世界の衣装(コスチューム・ファッション)・民族衣装や伝統衣装の切手 アジア編 東南アジア
世界の衣装(コスチューム・ファッション)・民族衣装(ethnic costume、Folk costume)の切手のアジア・東南アジア編です。まアジアの国の衣装は原色が混じり綺麗です。 またインドネシアは超多民族国家ですね。 Kebaya(クバヤ):インドネシア女性の正装の刺繍ブラウスです。
掲載国はモンゴル、インドネシア、フィリピン、シンガポール、マレーシア、北ボルネオ、ネパール、ブータン、インド・・・ です。 代表的な民族服・民族衣装、ベトナムでは中国服の影響を受けた女性服、アオザイがある。 中国服の影響をあまり受けなかった地域では巻衣(ドレーパリ)形式が発達した。巻衣には、ミャンマーの僧侶が着る黄衣、一般男女が着るロンギー、マレーシアのサロン、インドネシアのスレンダン、カバヤ、フィリピンのバロン・タガログなどがあります。 参考:『Folk costume』、『世界の民族衣装一覧(Wikipedia)』
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アジアの民族衣装(ethnic costume) |
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アジア編 [ トップ| |
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アジアの代表的な民族服・民族衣装 |
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インドネシアの民族衣装 |
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インドネシアの男性の衣装 |
民族衣装の女性(インドネシア、蝶の衣裳、1968年) |
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■サロン(saromb)とは、インドネシアやマレー半島の男性が用いるロングスカート状の腰布の一種で、平常着として使う。多くは木綿地でバティック染めやイヌットと呼ばれる独特の絣などで多彩な文様を染め出す美しいもの。スカートのように筒の中に足を通して着装し、余りの布地を畳み込んで腰に挟む。布地のたたみ方に個人の趣味が現れ、着装者は思い思いに美しいひだを形作る。礼装として使用する場合染め模様や布地などで格式をあらわす。カバヤ(インドネシア語ではペリッシュ)は女性の着る前開きの細身の下着のこと。 |
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インドネシア女性の服装 国際観光年 バリ島の女/カイン・パンジャン(巻きスカート)にスタゲン(帯状の胴衣) |
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インドネシアの民族舞踊シリーズ(1992-1998年から) |
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インドネシアの民族舞踊シリーズ(1992-1998年から) |
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インドネシアの民族舞踊シリーズ(1992-1998年から) |
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インドネシアの民族舞踊シリーズ(1992-1998年から) |
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■インドネシア共和国、通称インドネシアは、東南アジア南部に位置する共和制国家。首都はジャワ島に位置するジャカルタ。5,110kmと東西に非常に長く、また世界最多の島嶼を抱える国。日本語表記はインドネシア共和国、略称はインドネシア。漢字表記は印度尼西亜、略称は尼。 |
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北ボルネオの民族衣装 |
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ムルッ(Murut)族の男 |
イギリス統治下のサラワクの女性 |
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■サラワク王国(サラワクおうこく、1841年 - 1946年)は、ボルネオ島北部(現在のマレーシア・サラワク州とブルネイ)に存在した白人王国。ジェームズ・ブルック(James
Brooke 1803年 - 1868年)が建国し、ブルック王朝3代が統治した。海峡植民地 。 |
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■ボルネオ島 (インドネシア語:Pulau Borneo) は、東南アジアにあり、グリーンランド島、ニューギニア島に次いで世界で3番目(4番目といわれる場合もある)に面積の広い島(面積
725,500 平方km、日本の約1.9倍)。南シナ海(西と北西)・スールー海(北東)・セレベス海とマカッサル海峡(東)・ジャワ海とカリマタ海峡(南)に囲まれている。世界で最も多くの国の領地がある島である。 |
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マレーシアの民族衣装 |
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マーレーアの伝統衣装 |
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Kebaya - Nyonya Kebaya(クバヤ). |
