Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

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世界遺産の切手|ヨーロッパ ドイツ : ドイツの歴史は、先史時代から、ゲルマン民族の大移動が始まるまでの永きにおよびます。
 当然の事ながら色々な歴史の遺産・遺物があります。 アーヘン大聖堂、トリーアのローマ遺跡群

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UNESCO 世界遺産(ヨーロッパ)の切手 ドイツ

 ドイツ連邦共和国( Bundesrepublik Deutschland)、通称ドイツは、ヨーロッパ中部にある連邦制の共和国。 ドイツの歴史は、先史時代から、ゲルマン民族の大移動が始まるまでの永きにおよびます。 人類が居住を始めたのは石器などが発見された地層から約70万年前と考えられている。60万年から55万年前の地層ではハイデルベルク原人の化石が、4万年前の地層ではネアンデルタール人の化石が確認されている。新人は約35000年前から現れ、紀元前4000年頃の巨石文明を経て紀元前1800年頃までに青銅器文明に移行している。紀元前1000年頃にはケルト系民族によってドナウ川流域にハルシュタット文明と呼ばれる鉄器文明が栄えた。 西ローマ帝国の滅亡後、ケルト系民族を北方に追いやったゲルマン人は各地に王国を建てたが、フランク王国が統一した。 ドイツの世界遺産の切手です。  参考:社団法人 日本ユネスコ協会連盟のHP(世界遺産活動

  
 

世界遺産(ヨーロッパ)

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ドイツの世界遺産

■ドイツの世界遺産としては、(1)アーヘン大聖堂  (2)シュパイヤー大聖堂 (3)ヴュルツブルク司教館、その庭園群と広場 (4)ヴィースの巡礼教会 (5)ブリュールのアウグストゥスブルク城と別邸ファルケンルスト (6)ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミカエル教会 (7)トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂及び聖母マリア教会 (8)ハンザ同盟都市リューベック (9)ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群 (10)ロルシュの大修道院とアルテンミュンスター (11)ランメルスベルク鉱山と古都ゴスラー (12)バンベルクの町 (13)マウルブロン修道院の建造物群 (14)クヴェートリンブルクの聖堂参事会教会、城と旧市街 (15)フェルクリンゲン製鉄所 (16)ケルン大聖堂 (17)ヴァイマルとデッサウのバウハウスとその関連遺産群 (18)アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群 (19)古典主義の都ヴァイマル (20)ベルリンのムゼウムスインゼル(博物館島) (21)ヴァルトブルク城 (22)デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国 (23)僧院の島ライヒェナウ (24)エッセンのツォルフェライン炭鉱業遺産群 (25)ライン渓谷中流上部 (26)シュトラールズント及びヴィスマールの歴史地区 (27)ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像 (28)ドレスデン・エルベ渓谷 (29)レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフ (30)ムスカウ公園 (31)ローマ帝国の国境線 (32)メッセル採掘場の化石発掘現場 が登録されています。

世界遺産:マウルブロン修道院の建造物群

世界遺産:ケルン大聖堂

マウルブロン修道院
マウルブロン修道院 ドイツ 世界遺産

■修道院の設立は1147年のことであり、設立に際しては初のシトー会派ローマ教皇であったエウゲニウス3世の後援を受けた。ロマネスク様式からゴシック様式への移行的な様式で建てられた付属教会は、1178年にシュパイアー司教のアルノルトの手で献堂が行われた。様々な建物は、13世紀中に建てられていった。北、西、東の回廊は、最も要塞化が行われていた14世紀のものである。

■ドイツのケルン大聖堂は財政難による放置期間の「空白の300年」があったおかげで、かえって昔ながらのゴシック建築様式をそのまま現代に伝えています。ゴシック建築の特徴には大きな窓、たくさんの窓があり、当然ながらそれらの窓には美しいステンドグラスが多用されています。

世界遺産:トリーアのローマ遺跡群、
聖ペテロ大聖堂及び聖母マリア教会

■ドイツ・ケルン市のシンボルであるケルン大聖堂は、1248年に建設が始まり完成したのは1880年のことです。途中200年余りの中断があったとは言え、最初の建設計画を変更することなく、ゴシック様式の巨大な聖堂が完成しました。建造物そのものに備わっている格別の価値とともに、ヨーロッパに脈々と続くキリスト教信仰の証としての価値が評価されています。



