Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

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世界の衣装(コスチューム・ファッション)・民族衣装や伝統衣装の切手 アジア編 中近東

 世界の衣装(コスチューム・ファッション)・民族衣装(ethnic costume、Folk costume)の切手のアジア・中近東編です。 イスラム圏の国々と旧ソ連から独立した国。 この地域は歴史も古く、東洋とヨーロッパの中間にある交易都市で、古くからヨーロッパと交流があり、顔立ち含めヨーロッパに近いと思います。 掲載国はイラン、イラク、レバノン、アフガニスタン、トルコ、オマーン、カザフスタン、シリア・・・ です。 中近東の民族服・民族衣装は、イスラム教徒は、毛や絹の四角い布に頭や腕を通す穴を開けたアバを着用する。女性は肌を隠さなければならないので、チャドルと呼ばれる衣装は目の部分以外の全身をすっぽり覆う形になっている。



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アジアの民族衣装(ethnic costume)

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アジアの代表的な民族服・民族衣装
日本:和服 アットゥシ(アイヌ)、琉装(沖縄) / 朝鮮:韓服(チマチョゴリ・パヂチョゴリなど) / 中国:旗袍(満州民族)漢服(漢民族) / 台湾:方衣(高砂族) / モンゴル:デール / ベトナム:アオザイ / タイ:パーシン / ラオス:シー・スアー / ミャンマー:エンジー・ロンジー / インドネシア:サロン・カバヤ スレンダン / インド:サリー チョリ パンジャビスーツ ドウティ / ブータン王国:キラ ゴ / パキスタン:カミス・シャルワール / アフガニスタン:チャドリ レバースニー ペロン・トンボン / タジキスタン:アトラス クイナク チュピチェイク / イラン:チャルシャフ / サウジアラビア:タウブ ガンドーラ バーヌーズ アガール ケフィイエ / トルコ:カフタン /

イランの民族衣装

■イランでは女性が外出する際のスカーフ着用が義務とされている。そのため、どの女性も頭からすっぽり黒いスカーフをかぶっており、せっかくの魅力が覆い隠されてしまう。イランは地域によって民族衣装も風習も様々だそうです。 ですがイスラム圏では有る程度共通。

クルド人の民族衣装

クルド人の民族衣装

イラン クルド人 民族衣装 切手イラン クルド人

ケルマンシャハ地方の女、ファース地方の女、トルキャマンサロ地方の女、ファース地方の女、マザンダラニ地方の女、サナンダジ地方の女

イラン 女性の衣装 コスチューム 民族衣装 髪飾り ケルマンシャハ地方の女、ファース地方の女、トルキャマンサロ地方の女、ファース地方の女、マザンダラニ地方の女、サナンダジ地方の女

■イラン・イスラム共和国(Iran)、通称イランは、西アジア・中東のイスラム共和制国家。ペルシア、ペルシャともいう。イラン人自身は古くから国の名を「アーリア人の国」を意味する「イラン」と呼んできた。イランの歴史時代は紀元前3000年ころ原エラム時代にはじまる。イランでは志村けんの知名度が高く、国民的な人気を博している。

イランの民族衣装 1955年イランの民族衣装 1955年
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イラクの民族衣装

北部イラクのヤジディ族の男、クルド族の女、クルド族の男、クルド族の女 
トベ(長衣)アパ(外衣)を着て、ケフィイェ(ベール)にアガール(輪留め)が基本のスタイル

アラブ イラク 男女 服装 切手 トベ(長衣)アパ(外衣)を着て、ケフィイェ(ベール)にアガール(輪留め)

バグダッドの老人/カフタンにアパ、イラクの婦人の平服/イザール(外出用の外衣)、修道僧/クラ帽にアパ、南イラクの村人(男)

■イラク共和国(Iraq)、通称イラクは、中東・西アジアの連邦共和制国家である。首都はバグダード(バグダッド)で、サウジアラビア、クウェート、シリア、トルコ、イラン、ヨルダンと隣接する。古代メソポタミア文明を受け継ぐ土地にあり、世界で3番目の原油埋蔵国である。現イラクの国土は、歴史上のメソポタミア文明が栄えた地とほとんど同一である。メソポタミア平野はティグリス川とユーフラテス川により形成された沖積平野で、両河の雪解け水による増水を利用することができるため、古くから農業を営む定住民があらわれ、西のシリア地方およびエジプトのナイル川流域とあわせて「肥沃な三日月地帯」として知られている。紀元前4000年ごろからシュメールやアッカド、アッシリア、そしてバビロニアなど、数々の王国や王朝がこのメソポタミア地方を支配してきた。住民はアラブ人が79%、クルド人16%、アッシリア人3%、トゥルクマーン(テュルク系)2%である。

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オマーン(Oman)の民族衣装

Muscat(1989年)

小物 短剣(オマーン)

