UNESCO 世界遺産(ヨーロッパ)の切手 スペイン
スペインは紀元前146年に共和政ローマがそれまでヒスパニア地方を支配下に置いていたカルタゴを滅ぼす事から始まります。スペイン(エスパーニャ)は、アタプエルカ遺跡の考古学的研究から120万年前にはイベリア半島に人類が居住していたことが分かっている。 3万5千年前にはクロマニョン人がピレネー山脈を越えて半島へ進出し始め、有史以前の最もよく知られた遺物が北部カンタブリア州のアルタミラ洞窟壁画で、これは紀元前1万5千年の物です。 スペインは史上初の世界覇権国家でした。 このページはスペインの世界遺産です。 スペイン国内には、ユネスコの世界遺産一覧に登録された文化遺産が34件、自然遺産が2件、複合遺産が1件ある。さらにフランスとにまたがって1件の複合遺産が登録されている。スペインは世界遺産の宝庫です。「世界遺産指定都市」とは、旧市街地全体が世界遺産に指定されている町を中心に結成されている団体です。現在「世界遺産指定都市」となっている13の都市は、アビラ、カセレス、コルドバ、クエンカ、サラマンカ、サンティアゴ・デ・コンポステーラ、セゴビア、トレド、アルカラ・デ・エナーレス、イビサ、サン・クリストーバル・デ・ラ・ラグーナ、メリダ、タラゴナです。スペインの世界遺産指定都市は単独国の団体としては世界最大の規模を誇ります。
参考:社団法人 日本ユネスコ協会連盟のHP(世界遺産活動)
世界遺産(ヨーロッパ) |
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[ ヨーロッパの世界遺産の索引: |
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スペインの世界遺産には (1)コルドバ歴史地区 (2)グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン地区 (3)ブルゴス大聖堂 (4)エル・エスコリアル修道院とその遺跡(サン・ロレンソ修道院) (5)バルセロナのグエル公園、グエル邸とカサ・ミラ (6)アルタミラ洞窟 (7)セゴビア旧市街とローマ水道橋 (8)オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群 (9)サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街) (10)アビラの旧市街と城壁外の教会群 (11)アラゴン州のムデハル様式建造物(旧:テルエルのムデハル様式建築) (12)古都トレド (13)ガラホナイ国立公園 (14)カセレスの旧市街 (15)セビリアの大聖堂、アルカサルとインディアス古文書館 (16)サラマンカ旧市街 (17)ポブレー修道院 (18)メリダの遺跡群 (19)グアダルーペ修道院 (20)サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 (21)ドニャーナ国立公園 (22)歴史的城壁都市クエンカ (23)バレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダ (24)ラス・メドゥラス (25)バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院 (26)サン・ミジャン・デ・ユソ修道院群とサン・ミジャン・スソ修道院群 (27)イベリア半島の地中海入り江のロック・アート (28)アルカラ・デ・エナレスの大学と歴史地区 (29)イビサ、生物多様性と文化 (30)サン・クリストバル・デ・ラ・ラグナ (31)タラゴナの遺跡群 (32)エルチェの椰子園 (33)ルーゴのローマの城壁群 (34)ボイ渓谷のカタルーニャ風ロマネスク様式教会群 (35)アタプルカの古代遺跡 (36)アランフェスの文化的景観 (37)ウベダとバエサのルネッサンス様式の記念碑的建造物群 が登録されています。 |
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古都トレド |
Historic City of Toledo |
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■スペインの古都・トレドは、かつての西ゴート王国(415年〜711年 )の首都であり、中世にはイスラム教・ユダヤ教・キリスト教の文化が交錯した地である。「町全体が博物館」と言われ、タホ川に囲まれた旧市街は世界遺産に登録されている。また、スペインを代表する画家エル・グレコが活躍した町としても有名。先史時代から人が住んでおり、ローマの領地となってからは「トレトゥム」と呼ばれた。西ゴート王国がイベリア半島を支配したのち、560年にアタナヒルド王によって首都とされた。 |
トレド全景 |
プエルタ・デル・ソル(太陽の門):13世紀のムデハル建築 |
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カセレスの旧市街 |
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■カセレスの近くには先史時代から人間が住んでおり、マルトラビエソとエル・コネハルの洞窟からその証拠が見つかる。都市は紀元前25年にローマ人によって建設された。古い市壁に囲まれた旧市街は「カセレスの旧市街」として1986年に世界遺産に登録された。旧市街の一部はコウノトリの巣の多さでも知られている。現代化の跡がない中世の町並みを完璧に残しているため、多くの映画がここで撮影されている。 |
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「カセレスの旧市街 |
「カセレスの旧市街都市」は紀元前25年にローマ人によって建設 |
ローマ人によるカセレス建設 |
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星の門(Arco de la Estrella) |
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アルタミラ洞窟 |
