Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

Kunioの世界の切手紹介と海外写真集
国内写真集|北海道の稚内・宗谷 : 稚内市は最北の駅稚内駅がある。 古くから日本本土の北の玄関口として知られ、北海道の市町村で唯一、日本海とオホーツク海に面す。宗谷岬からサハリンクリリオン岬(樺太西能登呂岬)まではおよそ43kmで、日本で最もロシアに近い。

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北海道・稚内・宗谷の良い所・お気に入りの場所の写真集

 北海道の稚内・宗谷の良い所やお気に入りの場所を写真でご案内します。 稚内市(わっかないし)は、北海道宗谷地方にある市。最果ての宗谷岬や礼文島、利尻島へのフェリーの航路、最北の駅稚内駅がある、宗谷総合振興局所在地で宗谷管内の中核都市。地名の「わっかない」は、アイヌ語で「冷たい飲み水の沢」を意味する「ヤム・ワッカ・ナイ」に由来する。古くから日本本土の北の玄関口として知られ、北海道の市町村で唯一、日本海とオホーツク海に面している。宗谷岬からサハリンクリリオン岬(樺太西能登呂岬)まではおよそ43kmで、日本で最もロシアに近い。 最新の写真は2013年7月。
 写真画像はクリックで拡大します。 リンク:北海道ぐるり旅社団法人北海道観光振興機構公式サイト「北海道ぐるり旅」(北海道観光振興機構の公式サイト。観光情報からホテルなどの情報検索まで、北海道観光を総合的に案内する「ポータルサイト」です。)

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北海道・稚内

稚内に行って最初の印象は風が強いところでした。 稚内市の年間の平均気温は7℃ほどである。日本の最北に位置するが、冬は海の影響から比較的温暖であり、過去最低気温は-19.4℃(1944年1月30日)と-20度以下に満たない。 年間を通じて強い風が吹くため、体感温度は実際の温度よりも低く感じられる。 最北の最果ての町・稚内は少し賑やかな町かと思えば想像通り、寂しい町でした。町の人たちは皆元気そうですが、稚内駅から車で10分位のホテルの周辺の景色はうらぶれた感じでした。ニシンにわいた往時の賑わいは微塵もない。廃墟と化した苫や、乗り捨てられた軽トラ・・過ぎていった時間の長さを感ぜずには居られません。大きな箱物だけが残った町の印象でした。

老朽化だけでなく住民減少で廃屋となった稚内市営住宅

寂しい浜辺ではハマナスが

稚内の外れの寂れた西稚内漁港

老朽化だけでなく住民減少で廃屋となった稚内市営住宅 老朽化だけでなく住民減少で廃屋となった稚内市営住宅 寂しい浜辺ではハマナスが 稚内の外れの寂れた西稚内漁港

散在する苫屋も廃屋も多く乗り捨て自動車も多い

稚内中心部から車で5分

国営・市営の施設 人気も少
稚内温泉童夢

散在する苫屋も廃屋も多く乗り捨て自動車も多い 散在する苫屋も廃屋も多く乗り捨て自動車も多い 稚内中心部から車で5分 国営・市営の施設 人気も少 稚内温泉童夢

■日本最北端を有する稚内市は、その地理的条件を生かし、観光業が盛んである。主な名所としては、最北端の宗谷岬、北海道遺産の宗谷丘陵、利尻礼文サロベツ国立公園、稚内公園などがある。 2013年6月30日現在 37,168人である。過疎化の波はこの地も例外ではない。
■野寒布岬(のしゃっぷみさき)は、北海道稚内市ノシャップにある岬。「ノシャップ岬」とカナで表記することも多い。日本海から宗谷湾を区切る。
■稚内灯台は、宗谷岬灯台と同様に樺太の対岸にある国境の灯台であり、国際海峡である宗谷海峡の航路を守る重要な灯台である。塔高 43 m は、出雲日御碕燈台に次ぐ全国第2位の高さである。

ノシャップ岬で見たエゾシカ

ノシャップ岬で見たエゾシカ

野寒布岬から利尻富士
恵山泊漁港

野寒布岬(ノシャップ岬)の恵山泊漁港 ウミカラスが賑やか

野寒布岬(ノシャップ岬)
イルカのモニュメント

野寒布岬の稚内灯台と
ノシャップ寒流水族館

野寒布岬から利尻富士 野寒布岬の港 野寒布岬(ノシャップ岬) 野寒布岬の稚内灯台

稚内駅(道の駅、バスターミナル)

稚内港北防波堤-北防波堤ドーム

樺太と繋がる稚内港

夢食館北市場

稚内港北防波堤の岸壁 北防波堤ドーム 稚内港 夢食館北市場

■稚内駅(わっかないえき)は、日本で最も北にある鉄道駅である(北緯45度24分44秒)。 北防波堤ドームは、北海道稚内市の稚内港にある大型の防波堤で、1936年に完成し2001年に北海道遺産に選定された。防波堤の外観としては異色となるドーム状の形態を取っていることから命名された。高さ約14メートル、長さ427メートル、古代ギリシア建築を彷彿とさせる70本のエンタシス状の柱列群は、斬新な印象を与えている。 稚内港は、ハートランドフェリーがサハリンコルサコフ(旧樺太大泊)、利尻・礼文とをフェリーで結ぶ。
■稚内のマンホールの蓋の絵柄は、利尻富士と防波堤ドーム。樺太犬が2匹(2匹とも笑顔ですが、向って右の犬は舌を出しています。)南極観測から奇跡の生還をした樺太犬タロ、ジロをデザイン。

