世界の天変地異(気象・温暖化・地震・火山・豪雨)や戦争の災害、雪に関する切手
ここ最近ではの東海地方・関東地方は集中豪雨・ゲリラ豪雨見舞われ甚大な被害が出ています。ここでは、地球温暖化や自然の天変地異、環境保全、災害(交通安全含む)と雪を考えてみました。地球温暖化は、大気や海洋の平均温度の上昇だけではなく、生物圏内の生態系の変化や海水面上昇による海岸線の浸食といった事を起こします。 最近になり京都議定書の批准をしない国々が色々な災いを生じさせてる様に思えてなりません。 温暖化などが原因となって発生する世界の天変地異(異常気象・地震・火山)や戦争の災害に関する切手です。国連の切手は地球温暖化現象を如実に現しています。 それにともない地震や大災害が発生している思う。ゲリラ豪雨もそうです。 地震(earthquake)の切手では勿論、関東大震災や台湾・台中地震切手も入れてます。 また、火山や岩石などに関しての情報は別ページで、写真・切手を掲載。 戦争に関しては単なる戦争部分は沢山あるので、それで被害を受けた結果など所謂災害・被害や交通安全も考え取り上げてます。 過去の地震の参考ページ:国立科学博物館地震資料室(写真や情報多数)
災害に関しての地震・台風・津波・火山の最新ニュースはこちらです。 2010年4月、中国で大地震、アイスランドで火山爆発。
地理学や地学関係の切手 [ 宝石・鉱物 |化石 |世界の地図切手 |地震・火山・気象|地震・火山・気象ニュース| |
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1923年・関東大震災の切手 |
1923年・関東大震災の切手 |
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1923年(大正12年)9月1日の関東地震は、実際には5分間に起きた三つの地震によって生じた、計5分以上の揺れにより構成される。私の生まれた小田原が震源地でした。その時に若者のメッカ・江ノ島の烏帽子岩が誕生してる。 |
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■関東大震災 1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒、神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)を震源として発生した。M7.9。1703年に関東で起こった元禄関東地震(M8.2)と区別する為にこのように呼ぶ事もある。この地震によって生じた災害を「関東大震災」と呼んでいる。 |
関東大震災(浅草・凌雲閣) |
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1995年阪神・淡路大震災 |
手塚治虫の「火の鳥」 |
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■阪神・淡路大震災 1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒、淡路島北部(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として発生したM7.3の兵庫県南部地震は、淡路島ならびに阪神間(神戸・芦屋・西宮・宝塚・尼崎・伊丹・豊中・川西・池田など)の兵庫県を中心に大きな被害をもたらした。特に、神戸市市街地は壊滅状態に陥った。 |
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1855年安政江戸大地震 |
江戸時代の鯰絵「難儀鳥」 |
平成23(2011)年3月31日(木)に東日本大震災の発生 |
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■江戸時代の鯰絵「難儀鳥」(東京大学所蔵)をもとにデザインしています。鯰絵とは、安政江戸地震(1855年11月11日)の直後から、民間に大量に出回った錦絵版画です。難儀鳥と呼ばれる架空の鳥が古来地震のもととされていたナマズを捕まえているところを描いています。難儀鳥は、地震で被害にあった職業の人々の道具で構成されています。 |
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■安政の大地震(あんせいのだいじしん)は、江戸時代後期の1855年11月11日(安政2年10月2日)の夜10時ごろ、関東地方南部で発生したM6.9の大地震である。他の安政時代に発生した地震と区別し「安政江戸地震」とも呼ばれる。また、この地震による災害は、1923年の関東大震災と区別する為に、「1855年関東大震災」とも言われる。直下型地震であったと考えられており、江戸においては江戸城の石垣が崩壊し、本所や深川など下町を中心に死者約4300人、倒壊家屋約1万戸など大きな被害があった。この地震で水戸藩主の徳川斉昭の腹心で水戸の両田と言われた戸田忠太夫、藤田東湖が死亡。さらには、大番頭の逸見長道が死亡したという説もある。佐久間象山がこの震災を機に大地震を予知する地震予知器を開発した。 |
