世界の衣装(コスチューム・ファッション)・民族衣装の切手 南ヨーロッパ編
世界の衣装(コスチューム・ファッション)・民族衣装(ethnic costume、Folk costume)の切手・南ヨーロッパ編(イタリア、サンマリノ、スペイン、バチカン市国、ポルトガル、マルタ、キプロス、ギリシャ、マケドニア共和国、アルバニア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニア)です。 矢張り各国の女性の衣装や髪形は艶やかですね。その中でも私が興味を惹くものはカーニバルで有名なスペインです。 スペインでは華やかさや格好よさは最も重要と言われ、闘牛士はそれを代表する競技であると言っても過言ではないと思います。そのため、男性は動きやすくぴったりとしたズボンをはき、腰の上までの短いベストと上着を着ます。 フラメンコ踊りも有名で、女性の服装には何段もの長い(または短い)ひだのついたドレスを着ます。今にも踊りだしそうなひらひらとした衣裳は、お祭りが盛んで陽気な人々が集うスペイン特有のものだと思います。 ヨーロッパその他諸外国の切手は@ハンガリーの民族衣装(コスチューム)の切手、Aドイツ、 を参照下さい。ヨーロッパ周辺は、幾度と無く侵略や植民地が繰り返されてきたので、実に多くのスタイルが生まれました。 このように、衣服は生まれ、育ち、変貌し、死滅する生命体と言えます。民族衣装と歴史は切っても切れない関係で、民族衣装の歴史的背景は、良くも悪くも人間が培ってきた文化的財産なのでは? 参考:『Folk costume』、『世界の民族衣装一覧(Wikipedia)』
■衣装・仮面・舞踊関連の切手の索引 [ 衣装切手のトップ (アジア編|オセアニア編|アフリカ大陸編|アメリカ大陸編| |
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国際連合によるヨーロッパの区分 |
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南ヨーロッパの民族衣装(ethnic costume) |
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■そもそも洋服がヨーロッパの民族衣装から生まれたものであるため、基本的には洋服である。刺繍や装飾などで民族色を出すことが多い。スコットランドの男性用スカートであるキルトや、ロシアのサラファン、ルバシカがよく知られている。イタリア・オランダ・ギリシャ・ブルガリア・ロシア・エストニア・リトアニア・イギリス・ドイツ・オーストリア・フランス・フィンランド。など様々な国のものが長年時間をかけ今日のかたちになっているものが洋服である。 ヨーロッパの代表的な民族服・民族衣装 : イタリア:トガ(古代ローマ) マニカ・スタッカビーレ / オランダ:サボ / ギリシャ:ヒマティオン(古代) フスタネラ / ブルガリア:スクマーン / ロシア:ルバシカ サラファン / エストニア:サルク カイセッド / リトアニア:マルシュキニアイ / イギリス:キルト(スコットランド) / ドイツ:レーダーホーゼン / オーストリア:ディアンドル / フランス:コアフ / フィンランド:プク / |
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アルバニアの民族衣装 |
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グラムシ(マント)、グラムシ(婦人服)、コルチャ(普段着)、コルニャ(手に管楽器)、コルチャ(祭りの衣装)、リブラジュド、 |
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1962年、Dardtheの女,Devollからの男の衣装 |
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■アルバニア共和国(Republika e Shqiperise)、通称アルバニアは、東ヨーロッパのバルカン半島南西部に位置する共和制国家。首都はティラナ。 西はアドリア海に面し、北にはモンテネグロ、東にはマケドニア共和国とコソボ、南にはギリシャがある。オスマン帝国支配等の歴史的経緯から、イスラム教を信仰する国民が大半を占めるが、世俗的である。正教会やカトリックの信者も少なくない。アルバニア人が大部分であるが、国土の北部と南部では言語や風習に差異がある。南部にはギリシャ人などもいる他、国境付近にはマケドニア人やモンテネグロ人もいる。人口増加率は約2.5%とヨーロッパで最も高く、逆に一人当たりの国民所得はヨーロッパで最も低い。 |
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ギリシャの伝統的な民族衣装(1971−74年) |
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■ギリシャの民族衣装というと、男性は白をベースにしたスカートが基調である。そして、この男性がはいている靴は木製の靴である。女性のギリシャ民族衣装は、頭にスカーフ、そしてカラフルなロングスカートの上にはエプロンをしている。のイメージが強いですね。また特に、刺繍は伝統的に高い技術があり、貴族の人の衣装や結婚式の衣装など、特別なものはかなり精巧で美しい手刺繍が施されています。 |
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女性 |
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メガラ(コリントの近く)/ロクリス/サラミス/ピンダス山脈居住の遊牧民/キュメ/アルミュロス |
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アッティカ地方/マケドニア地方/エビルス地方/ニシロス島/メガラ(エオルティネェ)/スキロス島 |
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トリケリ(コリケェ)/ペリオン/ケルキラ島レイキムン |
