日本の写真・風景|初瀬街道紀行 宇陀市室生区・三本松~大野 |
初瀬街道
初瀬街道は初瀬街道(はせかいどう)は奈良県桜井市の初瀬から名張を経て七見峠を越え、阿保に入り伊勢地を経て青山峠を越え、津市から松阪市六軒に至る約十四里十七町の街道です。
以前は参宮表街道とも呼ばれた。 また、かつて伊勢神宮は「伊勢に行きたい 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも」歌われたように、庶民の憧れの旅でした。 特に「お陰参り」が盛んとなった江戸時代には、日本人の約1割が伊勢をめざしました。
古代からの道で壬申の乱の際、大海人皇子(天武天皇)が通った道でもある。大和と伊勢神宮とを結ぶ道路のうち、比較的平地が多い街道としてよく利用されていた。また江戸時代には国文学者である本居宣長も歩いており、その様子は彼の著書である菅笠日記に記されている。
ご注意)画像の無断転用はお断りします。 |
三本松駅と長瀬
■近鉄大阪線の三本松駅から南を見ると目の前に道の駅と宇陀川が見える、 その手前が初瀬街道で今は国道165号となっている。 昔の国道165号線は、三本松駅の前を通過し白鳥神社を経由する道だと聞いた。 長瀬地区は、駅から名張方面に下り宇陀川沿いにできた集落。 旅籠も数件あった。 街道を旅する人にとって休憩・昼食をとる場所だったそうだ。 この辺りは藤堂藩の管理下で川を渡った南は大宇陀の松山藩の管理下だった。
この後は、再度三本松の駅に戻り、安産寺へ向う。
安産寺
■三本松宿の大灯籠と海神社の石碑を左手に見ながら少し登った後、右手に線路を渡る幅1-2mのトンネルがあります。 そこを通過すると右手に安産寺が見えてきます。
「本尊 地蔵菩薩立像 榧(かや)材 一木造 像高177.5cm 昭和15年10月 国宝に指定され、昭和25年8月 国指定重要文化財となる。 安産寺(真堂)の本尊は、木造
地蔵菩薩立像で、作者は不明であるが、今から千百余年前の平安時代初期の作といわれている。また、沓(くつ)を履く地蔵菩薩としても珍しい。 尊顔は細く切れた目が優しさと慈悲に溢れ、身体は肩が張って十分な厚みがあり、重量感に富み、威容と風格をそなえている。 当初は彩色されていたが、現在では殆ど剥落し、また衣文線に沿って切金を施した痕跡も認められる。衣文は漣波式(れんぱしき)といわれるもので、幾重にも重なり、肩から腹部を経て股間に流れ落ち、裾に至って大きく反転している。その彫り口は繊細かつ大胆で鋭い。 これらの表現は、室生寺金堂の釈迦如来立像(国宝)と共通するところが多く、本像は「貞観(じょうがん)彫刻」の代表作の一つに数えられている。 当地ではこの地蔵菩薩を「子安地蔵」と呼び、子授け、安産の地蔵さんとして信仰が篤い。」 境内の説明より
三本松宿の大神宮常夜燈と三本松の海神社の石碑 |
トンネルを抜けた後、右手の石垣の上に安産寺が |
安産寺の入口付近 |
安産寺 石碑 |
★村の自治会で管理されていて説明者から聞いた話 |
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安産寺 境内の説明 |
境内の八柱神社 |
八柱神社と地蔵尊社 |
室生区三本松中村の『安産寺』に祀られている「子安地蔵」さま |
境内の地蔵尊 |
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お地蔵さまの写真撮影は不可なので、堂内に飾られていたお写真を撮影 英語で説明されたものも |
次は日本武尊を祀る白鳥神社へ向かう。 この道は旧国道165号だそうだ。 ガードをくぐり西北へ向う。
白鳥神社
■社名通りに日本武尊ゆかりの地とされます。尊は「能褒野」で薨去後に白鳥と化し、大和国琴弾原、河内国古市を経て大鳥に留まったという伝説になっています。その「大和国琴弾原(ことびきはら)」の伝承地の一。 伝承地は他に山邊郡の白堤神社や、葛上郡の日本武尊琴引原白鳥陵があります。
当地名が「琴引」ということから伝承地とされたようで、根拠とするには不十分なもの。そもそも白鳥伝説が「神話」のお伽噺ですが。義経と静が逃亡中に琴を引いた地、全国行脚した北条時頼が琴を引いた地などの伝承も合わせて残っており、うちいずれかは史実かもしれません。
近鉄電車からも鳥居が見えます。
大きな銀杏の木がある |
仮屋川にかかる白鳥橋 |
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白鳥神社 鳥居 |
白鳥神社 拝殿、本殿 |
白鳥神社 境内石碑 |
★大和琴弾原の陵(御所市冨田)の地に宮内庁により「白鳥陵(しらとりのみささぎ)」として第十二代景行天皇の皇子ヤマトタケルの陵に治定されている。軽里大塚古墳(大阪府・羽曳野市)と区別して、「琴引原白鳥陵」と言われる場合もある。
日本書紀の巻第七によれば、ヤマトタケルは白鳥となって能褒野を飛び立ち、まず大和国琴弾原にとどまり、そこに「陵」を造ったところ、さらに白鳥となって河内国旧市邑に行き、とどまったので、そこにも「陵」を造ったが、また白鳥となって天に上った、という。最初の能褒野の陵、大和琴弾原の陵、河内国旧市邑の陵の三陵を時人は「白鳥陵」と呼んだという。
★ヤマトタケルは東国遠征からの帰還中、伊吹山の神退治を侮り、瀕死の重傷を負う。その後、能煩野まで来たが同地で薨去。同地で葬式が行われ、陵が築かれたことが古事記にも記されている。現在では能褒野王塚古墳(三重県・亀山市)が「能褒野墓」としてヤマトタケルの墓に治定されている。