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■東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい、ひがしにっぽんだいしんさい)は、2011年(平成23年)3月11日(金)に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波、及びその後の余震により引き起こされた大規模地震災害。2011年3月11日14時46分18秒(日本時間)、宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmの海底を震源として発生した東北地方太平洋沖地震は、日本における観測史上最大のマグニチュード
(Mw) 9.0を記録し、震源域は岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmの広範囲に及んだ。 |
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台湾・台中地震救済 |
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1999年9月21日台湾中部の地震 |
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2003年イラン南東部バム(世界遺産)地震 |
世界遺産のページにバム遺跡の切手あります。 |
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■2003年12月26日午前5時26分(現地時間)、イラン南東部のオアシス都市バムは強い地震動に襲われました。これにより、日干しレンガの建物等、耐震性のない住宅が破壊され、12万人の住人のうち40000人(注)以上が崩壊、倒壊した家屋の下敷きとなって亡くなりました。これを単純に割り算しても、致死率が30%になるので、1995年兵庫県南部地震時の神戸市致死率約0.3%と比べると、その致死率の大きさに驚かされます。地震の規模はモーメントマグニチュード 6.5で、中規模と言えます。このように、2003年バム地震は地震規模の割に極めて人的被害の大きかった地震といえます。イランはアルプス・ヒマラヤ地震活動帯に属し、北方のユーラシアプレート、南方のアラビアプレートと南東のインドプレートで挟まれています。そのため、イラン南西部のザグロス山脈、イラン北部を東西に横切るエルブールス山脈、イラン中央部の主要構造帯が存在しています。そこでは、ペルシア帝国以来の長い歴史記録に、何万人もの犠牲者を出す大地震が数多く発生したことが記されています。バムには、日干しレンガで作った世界最大の建築物であるアルゲバムの城塞遺跡があります。この城塞はおよそ2000年前に建設が始まり、2003年まで地震により破壊されることはなかったといわれます。 |
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2004年12月26日(日)午前8時(日本時間26日午前10時)スマトラ沖地震・津波が発生した。 |
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■葛飾北斎の「浪裏富士」とスマトラ沖地震・津波の不明者の写真が描かれている。(世界最悪の地震は、1976年7月・中国河北省・唐山地震・死者242,000人、日本では1923年9月・関東大震災・142,000人の死者・行方不明)) |
■2004年12月26日(日)午前8時(日本時間26日午前10時)ごろ、インドネシア西部、スマトラ島沖でマグニチュード9.3という史上最大規模の巨大地震が発生した。この地震により大規模な津波が発生。インドネシアアチェ州、スリランカ、インド、タイ、マレーシアなどインド洋沿岸諸国でこれまでに22万人を超える死者と150万人の避難者を出す最悪の津波大災害となった。外務省によると、スリランカとタイで邦人28人の死亡が確認され、まだ多くの邦人が行方不明となっている、一部は津波に流されたものと見られている。世界の津波災害史上最大最悪の災害に発展した。(これまで世界の津波災害史上最悪の津波は、1883年ジャパ島クラカトウ火山爆発に伴う津波で、そのときの死者数は36,000人であった)(非公式には526年、トルコのアンティオークで地震と津波で25万人死亡が最大の死者といわれていた)ちなみに日本最悪の津波は1896年三陸地方を襲った明治三陸地震津波で、死者は22,066人である。津波の場合犠牲者が遠く流されており行方不明者を確認するのが困難となる場合が多い。全ての被害が判明するまで相当の日数がかかるとみられるが、各国の合計最終死者数は35万人を超える世界史上最悪の災害に発展する可能性がある。 スマトラ沖地震・津波。 |
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■2004年12月26日のスマトラ島沖地震の余震がだいぶ収まり、規模も小さくなってきた2005年3月28日16時09分36秒 (UTC) に、同地震の震源の南東約250km沖で、モーメントマグニチュード(Mw)8.6の地震が発生した。この地震は、スマトラ島沖地震の余震ではなく、別の地域を震源とする地震(広義の余震ともいわれている)である |
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赤富士・国際地震サミット |
■東京グリーティング・三宅島噴火等災害寄附金付(東京都)、2000年に噴火した三宅島及び新島・神津島近海地震災害による被災者の救助を行う事業を支援する目的で、当時の郵政省は寄附金付切手を発行しました。 |
東京グリーティング・三宅島噴火等災害寄附金付 |
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国連・天気図(1989年) |
