日本の写真・風景|日本の首都・東京都 (写真と切手) |
東京都について
東京都(Tokyo Metropolis)は、日本の首都。関東地方に位置する都。 都庁所在地は新宿区。 区部(23区)、多摩地域(26市と西多摩郡3町1村)および島嶼部(2町7村)からなる。 関東南西部にあって東西に細長い都域を有し、東部は東京湾に面する。西部は雲取山を最高峰とする関東山地となる。
東京都と周辺7県で首都圏を構成している。特に東京圏(東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県)の総人口は約3500万人に達し、日本の人口の約30%を占める。東京都市圏の人口は世界最大である。
東京駅、東京タワー、江戸の風情が残る浅草の雷門・浅草寺、何れをとっても日本の代表的な建造物です。 東京の色々な場所は、浮世絵(江戸)の風景を思い浮かべさせてくれます。 学生時代は小田原から東京・新宿に小田急線やJR線で1時間半をかけて通学。 今でも車窓の風景が脳裏に焼きついています。 鎌倉では鶴岡八幡宮、露座の鎌倉大仏、湘南の・江ノ島は小学校5年で栃木の世界遺産・日光は小学校の修学旅行で、いろは坂でバスに酔った思い出があります。 大学時代は高田馬場に学校があったもので、新宿や歌舞伎町へは何度も行きました。 仕事の関係で埼玉県の鴻巣市にも何回も足を運びました。 でも、東京駅ではとバスに乗って東京見物もいいですね。 また、少し脚を延ばして、「フーテンの寅さん」で有名な葛飾柴又の帝釈天も良いですよ。 切手以外は画像クリックで拡大します。
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ページ内索引 [ 千代田区|中央区|港区|墨田区|新宿区|品川区|目黒区|渋谷区|荒川区|文京区|江東区|台東区|多摩地域|島嶼部 ]
=東京都区部(23区)の内訳=
区部(23区)|中央区、千代田区、文京区、港区、新宿区、品川区、目黒区、大田区、世田谷区、渋谷区、中野区、杉並区、練馬区、板橋区、豊島区、北区、台東区、墨田区、江東区、荒川区、足立区、葛飾区、江戸川区
東京都・千代田区
■千代田区(ちよだく)は、東京都の区部中心部に位置する特別区。国会議事堂、内閣総理大臣官邸、最高裁判所をはじめとする主要政府機関、また日本を代表する大企業の本社が数多く置かれる。 区の中央に皇居があり、区全体の約15%を皇居の緑地が占める。区域は江戸城の外濠の内側部分とほぼ一致しており、外郭を含めた城址にあたる場所である。
■オオアラセイトウ (Orychophragmus violaceus) は、アブラナ科オオアラセイトウ属の越年草。別名にショカツサイ(諸葛菜:諸葛孔明が広めたとの伝説から)、ムラサキハナナ(紫花菜)。このため Orychophragmus属はショカツサイ属、ムラサキハナナ属とも呼ばれる。
東京都・中央区
■千代田区や港区とともに「都心3区」と呼ばれる。旧日本橋区と旧京橋区が合併して誕生した。オフィス街・商業地の日本橋や、都心屈指の繁華街であり高級ブランド街として名高い銀座、他にも京橋、築地、八重洲といった歴史のある街を擁する。月島・佃・勝どき・晴海などの臨海部(ウォーターフロント)のエリアは超高層マンション(タワーマンション)が林立。
日本橋は、新宿や渋谷など比較的新しい街が多い東京の中では珍しく江戸時代初期からの歴史と伝統を持つ。当地は五街道の起点であり、日本橋本町を含む一部地域は江戸時代には「江戸本町」と呼ばれる江戸で最初に整備された街であり、江戸の町人文化や経済・金融の中心地として栄えた。江戸時代から両替商が多く存在した名残から、現在では東京証券取引所や日本銀行本店が所在するとともに、大手製薬会社やその他多くの大企業の本社が位置する金融街・オフィス街であり、千代田区の丸の内や大手町などとともに日本の金融・経済の中心地(中心業務地区、CBD)の一つである。
東京都・港区
■港区(みなとく)は、東京都の区部中央に位置する特別区。 旧芝区、旧麻布区、旧赤坂区が合併して誕生した。江戸時代は広大な武家屋敷と、町人町が混在していた。区名に「港」とあるように、区域の東側は海岸・港南地区で東京港(東京湾)に面し、ベイエリアの一部(東京臨海副都心)である台場(お台場)を含む。
■迎賓館(State Guest Houses)は、外国の国家元首や政府の長などの国賓を迎え入れた時に、会食や宿泊等の接遇を行う施設。 東京都港区元赤坂
東京都・墨田区
■墨田区(すみだく)は、東京都の区部東部に位置する特別区。西の区境は隅田川と東の区境は荒川および中川に挟まれた位置にある河川に挟まれた町である。水の郷百選に選ばれている。区東部の地域は海抜ゼロメートル地帯となっている。江戸中心部が1657年(明暦3年)の振袖火事によって焼け野原になったため、災害対策の一環として武家屋敷が当区南部へと移動することとなった。