稚内のマンホールの蓋

稚内のマンホールの蓋

日本最北端線路の位置に復元された車止めモニュメント

稚内の中心街
消火栓が林立しています

稚内銘菓「モカ小福」
モカの餡の大福

稚内駅の駅弁・かに弁当
ほぐし身タップリで美味

日本最北端線路の位置に復元された車止めモニュメント 稚内の中心街 稚内銘菓「モカ小福」 稚内駅の駅弁・かに弁当

■稚内駅の駅弁・かに弁当は、ずわいかにのほぐし身と錦糸卵が敷き詰められていて、その上に醤油に漬け込んだカニの足の身がのっています。たっぷりとカニと帆立貝が味わえます。
■モカ小福は、日本最北端の街、稚内の和菓子・洋菓子処「御菓子司 小鹿」で。美味しかった。

稚内全日空ホテル

JR稚内駅のオブジェ

日本・最北端を示す看板

JR稚内駅のホーム

稚内全日空ホテル 最北端を示す看板 JR稚内駅のホーム

■稚内の駅の傍には稚内公園があります。この公園には、氷雪の門、九人の乙女の像、開基百年記念塔、ゲストハウス氷雪(足湯)、森林公園キャンプ場、南極観測樺太犬記念碑・樺太犬供養塔などがあります。

稚内公園から観た稚内港

氷雪の門の説明

九人の乙女の像の説明

稚内公園から観た稚内港 氷雪の門の説明 氷雪の門の説明 九人の乙女の像の説明

氷雪の門 ・・ 樺太で亡くなった日本人のための慰霊碑

稚内市開基百年記念塔・北方記念館

氷雪の門 稚内市開基百年記念塔・北方記念館

■氷雪の門(ひょうせつのもん)は、北海道稚内市の稚内公園内にあるかつて日本領土だった樺太で亡くなった日本人のための慰霊碑。樺太で亡くなった全ての日本人が対象。両側に高さ8mの門(望郷の門)があり、中央に2.4mの女性の像がある。女性の像については、顔は戦争で受けた苦しみを、手のひらを見せているのは樺太も家族も失ったことを、足はその悲しみや苦しさから早く立ち上がることを表しているとされている。
■稚内市開基百年記念塔・北方記念館は、北海道稚内市にある展望塔及び展示施設。これは1879年に現在の宗谷地方へ宗谷村が設置され、役所などが正式に置かれた同年を稚内市の開基としてから100周年を記念し建てられたもの。記念館が位置する場所は海抜170メートルの丘であり、塔は地上80メートルの高さの鉄筋コンクリート造である。

宿泊所 「宗谷パレス」

宿泊所 「宗谷パレス」

稚内公園から観た稚内港 この奥には樺太が

九人の乙女の像 真岡郵便電信局事件

稚内公園から観た稚内港 九人の乙女の像

■九人の乙女の像は、1945年8月20日樺太真岡郡真岡町で起きた真岡郵便電信局事件で自決した9人の電話交換手の慰霊碑である。1945年8月20日、樺太真岡へのソ連軍侵攻に際し、真岡郵便電信局にて連絡業務のため残留していた電話交換手の女性12人のうちの、9人が青酸カリなどを用い自決した。 1968年9月5日 - 昭和天皇と香淳皇后は稚内市を訪問し、氷雪の門と九人の乙女の像の前で深く頭を垂れた。後日宮内庁よりその時の感銘を和歌に託したことが公表された。
御製「樺太に 命をすてし たをやめの 心を思へば むねはせまりくる」
御歌「樺太に つゆと消えたる 乙女らの みたまやすかれと たゞいのりぬる」

稚内空港入口

稚内空港( Wakkanai Airport )

■稚内空港( Wakkanai Airport )は、北海道稚内市声問村声問にある国管理空港(旧 第二種(A)空港)。日本最北のジェット化空港として、札幌、東京などに路線を持ち、宗谷総合振興局管内の拠点空港として重要な役割を担っている。滑走路は08/26方向に2,200mで、平行誘導路は無く、滑走路両端にターニングパッドを備える。

稚内空港入口 稚内空港( Wakkanai Airport )

■底曳船の親方の家「旧瀬戸邸」 : 昭和20〜40年代。稚内のまちは、底曳網漁の前線基地として国内各地から人が集まり、活気に満ちあふれていました。 そのさなかの昭和27年。稚内が町から市へと発展をとげた年、「旧瀬戸邸」は瀬戸常蔵という底曳きの親方の邸宅として建てられました。日本最北の町に残る、戦後まもない昭和の建物を保存するとともに、稚内の漁業の歴史を伝えていきます。