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アメリカ西海岸の嵐システム/北極の空気が流れ込むヨーロッパ/北欧の地形と天気図/ユーゴ・アルプス上空の雲/北西太平洋の台風 |
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日本・天気予報100年 |
国連・東京の集中豪雨 |
日本・伊勢湾台風 |
■伊勢湾台風(昭和34年台風第15号)とは、1959年(昭和34年)9月26日に紀伊半島に上陸し、死者・行方不明者は5,098人、負傷者39,000人にのぼり、明治以来最大の被害を出した。3,000人以上の犠牲者を出した台風として、室戸台風、枕崎台風とあわせて昭和の三大台風と呼ばれる。 この犠牲者の数は1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災まで戦後の自然災害で最多のものであった。 |
■伊勢湾台風の補足:26日9時には潮岬の南南西400キロメートルに達したが、その時でもなお中心気圧920ミリバール、最大風速60メートル、暴風雨圏は東側400キロメートル、西側300キロメートルという、非常に強い超大型の台風であった。風域も非常に広く、北日本と西日本の一部を除いて全国的に最大風速20メートル以上を記録した。 |
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中国・古代の気象(風見鶏)/気象の観測(ゾンデ)/気象服務 |
中国・気象観測 |
中国・小型ロケット利用 |
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中国・ラジオゾンデ |
気象レーダー |
コンピュータ予報・天気図 |
気象調査員 |
東ドイツで発行された気象観測(1972年) |
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■台風とは、太平洋や南シナ海(赤道以北、東経180度以西100度以東)で発生する熱帯低気圧で、最大風速(10分間平均)が34ノット (17.2m/s)以上のものを指します。WMOによる国際分類の定義では、日本の台風とは異なり、最大風速(1分間平均)が64ノット以上のものをタイフーン(typhoon)と呼ばれる。国際分類では、大西洋北部・太平洋北東部・太平洋北中部では、ハリケーン(Hurricane)と呼び、インド洋北部・インド洋南部・太平洋南部では、サイクロン(Cyclone)と呼ぶ。 |
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スイスで発行された天気図 |
富士山・剣ケ峰の |
世界気象の日(台湾、1962) 高山測候、台風観測、高層測候 |
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■風見鶏(かざみどり)は、鶏をかたどった風向計。主にヨーロッパの教会堂や住宅の屋根の上に取り付けられている。実際は風向計としてよりも魔除けとして取り付けられることが多い。 |
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風見鶏(フランス、1973年) |
風見鶏(日本、1991年) |
百葉箱(台湾) |
中央気象台75周年 |
雪の結晶(イギリス、1989年) |
冬季オリンピックと雪の結晶 |
雪の結晶(カナダ、1971年) |
雪の結晶(カナダ、1971年) |
ポセイドンと自動嵐制御装置 |
ゼウスとレーダー |
色々な雪の結晶(USA,2006年) |
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■世界気象機関(WMO=World Meteorological Organization)は、国際連合の専門機関の一つで、気象観測業務の国際的な標準化と調整を主な業務としている。国連と連携はするが、あくまで別の機関であり、国連に参加していない国でも加盟できる。1873年に創立された国際気象機関 (IMO=International Meteorological Organization) が発展的に解消し、1951年にWMOとして設立された。 |
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様々な雪の結晶(英領極地、1986年) |
様々な雪の結晶 |
雪の結晶 |
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浅間山噴火 |
平成新山(雲仙岳) |
昭和新山誕生 |
■1943年(昭和18年)末に、北海道南西部洞爺湖南岸の有珠山山麓一帯で有感地震が続発し、有珠山中腹の麦畑が隆起し始めました。翌年6月の最初の噴火の後、隆起と噴火が繰り返され、12月には溶岩ドームが観測されました。一連の火山活動は1945年(昭和20年)に停止し、海抜407mの昭和新山が誕生しました。 |
■平成新山(雲仙岳)は1990年11月17日に噴火し、それ以降噴煙活動が観測された。最初の噴火は大規模なものではなく、1991年2月12日に再噴火、さらに4月3日、4月9日と噴火の規模を拡大していった。5月15日には降り積もった火山灰などによる最初の土石流が発生、さらに山に多数の亀裂が入り、粘性の高い溶岩により溶岩ドームが形成され、崩壊が始まったことが確認され、事態は一気に深刻化した。溶岩ドームの崩壊は、噴火活動の中で新しく供給されるマグマに破壊されることにより発生し、破片が火山ガスとともに山体を時速100kmものスピードで流れ下る火砕流と呼ばれる現象を引き起こした。噴火活動は途中一時的な休止をはさみつつ1995年3月ごろまで継続した。火砕流が世界で初めて鮮明な映像として記録された火山である。 |