有名イベント 隅田川花火大会 - 毎年7月開催、国技館5000人の第九コンサート - 毎年2月開催、早慶レガッタ - 毎年4月開催 他 両国国技館もある。
東京都・新宿区
■新宿区(しんじゅくく)は、東京都の区部中央に位置する特別区。東京都の都庁所在地。
古くは甲州街道の宿場町として栄えた新宿は現在では三大副都心の一角に数えられ、日本有数の繁華街が広がっている。 新宿駅は世界最大の利用者数を誇るターミナル駅であるため、駅周辺の昼夜の人口増減が特に著しい。 また新宿駅西口に位置する西新宿は東京でも有数のオフィス街であり、超高層ビルが林立している。 歓楽街として有名な歌舞伎町も新宿駅東口に位置している。 新宿駅南部は新宿御苑や明治神宮外苑があり緑が豊富である。 また都心のベッドタウンとして人口が急激に増えた北部の落合地区は住宅地となっている。
本来、山の手とは新宿区内を中心とした高台(武蔵野台地)を指す。
■旧学習院初等科正堂は1899(明治32)年,東京四谷尾張町(現新宿区の一部)に建てられた。1937(昭和12)年,印旛郡遠山村(成田市)に払い下げられ,遠山尋常高等小学校(現,遠山中学校)の講堂として使用された。建物は木造1階建で,中は広間になっており,正面には階段によって演壇が設けられ,演壇中央は半円形に張り出している。
東京都・品川区
■台地と低地があり、東部は東京湾(東京港)に面する埋立地である。 台地は、目黒川の北に芝白金台、目黒川と立会川の間に目黒台、立会川の南には荏原台がある。どれも武蔵野台地の末端である。 低地は、品川地域や大井地域および川沿いに広がっている。 また、飛び地状の孤立した位置関係に東八潮が存在し、東京港トンネルにて接続している。区域は東海道の旧品川宿を含む。
ソニーシティ大崎 |
広州市場 五反田店前 |
JR五反田駅 |
東京都・目黒区
■東山貝塚遺跡:23区内の3大貝塚の一つ。旧石器時代から古墳時代の遺跡が重層的に発見されており、氷期、縄文海進期、古代海退期と超長期的に利用された場所である。縄文時代の遺跡は区内に数多い。江戸時代には孟宗竹の産地であり、現在の目黒区南部、品川区境で採れる筍は名産品であった。 目黒のさんま(めぐろのさんま)は落語の噺の一つである。低級な下魚として扱われていたさんまを、庶民的な流儀で無造作に調理すると美味だが、丁寧に調理すると不味い、という滑稽噺である。落語界で秋の噺として知られるが、成立時期は不明である。3代目三遊亭金馬が得意とした演目である。
東京都・渋谷区
■東京都に23ある特別区の一つであり、23区の中央やや西側に位置する。区内全域が武蔵野台地上の高台にあり、東京の山の手地区を構成する。ターミナル駅である渋谷駅周辺(渋谷)は新宿・池袋と並ぶ三大副都心の一角をなし、東京を代表する繁華街・オフィス街である。渋谷駅西側にある渋谷スクランブル交差点は、若者の街の典型としてニュースなどで報道されることが多く、全国的に有名である。新宿駅に近い代々木や千駄ヶ谷も新宿と一体となって繁華街・オフィス街となっているほか、西新宿に隣接する初台や本町にもオフィスビルが多く存在する。 原宿・表参道及び隣接する港区の青山エリアは日本のファッションの中心として知られるほか、代官山や恵比寿には商業施設やファッション関連の産業が集積している。 区内には明治神宮や代々木公園といった広大な緑地が存在し、周辺には松濤や代々木上原といった高級住宅地も点在している。
東京都・荒川区
■東京都の北東部に位置する。東西に細長く、北側の区境は隅田川に一致する。区内はほぼ低地で平坦であるが、日暮里地区の一部は山手台地となっている。 江戸時代は農村だったが、明治時代から荒川の水を使うために多くの工場が建設され、工業化が進んだ。 また現在の南千住駅の西に江戸の三大刑場の一つ、小塚原刑場があった。
日暮里駅 |
日暮里駅前辺り |
★日暮里駅(にっぽりえき)は、東京都荒川区西日暮里二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・京成電鉄・東京都交通局の駅である。荒川区最南端の駅で、一部は台東区にまたがる。なお、ホーム内に区境がある。 |
東京都・文京区
■東京23区の中央北寄りに位置する。「文の京(ふみのみやこ)」という字義通り、東京大学を筆頭に大学が多い文教地区と閑静な住宅街が区の多くを占める。明治時代より夏目漱石や森鷗外、宮沢賢治等の著名な文人・学者や政治家が多く住んだ。出版・印刷のほか、先端医療が盛んで大規模病院も多い。
湯島天神の女坂からの白梅 |
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■湯島天満宮は、東京都文京区湯島三丁目にある神社。旧社格は府社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「加賀梅鉢紋」。 旧称は湯島神社で、通称は湯島天神。 |
