アジアの旅行写真|中国・江蘇省の無錫(太湖と無錫旅情) |
江蘇省の無錫
無錫:江蘇省の南部、長江三角洲の中心部にある。東は蘇州と隣り合わせ、上海までは128km離れている。長江南岸の商工業が発達した魚米の郷であり、3000年の歴史を有する古い都市である。南は太湖に臨み、古代大運河が市内を貫いて流れる。山水は麗しく、古跡は多く、物産も豊富である。山水文化と地方風情に富んだ名高いレジャー観光地である。無錫は呉の発祥の地の一つであった。元来はスズ(錫)を多く産出する「有錫」という名の鉱工業都市だったという。余りにも多く掘り過ぎて前漢までに掘り尽くしてしまい、以来「無錫」になったといわれる。改革開放以来、急激に工業が発展し、とりわけ日本企業の進出が多い。(ガイド談)太湖に接した無錫市街は、典型的な中国の古い城壁都市であり、中心を隋代以来の「大運河」が貫き、京杭運河となった今でも多くの船が行き来する。「無錫」には中国のテレビドラマ「三国志」の撮影場所となった「三国城」という場所があります。歴史的な場所ではなく、テレビ撮影用のテーマパークです。
ご注意)写真は2005年12月に当方が撮影したものです。著作権は保持しています。 |
無錫市
■無錫の市街地です。 雨に煙る町で、歌とは大きくイメージが違う町でしたが、考えようによっては何で日本でこの町の歌が流行ったのか判ったような気がします。 非常に郷愁を帯びた町でした。
改革開放以来、急激に工業が発展し、とりわけ日本企業の進出が多い。長江デルタに位置し、東の上海からは128km、西の江蘇省省都・南京からは183kmの距離。東隣は蘇州市、西隣は常州市。無錫は有史以来非常に長い歴史を持つ。 有史以前は6〜7000年前からの居住や農耕の跡があり、長江文明に属する良渚文化の墳墓など遺跡群がある。 紀元前202年、前漢はこの地に無錫県を置いた。隋時代に建設された大運河が無錫を通り、以来、江南の農産物や織物を集散し華北や中国各地へ送る重要な経済都市・商業都市であり続けた。 今では土産物の泥人形(恵山泥人)の阿福・阿喜人形などが有名です。 無錫は小さな河川が無数に流れる、典型的な江南の水郷である。太湖に産する魚などの水産物が豊富で、古来「魚米の郷」と呼ばれていた。
雨に煙る町・無錫の市街地 無錫の町並み(道は広いが人気少なし) |
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■一時期流行った「無錫旅情」の無錫の市街地です。何かものが無いのか、一寸寂しい情景です。 バナナの叩き売りのようです。 3輪車など、古きよき時代に戻った気がします。大都市と田舎のギャップは想像を絶するもので、田舎ではうら若き女の子が、川でお尻を出して屈託無く笑いながら用足する光景に出くわし、面食らいました。 |
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※『無錫旅情』(むしゃくりょじょう)は、1986年9月にリリースされた歌手・尾形大作のシングルである。 作詞・作曲は中山大三郎による。発売当時130万枚以上売れるなど大ヒットソングとなった。尾形の代表曲である。歌詞には中国の江蘇省無錫市の情景が歌われている。
錫恵公園 恵山寺
◇錫山は漢代までは多量の錫を産出した所で、漢代になりこの山から錫がとれなくなったことから無錫の名と付けられました。 古華山門から入ると、恵山寺、寄暢園、天下第二泉などこの公園の精華ともいえる見所が連なります。
◇恵山寺は江南の名所のひとつで、南北朝の時代に造られました。清の乾隆皇帝が南下したとき、数回恵山寺を訪れ、肉筆で「恵山寺」の額を書きました。恵山寺の主な見所は唐、宋の経塔、金剛殿、雪花橋、日月池、御碑亭などです。古華門の東側へ行くと寄暢園があります。 寄暢園はもとは元の時代の二人の僧侶の部屋。明の時代に庭園に整えられ、最終的に清代に現在のようになったという。 天下第二泉とは恵山泉のことで、陸子泉ともいう。唐代に開かれた泉で、その水質が茶経の著者陸羽によって天下第二泉と認められた。その後著名な詩人たちも多くこの泉を詩に詠み、その名声は広く伝えられることとなった。
■公園の中の古木は人間の背丈の位置で10数メートルはあろうかと言う位の太さで、日本であれば天然記念物です。家内の背丈は150cmですので太さが推し量れると思います。場所は「曲がりくねった回廊」の入り口付近にあったと思います。
古華山門から入ると、恵山寺、寄暢園、天下第二泉などこの公園の精華ともいえる見所が連なる。
※寄暢園は明正徳十五年(1520年)に建てられ、明万暦から清康乾まで繁栄し、江南の有名な山麓別荘流古典庭園であり、1988年に国務院から全国重点文化財保護機関として公表され、無錫で唯一の明代古園でもあります。
恵山寺、寄暢園、天下第二泉、金剛殿、雪花橋、御碑亭 |
