UNESCO 世界遺産(ヨーロッパ)の切手 フランス
石器時代からの遺跡が残るフランスの世界遺産です。 フランスは古代ローマにおいて、ほぼ現在のフランスにあたる地域はガリアと呼ばれており、ケルト人が居住していたと考えられる。このことは、紀元前58年から紀元前51年にかけてガリア遠征を行ったガイウス・ユリウス・カエサルによる「ガリア戦記」などからもうかがえる。 その後、4世紀後半より始まる本格的なゲルマン人の移動にともない、ゲルマン人の一派であるフランク人がガリアに定住した。 それがフランスの始まり。 フランスは古くからヨーロッパの大国であった。ルイ14世をはじめとする歴代の絶対君主治世、18世紀以来のフランス革命やナポレオン時代と、過去に輝かしい栄光をもつ。
参考:社団法人 日本ユネスコ協会連盟のHP(世界遺産活動)
世界遺産(ヨーロッパ) |
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[ ヨーロッパの世界遺産の索引: |
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フランスの世界遺産 |
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(1)モン・サン・ミッシェル(ミシェル)とその湾 (2)シャルトル大聖堂 (3)ヴェルサイユの宮殿と庭園 (4)ヴェズレーの教会と丘 (5)ヴェゼール渓谷の装飾洞窟郡 (6)フォンテンヌブローの宮殿と庭園 (7)アミアン大聖堂 (8)オランジュのローマ劇場とその周辺と”凱旋門 (9)アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群 (10)フォントネーのシトー会修道院 (11)アルケ-スナンの王立製塩所 (12)ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場 (13)サン-サヴァン-シュール・ガルタンプの教会 (14)コルシカのジロラッタ岬、ポルト岬、スカンドラ自然保護区とピアナ・カランケ (15)ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋) (16)ストラスブールのグラン・ディル (17)パリのセーヌ河岸 (18)ランスのノートル・ダム大聖堂、サン-レミの旧大修道院とト宮殿 (19)ブールジュ大聖堂 (20)アヴィニョン歴史地区 (21)ミディ運河 (22)歴史的城塞都市カルカソンヌ (23)フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 (24)リヨン歴史地区 (25)サン・テミリオン地域 (26)シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷 (26)中世市場都市プロヴァン
(27) オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル (28)月の港ボルドー (29)ヴォーバンの作品 が世界遺産の対象となっています。 |
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モン・サン・ミッシェルとその湾 |
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■モン・サン・ミッシェル サン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた修道院。カトリックの巡礼地のひとつであり「西洋の驚異」と称される。主要部はゴシック様式だが、内部はさまざまな中世の建築方式が混ざり合って構成されている。教会堂はカロリング期の様式で、身廊はノルマン様式(11〜12世紀)、百年戦争後の1421年に破壊されたロマネスク様式の内陣はフランボワイアン・ゴシック様式(15世紀半ば〜16世紀初頭)として再建された。これら周囲を13世紀の重層構造の修道院建築と13〜15世紀の軍事施設が取り囲んでいる。厳島神社がある広島県廿日市市と姉妹都市。 |
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モン・サン・ミッシェル(国連) |
モン・サン・ミッシェル |
モン・サン・ミッシェル |
モン・サン・ミッシェル(国連) |
シャルトル大聖堂 |
ヴェゼール渓谷の装飾洞窟郡 |
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■シャルトル大聖堂(Dame de Chartres)はフランスの首都パリからおよそ南西80kmほど離れた都市シャルトルに位置し、フランス国内において最も美しいゴシック建築のひとつと考えられている大聖堂。 |
■1940年に発見された石灰洞「ラスコー洞窟」・「ルフィニャック洞窟」が有名で、旧石器時代後期の洞窟壁画が特に有名です。 |
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シャルトル大聖堂のステンドグラス |
ラスコー洞窟壁画 |
ルフィニャック洞窟壁画 |
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ラスコー洞窟壁画 |
ルフィニャック洞窟壁画 |
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パリのセーヌ河岸 |
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エッフェル塔(パリ万博) |
エッフェル塔とロケット |
シャンゼリゼ(フランス、1994年) |
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■シャンゼリゼ(エリュシオン・極楽浄土)通りはパリ市内で最も美しい通りとされていて、特にフランスでは「世界で最も美しい通り (la plus belle avenue du monde)」と言う表現が使われている。約3kmでマロニエの並木道。 |
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凱旋門(アメリカ軍パリ入場) |
エッフェル塔とノートルダム寺院 |
エトワール凱旋門(ハンガリー、1996年) |
