街) |
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オーストラリア・シドニー |
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完成目前のハーバーブリッジ(Sydney Harbour Bridge、 |
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エジプト・アスワン |
エジプト・アレキサンドリア |
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ナイル川の上流にある |
アレキサンドリアの海岸風景(写真、クリックで拡大) |
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イタリア・ヴェネツィア |
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サン・ジョルジョ・マッジョーレ島を臨むヴェネツィアの波止場風景 |
ヴェネツィアのサン・マルコ寺院(Basilica di San Marco) |
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オランダ・アムステルダム |
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オランダのアムステルダムは伝説によれば、犬を連れて小さなボートに乗った2人の猟師が、アムステル川の川岸に上陸して築いたということになっています。アムステル川をせき止めた(アムステルのダム:Dam in the Amstel)というのが街の名前の由来。 1300年(または1301年)に自由都市となり、14世紀にはハンザ同盟との貿易により発展した。 |
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アムステルダム中央駅とアムステルダム港旅客ターミナル |
マヘレの跳ね橋 Magere Brug |
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