■トリーアのローマ遺跡群:紀元前1世紀、カエサルによるガリア遠征によって、西ヨーロッパの広い地域がローマ帝国に組み込まれました。そのガリア地方支配の拠点として、カエサルの跡を継いだローマ皇帝アウグストゥスが築いたのが、植民都市トリーアです。トリーアはその後商業も発展し、第二のローマと呼ばれるまでになりました。モーゼル川の河畔にあるトリーアには、ローマ帝国が残した数々の文化が今も残っています。

世界遺産:アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群

■アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群では、宗教改革は近世ヨーロッパ史上の重大事件の一つであるが、その中心人物の一人であったマルティン・ルターの足跡をたどる上で重要な建造物群がまとめて登録されている。

アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群(1996)

アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群(1996) ドイツ 世界遺産

■マルティン・ルター(Martin Luther、1483年11月10日-1546年2月18日)はドイツ(当時は神聖ローマ帝国)の神学者、牧師、説教家。ルーテル教会の創始者。ルターは1483年に鉱山業に従事していた父ハンス・ルダーと母マルガレータ(ルネサンス絵画のクラナッハに掲載)の次男としてドイツのザクセン地方の小村アイスレーベンで生まれた。ルターは、もともと聖アウグスチノ修道会の修道司祭であったが、宗教改革の中心人物となったことでプロテスタント教会の源流をつくった。聖書をキリスト教の唯一の源泉にしようというルターの呼びかけはプロテスタント諸教会のみならず、対抗改革を呼び起こしたという意味でカトリック教会にも大きな影響を与えた。

  マルティン・ルター(Martin Luther、1483年11月10日-1546年2月18日)はドイツ(当時は神聖ローマ帝国)の神学者 マルティン・ルター(Martin Luther、1483年11月10日-1546年2月18日)はドイツ(当時は神聖ローマ帝国)の神学者 マルティン・ルター(Martin Luther、1483年11月10日-1546年2月18日)はドイツ(当時は神聖ローマ帝国)の神学者 宗教改革 ルター

世界遺産:ヴァルトブルグ城

ヴァルトブルグ城(チューリンゲン州・1999)  ヴァルトブルク城はアイゼナハ郊外の山上に位置し、漆黒の外見が特徴的。(東ドイツ、1966年)

ヴァルトブルグ城(チューリンゲン州・1999) ヴァルトブルク城はアイゼナハ郊外の山上に位置し、漆黒の外見が特徴的。(東ドイツ、1966年) ヴァルトブルク城はアイゼナハ郊外の山上に位置し、漆黒の外見が特徴的。(東ドイツ、1966年)

■ヴァルトブルク城はドイツのチューリンゲン州にある史跡である。ゲーテ街道沿いにあるアイゼナハ郊外の山上に位置する。1067年、テューリンゲン方伯ルードヴィッヒが山頂を見て「待て(wart)汝我が城(burg)となれ」と叫び建築を命じたことに由来するとされる。ルターが一時期隠れていた場所。

世界遺産:アーヘン大聖堂

世界遺産:ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群

アーヘン大聖堂(ノルトライン=ヴェストファーレン州・1978)

ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群(1990、1992、1999)

アーヘン大聖堂 ドイツ 世界遺産 ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群(1990、1992、1999) ドイツ 世界遺産

■アーヘン大聖堂はしばしば「皇帝の大聖堂」(Kaiserdom)と言いれ、この大聖堂は北部ヨーロッパでは最古のもの。786年にカール大帝がアーヘンの宮殿教会の建設を始めた。814年にカール大帝が死ぬと彼は自身の大聖堂に埋葬され、彼の骨はいまも特別の神殿に保存されている。 大聖堂は、一千年以上の時を経て、現在の装いを調えた。
■ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群(は、ドイツのポツダムとベルリンにある複数の旧宮殿建造物とその付属庭園(公園)その他の総称。ポツダム北東部とベルリン南西部に残されているプロイセン王国時代の宮殿群と庭園群が、この世界遺産の中核である。代表的なものとしては、フリードリヒ大王の離宮サンスーシ宮殿や、ポツダム会談で使われたツェツィーリエンホーフ宮殿がある。

世界遺産:ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像

世界遺産:ヴュルツブルク司教館、その庭園群と広場

■「ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像」は、ブレーメンの中心的な広場であるマルクト広場に面する市庁舎と、広場中央に立つローラント像を主たる登録対象としている。ブレーメン市庁舎には、自由ハンザ都市ブレーメンの参事会議長および市長が居る。この庁舎はヨーロッパにおけるブリック・ゴシック建築(Brick Gothic)の最も重要な例証の一つ。

