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北海道 サロマ湖と網走
枝幸町、興部町と紋別市を通過し国道238号線を南下しました。 サロマ湖(佐呂間湖、猿澗湖)は、北海道オホーツク海岸の北見市、常呂郡佐呂間町、紋別郡湧別町にまたがる湖。湖名の由来は、アイヌ語の「サル・オマ・ペツ」(ヨシが生える川)より。網走国定公園に含まれる。海と湖を仕切る砂嘴は長さ25kmにも及び、貴重な植物の宝庫である原生花園となっている。
網走市(あばしりし)は、北海道オホーツク総合振興局管内にある市で、振興局所在地。市名の由来については、アイヌ語「チパ・シリ」であり、「チパ」は祭壇を意味する古語。冬には流氷が見られるほか、観光砕氷船が運航される。網走では、監獄博物館や、流氷館などの施設が楽しめます。 2020年11月現在、今は新型コロナウイルス感染症( COVID-19(coronavirus disease 2019))が蔓延している状況で、最新の写真は2013年7月撮影。
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枝幸郡枝幸町
■北海道枝幸郡枝幸町(えさしちょう)は、北海道最北の宗谷地方の南部に位置する町。宗谷岬から50-60kmほど南下。毛蟹の産地として知られ、日本一の漁獲量を誇る。明治中期には、町内に金鉱床が発見され、金の採掘で賑わったことがある
北見神威岬(きたみかむいみさき)は北海道枝幸郡浜頓別町と枝幸町にまたがり、オホーツク海に突き出す岬。冬期には流氷が接岸する。周辺は高山植物が豊富であり数十種が群生している。
興部町
■興部町(おこっぺちょう)は、オホーツク総合振興局管内の北部に位置する町。 町名の由来は、アイヌ語の「オウコッペ」(川尻の合流しているところ)から。 かつては興浜南線、名寄本線が通っていたが、興浜南線は1985年(昭和60年)7月15日に、名寄本線は1989年(平成元年)5月1日に廃止された。 町内には班渓駅、宇津駅、北興駅、興部駅、旭ヶ丘駅、豊野駅、沙留駅、富丘駅が設置されていた。
紋別
■紋別市(もんべつし)は、北海道オホーツク総合振興局管内にある市。市名の由来は、現在の市内中央部を流れる藻鼈川を指すアイヌ語のモベッ(mo-pet、静かである・川)から。冬季は流氷が接岸。流氷砕氷船ガリンコ号2(北海道遺産)があります。
■紋別の記念写真スポットとして人気の「かに爪オブジェ」。高さが12mもある巨大な爪で、流氷科学センターそばのモベツ川河口にあります。
■オムサロ原生花園は海岸線約5キロにわたって、ハマナスやエゾスカシユリなど50種類物美しい草花が咲き誇ります。オホーツクの夏を色鮮やかな花たちが彩る自然の宝庫です。また、近くにはオホーツクの文化を代表するオムサロ遺跡公園があります。
左にオホーツク海を眺めながらひたすら国道238号線を南下 2013.07 紋別市渚滑(しょこつ)町 |
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紋別市渚滑(しょこつ)町 |
黄色い花が咲くオーホーツク オサムロ原生花園 |
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紋別郊外のラベンダーガーデン 綺麗でした 2013.07 |
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道の駅紋別のオブジェ / 国道238号線の道の駅紋別の裏にあるカニの爪オブジェ |
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■流氷砕氷船ガリンコ号2(北海道遺産):ガリンコ号は、紋別市の紋別港で観光目的に運用されている砕氷船。「ネジを廻すと前に進む」というアルキメデスのねじの原理を利用した「アルキメディアン・スクリュー」と呼ばれる螺旋型のドリルを船体前部に装備していて、それを回転させ氷に乗り上げ、船体重量を加えて氷を割ることで流氷域の航行ができる。
サロマ湖
■サロマ湖は、オホーツク海岸の北見市、常呂郡佐呂間町、紋別郡湧別町にまたがる湖。面積は約152平方kmで、道内で最も大きな湖であり、琵琶湖、霞ヶ浦に次いで日本で3番目の大きさで、汽水湖では日本最大です。遠く北方諸島が望める。
所在地は、北見市常呂町・佐呂間町。当日は生憎の雨で、テントの中で自炊。 持ち込み食料と近くの魚屋で買ったタコの脚。 早朝見た雄大な景色は未だに心に残っています。
網走 能取湖
■能取湖(のとろこ/のとりこ)は北海道網走市にある湖。網走国定公園に含まれる。湖名はアイヌ語の「ノッ・オロ」(岬のところ)に由来する。南岸にはアッケシソウ(サンゴ草)の群生地があり、毎年9月頃になると一面が赤色で埋め尽くされる。
■能取漁港は、@オホーツクのホタテガイ生産を支える種苗供給基地 A能取沖で操業する漁船の避難基地 B湖口地区、二見ヶ岡地区、能取地区、卯原内地区の4地区で構成される。
網走湖
■網走湖(あばしりこ)は、北海道網走市と網走郡大空町にまたがる湖である。網走国定公園に含まれる。湖面標高は0 mで、潮が満ちると下流部から海水が逆流するため、湖底には塩分濃度の高い水が滞留している。
網走湖の看板 |
網走湖湖畔 |
網走湖荘 |
網走湖畔温泉 網走湖荘の大きな温泉風呂 奥には露天風呂も ナトリウム - 塩化物泉(アルカリ性低張性高原泉) 源泉温度57℃ |
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網走湖の夕暮れ |
網走湖のヨット |
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波が穏やかな網走湖のヨットとシルエット |
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網走刑務所
■網走川(あばしりがわ)は、北海道網走郡津別町南部の阿幌岳南斜面に源を発し北に流れる。大空町女満別住吉で網走湖に至り、網走市北1条と南3条の境界からオホーツク海に注ぐ。
■網走刑務所(あばしりけいむしょ)は、北海道網走市に所在、再犯者の3年未満の短期処遇を目的とする。定員759人(2009年現在)。国内最北端の刑務所である。かつては日本で一番脱獄が困難な刑務所だと言われ、明治の脱獄王「西川寅吉」(模範囚として過ごし仮釈放)や昭和の脱獄王「白鳥由栄」(脱獄に成功 吉村昭の『破獄』で取り上げられた天才脱獄囚)らが収監された。
博物館 網走監獄
■博物館 網走監獄は、明治時代から実際に網走刑務所で使用されてきた建物を保存公開している歴史野外博物館です。 もっとも古い建物は、網走に刑務所がやってきて6年後、今から109年も前の建物です。現在と違って木を製材するのも、機械を使わずに手作業で行ったころのこと、太い梁や柱には、囚人達が削ったあとが荒く残っています。
■鏡橋(再現構築):●建築年代 明治24年 ●再現年代 平成6年 ●全 長 29m・幅 6m
網走刑務所は、市街地と網走川を挟んだ位置に設置されているため橋を渡らなくては出入りすることは出来ません。明治23年の設置から現在までに4回橋は架け替えられましたが、名前は「鏡橋」と呼ばれています。「流れる清流を鏡として、我が身を見つめ、自ら襟を正し目的の岸に渡るべし」との思いが、その名前の由来と言われています。
■重要文化財 五翼放射状舎房 (移築復原) ●建築年代 明治45年 ●移築年代 昭和60年 ●面積 3,333.72平方m
明治45年から昭和59年まで実際に網走刑務所で使用されていた獄舎です。
注)Wikipediaと観光地のHP「博物館 網走監獄」、公式パンフレットを参考にさせてもらっています。
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