アメリカ合衆国(USA)旅行写真|マサチューセッツ州のアメリカの故郷・プリマス(Plymouth) |
プリマス(Plymouth)旅行
ニューヨーク州のMattituckからはロングアイラインドの東端・ノース・フォークの先端のオリエンタルポイントを経由してフェリーを使いボストンへ。 途中、マサチューセッツ州東部に位置する町プリマス(Plymouth)を見学しました。 ピルグリム一行がメイフラワー号で大西洋を横断し、上陸した町・プリマスは「アメリカの故郷」(America's Hometown)と呼ばれ、歴史的遺産を数多く残す観光地で、野外博物館プリマス・プランテーション(Plimoth Plantation)等を見学しています。 大西洋の海上は快晴で波も穏やか。 アメリカ合衆国(United
States of America)は、イギリスの北米植民地が1776年7月4日に独立を宣言して成立した国家です。その前の段階でプリマスは有名です。 ヨーロッパで宗教戦争が起こると、ピューリタン(清教徒)による1620年の移民(メイフラワー号)をきっかけとして、新天地を求めた新教徒が相次いで入植した。彼らは先発のカトリックやインディアンと敵対しながら勢力を伸ばし、1620年の移民は現在でもアメリカの新教徒の間で偉業として称えられている。しかし、インディアンたちからは民族虐殺の始まりとして「プリグリムファーザーズの感謝祭」には、大規模な抗議が行われている。 この1620年は感謝祭の始まりとも大いに関係有ります。
(訪問年:2009年7月) 切手以外の写真はクリックで拡大。
ご注意)画像の無断転用はお断りします。 |
北大西洋・マサチューセッツ湾
■Mattituckからはロングアイラインドの東端・ノース・フォークの先端のオリエントポイント(Orient Point, Long Island)を経由してフェリーを使いボストンへ。北大西洋は凪いで居ます。
ロングアイランドサウンドを通り島東部とコネチカットを結ぶフェリー(CSF:Cross Sound Ferry)が就航しています。 ポートジェファーソンとブリッジポートを結ぶもの、オリエントポイントとニューロンドンを結ぶクロスサウンド・フェリーの2種類がある。これらのフェリーは自動車やバス、トラックも積み込める大型のものも用意されている。
※Cross Sound Ferry is a passenger and road vehicle ferry service operating between New London, Connecticut and Orient on the North Fork of Long Island, New York.
フェリーでひと時のランチタイム オリエントポイントは地図上段の半島の右端先端 |
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フェリーでボストンまで一緒に旅する犬たち(日本と比べ、躾が行き届き、おとなしい) |
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北大西洋を行くフェリーの後部とアメリカ合衆国の国旗 |
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フェリーのデッキで弟夫婦(心地よい潮風に吹かれて) コネチカット Mystic |
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■ロングアイランドの観光は主に夏、最東端の沿岸地域で最盛を迎える。最東端のノースフォークは昔ながらの街並みやワイナリーが存在する他、フィッシングスポットとしても有名。またコネチカットとを結ぶフェリーが就航している。サウスフォークにも同様のアトラクションがある他、ゴルフ、乗馬、ボート、サーフィンなどが楽しめる。ハンプトンズ地域やモントークの郷土料理も人気のひとつである。
コネチカット州ニュー・ロンドンの港
■ニューロンドン(New London)は、アメリカ合衆国コネチカット州の北東海岸に位置する港湾都市。テムズ川河口に位置する。ニューロンドンの人口は約2.7万人である。ニューロンドン郡の人口は約27万人である。 ニューロンドンは1646年に設立された。アメリカ独立戦争中にはアメリカ海軍の作戦基地となり、19世紀に捕鯨船の母港であったニューロンドン湾はロングアイランド・サウンドで最良の港湾と見なされていた。ニューロンドン湾はアメリカ沿岸警備隊のカッター、チヌーク
(USCGC Chinook, WPB-87308) 及びトールシップ、イーグル (USCGC Eagle, WIX-327) の母港であり、アメリカ海軍の17隻の原子力潜水艦の母港である。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』
アメリカの建国者たちが歩いた歴史あるダウンタウンがそのまま受け継がれているウォーターフロントの街です。
コネチカット州ニュー・ロンドン の港 |
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フェリー乗り場の近くのお店で 寝転ぶ犬(コネチカット Mystic:ミスティック) |
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北大西洋にある灯台 波が凪いでいますね。 コネチカット Mystic |
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The town of Mystic was founded in 1654 and quickly rose to prominence as
a shipbuilding center during the clipper ship era. Nowadays, Mystic has
become known for its quintessential New England charm, as well as its two
world-class museums: the Mystic Seaport, the world's largest maritime museum;
and the Mystic Aquarium & Institute for Exploration, featuring fascinating
creatures from both sea and land, as well as the exhibits of Dr. Robert
Ballard, discoverer of the Titanic.