Kebaya - Nyonya Kebaya(クバヤ). |
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The Nyonya Kebaya is a beautiful, translucent, figure-hugging embroidered blouse worn with a batik sarong by Peranakan ladies. |
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Kebaya(クバヤ). |
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マレーシアンのストリート・ミュージシャンの衣服、民族衣装も(マレーシア) |
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■マレーシアは、東南アジアのマレー半島南部とボルネオ島北部を領域とする連邦立憲君主制国家。日本語の表記はマレーシアあるいはマレイシアである。漢字では馬来西亜と表記し、馬と略す。三つの主要民族と地域の歴史が複雑に入り混じって並存するマレーシアは、民族構成が極めて複雑な国の一つである。単純な人口比では、マレー系(約65%)、華人系(約25%)、インド系(印僑)(約7%)の順で多い。マレー系の中には、サラワク州のイバン族、ビダユ族、サバ州のカダザン族、西マレーシアのオラン・アスリ(orang asli)などの先住民も含まれ、各民族がそれぞれの文化、風習、宗教を生かしたまま暮らしている。なお、マレーシア政府は先住民族を原則としてムスリムとして扱い、イスラム以外の信仰を認めていない(ブミプトラ政策の影響)。しかし、実際には無宗教であったり、伝統宗教(アニミズム)やキリスト教を信仰する先住民も存在する。 他にも、先住民ではない少数民族として民族間における混血グループが複数存在し、華人系とマレー系の混血(ババ・ニョニャ)やインド系とマレー系の混血(チッティ)、旧宗主国からのヨーロッパ系移民とアジア系の混血(ユーラシアン)がマイノリティーグループを形成している。 |
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フィリピン女性の衣装 |
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マリア・クララ風の衣装(1880年頃) バリン・タワクの衣装(1920年頃)/かご形袖のカミサとサヤ(スカート)とタピス(オーバースカート)、 |
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アジアン雑貨 |
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フィリピンの先住民族の衣装(1993年) |
フィリピンの先住民族の衣装(1993年) |
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■フィリピン共和国(Philippines)、通称フィリピンは、東南アジアに位置する共和制国家。16世紀のスペイン皇太子フェリペにちなんだ国名の国である。島国であり、フィリピン海を挟んで日本、ルソン海峡を挟んで台湾、スールー海を挟んでマレーシア、セレベス海を挟んでインドネシア、南シナ海を挟んでベトナムと対する。フィリピンの東にはフィリピン海が、西には南シナ海が南にはセレベス海が広がる。首都はメトロ・マニラ。 |
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シンガポールの民族衣装 |
シンガポール・ガールの独特な民族衣装サロンケバヤ |
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民族衣装・家族 |
老男(チャイナ服の男性) |
■シンガポール共和国(ingapore)、通称シンガポールは、東南アジアのマレー半島南端に隣接するシンガポール島と周辺の島嶼を領土とする国家(都市国家)。 住民は、華人(中華系)が76.7%、マレー系が14%、インド系(印僑)が7.9%、その他が1.4%となっている。華人、マレー系、インド系からなる複合民族国家のため、公共メディア、文化一般に3系統の文化が共存するが、共生しながらもそれぞれ異なるコミュニティーを形成している。 |
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シンガポールの古い民族衣装 |
シンガポールの女性の民族衣装 |
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■多民族国家のシンガポールは中国系が75%を占めています。マレー系は敬虔なイスラム教徒が多く、女性は身体の線がみえない民族衣装を着ていたり、ドゥドゥンと呼ばれるスカーフで頭部をおおっています。インド系は顔立ちがアジア人とは異なり、彫が深いアーリア系の顔立ちで、女性はあでやかな民族衣装(サリー)を着ている人が多いように感じます。街を歩けば、宗教や文化の違いで、色々な民族衣装が見られます。 |
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モンゴルの民族衣装 |