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有珠山噴火災害募金(北海道) |
日光・那須茶臼岳と噴煙 |
支笏洞爺・昭和新山(1971年) |
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阿蘇・中岳噴火口(1965年) |
阿蘇・中岳(1939年、国立公園) |
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■有珠山(うすざん)は北海道、洞爺湖の南に位置する標高737mの活火山。2000年3月31日午後1時7分、西山山麓からマグマ水蒸気爆発。噴煙は火口上3500mに達し、周辺に噴石放出、北東側に降灰した。翌日には西山西麓、また温泉街に近い金比羅山でも新火口が開いた。 |
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■エチオペアのZoquala火山 |
■カムチャッカの火山(ソ連、1965年) 雪の |
カルムスキー火山(karumski) |
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koryakski vokcano |
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■カムチャッカ半島は,千島弧の北端に位置し,環太平洋火山帯(ring of fire)の一角を占める火山地域である.半島内には200以上の第四紀火山が存在し,そのうちの29が活火山である.毎年何れかの火山で噴火が生じていて,世界で最も活動的な火山地域の一つと称される.これらの火山は,半島の東海岸沿いの山脈と半島中央にのびるスレディニ山脈の2列に分かれて分布していて,活火山はそのほとんどが東海岸沿いの山脈に集中している。因みにカムチャッカの火山群は世界遺産。 |
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■アイスランドの間欠泉と火山 |
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グレート・ゲイシール (1938-47年) アイスランドの火山・ヘクラ火山 |
火山の島・アイスランド |
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アイスランドの地図からも |
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■ヘクラ山(Hekla)とはアイスランドの成層火山。アイスランド南部に位置し、国内で最も活動的な火山である。なお『ヘクラ(Hekla)』はアイスランド語で『頭巾』を意味する。標高1,491m、比高1,000m、周囲約19km、山頂は氷におおわれており、山体は山頂を通る割れ目の方向(東北東〜西南西)方向に延びている。ヘクラ山はアイスランドの火山としてはめずらしくプリニー式噴火を何度も繰り返した経歴をもち、少なくとも16回の噴火が知られている。爆発的噴火はおもに山頂火口より生じ、溶岩の流出は山頂から東北東〜西南西方向に広がる山腹割れ目噴火帯より起こる。最大の噴火は1766‐68年噴火で、1.3km3の溶岩を流出した。1947‐48年噴火では初期のプリニー式噴火の噴煙柱は27kmに達した。最近では、2000年2月28日に噴火した。 |
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■ゲイシール(Geysir,ガイサー)はアイスランドの首都レイキャビクの東北東80km(北緯64度19分0.05秒 西経20度17分59.64秒 / 64.3166806°N 20.2999°W / 64.3166806; -20.2999)にある間欠泉。アイスランドでも指折りの観光地の一つ。間欠泉の成因に関するマッケンジーの空洞説やブンゼンの垂直導管説を生み、この名がそのまま間欠泉を意味する英語に転用されるほどになった。付近には温泉や小間欠泉が多いため、最大の間欠泉は "The Great Geysir"と呼ばれる。間欠泉の活動は地震活動・地殻変動などと密接に関連しているため変動があり、19世紀に最も激しく活動した後、1935年以降ほぼ活動しなくなってしまった。 |
アイスランドの噴火する火山 |
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蔵王の火口湖(1966年) |
雲仙主峰(1953年、国立公園) |
雲仙・普賢岳の霧氷(1963年) |
霧島・新燃火口と韓国岳 |
ムラピ火山爆発 |
■ムラピ山 (インドネシア語: Gunung Merapi) は、インドネシアジャワ島中央部の火山。インドネシアでも最も活動的な火山で、1548年以来68回の噴火をしている。名称は「火の山」の意味。メラピ山とも書かれる。安山岩質の溶岩ドームが崩落する際に火砕流を起こすことで知られ、メラピ型火砕流と呼ばれる。同様の例としては、雲仙岳がある。1930年の噴火では約1300人が、1994年の時は60人が犠牲になっている。ジョクジャカルタに非常に近く、数千人が火山の中腹に住んでいる。 |
