地理学や地学関係の切手|南極・日本昭和基地や北極など世界の極地探検・観測
日本の南極・昭和基地や北極など世界の極地探検に関する切手です。北極点は1909年4月にアメリカのピアリーが到達、南極点は1911年12月にノルウェーのアムンゼン(アムンセン)が征服した。昭和基地(しょうわきち)は、南極圏内の東オングル島にある日本の観測基地。南緯69度00分22秒、東経39度35分24秒、標高29.18m。基地の名称は建設された時代の元号「昭和」にちなむ。昭和基地は、天体・気象・地球科学・生物学の観測を行う施設である。施設は53の棟から成り、3階建ての管理棟のほか、居住棟、発電棟、汚水処理棟、環境科学棟、観測棟、情報処理棟、衛星受信棟、焼却炉棟、電離層棟、地学棟、ラジオゾンデを打ち上げる放球棟があり、このほか、大型受信アンテナ、燃料タンク、ヘリポート、太陽電池パネルがある。また、貯水用の荒金ダムもある。1000キロ離れた南極大陸内にドームふじ基地がある。余暇(南極時間の土日)を利用して基地職員によるアマチュア無線局(8J1RL)の運用が行われている。医務室、管理棟、厨房、食堂、通信室、公衆電話室、図書室、娯楽室などは管理棟内にある。医務室は手術ができる設備があることで有名だが、実際は非常時用で、手術例はほとんどない。また郵便局もあり、日本国内と同料金で手紙やハガキを日本本土へ送る事ができる。南極の平和利用に関しても掲載。
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南極・昭和基地 |
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観測船ふじ オーロラ |
観測用飛行機 |
コウテイペンギン オーロラ |
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観測船宗谷とアデリーペンギン |
アデリーペンギン |
隊員と観測船しらせ |
雪上車 |
南極観測船・しらせ |
オーストラリア・南極、ペンギン |
オーストラリアの南極基地 |
南極条約の発効30年(中国、J177)南極地図とペンギン |
白瀬中尉・南極探検50年 |
南極地図とオーロラ・ふじ |
オーストラリア・南極基地 |
南極での雪氷学(glaciology、フランス南極、1984年) |
雪上車、ウェッデルアザラシ、コウテイペンギン、コウテイペンギン(子)、観測用飛行機、アデリーペンギン、コウテイペンギン(親子) 観測船宗谷と犬ぞり、タロ、ジロ |
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■タロ(1955年10月 - 1970年8月11日)とジロ(1955年10月 - 1960年7月9日)は日本による初期の南極地域観測隊に同行した樺太犬の兄弟。1956年(昭和31年)11月、総勢53名の第1次南極観測隊隊員がタロ、ジロを含む22頭の樺太犬と共に東京湾より南極観測船「宗谷」で南極へ出発。「宗谷」には暑さに弱い樺太犬達の為に、赤道越えの為の冷房室が特別に用意された。隊員のうち11名が第1次越冬隊として選抜され、この中で最年少の北村泰一(当時京都大学大学院生、のち九州大学名誉教授)が犬係を任じられる。病気などで帰国する3頭を除いた19頭の犬たちは1957年の第1次越冬隊において、犬ぞり曳きなどに使役された。越冬中に2頭が病死、1頭が行方不明となる。また雌のシロ子はジロなどとの間に8頭の仔を産んだ。ところが、1959年1月14日、第3次越冬隊のヘリコプターにより、上空から昭和基地に2頭の犬が生存している事が確認される。着陸すると駆け寄ってきて操縦士に寄ってきたが、大きく成長していて、どの犬だったのか判別がつかなかった。急遽、1次越冬隊で犬係だった北村が次の機で基地に向かう事になった。犬達は北村に対しても警戒していたが、頭を撫でながら次々と犬の名を呼び掛けると、1頭はタロの名のところで反応して尻尾を振った。もう1頭もジロの名に反応した事から、この兄弟が生存していた事が確認されたのである。 基地には7頭の犬が首輪に繋がれたまま息絶えており、他の6頭の消息は知れなかった。基地に置いてきた犬の食料や死んだ犬を食べた形跡はなく、アザラシの糞やペンギンを食べて生きていたのだろうと北村は推測している。北村らは3次隊越冬の際、タロとジロが2頭でペンギンを捕獲するところを目撃している。タロとジロの生還は日本中に衝撃と感動とをもたらし、2頭を称える歌『タロー・ジローのカラフト犬』(しばざきそうすけ作詞、豊田稔作曲)までもが作られたほどである。更に日本動物愛護協会によって、当時開業したばかりの東京タワーに15頭の樺太犬記念像(製作者・安藤士(忠犬ハチ公像の彫刻家))が設置された。 by Wikipedia |
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ジロ |
タロ |
ジロ |
タロ |
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世界の極地探検と観測 |
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■初の南極点到達は1911年12月14日のことであり、ロアール・アムンセン率いるノルウェー探検隊によって達成された。 |
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バード少将の第2次南極探検 |
極地・北極探検(旧ソ連) |
北極航空路線開通(旧ソ連1938年) |
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1937年7月12-14日に初飛行が出来た。 |
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■アメリカ海軍のリチャード・バードは1928年を皮切りに、1930年代から1950年代にかけて5回、南極へ行っている。これは、航空機も用いたものであり、1929年11月28日と29日には、南極点上空の初飛行に成功している。 |
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南極条約10年 |
ニュージーランド・ロス海 |
チリ(南極の領有権主張) |
北極圏・グリーンランド |
グリーンランドは デンマーク領です。 |
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クック船長 |
アーネスト・シャクルトン |
ロアール・アムンセン |