東京都・江東区
■東京都の東部、隅田川と荒川に挟まれた位置にあり、東京湾に面している。 江戸時代に埋め立てが始められた地域であり、江戸の東端にあたり、深川地区(旧深川区)には富岡八幡宮をはじめ神社仏閣が数多くある。区内陸部は古くから住宅地および工業地域として、亀戸には鶴亀の亀戸天神社、また錦糸町駅南側は遊興地域として発展してきた(ただし、錦糸町駅およびその南部は首都高速7号小松川線まで墨田区である)。
東京ビッグサイト |
テレコムセンター |
レインボーブリッジ |
■「東京ビッグサイト」は、レインボータウンの中核施設の一つとして、また日本のコンベンションの歴史を作ってきた晴海・東京国際見本市場の後継施設として、完成しました。 スケール・設備とも日本最大規模の施設です。 江東区有明。
■「テレコムセンター」は、レインボータウンにおける高度情報通信機能の中核施設として、衛星通信地球局・通信機械室を備えたインテリジェントビルです。 東京都江東区青海。
■「レインボーブリッジ」は、台場地区(港区台場および江東区有明)と芝浦を結ぶ虹のように緩やかなアーチ状の橋です。 橋の左右には遊歩道があり、眺望を楽しみつつ歩いて橋を渡ることもできます。 全長は、798メートルです。
東京都・台東区
■台東区は、東京都の区部北東部に位置する。 面積は23区の中で最も狭い。江戸時代を通じて、東京で最も古い市街地のひとつで、浅草にある浅草寺は建立1400年の歴史となる。江戸時代は元禄文化(町民文化)が息づき、明治期からは美術館や博物館が建築され、東京芸術大学などアートの発信地ともなっている。関東大震災(1923年(大正12年))や第二次世界大戦にも焼け残った浅草橋界隈の問屋街などにはいまだ大正、昭和初期の街並みや風情が残っている。
■表慶館は、 皇太子殿下嘉仁親王(大正天皇)の御成婚記念に、国民から奉献された美術館である。宮内省の片山東熊に設計が委嘱され、明治34年8月に着工し、明治41年10月に竣工した。ネオ・バロック様式と鉄骨、石材などの材料には、同じく片山が設計した東宮御所(現・迎賓館)と類似の点が多い。石張り煉瓦造2階建てで、中央部に大ドーム。両翼に小ドームをもち、左右対称となっている。内部は、中央ドーム下のホールが1・2回吹き抜けをなり、ドーム天井周り、2階ギャラリーを回るイオニア式列柱やてすりなどは、ゆるぎない整然とした比例構成など、雅致深い建築である。昭和53年5月、重要文化財に指定。 東京都台東区上野公園の東京国立博物館
■旧岩崎家住宅:この建物は、 旧三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎(いわさき・やたろう 1834-1885)の長男で、 三代目・岩崎久弥(いわさき・ひさや 1865-1955)が、 J.コンドルに設計を依頼して建てられました。17世紀初頭の英国ルネッサンスのジャコビアン様式を採用し、 装飾には多種多様のモチーフが駆使されている、明治期の邸宅を代表する洋風木造建築です。 洋館南側には列柱の並ぶベランダがあり、 ベランダの床にはサラセン風デザインのタイルが敷き詰められ、 1階列柱はトスカナ式、2階列柱はイオニア式の装飾が施されています。 東側のサンルームは、1907年(明治40年)に増築されたものです。 東京都台東区池之端一丁目にある都立庭園
多摩地域
■多摩地域(26市と西多摩郡3町1村)|北多摩地域(17市):立川市・武蔵野市・三鷹市・府中市・昭島市・調布市・小金井市・小平市・東村山市・国分寺市・国立市・狛江市・東大和市・清瀬市・東久留米市・武蔵村山市・西東京市 南多摩地域(5市):八王子市・町田市・日野市・多摩市・稲城市 西多摩地域(4市):青梅市・福生市・羽村市・あきる野市 西多摩郡(3町1村):瑞穂町・日の出町・檜原村・奥多摩町
国営昭和記念公園 |
奥多摩湖とリンドウ |
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■国営昭和記念公園は、東京都立川市と昭島市に跨る日本の国営公園。 |
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秩父連峰(1955年、秩父多摩国立公園) |
秩父多摩・雲取山 |
秩父多摩・秩父湖 |
奥多摩の渓流(1955年、 |
東京・高尾山と桜 |
明治の森・高尾山 |