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■チョリアス(若い兵隊さん)の正装は、白いプリーツスカートと刺繍付きベスト、帽子とボンボンのついた靴が特徴で、民族衣装に興味があるならば、バシリス・ソフィアス通りのベナキ美術館、スタディウ通りの国立歴史博物館でも見らるそうです。 |
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男性 |
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ペロポネーソス半島/中部ギリシャ/クレタ島/メソロギオン(ステレア・ヘラス地方) |
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■ヒマティオン(himation)は、キトンの上に着る古代ギリシアの一枚布を使ったワンピース型の上着の総称。古代ローマのトガの原型。羊毛(冬)や麻(夏)などで織られた縦1.4メートル前後横幅3から4.5メートルの長方形の一枚布を体型にあわせて大きくひだ(ドレープ)を寄せて、原則的にベルトやピンなどを使わず着付けるもの。中国産の厚い絹織物をほどいて織りなおした薄い絹製のヒマティオンも王族などに見られた。 |
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民族衣装に関する書籍類 |
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スペインの民族衣装(女性) |
スペインの53地域の女性の民族衣装 |
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Alaba Albacete Alicante の民族衣装 |
Almeria Avila Badajoz の民族衣装 |
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Baleares Barcelona Burgos の民族衣装 |
Caceres Cadiz Castellon de la Plana の民族衣装 | ||
Ciudad Real Cordoba Coruna の民族衣装 |
Cuenca Fernando Poo Gerona の民族衣装 |
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Las Palmas Granada Guadalajara の民族衣装 |
Guipuzcoa Huelva Huesca の民族衣装 |
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Ifni Jean Leon の民族衣装 |
Lerida Logrono Lugo の民族衣装 |
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Madrid Malaga Murcia の民族衣装 |
Navarra Orense Oviedo の民族衣装 |
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Palencia Pontevedra Sahara の民族衣装 |
Salamanca Santander Segovia の民族衣装 |
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Sevilla Soria Sta.cruz de Tenerife の民族衣装 |
Tarragona Teruel Toledo の民族衣装 |
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Valencia Valladolid Vizcaya の民族衣装 |
Zamora Zaragova の民族衣装 |
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■情熱的なスペインを象徴するフラメンコ。スペイン南部のアンダルシア地方は、フラメンコ発祥の地です。フラメンコは、スペイン南部のアンダルシア地方に伝わる芸能で、歌、踊り、ギターの伴奏が主体となっている。フラメンコの歴史と発展にはヒターノ(スペインジプシー)が重要な役割を果たしている。さらにさかのぼると、ムーア人の影響もみられる。バイレ (Baile) :踊りのこと。日本ではフラメンコといえば踊りというイメージが強い。つま先やかかとで床を踏み鳴らしてリズムをとる(サパテアード)、また手の動き(ブラッソ)はフラメンコの命である。 |
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アンドラの民族衣装 |
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、ピレネー山中の国・アンドラの民族衣装 |
、ピレネー山中の国・アンドラの民族衣装 |
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、ピレネー山中の国・アンドラの民族衣装 |
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■アンドラ公国(カタルーニャ語: Principat d'Andorra、安道爾)、通称アンドラは、ピレネー山中にあり、フランスとスペインに挟まれた国家。フランス大統領とスペインのウルヘル司教を国家元首とするミニ国家である。首都はアンドラ・ラ・ベリャ。 |
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イタリアの民族衣装 |
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ラファエロ『 一角獣を抱く婦人の肖像(Lady with a Unicorn )』1505-06 (サンマリノ、1963年)マニカ・スタッカービレ |