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恵山寺、寄暢園、天下第二泉、金剛殿、雪花橋、御碑亭 |
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「恵山寺」いかにも中国庭園 長い廊下 |
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太湖(たいこ)
■太湖(たいこ)は、中華人民共和国の江蘇省南部と浙江省北部の境界にある大きな湖である。その景観の美しさで知られ、中国政府の国家重点風景名勝区に指定されている。 太湖は長江デルタに位置する。大運河ともつながり、多くの中小の河川が流れ込み、またここから蘇州を流れる蘇州河や上海を流れる黄浦江などの河川が発している。これら太湖周辺の水系はすべて最後は長江に流入する。湖周囲の都市は、北岸の無錫、西岸の宜興、東岸の蘇州(いずれも江蘇省)、および南岸の湖州(浙江省)である。古代の太湖は東シナ海の一部であったが、長江と銭塘江が運ぶ土砂で沖積平野が形成された結果、海から切り離された潟湖(ラグーン)となり、やがて雨量の多さや流入する無数の河川の淡水によって次第に淡水湖となっていった。
下は太湖の船です。 黄砂で霞んでいます。水深も浅く濁ってる。 |
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太湖を行くボート |
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太湖の面積は2,250平方km、平均水深は2.0m、最大水深は48m。湖面の海抜は3.33m、周囲は400kmである。中国五大湖の一つで、●陽湖、洞庭湖に次ぎ中国で三番目に大きな淡水湖である。湖には大小約48の島が浮かび、多くの半島が連なり、湖を囲む峰の数は72を数える。 |
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洞庭東山、西山、馬跡山、三山などが著名な山々で、これらの山や湖が入り組む景観は天然の絵画ともいえる美しさを呈している。無錫の山水風景、世界遺産の蘇州古典園林、呉の古跡、宜興の丘陵地の洞窟群などは一体となって太湖風景区を形成している。 太湖周辺は石灰岩でできた丘陵が囲む。これらの丘陵から切り出される「太湖石」とよばれる穴の多い複雑な形の奇石は有名で、蘇州はじめ中国各地の庭園で鑑賞や瞑想などのために置かれている。(Wikipedeia) |
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■太湖の周りでは、淡水パールの養殖が盛ん。淡水パールは、ここではカラス貝に核(確かカラス貝自身の肉か貝柱の一部であったかな?)を植付け,数年かけて育てるそうだ。 お土産に買いました。 化粧品にも使われているそうです。 泥人形も有名かな。 |
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無錫・郊外風景
蘇州から無錫に向かうバスの車窓から見た現地の車事情。 |
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無錫に向かうバスの中で、ガイドさんを |
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無錫では町に入る前に郊外の鴨のお粥を食べさせてくれる所に、生憎の雨でした。利用したバスは右、前のバイクは生活感が溢れてます。 錫恵公園近く。 |
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無錫の近郊の景色、橋も風景も蘇州似です。 |
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■無錫:上海の北西、車で2時間ちょっとの街で中国でも有数の大きな湖「太湖」(琵琶湖の3倍の面積)に面している。 大昔は錫がたくさん採れたが、調子に乗って全部採り尽くしてしまい(漢の時代(紀元前200年頃))、錫がなくなっちゃったよということで無錫という街の名になったと聞きました。 淡水真珠が今の特産で、販売店に入り値切り倒し(アジアはみなそうです)お土産を買いました。無錫の近隣の山は石灰岩からできており、「太湖石」とよばれる穴の多い複雑な形の奇石を産出する。 この石は中国庭園で鑑賞や瞑想などのために置かれ珍重されている。 |
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アジアの旅行写真|中国・江蘇省の無錫(太湖と無錫旅情) |