ミスティックの町は1654年に設立され、クリッパー船の時代に造船の中心地としてすぐに有名になりました。 今日、ミスティックはその典型的なニューイングランドの魅力と、2つの世界クラスの博物館で知られるようになりました。世界最大の海事博物館であるミスティックシーポート。
ミスティック水族館と探検研究所では、海と陸の両方からの魅力的な生き物のほか、タイタニック号の発見者であるロバートバラード博士の展示品を展示しています。
プリマス(Plymouth)
■プリマス(Plymouth)はアメリカ合衆国マサチューセッツ州東部に位置する町。ボストンの南東約64kmに位置し、マサチューセッツ湾の一部、プリマス湾に面する。 「プリマス」という地名は、ヴァージニア植民を試みた人物であるジョン・スミスによって命名された。 これは、いわゆる「巡礼始祖(ピルグリム)」が訪れる前のことであり、1620年以前の地図でもプリマスの地名は確認されている。 1620年、イギリスからの入植者、ピルグリム一行がメイフラワー号で大西洋を横断し、このプリマスに上陸した。 ピルグリム一行は最初コッド岬の先端に位置するプロビンスタウンに上陸したが、土壌があまり良くなかったため、上陸後すぐにプロビンスタウンへの入植を断念し、そのままマサチューセッツ湾を渡ってプリマスにやってきたのである。 こうしてプリマスはマサチューセッツ初、他地域を含めてもジェームズタウンに次いでアメリカ史上2番目のイギリス人入植地となった。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』
プリマスの港のクルーザー(夏の避暑地) |
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■「プリマス」という地名は、ヴァージニア植民を試みた人物であるジョン・スミスによって命名された。これは、いわゆる「巡礼始祖(ピルグリム)」が訪れる前のことであり、1620年以前の地図でもプリマスの地名は確認されている。 |
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プリマスの港の売店で販売のアメリカらしいサングラス 、入植当時の記念碑(1620年と書かれています。ピルグリムがプリマスに到着した1620年)・・「プリマスの岩」(プリマス・ロック(Plymouth Rock)) |
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■「プリマスの岩」(プリマス・ロック(Plymouth Rock))とは、いわゆる「巡礼始祖(ピルグリム)」が、1620年にメイフラワー号からプリマス(現在のマサチューセッツ州東岸)に上陸した際、最初に踏んだとされる岩。アメリカ合衆国についての著作で知られるアレクシス・ド・トクヴィルも、この岩についての言及している。1741年、エルダー・トマス・フォーンスという老人による証言によって、「プリマス・ロック」がピルグリムが最初に踏みしめた岩だとされた。当時94歳だったとされる彼がプリマス植民における初期の世代であったことと、それらしき岩が周囲にみあたらなかったことから、高い信憑性をもってこの話が人々に受け入れられた。白人にとって記念すべきこの岩は、インディアンにとっては侵略と民族浄化の象徴である。 |
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プリマス(Plymouth)の地図 |
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1620年の移民(メイフラワー号)をきっかけとして、新天地を求めた新教徒が相次いで入植した。彼らは先発のカトリックやインディアンと敵対しながら勢力を伸ばし、1620年の移民は現在でもアメリカの新教徒の間で偉業として称えられている。 しかし、インディアンたちからは民族虐殺の始まりとして「プリグリムファーザーズの感謝祭」には、大規模な抗議が行われている。
■感謝祭は、イギリスからマサチューセッツ州のプリマス植民地に移住したピルグリムファーザーズの最初の収穫を記念する行事であると一般的に信じられている。 ピルグリムがプリマスに到着した1620年の冬は大変厳しく、大勢の死者を出したが、近隣に居住していたインディアンのワンパノアグ族の助力により生き延びることができた。 翌1621年の秋は、とりわけ収穫が多かったため、ピルグリムファーザーズはワンパノアグ族を招待し、神の恵みに感謝して共にご馳走をいただいたことが始まりであるとされる。