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■アルタミラ洞窟壁画は、先史ヨーロッパ時代の区分で主にマドレーヌ期(約18,000年〜10,000年前)と呼ばれる旧石器時代末期に描かれた野牛、イノシシ、馬、トナカイなどの動物を中心とする壁画である。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。世界最古(1万5000年前頃)である旧石器時代の洞窟壁画。その他の壁画はこちらで掲載中。 |
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グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン地区 |
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■グラナダはナスル朝の首都であった。ナスル朝はイベリア半島で最後まで残存したイスラーム勢力である。レコンキスタでイスラーム勢力が衰えていく中でマリーン朝がイベリア半島から撤退した、これによりイスラーム教徒がグラナダに流れ込んだ。 |
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グラナダの夏の宮殿 |
アルハンブラ宮殿 |
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この中には高度なイスラーム技術を持った職人が居た。さらに、当時のナスルの王、ムハンマド5世(在位・1354年 - 1359年、1362年 - 1391年)がこれらの技術者を保護したことによりグラナダに世界を代表する高度なイスラーム文化が花開くことになった。アルハンブラ宮殿はグラナダのイスラーム建築の最高傑作とされる。その美しさから「イスラーム建築の華」とよばれることもある。特に「二姉妹の間」の天井の鍾乳石はその緻密さから、「蜂の巣」と呼ばれ世界最高の建築とたたえられることもある。 |
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メリダの遺跡群 |
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■メリダは紀元前25年に「エメリタ・アウグスタ」の名前で建てられた。アウグストゥス帝の命により、グアディアナ川を渡る橋を守るためであった。2つのローマ軍団「第5アラダウエ」と「第10ゲミナ」が入植者となった。 |
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この都市はローマ属州ルシタニアの州都となり、ローマ帝国でも重要な都市の1つとなった。メリダはスペインの中でもっとも重要なローマ建築を残している。トラヤヌス帝時代の凱旋門はその1つである。 |
メリダの遺跡群 |
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歴史的城壁都市クエンカ |
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■スペインのクエンカは美しい古都で、ウエカル川の断崖の上に建てられている「宙吊りの家」(casas colgantesまたはcasas colgadas)が有名である。トレドやサラマンカのような印象的な建造物はないものの、自然と人工物のユニークな組み合わせが見られる。2つの川による峡谷では、秋の紅葉がすばらしい。 |
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歴史的城塞都市クエンカ |
城壁都市クエンカ |
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バルセロナのグエル公園、グエル邸とカサ・ミラ |
Works of Antoni Gaudi |
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■「グエル公園、グエル邸とカサ・ミラ」が、ガウディの代表作です。カサ・ミラは切り出したままの粗い肌の石を積み上げてあるため、「石切り場」とも呼ばれています。徹底して直線を排除し、曲線のみで構成されたこの館は、岩山が波打つ海原を想像させます。アントニ・ガウディ(1852年6月25日 - 1926年6月10日)は、スペイン、カタルーニャ出身の建築家。 |
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ガウディの代表作 |
アントニ・ガウディ(Antoni Gaudi、1852年 - 1926年)は古今東西の折衷様式を唱えたモデルニスモの代表的建築家として知られる。アントニ・ガウディは26歳の時、パリの博覧会に出品したのをきっかけに大富豪、エウゼビ・グエイ(スペイン語読みはエウゼビ・グエル)と出会う。これが元で世界遺産の題名の一部となったグエル公園(パルケ・グエル)、グエル邸(パラシオ・グエル)の設計・建築を依頼されこれらを建設した。この後、ガウディはバルセロナ中の富豪から設計の依頼が来るようになった。これらの一部も世界遺産に登録されている。モデルニスモ(Modernismo) - スペイン語およびポルトガル語で芸術様式のモダニズム(あるいはアール・ヌーヴォー)、カトリック教会の近代主義(Modernism (Roman Catholicism))のこと。 |
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(アントニオ・ガウディ作品) |
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アランフェスの文化的景観 |
サラマンカ旧市街 |
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■アランフエスの王宮は、16世紀にフェリペ2世の命で建設が始められたものである。設計は、エル・エスコリアルと同じくフアン・バウティスタ・デ・トレドとフアン・デ・エレラによる。18世紀のフェルナンド6世の治世に完成し、カルロス3世によって拡張された。 |