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■モンゴルの民族衣装・正装は、男女ともにデール(立て襟で、真ん中と右側3箇所をボタンで止め、さらに脇を2箇所止める。裾の長さは肘下もしくは踝のあたりまで。真冬用のものは裏に子羊の毛皮がついている、生地は主に中国製の民族調の幾何学模様がついたもの(絹またはナイロン))またはテルレグ(春夏用の袷のデール)を着て、ブス(帯、長い布を巻きつける)を締め、ゴタル(ブーツ)を履く。男性は帽子を着用し、脇に嗅ぎ煙草入れ、または脇差しなどをぶら下げる。モンゴル国の男性、および内蒙古の男女はズボンを着用するが、モンゴル国の都市部では女性はワンピース感覚でデールを着こなす。この場合、ズボンを穿かずにデールを直接着て靴もパンプスを履く。 |
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モンゴルの国民的な衣装各種(1986年) |
モンゴルの国民的な衣装各種(1986年) |
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モンゴルの地域の衣装(1969年) Bayitの女、Torgutの男、Dzakhachinの女 Khalkhaの女、Darigangaの女、Mingatの女 |
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■モンゴル国、通称モンゴルは、中国の北、ロシアの南に位置する、東アジアの国家。内陸国。首都はウランバートル。 モンゴル民族の居住地域であるモンゴル高原のうち、清国支配下において中国語で外蒙古(がいもうこ、そともうこ)と呼ばれたゴビ砂漠以北の一帯にほぼ該当する領域を国土とする。これに対し、南部の一帯が内蒙古で、現在は中国領となっており、「蒙古族」(中国国籍のモンゴル人)のための「民族区域自治」単位として内モンゴル自治区等が置かれている。モンゴル人の主な宗教はチベット仏教で、歴史的にチベットとの関わりが深い。またシャーマニズム信仰も根深い。どちらも社会主義時代は抑圧されていたが、民主化以降復活を遂げている。多くの国民は、人種的には日本人と同じモンゴロイドで、いくつかの遺伝形質の傾向が一致し、モンゴル語と日本語が文法的に比較的似通っていることから、日本人のルーツの一つとして近いという説もある。 |
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ネパールの民族衣装 |
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グルング の男女の民族衣装 |
チェパングの男女の民族衣装 |
ラマタルの男女の民族衣装(ネパール1997年) |
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■ネパール連邦民主共和国、通称ネパールは、南アジアの共和制国家(2008年に王制廃止)。東、西、南の三方をインドに、北方を中国チベット自治区に接する西北から東南方向に細長い内陸国である。国土は世界最高地点エベレスト(サガルマータ)を含むヒマラヤ山脈および中央部丘陵地帯と、南部のタライ平原から成る。ヒマラヤ登山の玄関口としての役割を果たしている。 |
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ブータンの民族衣装 |
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世界人口年、ブータンの家族の衣服(ブータン、1974年) |
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■チベット系住民の民族衣装が「ブータンの民族衣装」と規定されている。男性用は「ゴ」、女性用は「キラ」と呼ばれる。ブータンは、1989年より日常着として公の場での民族衣装の着用を国民に義務付けた国としても有名である。公の場とは、公的機関(ゾンや役所など)、寺院、学校、公式集会、公式行事をその範囲としているが、近年その解釈が厳格になり、現在は自宅以外の場所として認識されている。違反した場合の罰則規定もある。警察・軍などの制服職、外国人、ネパール系住民、固有の衣装を持つ少数民族はその限りではないが、無用のトラブルを避けるため着用せざるを得ない人も多い。公務員は職務中、いずれの民族であれ民族衣装着用が義務付けられる。 |
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インドの男女の民族衣装(写真、クリックで拡大) |
■インド旅行写真 世界遺産中心に [ インド | デリー Delhi | ジャイプル Jaipur | アグラ Agra } ■インド人女性は、チョリというシャツ、ガーグラというスカートを履き、その上からサリーをまとう。北インドではサリーの他にサルワール・カミーズやレヘンガも着用される。北インドの男性用民族衣装はクルター・パジャマ。腰巻のルンギーやドーティーなどもある。シク教徒の男性はターバンを頭に巻く。極東部や中部山岳地帯の少数民族は、一般的なインド人の民族衣装とは異なる衣装を着用する。 |
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bridge bengal インドの民族衣装(インド、1980年) |
民族衣装 |
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ターバンをまいた男性 |
インドの美人姉妹 |
バスを待つ女性たち |
木陰で歓談する人々 |
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説明の補足ではフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を利用させていただきました。 |
世界の衣装(コスチューム・ファッション)・民族衣装や伝統衣装の切手 アジア編 東南アジア |
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