北海道写真集| 想い出写真 漁業(港湾)と観光の街・函館 |
北海道 函館
函館の良い所やお気に入りの場所を写真でご案内します。 函館市(はこだてし)は、北海道の南部に位置する市。北海道内では旭川市に次ぐ第3の人口を有する。
漁業(港湾)と観光の街。函館山からの夜景が美しく津軽海峡に浮かぶ漁り火(いさりび)がそれに花を添える。 中核市に指定されている。 道内では比較的温暖な気候で亜寒帯と温帯の境界線に位置し、陸・海・空の交通の要衝として、また、道南地方の行政・経済・文化の中心として発展した。
2004年12月1日、戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町(いずれも当時)が函館市に編入合併した。古来、この地はウスケシ(宇須岸)と呼ばれていた。1454年(享徳3年)、南部氏との戦いに破れた津軽の豪族・安東政季を擁し、武田信広らと共に蝦夷地に渡った河野政通が、函館山の麓(現在の弥生町付近)に築いた館(「宇須岸館」とも「河野館」とも呼ばれる)が箱に似ていたため箱館と呼ばれるようになり、明治時代になって函館と改められたとされるが、諸説ある。 函館は異国情緒に溢れる町。 戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、薩摩藩・長州藩らの西南諸藩(薩長土肥)が明治天皇を擁立して王政復古にて明治政府を樹立し、江戸幕府側(旧幕府勢力(彰義隊・会庄同盟・榎本政権を含む))及び奥羽越列藩同盟と戦った日本の内戦。 この時、函館は最後の激戦地でした。 そんな血なまぐさい歴史がある町です。 写真画像はクリックで拡大します。 2020年11月現在、今は新型コロナウイルス感染症( COVID-19(coronavirus disease 2019))が蔓延している状況で、写真や情報は1990年代後半段階のものです。
ご注意)画像の無断転用はお断りします。
※ページの索引
函館山と五稜郭
■函館山から見る街並みは、非常に綺麗です。歴史に翻弄された漁業(港湾)と観光の街。函館山からの夜景が美しく津軽海峡に浮かぶ漁り火(いさりび)がそれに花を添える。函館の由来は、古来、この地はウスケシ(宇須岸)と呼ばれていた。1454年(享徳3年)、南部氏との戦いに破れた津軽の豪族・安東政季を擁し、武田信広らと共に蝦夷地に渡った河野政通が、函館山の麓(現在の弥生町付近)に築いた館(「宇須岸館」とも「河野館」とも呼ばれる)が箱に似ていたため箱館と呼ばれるようになり、明治時代になって函館と改められたとされるが、諸説ある。
■五稜郭(ごりょうかく)は、江戸時代末期に江戸幕府により新しく開港され防備の必要となった蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)郊外に建造された稜堡式の城郭である。国の特別史跡に指定され、「五稜郭と箱館戦争の遺構」として北海道遺産に選定されている。
■五稜郭タワー(ごりょうかくタワー)は、北海道函館市の特別史跡五稜郭に隣接する展望塔。五稜郭タワー株式会社が経営する民間の観光施設。1964年(昭和39年)12月に五稜郭築城100年を記念して高さ60mの旧タワーが開業した。五稜郭が一望できます。
切手や提灯でめぐる北海道(港町・函館)
■函館ハリストス正教会は、日本ハリストス正教会に所属し、主の復活聖堂を有する、正教会の教会。主の復活聖堂は国の重要文化財。 「函館ハリストス正教会」は教会名。「主の復活聖堂」は聖堂の正式名称である。その名の通り、ハリストス(キリストのギリシャ語読み)の復活を記念する聖堂である。1859年にロシア領事のゴシケヴィッチが領事館内に聖堂を建てたのが源流。1916年に再建された現在の聖堂は、建築様式はビザンティン建築・ロシア建築の影響を受けており、煉瓦造一部3階建ての平屋で、基礎は石造り、外壁は白漆喰を塗っている。
この教会はガンガン寺という名前で親しまれている。最初に聖堂ができたときに5個の鐘を使って楽器のように鳴らしたところから付いている。
■不思議なもので、私の記憶では函館は景色の綺麗さより本州に渡るための通過点のイメージが強い。その為、函館山には登るもハリストス教会は切手でしか訪問した事が無い。同じ様に小樽もそうですが、朝の腹ごしらえを市場でのイメージが強い。 何度も何度も行きました。 けど写真が限られる。 アットホームな感じが逆に観光客の障害となり、あえて写真も必要も無いほどな場所以外と北海道のほかの場所と比較し、損な場所なのかも知れない。
注)Wikipediaと観光地のHP、公式パンフレットを参考にさせてもらっています。
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