白鳥神社の後は、消防署の傍を通り初瀬街道へ戻り、更に三本松方面に向かい琴彈峠・長命寺を目指す。
長瀬山 琴引院 長命寺
■初瀬街道に戻り、近鉄電車のガードを越えると今まさに咲き誇る奇麗な銀杏の木がある長命寺だ。
『長瀬山 琴引院 長命寺縁起 : 当寺を創建した行為法師は久安三年(1147)の清夜に霊夢を感得、鎌倉の滝に赴き、衆病悉除心身安楽の光明を背に影向し給う薬師如来を奉じ帰山、尊影を刻し崇め給う。 のちの文治年中、源義経公流浪の砌、深く如来に宿願し、琴を弾じ王法の難を解脱した如来の大慈利生あらたかな名刹である。』
境内掲示より
長瀬山 琴引院 長命寺 遠景 |
長瀬山 琴引院 長命寺 |
★北条 時頼(ほうじょう ときより)は、鎌倉時代中期の鎌倉幕府第5代執権(在職:1246年 - 1256年)である。北条時氏の次男で、4代執権北条経時の弟。北条時輔、第8代執権北条時宗、北条宗政、北条宗頼らの父。通称は五郎、五郎兵衛尉、武衛、左近大夫将監、左親衛、相州、また出家後は最明寺殿、最明寺入道とも呼ばれた。 |
鎌倉幕府北条時頼公琴弾岩 |
「源義経公参籠伝承地」碑 |
長命寺境内の祠 |
入口左に「源義経公参籠伝承地」碑が立つ。 琴彈峠は、源義経が逃避行の途中に立ち寄り病の平癒を願い琴を弾いた、また全国行脚中の北条時頼が当地で病にかかり琴を弾いて慰めたと、言い伝えられている伝説の峠。 |
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境内にある「大和国山辺郡長瀬村:の石碑 |
明和四年 伊勢路の記を著した源欣応の碑 |
琴彈峠跡石碑 もとは跨線橋の手前にあった |
長瀬山 琴引院 長命寺 本堂 |
境内 「琴ひきの名や今も咲桐の花」 中川乙由 |
長瀬山 琴引院 長命寺縁起 |
★『琴彈峠跡石碑 : 住者青垣道の通り、此処を琴引峠と云った。 伊賀から大和へ越える最初の峠で、茶屋や清泉があり、芭蕉、宣長などの文人や多くの行人が踵を接し行き交った。
また近くに源義経公弾琴の琴引岩、藤堂藩の郷倉や高札場もあった。 昭和三年参宮急行の鉄路掘削により往時の姿は全く消えた。 茲に跨線橋新設を機に行人に親しまれた琴引峠の名を留め歴史を偲ぶよすがとしたい。』
境内掲示より
★中川 乙由(なかがわ おつゆう、延宝3年(1675年)- 元文4年8月18日(1739年9月20日))は、江戸時代の俳人。14歳の頃、伊勢神宮に参詣した松尾芭蕉と接し、涼菟(新風館三世)に師事する。やがて、伊勢に結庵した各務支考に兄事し、蕉門俳人として地位を確立する。
再度、初瀬街道に戻り、元三(元三本松)の宿場へ向う。
本三(本三本松)
■元三の宿場は初瀬街道の榛原の宿と名張の宿の中間地点。 街道筋を見下ろす場所に、「三本松」の地名の由来になった松の木があります。現地の資料によれば、北条時頼公が行脚の際に植えられたと伝わり、根元から三つ股に分かれて成長した大樹だったそうですが、現在の木は3代目。
元三には、今は下に新道が出来て寂れてはいるが、かって賑わっていた頃の様に屋号を軒先にかざすところが多い。
元三 かぎや |
元三 こまつや |
元三 宿場 中心部 |
元三 みきや |
登録古民家の「西岡家住宅」 |
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元三 元旅籠のますや |
元三の道標 説明 |
元三の道標 |
★『初瀬街道 元三の道標 : 三本松村の役場が置かれた元三の地区は、歩いて伊勢参りをする時代には髭無と呼ばれ、初瀬に泊まった旅人が、翌日の昼食をとる場所として賑わいました。 |
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元三 ひらのや |
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上ぬしや 本陣を務めていた西澤家 |
相馬醤油店 |
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相馬醤油店 |
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元三から相馬醤油店の敷地内を抜ける。 えび坂を経由して大野へ向かう。 途中は結構な坂の上下が繰り返される。
えび坂
■相馬醤油店からは、5-10分位少し急な坂道を上る。 神社の赤い鳥居の周辺の道には朴葉(ほおば)の枯葉が多数落ちていて、滑り歩きにくい。 頂上からは、更に激しい勾配の下り道。 どうもこれが、えび坂のようだ。 下る途中の左手に北向地蔵さん。小さな切妻のお堂の中に、高さ1.3m、横幅67cmの一枚石が立っていて、そこに高さ98cmの地蔵尊が厚肉に陽刻されています。
北向地蔵 標識 |
北向地蔵尊 |
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★朴葉(ほおば)は、モクレン科の植物、朴の木(ホウノキ)の葉のこと。殺菌作用があるとされ、器の代わりや食材を包む材料として用いられることがある。
大野寺と摩崖仏
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大野 海神社
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作成にあったては、Wikipediaや当地HP・パンフレット等を参考にしています。
日本の写真・風景|初瀬街道紀行 宇陀市室生区・三本松~大野 |