■サラマンカの町の始まりは古代ローマのころ属州ヒスパニアにトラヤヌス帝によって建設された植民都市であるとされる。ローマ帝国が滅亡し、イベリア半島がイスラム帝国の支配下に入ると、この地はイスラム化し、トレドやグラナダと同様、イスラム文明を享受することになった。 |
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アランフエスの王宮 |
王宮からタホ川に沿って広がる庭園は、森や庭からなり、多くの泉や像で飾られている。王宮正面の「パルテレ庭園」、タホ川と人口の川に囲まれた「島の庭園」、タホ川に沿って延びる150haの「王子の庭園」などからなる。かつては王室の農業試験場でもあり、スペイン黄金時代に世界から集めた植物が栽培されていた。 |
サラマンカ |
古代ギリシアローマ学問やそれを発展させたイスラム学問がこの地にも集積され、中世ヨーロッパ世界にそれらを紹介する場となった。 |
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セゴビア旧市街とローマ水道橋 |
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■セゴビアはマドリードからの日帰り観光地として人気がある(マドリードからは鉄道で2時間)。旧市街は長く狭い高台の上に壮大に位置している。大聖堂、古代ローマの水道橋、美しいおとぎ話にでてきそうな古城(アルカサル)などの名所があり、眼下には田舎の景色が広がっている。 |
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サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 |
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■サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は、キリスト教の聖地であるスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路。おもにフランス各地からピレネー山脈を経由しスペイン北部を通る道を指す。 |
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サンティアゴ・デ・コンポステーラには、聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の遺骸があるとされ、ローマ、エルサレムと並んでキリスト教の三大巡礼地に数えられている。 |
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サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院 |
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■サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院(Royal Monastery of Santa Maria de Guadalupe)。は、スペイン・エストレマドゥーラ州カセレス県グアダルーペにある修道院。4世紀以上に渡って、国で最も重要な修道院とされてきた。ユネスコの世界遺産 に登録されている。修道院の始まりは13世紀後半である。カセレス県の羊飼いヒル・コルデロが、グアダルーペ河岸で聖母像を発見したのである。この像は、ムーア人侵攻のあった714年に明らかに地元住民が隠した物だった。この発見の場所に、礼拝堂が建てられた。カスティーリャ王アルフォンソ11世は一度以上この礼拝堂を訪れ、サラド川の戦いの勝利を『グアダルーペの聖母マリア』に祈った。戦いで勝利をおさめると、王は聖母の取りなしのおかげで勝利したとして、王家の聖地としてグアダルーペの教会と資金を提供しての再建計画を引き受けた。 |
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サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院 |
建築物が幾世紀も発展させられた修道院は、未だアルフォンソ11世と彼の後継者たちが建てた14世紀から15世紀の『テンプロ・マヨール』(主礼拝堂)が占めている。四角いサンタ・カタリーナ礼拝堂は15世紀のものである。17世紀の装飾を凝らした墓群で知られる。16世紀の聖遺物礼拝堂はバロック様式の祭器保管所(1638年-1647年)でサンタ・カタリーナ礼拝堂とつながり、フランシスコ・デ・スルバランの絵画などで華麗に飾られている。 |
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ガラホナイ国立公園 |
バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院 |
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■ガラホナイ国立公園の区域内には、マデイラ島の照葉樹林と並んで、マカロネシアを代表する照葉樹林(遺存型照葉樹林)が分布する。 |
■カタルーニャ音楽堂は建築家リュイス・ドメネク・イ・モンタネールによってモデルニスモの様式で設計されたコンサートホールである。カタルーニャ・ルネサンス(文芸復興運動)において指導的役割を果たした合唱団、オルフェオ・カタラ(1891年設立)のために建設された。サン・パウ病院(ムデハル様式のこの豪華な病院は1902年から1930年にかけて建築された。)とともに、20世紀初頭のバルセロナにおけるアールヌーボー様式を伝えるものとして登録。 |
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ガラホナイ国立公園 |
カタルーニャ音楽堂 |
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セビリアの大聖堂、アルカサルとインディアス古文書館 |