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■エトワール凱旋門は、フランス・パリのシャンゼリゼ通りの西端、シャルル・ド・ゴール広場にある凱旋門で、「凱旋門」自体は戦勝記念碑である。そのため、凱旋門はパリだけでもカルーゼル門、サン・ドニ門、サン・マルタン門など多数存在する。 |
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リュクサンブール宮殿(フランス、1946年、Luxembourg Palace) |
パリのノートルダム大聖堂 |
ドゴール将軍と凱旋門 |
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■エッフェル塔は、フランス革命100周年を記念し1889年開催されたパリ万国博覧会のために、高架橋技師「ギュスターヴ・エッフェル」によって建てられました。 |
パリ花祭り(フランス、1959年)カルーセルの凱旋門と花。「華のパリ」 |
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ルーブル美術館 |
ルーブル美術館 |
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ルーヴル美術館は、パリにあるフランスの国立博物館。 |
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シャイヨー宮(Chaillot Palace) |
■1937年のパリ万博の会場として建てられたシャイヨー宮。シャイヨー宮の円弧状の形をした建物には、海洋博物館、人類博物館、フランス文化財博物館などが入っている。またシャイヨー宮からエッフェル塔の眺めはすばらしいので、人気の撮影スポットとなっている。 |
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ヴェルサイユの宮殿と庭園 |
月の港ボルドー |
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■ヴェルサイユ宮殿「鏡の間」は、太陽王ルイ14世の栄華の象徴ベルサイユ宮殿(世界遺産)で儀式や賓客の謁見に使われた「鏡の間」は、鏡で囲まれた回廊、大型シャンデリアと黄金に輝く天井画、目を奪う無数の燭台など、まさに宮殿のハイライト。3年の歳月をかけた修復工事が完了して2007年6月一般公開が再開された。 |
■「月の港」は、ボルドー市内で三日月形に湾曲しているガロンヌ川沿いに発達したことに因むボルドーの通称である。古代ローマの植民都市になる以前からの歴史を刻んできたボルドーには、歴史的建造物群が多くあるが、登録に当たって特に評価されたのは、ルイ=ユルバン=オーベール・ド・トゥルニー (Louis-Urbain-Aubert de Tourny) らによって形成された啓蒙時代の新古典主義建築の都市計画が良好に保存されていることによる。 |
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ヴェルサイユ宮殿「鏡の間」 |
ボルドー市内、ガロンヌ川に面したブルス広場 | ||
ルイ14世とヴェルサイユ宮殿(フランス、1970年) |
■ルイ14世(Louis XIV de France, 1638年9月5日 - 1715年9月1日、在位:1643年 - 1715年)は、ブルボン朝第3代のフランス王。ルイ13世の長子。妃はスペイン王フェリペ4世の娘マリー・テレーズ(マリア・テレサ)。ブルボン朝最盛期の王で太陽王(Roi-Soleil)と呼ばれた。父の死後、幼くしてフランス国王に即位し、宰相マザランの補佐を得てフロンドの乱を鎮圧した。1661年に親政を開始するとコルベールを登用して中央集権と重商主義政策を推進した。対外戦争を積極的に行い、帰属戦争、オランダ侵略戦争で領土を拡張して権威を高めると、ボシュエの唱える王権神授説・ガリカニスムを掲げ、絶対君主制を確立した。ヴェルサイユ宮殿を建設するなど文化の興隆も見たが、治世後半のアウクスブルク同盟戦争、スペイン継承戦争では苦戦し、晩年には莫大な戦費調達と放漫財政によりフランスは深刻な財政難に陥っている。 |
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ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場 |
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■「ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場」は、フランス・ロレーヌ地方の都市ナンシーの中心部にある3つの広場。整備されたのは18世紀のことであり、古典的な都市計画を偲ばせる広場として、3つまとめてユネスコの世界遺産に登録された。スタニスラス広場は、フランス王ルイ15世の義父に当たるロレーヌ公スタニスラスが、国王を称えてつくらせたものである。1751年から1755年にかけて工事が行われ、国王広場 (Place Royale) と名付けられた。この広場の特色は、中世期の旧市街と、16世紀から17世紀にかけての新しい市街を統一しようと設計された都市計画の中心に当たるということにある。 |
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ナンシーのスタニスラス広場(フランス、2005年) |
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中世市場都市プロヴァン |
シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷 |
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■プロヴァン (Provins) は古くからバラで有名な都市でもあり、現在でもバラを用いた製菓業などが盛んである。この都市の住民のことはプロヴィノワ (Provinois) と呼ぶ。都市はその中世の城塞で知られている。1200メートルの距離に22の塔が幾何学的に配置されており、城塞の中心的な塔は1226年から1314年にかけて建造された。 |
■ロワール渓谷は、フランスのロワール川流域に広がる渓谷。アンボワーズ、アンジェ、ブロワ、オルレアン、トゥールといった歴史上の重要都市が点在し、また何よりも数々の名城が現存していることから「フランスの庭園」の異名を取る。また、かつての宮廷が多く置かれ、典雅なフランス語が発達したことから「フランス語の揺籃地」とも呼ばれる。 |
