北海道写真集| 想い出写真 登別温泉 平取町立二風谷 |
北海道
登別温泉(のぼりべつおんせん)は、北海道屈指の温泉地である。江戸時代からその存在を知られており、明治時代に温泉宿が設けられてからは保養地、観光地となった。地名語源は、アイヌ語の「ヌプル・ペツ」(水色の濃い川)。温泉の成分が川に流れ込んだ様を表現した地名です。 2020年11月現在、今は新型コロナウイルス感染症(
COVID-19(coronavirus disease 2019))が蔓延している状況で、 最新の写真は2013年7月。
ご注意)画像の無断転用はお断りします。
登別温泉
■登別温泉(のぼりべつおんせん)は、湧き出る湯量は豊富で1日1万トン。11種類の泉質を有するといわれているが、登別観光協会のHPによれば泉質は9種類である。
「地獄谷」は学問的に言えば爆裂火口の跡である。登別温泉最大の源泉エリアで、直径約450mのエリアに、15ほどの源泉の穴が密集している。11の泉質で、毎分3000リットルほどが湧き出しており、"温泉のデパート"とも形容される。観光用の歩道もあり、奇怪な光景を一周10-15分で楽しめる。
温泉街から、東にある四方嶺(クマ山)にロープウェイが通じる。山上にはのぼりべつクマ牧場があり、東に倶多楽湖を見下ろす。
西に直線で約1kmの位置に「新登別温泉」が、北西に直線で約4kmの位置に「カルルス温泉」がある。
■登別の温泉街を流れる川もアイヌ語で「クスリサンペッ=薬湯そこを通って浜にでる川」の意味。アイヌ語でクスリとは温泉のこと、アイヌの人たちも大昔から温泉を薬湯として重宝していたようです。登別温泉では、毎年8月の末に行われる登別地獄まつりで、閻魔大王の山車や巨大な鬼みこしが練り歩く。鬼踊り大群舞。北海自衛太鼓などの郷土芸能を披露され賑いますよ。
登別温泉のゴンドラ |
登別・熊牧場のクマ達 |
登別・ヒグマ博物館 |
登別・地獄谷・七色富士 |
登別温泉入口の大きな鬼 |
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平取町立二風谷
■平取町立二風谷アイヌ文化博物館(びらとりちょうりつにぶたにあいぬぶんかはくぶつかん)は北海道沙流郡平取町にある博物館。展示物については、1972年開業の萱野茂二風谷アイヌ資料館の展示物であった物で、萱野茂の好意により平取町に寄付されたものも多くある。 萱野 茂(かやの しげる、1926年6月15日 - 2006年5月6日)は、日本のアイヌ文化研究者であり、彼自身もアイヌ民族である。アイヌ文化、およびアイヌ語の保存・継承のために活動を続けた。二風谷アイヌ資料館(シシリムカ二風谷アイヌ資料館)を創設し、館長を務めた。政治活動面ではアイヌ初の日本の国会議員(1994年から1998年まで参議院議員)。在任中には、「日本にも大和民族以外の民族がいることを知って欲しい」という理由で、委員会において史上初のアイヌ語による質問を行ったことでも知られる。
平取町立二風谷アイヌ文化博物館(建物やアイヌの使用したもの、園内の建物) |
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平取の完熟トマトは最高においしいです。正にフルーツです。
平取は「びらとり」と読みます。平取の地名の由来は、アイヌ語の「ピラウトル」(ガケの間にある所)の意味だそうです。日高。
■アイヌ、アイノは、日本とロシアにまたがる北方先住民族で、歴史的には本州東北部から北海道、千島列島、樺太(サハリン)を生活圏としていた。現代においては北海道を中心に関東ほか都市部で生活を営んでいる。ウタリはアイヌ語で同胞、仲間を意味し名称などで使用されるが、民族呼称ではない。アイノとはアイヌ語で「人間」を意味する言葉で、もともとは「カムイ」(自然界の全てのものに心があるという精神に基づいて自然を指す呼称)に対する概念としての「人間」という意味であったとされている。アイヌ民族の祖先はおおまかには続縄文文化、擦文時代を経てアイヌ文化の形成に至ったことが明らかになっている。北海道においては、アイヌ居留地などは存在しないが、北海道の平取町二風谷に多数が居住するほか、白老、阿寒では観光名所としてコタンが存在。コタンは、アイヌの「集落」、または「部落」のことである。コタンはアイヌ語で「宅地」をさし、アイヌ民族の生活の本拠地でありアイヌの社会を形成する最も小さな単位である。現在、日本国内最大のアイヌのコタンは釧路市阿寒町阿寒湖温泉にある。
注)Wikipediaと観光地ののHP、公式パンフレットを参考にさせてもらっています。
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