■「多摩都市モノレール」は、約380万人もの人々が暮らす多摩地域を南北に結ぶ交通機関として、多摩センター駅から上北台駅間までの約16kmが事業化されており、このうち立川北駅から上北台駅間の約5.4kmが平成10年11月27日(金)に開通。 多摩都市モノレールの沿線は、多摩センターや立川など市街地の「職」の地域、水と緑の豊かな「緑」の地域、多摩動物公園、昭和記念公園など「遊」の地域、新しい市街地を形成しつつある「住」の地域、そして大学などが立地する「学」の地域に恵まれています。多摩都市モノレールは、これらの地域を結ぶ新しい路線です。 |
多摩都市モノレール |
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東京都島嶼部
■東京都島嶼部(とうきょうととうしょぶ)は、東京都の区域の内、島嶼の部分である。伊豆諸島及び小笠原諸島がある。 「島部」ないし伊豆諸島と小笠原諸島を併せて「伊豆・小笠原諸島」とも呼ばれる。(2町7村)
伊豆諸島|伊豆七島 - 伊豆大島、利島、新島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島/七島近海の島々 - 式根島、青ヶ島 、鵜渡根島、地内島、早島、大野原島、藺灘波島、八丈小島他/豆南諸島
- ベヨネース列岩、須美寿島、鳥島、孀婦岩/小笠原群島|父島列島 - 父島、兄島、弟島 他/母島列島 - 母島、姉島、妹島 他/聟島列島 -
聟島、嫁島、媒島、北ノ島 他/西之島/火山列島 - 硫黄島、北硫黄島、南硫黄島/孤立した島々 - 南鳥島、沖ノ鳥島
■東京グリーティング・三宅島噴火等災害寄附金付(東京都)、2000年に噴火した三宅島及び新島・神津島近海地震災害による被災者の救助を行う事業を支援する目的で、当時の郵政省は寄附金付切手を発行しました。 |
東京グリーティング・三宅島噴火等災害寄附金付 |
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■オガサワラビロウは、小笠原諸島に広く分布している常緑樹です。 海岸近くのふもとから山頂付近まで生育しています。 島では、戦前からシュロの名前で親しまれ、葉を屋根に、葉柄を突きん棒(魚を突く銛(もり))の柄にするなど、島民の生活と文化を支えてきた植物です。 |
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小笠原・オガサワラビロウと太平洋の夜明け(1968年) |
伊豆七島・八丈島とフェニックス(1963年、国定公園) |
小笠原・南島サンゴ礁 |
世界遺産 小笠原・父島海岸(1973年、国立公園) |
■小笠原諸島(おがさわらしょとう)は、東京都特別区の南南東約1,000kmの太平洋上にある30余の島々。父島、母島、硫黄島、南鳥島以外の島は無人島である。その内、一般住民が居住しているのは父島と母島のみであり、硫黄島には自衛隊、南鳥島には自衛隊・気象庁・海上保安庁の施設があり、その職員等のみが業務目的で常駐している。気候は、日本の気候区分では「南日本気候」で、聟島(むこじま)列島・父島列島・母島列島・西之島では亜熱帯に、火山列島・南鳥島・沖ノ鳥島では熱帯に属する。固有の植物や海産物が多く採れ、ボニンコーヒー、海亀肉、島魚を使った焼き物・煮物・島寿司・味噌汁・ピーマカ(酢漬け、ビネガーの転訛)、パッションフルーツ・マンゴー・パパイヤ・グァバなどを用いたデザートやリキュール、ダンプレン(ダンプリング、欧米系住民の食文化)などがある。 |
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切手でめぐる江戸開府400年
■徳川家康が江戸に幕府を開いてから400有余年。 江戸から名前が変わって「東京」となってからも、日本の首都としての役割を果たしています。 世界を代表する最先端都市のひとつでもある東京ですが、ちょっと道を入っただけで、別な顔を垣間見せる事があります。
江戸開府400年シリーズ
1.江戸図屏風(部分) ・・ 明暦の大火(1657年)以前の江戸とその周辺を描いた六曲一双の屏風です。(国立歴史民俗博物館 蔵) |
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1.黒船の図(部分) ・・ 下田港に停泊中のペリー艦隊旗艦ポーハタン号の図です。嘉永7(1854)年に黒沼直継が描いたものです。(了仙寺 蔵) |
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江戸名所図屏風(部分)(出光美術館 蔵) |
1.東海道五十三次「日本橋 行列振出」(部分)… |
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参考・引用文献:Wikioedia、関連施設のHP
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