自衛隊の稚内分屯地

稚内公園に咲く赤い花

底曳船の親方の家「旧瀬戸邸」

北方を守る自衛隊の稚内分屯地 底曳船の親方の家「旧瀬戸邸」     底曳船の親方の家「旧瀬戸邸」

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北海道・宗谷

■稚内市以外は酪農と漁業が主産業である。利尻町・利尻富士町・礼文町は漁業、豊富町・幌延町・中頓別は酪農を中心とし、猿払村・浜頓別町・枝幸町は半農半漁の様相を呈している。稚内市・利尻島・礼文島で生産される利尻昆布は高級食材として人気が高く、全国に出荷されている。猿払村は、日本有数のホタテの生産地。豊富町は、道内有数の牛乳の生産地。セイコーマートブランドで売られている牛乳は、すべて豊富町で生産されている。

間宮林蔵渡樺出港の地

間宮林蔵渡樺出港の地の碑

宗谷岬/宗谷岬灯台

間宮林蔵渡樺出港の地 間宮林蔵渡樺出港の地の碑

■間宮 林蔵(まみや りんぞう、安永9年(1780年) - 天保15年2月26日(1844年4月13日))は江戸時代後期の隠密、探検家である。近藤重蔵、平山行蔵と共に「文政の三蔵」と呼ばれる。農民出身であり、幕府隠密をつとめた役人であった。宗谷岬から西へ3キロメートルの第2清浜地区に、「間宮林蔵渡樺出港の地」があります。 彼の著書“東韃(とうだつ)紀行”でもただ“宗谷”とあるだけで漠然としています。 しかし、林蔵の墓石が見つかったことや、アイヌの「林蔵祭」伝承などから、現在の第2清浜地区と考えられます。 文化5年4月13日、幕府から命を受けた林蔵(当時29歳)は、松前奉行支配調役・松田伝十郎とともに、第1次樺太探検に出発しました。 このとき、林蔵は郷里から持ってきた墓石を海岸に建て、探検への覚悟のほどを示したといわれています。 同年7月13日、第2次樺太探検のため、アイヌの船に乗って単身で出発し、トンナイ(旧真岡付近)で冬を越し、翌年5月に樺太を北上、樺太北端のナニオーまで踏査して樺太が島であることを確認しました。 この時の探検地図が、後にシーボルトによって紹介され、樺太北部と大陸の間が「間宮海峡」と命名されたのです。

宗谷岬/宗谷岬灯台

宗谷岬 宗谷岬平和公園

間宮林蔵銅像、宗谷岬

間宮林蔵銅像、宗谷岬

宗谷岬灯台 宗谷岬平和公園 間宮林蔵銅像、宗谷岬 間宮林蔵銅像、宗谷岬

■世界地図にただ一人日本人の名を残した探検家・間宮林蔵は、安永9年、現在の茨城県伊奈町に産声をあげました。林蔵が樺太へ渡る決意を秘め、はるか樺太を望見している立像で、栽付袴に羽織、足袋、二本差しと、肩には海上計測用の“縄索”をかけています。像は、実物より2割ほど大きい、高さ2メートルのブロンズ像です。

■宗谷岬灯台(そうやみさきとうだい)は稚内灯台と同様に樺太の対岸にある国境の灯台。
■日本最北端の施設:岬のすぐ東にある大岬集落に集中して存在している。
日本最北端の灯台(宗谷岬灯台)/日本最北端の給油所(出光興産・宗谷岬SS)/日本最北端の郵便局(宗谷岬郵便局)/日本最北端の小学校(稚内市立大岬小学校)/日本最北端の中学校(稚内市立宗谷中学校)/日本最北端の警察官駐在所(宗谷岬駐在所)/日本最北端の店(柏屋)

「日本最北端の地」と記された石碑 の説明

「日本最北端の地」と記された石碑

「日本最北端の地」と記された石碑 「日本最北端の地」と記された石碑

日本最北のお土産や

日本最北の飲食店

日本最北のお土産

日本最北のホッケのつみれ汁

タコの水揚げが多い宗谷港

宗谷港と漁船

日本政府が領有権を主張する範囲における最北端の地は、北方領土・択捉島にあるカモイワッカ岬であり、また、現在日本政府の実効支配が及ぶ日本最北端の地は、宗谷岬の西北西に位置する弁天島という岩礁である。岬の東端にある宗谷港はタコの水揚げ量が全国第2位である。

往時の稚内港

宗谷港 宗谷港 往時の稚内港

■宗谷港は宗谷岬の北東に位置する我が国最北端の地方港湾。宗谷港の建設は昭和11年に避難港として整備に着手、昭和13年に工事を中断し、昭和33年から工事を再開、以後漁業関連施設の整備を中心に着々と施設整備が図られ、現在は地域の生活を支える港湾としての役割を担っている。
■稚内港は、北海道稚内市にある港湾。日本最北の港湾である。野寒布岬に接しており、日本海とオホーツク海の分岐点に位置する。

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※Wikipedia他を参考にさせていただきました。

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