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■セビリア大聖堂とは、スペインのセビリアにあるカテドラルである。スペイン最大の大聖堂は世界で3位の大きさの大聖堂であることは決定している。 |
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セビリアの大聖堂 |
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アビラの旧市街と城壁外の教会群 |
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■アビラの市壁は茶色い花崗岩で作られており、上に胸壁が並んでいる。88の塔と9つの門があり、よく保存されているが、市街の多くは市壁の外に広がっている。サン・ビセンテ、サン・ペドロ、サン・トマス、サン・セグンドの各教会のおもな特徴は15世紀のロマネスク様式だが、美しいサン・ビセンテ教会やサン・ペドロ教会の一部は12世紀に遡ると見られる。特に注目すべきはサン・トマス教会の大理石のモニュメントである。15世紀のフィレンツェの彫刻家ドメニコ・ファンチェッリによるもので、フェルナンド2世とイサベル1世の一人息子であるフアンの墓の上にある。 |
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サン・ビセンテ教会 |
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オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群 |
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■オビエドは、スペイン北部の都市。オビエドは8世紀始め、アストゥリアスはイスラム教徒に征服されたが、すぐに伝説的な王ペラヨよってキリスト教徒に奪回された。761年ごろ、修道院長マクシムスはオビエドに修道院を建てた。オビエドおよびレナ(オビエドから南に34kmの町)にある9世紀の教会3つは、1985年に「アストゥリアス王国の教会」としてユネスコの世界遺産に登録された。1998年に3つの建造物が追加され、「オビエドとアストゥリアス王国の建築物」と改名された。 主な建築物、サン・ミゲル・デ・リーリョ教会(es)、サンタ・マリーア・デル・ナランコ教会(es)、サンタ・クリスティナ・デ・レーナ教会(es)
、カマラ・サンタ・デ・オビエド(es) 、サン・フリアン・デ・ロス・プラードス教会(es) 、フォンカラーダの泉 |
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プレ・ロマネスク様式の聖堂 |
サン・フリアン・デ・ロス・プラードス教会 サンタ・クリスティナ・デ・レーナ教会 |
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8世紀末のアストゥリアス王アルフォンソ2世は西ゴート王国の後継を自負し、オビエドを都としてアーヘンやトレドを模した宮廷・教会組織を作り、司教座を創建し、都を教会や修道院で飾った。 |
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エル・エスコリアル修道院とその遺跡(サン・ロレンソ修道院) |
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■エル・エスコリアルの建築群は芸術の宝庫であり、そこにはティツィアーノ、ティントレット、エル・グレコ、ディエゴ・ベラスケス、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、パオロ・ヴェロネーゼ、アロンソ・カノ、ホセ・デ・リベーラ、クラウディオ・コエリョなどの芸術家の傑作が収蔵されている。この建築群にはまた無数のかけがえのない古代の古文書を蔵書した図書館がある。ここは5世紀の間、アブスブルゴ(ハプスブルク)家およびボルボーン(ブルボン)家の最多のスペイン国王の埋葬場所であった。 |
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エル・エスコリアル修道院 |
マドリード王宮 |
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ブルゴス大聖堂(Catedral de Burgos) |
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■ブルゴス大聖堂 (Catedral de Burgos)、またはサンタ・マリア・デ・ブルゴス大聖堂はスペイン・ブルゴスにあるゴシック様式の大聖堂。聖母マリアに捧げられた、巨大でユニークな建築物として有名である。また、13世紀から建築され、つど違う国の建築家によって増改築され非常にユニークな建造物となっている。 |
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ブルゴス大聖堂 |
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バレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダ(絹の商品取引所) |
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バレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダ(絹の商品取引所) |
■スペイン・バレンシアにあるラ・ロンハ・デ・ラ・セダ(Llotja de la Seda ;「絹の商品取引所」)は、15世紀後半に建てられた商品取引所で、当時のバレンシアの経済力の大きさを偲ばせる建造物である。これは商業の殿堂と理解されていたもので、機能的・実利的な側面を失うことなく、その極めて明白な象徴的特色を保持している。ゴシック様式の威容を誇るロンハは、プラサ・デル・メルカド(Plaza del Mercado,「商業広場」)31番地にあり、ロス・サントス・フアネス教会やバレンシア中央市場に面している。1996年12月7日にユネスコの世界遺産に登録された。 |
