Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

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国別・特殊切手|デッドカントリーの大陸別:オセアニア切手 ハワイ王国、英領、オランダ領、ドイツ領など

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デッドカントリー オセアニア切手

 オセアニア最初のデッド・カントリーはハワイ王国です。ハワイ切手は一部現行の合衆国・ハワイ州発行の切手を盛り込みました。 取り分け世界最小の大陸のオーストラリアは以前は幾つかの州に分裂してた時期があり、夫々が独自に切手発行をしていましたので、それをUPしました。また第一次世界大戦で敗れたドイツの領有していた島々も、ベルサイユ条約で国際連盟に加盟の各国に委任統治されたが徐々に独立してきました。デッドカントリー(Dead Country)とは、領土の併合などにより、切手の発行を止めた国あるいは地域を指します。オーストラリアのデッドカントリーが多いです。 掲載している国は、ハワイ王国 ギルバート・エリス オランダ領ニューギニア(他にイギリス領ニューギニア、ドイツ領ニューギニア) ニューヘブライズ オーストラリア ニューサウスウエールズ マリアナ諸島 キャロライン諸島 他。

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ハワイだけでなくオーストラリアの古い切手が充実しています。

ハワイ王国

ギルバート・エリス

オランダ領ニューギニア

ニューヘブライズ

12

オーストラリア

     

Queens 南オーストラリア

NewSouthWALES

西オーストラリア

Victria(ヴィクトリア)

123 12

Tasmania(タスマニア)

Newfoundland

   
   

イギリス領ニューギニア

ドイツ領ニューギニア

マリアナ諸島

キャロライン諸島

       

■ニューヘブライズ:フィジーの西隣りになっているのがニューヘブライズ諸島である。ここはキロスやブーガンヴィルの手も煩わしはしたが、結局はキャプテン・クックによって1774年に発見された所である。英仏連合の共同管理ということになっている。戦争でガダルカナルで有名な所です。
■トラック諸島:チューク諸島 (Chuuk Islands) は西太平洋、カロリン諸島の島。周囲200km、248もの島々からなる世界最大級の堡礁であり、現在ミクロネシア連邦のチューク州の州都でもある。主島はチューク環礁。かつてはトラック諸島 (Truk Islands) と呼ばれていた。第一次世界大戦終結後の国際連盟決議にて大日本帝国の委任統治領となり、南洋庁の支庁が置かれた。

■ハワイ王国(Kingdom of Hawai‘i)は、1810年から1893年まで、ハワイ諸島にあった王国(建国宣言は1795年)です。
この切手はハワイ王国末期に作られたものの様です。歌にも出てくるカメハメハ家による統治は、1872年のカメハメハ5世ロットの死去によって終わりました。 ロットは、王女Bernice Pauahiを呼び出し、王冠を託しましたが、彼女にはすでに家庭があり、即位を拒否しました。その結果議会での選挙で選ばれた国王はルナリロ王で、彼も後継者を指名せずこの世を去りました。切手を見て頂いて色々な数奇な運命が読み取れると思います。(アメリカ合衆国の写真集のページに詳細が記載)


(切手の代表例)

オーストリア関係

クインズランド:
1897年ヴィクトリア女王他

タスマニア:
昔英国の植民地でした。独特の民族でしたが1876年絶滅の悲しい過去があります。

西オーストラリア:
1890年白鳥

ニューサウスウェールズ:
1854年ヴィクトリア女王他

南オーストラリア:
1890年ヴィクトリア女王他

オーストラリアの歴史
先住民アボリジニは、ニューギニアとオーストラリア大陸が地続きであった、約4万年程前の第四氷河期(洪積世末期)頃に、ニューギニア方面から移動してきたと考えられている。 
18世紀に入り、1770年イギリス人探検家キャプテン・クックが現シドニー郊外のボタニー湾に上陸し、東海岸を調査、1785年その一帯を「ニュー・サウス・ウェールズ」と名づけ、英国王室による領有宣言をする。 1788年1月26日初代総督アーサー・フィリップ率いる英船団が、流刑囚778名、海兵隊とその家族約700名を連れて、ポート・ジャクソンに現れ、本格的な入植が始まる。 この時点で、先住民アボリジニは英国王室領不法滞在者となり、しいたげられ、奴隷にされるなど屈辱の日々が始まることとなる。 これが現在の「オーストラリア・デイ」となっている。1793年炭坑の発見や羊毛生産などで開拓を広げ、自由移民が始まった。 1829年イギリスによる正式な領有宣言が出され、1851年カリフォルニアのゴールド・ラッシュに乗じて、金脈があるというウワサが広まり、ヨーロッパを中心に、アメリカ、中国などから大量の移民入植者が殺到。その後、ビクトリアで本当に大きな金脈が発見され、NSWからビクトリアに大勢の人々が移動していく。白人達は、ゴールド・ラッシュで大量に流れ込んできた、低賃金で働く中国人移民に脅威を覚え、白人を優先し、アジア系移住者を排除する「白豪主義」が推進されいった。

 

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