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■マニカ・スタッカービレ(manica staccabile/manica=袖 staccabile=着脱可能の )は、イタリアの民族衣装によく見られる、胴衣(ボディス)とは別仕立てになった装飾用の袖のこと。 |
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キプロスの民族衣装 |
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キプロスの民族衣装 |
キプロスの民族衣装 |
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■キプロス共和国、通称キプロスは、トルコの南の東地中海上に位置するキプロス島の大部分を占める共和制国家。島国である。ヨーロッパ連合加盟国。首都はニコシア。南北に分断されており、島の北部約37%を、国際的にはトルコ共和国のみが承認する「独立国家」であるトルコ系住民による北キプロス・トルコ共和国が占めている。 キプロスは元来はギリシャ系住民とトルコ系住民の混住する複合民族国家だったが、分断後は事実上、ギリシャ系によるほぼ単一民族国家となっています。 |
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ポルトガルの民族衣装 |
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Caramulloの羊飼いの女性、Malpiqueのタンバリン(timbrel)を演奏する人、Monsantoのフルート演奏者、Avintesの女性、 |
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ポルトガル・ミーニョ県のスカーフと首飾り、同レースのスカーフと首飾りほか(ポルトガル、2007年) |
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アゾレスのフード付きコート、ベイラ・リトラル県のシャツと腰巻きとジャケット、マデイラのケープとスカート、 |
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ポルトガルの色付けされたボートと民族衣装の男性ダンサー、 |
ポルトガルの女性 |
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ユーゴスラビア(セルビア・モンテネグロ)の伝統的な民族衣装 |
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セルビア人の女性の民族衣装 |
スロベニア人の |
ボスニア・ヘルツェゴビナ人 |
クロアチア人の |
マケドニア人の |
モンテネグロ人の |
旧ユーゴスラビアの解体分裂の結果地図 |
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■ユーゴスラビア(ラテン文字表記でJugoslavija)は、1929年から2003年の間に存在した東ヨーロッパの国家。正式な国名は何度か変更している。首都はベオグラード。1918年にセルビア王国を主体としたセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(セルブ=クロアート=スロヴェーヌ王国)として成立。1929年ユーゴスラビア王国に改名された。2003年には緩やかな国家連合に移行し、国名をセルビア・モンテネグロに改称した。国民はセルビア人、クロアチア人が多数。 |
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■1990年頃にはユーゴスラビアはスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6つの共和国と、セルビア共和国内のヴォイヴォディナとコソボの2つの自治州によって構成され、各地域には一定の自治権が認められた。 順次独立している。 |
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1900年代の民族衣装(2000年) VestmJododina Dresses,Metochija Blouse,Pec Vest,Kupres |
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ボスニア・ヘルツェゴビナの伝統的な民族衣装 |
旧ユーゴスラビアの一部 |
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Bkelanicaのモスレム人、クロアチア人、サラエボのモスレム人の民族衣装の男女(ボスニア・ヘルツェゴビナ、1996年) |
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■ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国は、1992年にユーゴスラビアから独立してボスニア・ヘルツェゴビナ共和国となった。 |
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スロベニア(SLOVENIA)の民族衣装 |
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スロベニア(SLOVENIA) Prekmurje の男女の民族服 |
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説明の補足ではフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を利用させていただきました。 |
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世界の衣装(コスチューム・ファッション)・民族衣装の切手 南ヨーロッパ編 |
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