野外博物館プリマス・プランテーション
■入植当時の生活を再現した全米最古の公営博物館である野外博物館プリマス・プランテーション(Plimoth Plantation)、非営利の博物館。
※プリマス(Plymouth)は、イングランド南西部のデヴォン州にある港湾都市で、行政はシティかつ単一自治体 (Unitary Authority)である。 17世紀、ピューリタン(清教徒)を含んだピルグリム・ファーザーズの一団、102名はこの港からメイフラワー号に乗船し、新大陸に向かった。
メイフラワー2世号(the Mayflower)
■メイフラワー号(the Mayflower)は、ピルグリム・ファーザーズが1620年イギリス南西部プリマスから、新天地アメリカの、現在のマサチューセッツ州プリマスに渡ったときの船の名。 全長27.5m、180t。メイフラワー号が出発したのは1620年9月16日。 同号に乗っていた25〜30名の乗員を除く船客102名のうち、およそ3分の1がイギリス国教会の迫害を受けた分離派に属していた。 この102人はヨーロッパからニューイングランド地方への最初の永久移民となる(全米最初の移民はこれより13年早い1607年のジェームズタウンで起こった)。 船上で、社会契約説に基づくメイフラワー誓約を結んだ。11月19日にコッド岬、そして12月26日に現在のマサチューセッツ州プリマスのマサチューセッツ湾沿岸に到達した。 彼らの上陸した土地は偶然にもニュー・プリマス(New
Plymouth)と出発地に因む名がつけられていた。 後にPlymouth Colonyと呼ばれた。
■イギリスからマサチューセッツ州のプリマス植民地に移住したピルグリムファーザーズは“自由を求めてアメリカ大陸に来た”というのが多く信じられている。しかし、事実はこれらとは異なる。彼らがアメリカ大陸に来た理由には、当時のイギリスでは宗教の自由が無かった為に、彼らが信じる宗教の布教活動が移住の目的だった。 |
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メイフラワー号のレプリカであるメイフラワー2世号(1957年製造) |
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宿泊施設(B&B)
■ベッド・アンド・ブレックファスト(Bed and Breakfast、B&B)とは、イギリスや北米、アイルランド、ニュージーランド、オーストラリアなど、主に英語圏各国における(多くの場合小規模な)宿泊施設で、宿泊と朝食の提供を料金に含み、比較的低価格で利用できるもののこと。ドイツやイタリアなどのペンション(日本の「ペンション」とは異なる)や、フランスのシャンブル・ドットに相当する。日本においてはイギリスに多く存在する宿泊施設として認識され、「B&B(ビー・アンド・ビー)」の略称で知られる。多くのB&Bは家族経営による小規模な宿泊施設である。通常の住宅・民家をリフォームして営業している宿が多く、料金には朝食が含まれるが、夕食は提供しないのが通例です。朝食は館内のダイニングルームで他の宿泊者と一緒に摂る。一般の住宅を利用した宿泊施設であるため、客室にバス(シャワー)・トイレが備わっていないのが普通で、その場合共同のシャワー・トイレを使用します。日本の宿泊施設に喩えるなら、比較的低価格の旅館である「商人宿」と民宿の両方の性質を併せ持つ宿泊施設です。ですがいまだ日本には無いですね。日本の民宿はディナー中心の構成です。こんな安い宿があれば嬉しいが、ビジネスホテルと似ているかな?
B&Bの全景 B&Bの全景の可愛い部屋 |
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オーナー(有名なメイフラワー号の船長の末裔) フレンチトースト |
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「ピルグリム300年」の切手
■1920年にアメリカ合衆国で発行された「ピルグリム300年」 |
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メイフラワー号 |
ピルグリムの上陸 |
盟約への署名 |
マサチューセッツ湾 |
B&Bの屋根の風見鶏 |
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[切手のリンク:アメリカ大陸の切手|デッドカントリー切手|南北アメリカの世界遺産 ]