■ヴュルツブルクのレジデンツ(独:Wurzburger Residenz)は、ドイツのヴュルツブルクにある大司教の宮殿。バロック建築様式を代表するヨーロッパでも屈指の宮殿であり、バルタザール・ノイマンの設計により、18世紀に建てられた。建物内には、様々な部屋があるが、中でも有名なのは、「階段の間」であり、柱の無い広大な吹き抜けに、画家ティエポロの描いた、世界で一番大きいフレスコ天井一枚画がある。

ブレーメンのマルクト広場の
市庁舎とローラント像
(ブレーメン州・2004)

ヴュルツブルクのレジデンツ ドイツ 世界遺産

ヴュルツブルクのレジデンツのこの吹き抜けは当時としては常識外れの設計で、「設計ミス」、「絶対に崩れる」などと酷評されたが、ノイマンは「砲弾を打ち込まれても崩れない」と反論。第二次世界大戦の空襲でここだけ天井が残った事でノイマンの言は証明された。その頑丈さの秘密は建材に軽くて丈夫で耐火性がある凝灰岩を使ったからである。また、レジデンツの裏にはホーフ庭園がひろがる。(ドイツの世界遺産、切手は中国、1998年)

ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像(ブレーメン州・2004) ドイツ 世界遺産

■ライヒェナウ島 (Insel Reichenau)は、ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州のコンスタンツ湖に浮かぶ島。コンスタンツ市のほぼ西側にある。島は人工の道で本土とつながっている。2000年にユネスコの世界遺産に登録された。島にはライヒェナウ修道院が建つ。修道院内の聖堂は、聖母マリアと聖マルコに捧げられたものである。他に、聖ゲオルクと聖ペトロ、聖パウロに献堂された教会が2つある。ライヒェナウの有名な芸術作品には、10世紀から残るオットニアン・ルネサンス期(ザクセン王朝の神聖ローマ帝国時代の様式)の『キリストの奇跡』の壁画が含まれる。

世界遺産:ライン渓谷中流上部

世界遺産:僧院の島ライヒェナウ

ライン渓谷中流上部(2002)

僧院の島ライヒェナウ(バーデン=ヴュルテンベルク州・2000)

ライン渓谷中流上部 ドイツ 世界遺産 僧院の島ライヒェナウ(バーデン=ヴュルテンベルク州・2000) ドイツ 世界遺産

■ライン渓谷中流上部(Reine Gorge)とは、ドイツの世界遺産の1つ。ラインラント=プファルツ州の都市であるコブレンツとビンゲン・アム・ラインの間のライン川の65キロメートルの渓谷のことを指す。先史時代より、ライン川は、中央における交易の重要な通路であり、ライン川の土手に連なる形で、小さな集落が形成されてきた。時代が進むにつれ、多くの城塞が建設されるようになり、神聖ローマ帝国時代は、この地域は、帝国の中枢となった。三十年戦争中に、多くの城塞が廃墟になったものの、渓谷に沿ってのクルージングが現在では盛んな地域であり、今もなお、古城、古い町並みを残す都市群、聖堂、修道院といった中世以来の景観が残されている。(世界遺産)

ドイツの重要な遺産

■ドレスデン(Dresden)のツヴィンガー宮殿(Zwinger):1732年、フリードリヒ・アウグスト1世は、城から近い場所に自らの居城として後期バロック様式によるツヴィンガー宮殿(Zwinger)を建立した。この宮殿はドレスデンを代表する建築物となっている。ザクセン侯の美術コレクションは現在ツヴィンガー宮殿の一角を占めるドレスデン美術館、アルテ・マイスター(Alte Meister)などで展示されている。アルテ・マイスターのコレクションの中にはラファエロの「システィーナの聖母」が含まれる。そのほかレンブラント、ルーベンス、ルーカス・クラナッハ、デューラーなどヨーロッパを代表する画家たちの膨大な数の作品が公開されている。
■ブランデンブルク門 (Brandenburger Tor) はドイツ・ベルリンのシンボルとされている門で正面部はパリ広場 (Pariser Platz) の東に面していて、ミッテ区に属している。高さは26m、幅は65.5m、奥行きは11mの、砂岩でできた古典主義様式の門である。1791年8月6日に竣工。

ツヴィンガー宮殿(Zwinger)

ツヴィンガー宮殿(Zwinger) ツヴィンガー宮殿(Zwinger) ブランデンブルク門
(Brandenburger Tor)
ツヴィンガー宮殿(Zwinger) ドレスデン ツヴィンガー宮殿(Zwinger) ドレスデン ツヴィンガー宮殿(Zwinger) ドレスデン ブランデンブルク門 (Brandenburger Tor)

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