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中世市場都市プロヴァン フランス 世界遺産 |
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ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋、Pont Du Gard) |
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ポン・デュ・ガール(国連) |
ローマの水道橋(Pont Du Gard) |
■ポン・デュ・ガール(Pont Du Gard)は、古代ローマ時代・紀元前19年頃にアウグストゥス帝の腹心アグリッパの命令で架けられたと考えられている。三層構造の石造アーチ橋で高さ49メートル、長さは275メートルである。最下層6アーチ、中層11アーチ、最上層35アーチとなっており、最上層にモルタルを用いた導水管が設置されている。最下層は1747年に拡張され道路になっている。 |
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コルシカのジロラッタ岬、ポルト岬、スカンドラ自然保護区とピアナ・カランケ |
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スカンドラ保護区(グレナディーン) |
■ポルト湾は地中海西部に位置するコルシカ島にある。コルシカ島は火山活動でできており、島の西部もあるポルト湾は、ジロラッタ岬からポルト岬までの変化に富むリアス式海岸。スカンドラ保護区は、コルシカ地方自然公園内に設定された保護区域で自然環境を保護するため、立ち入りが制限されている。カワウやハヤブサなど数多くの鳥類も生息。 |
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歴史的城塞都市カルカソンヌ |
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「カルカソンヌを見ずして死ぬな」と称えられるヨーロッパ最大の城塞都市「シテ」を中心とした町。まさしく中世にタイムとリップした気分が味わえる。ブドウ畑に囲まれたカルカソンヌはフランス有数の観光地。城や教会、いくつもの塔がそびえる石造りの中世の町を頑丈な城壁が囲む様子は、その一帯だけ別の時間が流れているようだ。カルカソンヌには2500年の歴史が秘められている。 |
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歴史的城塞都市カルカソンヌ |
現存するヨーロッパ最大の要塞都市 世界遺産カルカソンヌ |
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フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 |
アヴィニョン歴史地区 |
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■フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は、スペインの世界遺産として登録された「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」(世界遺産ID669)を拡張したものではなく、別件として扱われている。巡礼路の一部区間と、巡礼路の途上にある主要な歴史的建造物群です。 聖地ルルド |
■ローマ・カトリックの教皇庁がアヴィニヨンに置かれていた、いわゆる教皇のアヴィニョン捕囚時代(1309年 - 1377年)の教皇庁宮殿。登録名称は「アヴィニョン歴史地区:教皇庁宮殿、司教関連建造物群及びアビニョン橋」。1995年世界遺産登録。 |
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オーベルニュ地方 |
アヴィニヨンのローマ・カトリックの教皇庁 |
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フランスのルルドの泉と少女ベルナデッタ・スビルー、ローマ法王 聖地ルルド |
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■ルード(Lourdes、ルルド) は、フランスとスペインの国境になっているピレネー山脈のふもと、フランスの南西部のオート=ピレネー県の人口15000人ほどの小さな町。「ルードの泉」で知られ、カトリック教会の巡礼地ともなっている。1858年2月11日、村の14歳の少女ベルナデッタ・スビルー(ベルナデットとも)が郊外のマッサビエルの洞窟のそばで薪拾いをしているとき、初めて聖母マリアが出現したといわれている。「無原罪の御宿り」がカトリックの教義として公認されたのは聖母出現の4年前の1854年だが、家が貧しくて学校に通えず、読み書きも満足にできない田舎の少女が知り得るはずもない言葉だったからである。「聖母」はまずベルナデッタに「泉に行って水を飲んで顔を洗いなさい」と言った。近くに水は無かったため、ベルナデッタは近くの川へ行こうとしたが、「聖母」が「洞窟の岩の下の方へ行くように指差した」ところ、泥水が少し湧いてきており、次第にそれは清水になって飲めるようになった。これがルードの泉の始まりである。 |
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■ヨーロッパ旅行写真 [ オーストリア(Austoria (2005年(Wien)|2006年(Zaltburug))|チェコ(Cezh)|フランス(France (パリ(Paris)|ルーヴル美術館(Louvre))|オランダ(Holland、(スキポール空港、アムステルダム))|ハンガリー(Hungary)|ドイツ(Germany (ベルリン、ポツダム(Berlin、Potsdam))|ロマンチック街道)|スイス(Switzerland)|イタリア(Italiana)|バチカン市国(Governor of Vatican City) ] |
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UNESCO 世界遺産(ヨーロッパ)の切手 フランス |
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