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サン・ミジャン・ユソとサン・ミジャン・スソの修道院群 |
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サン・ミジャン・ユソとサン・ミジャン・スソの修道院群 |
■サン・ミジャンのユソ修道院とスソ修道院」(ユソとスソのサン・ミジャン修道院)は、スペインの世界遺産。ラ・リオハ州のサン・ミジャン・デ・ラ・コゴジャ( サン・ミリャン・デ・ラ・コゴリャ)にある。この世界遺産は登録名にあるように、数百メートルを隔てた異なる時代の2つの建造物群に分かれている。スソは「上方」、ユソは「下方」の意味で、ともに聖エミリアヌス(St. Emilianus , サン・ミジャン)に因む修道院である。2つの建造物群のうち、より古いのがスソ修道院である。 |
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@スソ修道院と考古学的遺跡群(Suso Monastery and Archaeological Sites, ID 805-002) :これは、10世紀のレポブラシオン(Repoblacion,
再入植)期の建築様式の簡素さをしっかりと守っている。現存最古のカスティーリャ語文書が書かれたのも、このスソ修道院。 |
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アラゴン州のムデハル様式建造物 (旧:テルエルのムデハル様式建築) |
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■スペイン・アラゴン州の10の建築物からなる。ムデハル様式とは、イスラム文化の様式を取り入れた中世スペインの建築や装飾の様式で、12世紀から16世紀にアラゴンやカスティーリャで盛んになった。 |
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サン・ペドロ教会 |
■ムデハル様式 (estilo mudejar) はスペインの建築様式で、レコンキスタ((スペイン語:Reconquista)は、718年から1492年までに行われたキリスト教国によるイベリア半島の再征服活動の総称)の後、残留イスラム教徒(mudajjan)の建築様式とキリスト教建築様式が融合したスタイル。 |
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■スペイン テルエルの世界遺産の対象は、サンタ・マリア大聖堂の塔、屋根、ドーム /サン・ペドロ教会と塔 /サン・マルティン教会と塔 /エル・サルバドル教会の塔 /カラタユー - サンタ・マリア教会の後陣、回廊、塔 /セルベラ・デ・ラ・カニャーダ - サンタ・テクラ教区教会 /トベド - サンタ・マリア教会 /サラゴサ - アルハフェリア宮殿のムデハル様式の遺跡 /サラゴサ - ラ・セオの後陣、礼拝堂(パロキエタ)、ドーム /サラゴサ - サン・パブロ教会の塔と教区教会 です。 |
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ルーゴのローマの城壁群 |
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ルーゴ(Lugo)旧市街を取り囲むローマ時代の市壁 |
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■ルーゴは、紀元前26年から12年にかけてアウグストゥスの軍団長によって建設され、「ルクス・アウグスティ」と名付けられた(「ルクス」の意味は「明るい」「聖なる森」など諸説ある)。カンタブリアとの戦争による駐屯地の跡に建てられたもので、アウグストゥス時代の拡張政策の産物である。紀元3世紀終わりから4世紀始めのローマ帝国後期に、現在も残る市壁が建設された。ルーゴはローマ時代以降は無人となり、中世初期に住んでいたのは聖職者だけだったという説もある。1129年、ロマネスク様式のカテドラルの建設が始まり、聖母マリアに捧げられた。中世後期には、サンティアゴ・デ・コンポステーラのように巡礼の中心地となった。 |
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スペインの歴史遺産 |
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サラゴサ市(Zaragoza)2000年(スペイン1976年) コイン ほか |
■サラゴサは、スペイン北東部の都市。アラゴン州の州都で、サラゴサ県の県都。ローマ時代にはカエサラウグスタ(Caesaraugusta)、イスラム支配時代にはサラクスタ(Saraqusta)、またはメディナ・アルバイダ(Medina Albaida、白い都市、という意味)と呼ばれた。サラゴサでの最古の定住地は、紀元前7世紀のものである。紀元前3世紀頃、イベリア人の一部族であるサルドゥイエ族(es)が現在のサラゴサを中心として暮らしていた。 |
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スペイン(Spain)、またはスペイン王国は、ヨーロッパ南西部のイベリア半島に位置し、同半島の大部分を占める立憲君主制国家。西にポルトガル、南にイギリス領ジブラルタル、北東にフランス、アンドラと国境を接し、飛地のセウタ、メリリャではモロッコと陸上国境を接する。本土以外に、西地中海のバレアレス諸島や、大西洋のカナリア諸島、北アフリカのセウタとメリリャ、アルボラン海のアルボラン島を領有している。首都はマドリード。漢字で西班牙と表記し、西と略す。有史以前の最もよく知られた遺物が北部カンタブリア州のアルタミラ洞窟壁画で、これは紀元前1万5000年の物。 |
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UNESCO 世界遺産(ヨーロッパ)の切手 スペイン |
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