ムラピ火山爆発・慈善切手 |
ケリムツ湖(インドネシアの火山) |
■右の切手のケリムツ湖は、インドネシア・フローレス島にあるケリムツ山の火口群内にある湖で、それぞれ異なる色の三つの湖があり、別名「三色湖」とも呼ばれています。ケリとは山、ムツは沸騰を意味し、あわせて火山の意味です。 |
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バガナ山(ブーゲンヴィル島標高2000m、パプアニューギニア) |
ハワイ火山国立公園 |
鹿児島・錦江湾・桜島(1962年) |
鹿児島国際火山会議・桜島 |
カムチャッカの火山群(ロシアの世界遺産) |
箱根温泉・大涌谷(1951年) |
桜島(1990年、鹿児島) |
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■カムチャッカ半島は,千島弧の北端に位置し,環太平洋火山帯(ring of fire)の一角を占める火山地域である.半島内には200以上の第四紀火山が存在し,そのうちの29が活火山である.毎年何れかの火山で噴火が生じていて,世界で最も活動的な火山地域の一つと称される.これらの火山は,半島の東海岸沿いの山脈と半島中央にのびるスレディニ山脈の2列に分かれて分布していて,活火山はそのほとんどが東海岸沿いの山脈に集中している。因みにカムチャッカの火山群は世界遺産。 |
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■カムチャッカの火山(ソ連、1965年) 雪の「カムチャツカ富士」の別名を持つコリャーク(コリャークスキー)山 |
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koryakski vokcano |
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日本・防災 |
日本・防災・防災頭巾・母子 |
交通安全・横断歩道 |
交通安全(日本、1969年) |
炎と風、きずな |
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シートベルト着用(トルコ) |
飲酒運転禁止(トルコ、1987年) |
スピード違反禁止(トルコ) |
交通安全・学童通学 |
横断歩道(スイス) |
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横転した車(トルコ、1978年) |
逆行禁止(トルコ) |
横断歩道外歩行禁止(トルコ) |
交通標識{ゆっくり!} |
砂防100年(1981年)砂防ダム |
横断歩道・交通安全(オランダ) |
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横断歩道を渡るシマウマと交通標識(キューバ、1970年) |
世界交通の日(シリア、1986年) |
ハイハイする赤ちゃんと大きなタイヤ。交通安全(スウェーデン) |
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長崎・原爆投下(平和記念像) |
■1945年(昭和20年)8月6日に広島、ついで9日には長崎に人類史上最初の原子爆弾が投下されました。これによって両市は一挙に壊滅し、同年12月末までに、広島で約14万人、長崎で約7万4千人もの生命が奪われたと推定されています。最近のアメリカの大統領の言葉ではありませんが「世界の核廃絶」を切に願っています。 |
広島の原爆ドーム(世界遺産) |
フィリピン(占領地・ビンタ船) |
水害救済慈善切手 |
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原爆(原子爆弾)が爆発した瞬間、その熱で空気が急にふくらみ、強烈な爆風が発生した。爆心地の風速は秒速440メートルをこえたという。強い台風の中心でふく暴風の10倍にもなる。爆心地から1キロで秒速160メートル、2キロでも秒速60メートルというすさまじさだった。爆心地から半径2キロ以内では、ほとんどすべての建物がおしつぶされ、人々はふき飛ばされた。 原爆の爆発で空中にできた火の玉は直径300メートル近い大きさとなり、表面の温度は7000度にも達した。火の玉から出た熱線で、爆心地近くの地表は3000〜4000度(鉄がとける温度は約1500度)に熱せられた。木造の家屋は自然に燃え出すなど、市内のいたるところで火の手があがり、爆心地から半径2キロ以内の地域は焼きつくされた。 [参考]長崎市平和・原爆のホームページ 長崎原爆資料館 〒852-8117 長崎市平野町7番8号 広島平和記念資料館 住所:広島市中区中島町1-2 |
核実験禁止(国連、原爆) |
水害救済(中国,T168) |
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インドネシアの自然災害犠牲者への慈善(1967年) |
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洪水に見舞われた村 |
地滑り災害 |
火事で崩れ落ちる家屋 |
火山噴火災害 |
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(関連ブログ) 切手 天変地異の災害や地球温暖化に関するもの |
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