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■スコットランド人のアーネスト・シャクルトン率いるイギリス探検隊が1907年から1909年にかけて、南極探検を行っている。この探検隊は、1909年1月9日南極点まで180km、南緯88度23分に達したほか、1909年1月16日には南磁極に達することに成功した。1914年にアーネスト・シャクルトン率いる南極大陸横断を目的とするイギリス探検隊が結成された。しかし、探検隊の船・エンデュランスは南極到達前に氷に閉じ込められ、漂流することとなった。9ヵ月後に船が氷に破砕、沈没されたため、ボートにより脱出する。 |
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1841年に行われたロス探検隊の探検船エレバス号と |
ニュージーランド領南極地方ロス海,1999年 夜スキー |
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海霧とマクマードの音 |
エレバス火山 |
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夕日と黒島 |
ロス海(Ross sea) |
黄昏時のロス島 |
真珠色の雲のロス島 |
■ロス海(ろすかい、Ross Sea)とは南極大陸のヴィクトリア・ランドとマリーバードランドとの間にある深い湾。南極海の一部である。1841年、ジェイムズ・クラーク・ロスによって発見された。ロス海の東にはロス島が、西にはルーズベルト島がある。南部はロス棚氷に覆われている。 |
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極地探検(スウェーデン、1989年)・・・北極圏及び南極圏だと思います。 |
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グリーンランド調査、ラップランドの自然科学ステーション、 |
コウテイペンギンと調査船「南極号」、雪上車とヘリコプター、 |
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ニュージーランドの南極観測・小型シート(気球、アザラシ) |
オーストラリアの南極観測・観測船とスノーモービル |
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オーストラリアの南極観測・ヘリコプターと雪上車 |
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オーストラリアの南極基地 |
オーストラリアの南極基地 |
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ソ連の南極平和利用(地図、雪上車、観測船、ヘリコプター、ペンギン、クジラ、オーロラ) |
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ソ連の南極平和利用(地図、雪上車、観測船、ヘリコプター、 |
デュモン・デュルビル,帆船, |
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■デュモン・デュルビルはフランス南極基地名に使われるほどの探検家でアデリーペンギンの命名でも有名! |
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イギリスの南極観測・南極基地(地図、計測機械) |
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■南極の平和利用:南極条約とは、南極地域の平和的利用を定めた条約。南極は気象条件が厳しいため、人の定住が困難であり長い間未踏の地であったが、1908年にイギリスが南緯50度以南、西経20度から80度に至る範囲の諸島の領有を主張したのを切っ掛けに、他の国も南極の一定区画の地域の領有を主張するに至った。南極地域(すべての氷棚を含む南緯60度以南の地域)の継続的な平和的利用のために締結されたのが、本条約です。当時南極における調査研究に協力体制を築いていた日本、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、ソビエト連邦(現ロシア)等12か国が、1959年12月1日に南極条約を採択した。 |
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南極の風景(USA,1991年) |
北極探検・砕氷船 |
南極・北極の極地保護(第4回国際極年) |
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北極探検・潜水艇 |
北極探検・北極の地図と |
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南極・北極の極地保護(第4回国際極年):42の国と地域による共同発行。シート左上部に共通シンボルマーク「アイスクリスタル」入り。日本の切手では初めてとなるホログラムを採用。 |
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探検家クヌド・ラスムセン(Knud Rasumussen)のグリーンランド探険(デ領グリーンランド、2003年) |
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北極探検家オットー・スベルドラップ(Otto Sverdrup 1854- 1930)、犬ぞり、帆船フラム号(デ領グリーンランド、2004年) |
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■オットー・スベルドラップ (Otto Sverdrup 1854-1930):家の持ち船の船長をしていたが、ノルウエー建国の功労者・ナンセンの兄と友人であり、その紹介でナンセンとも知り合う。グリーンランド探検にも参加し、北極点遠征ではフラム号(排水量530t 厚さ2ft以上の船殻で三層構造)の船長を勤めた。その後も引き続きフラム号を指揮して、カナダの北極海諸島を探検。20世紀に入ると、ソ連と協力してバレンツ海やカラ海の調査や航路開発に従事した。 |
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様々な雪の結晶(英領極地、1986年) |
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地理学や地学関係の切手|南極・日本昭和基地や北極など世界の極地探検・観測 |
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