■オマーン国(Oman)、通称オマーンは、中東および西アジアの絶対君主制国家。首都はマスカット。アラビア半島の東南端に位置し、アラビア海(インド洋)に面する。北西にアラブ首長国連邦、西にサウジアラビア、南西にイエメンと隣接する。なお、石油ルートとして著名なホルムズ海峡の航路もオマーン領海内にある。住民は半数以上がアラブ人である。その他にバローチ人、イラン人、インド人(印僑)などがいる。

オマーン(Oman)の民族衣装 Muscat 女性 短剣(オマーン)

イエメンで言われるジャンビーアと呼ばれる半月形をした短剣

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イエメン(YEMEN)の民族衣装

レバノン(Lebanon)の民族衣装

イエメンの花嫁・豪華です
(イスラエル、1982年)

レバノンの民族衣装

イエメンの花嫁(イスラエル) レバノンの民族衣装

イエメンの女性の服装(イエメン、1983年

イエメンの女性の服装(イエメン、1983年)

イエメンの女性の服装(イエメン、1983年) イエメンの女性の服装(イエメン、1983年)

■イエメン共和国(Yemen)、通称イエメンは、中東・アラビア半島にある国家。首都はサヌア。サウジアラビア、オマーンと国境を接する。古代交易の中心地、および物資集散地として繁栄。古代ギリシャや古代ローマの時代には「幸福のアラビア (Arabia a Felix)」として知られる。
国民の殆どがイスラム教徒であるため、生活様式にもイスラムの影響が強い。一般的な成人男性は腰帯にジャンビーアと呼ばれる半月形をした短剣を差している。この短剣は、所有者の家柄や部族、貧富といった属性を表わしている。女性は宗教的な慣習から髪や顔を隠すためのスカーフや体を覆う布を着用しているが、サウジアラビアのように全体を隠すことが義務づけられているわけではない。また、スカーフの色も比較的自由である。これは個人やその家族の信仰の深さによって判断されるためで、信仰が深くなればそれだけ肌を隠す面積も多くなる。女性のイスラム服の着用の程度はイスラム復興等の社会傾向の影響も受けるが、一般的にイエメンの女性は他イスラム国と比較した場合、着用率が非常に高い。女性の社会進出は、主に都市部で少しずつ進みつつある。

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レバノンの民族衣装

左から、ペルシャ風室内着の踊り子/フェズ(トルコ帽)にボレロ風短上着、楽女/タントゥール(丈高いかぶり物)とシャルワール(脚衣)

レバノンの民族衣装 左から、ペルシャ風室内着の踊り子/フェズ(トルコ帽)にボレロ風短上着、楽女/タントゥール(丈高いかぶり物)とシャルワール(脚衣)

■レバノン共和国(Liban、Lebanon)、通称レバノンは、西アジア・中東に位置する共和制国家。北から東にかけてシリアと、南にイスラエルと隣接し、西は地中海に面している。首都はベイルート。 現在のレバノンに相当する地域は、古代はフェニキア人の故地であった。この地からフェニキア人は地中海を渡り、現チュニジアのカルタゴ・バルセロナ・マルセイユ・リスボンなど各地に植民地を形成した。レバノンは中東音楽の伝統を守りつつ、フランスとの繋がりから西欧の音楽の影響も受けた独自の音楽シーンを形成している。
中東の歌姫として名高いファイルーズを始め、作曲家にしてウードの演奏家であるレバノン人でありながらパレスチナを主題とした音楽を多く発表し、「パレスチナ人の中のパレスチナ人」と言われユネスコのArtist for Peaceを受賞したマルセル・ハリーファなどが有名である。

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アフガニスタンの民族衣装

婦人の日/民族衣装の
パターンの女(1964年)

女性とラクダ
(アフガニスタン、1983年)

アフガニスタンの花嫁
(イスラエル、1982年)

アフガニスタンの民族衣装 婦人の日/民族衣装のパターンの女

アフガニスタンのラグダ 切手 少女とラクダ

アフガニスタンの花嫁(イスラエル)

■イスラム教の国であるアフガニスタンの、その国の女性といえば誰もが黒いヴェールで顔を覆った女性を思い描くのではないでしょうか。私はこの、ヴェールから見え隠れする双眸と、その目線だけでも驚くほど十分に女性の美しさや神秘的さが現れる衣装に大変魅力を感じます。しかしこの習慣は女性の束縛・抑圧の象徴として一時期批判の的となったこともあります。利点を言えば、大体の人間が同じ衣装を着用するので貧富の差があまり明確には表れないと言えます。服装はストレートに外形に表れるので、シンボリックな意味あいがあるヴェールをするか外すかについて迷う女性も多いのです。

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トルコの民族衣装(Ethnic costumes)

美しい刺繍で知られるトルコの各地方の民族衣装が描かれています。

カスタモヌ(トルコ、2001年)

チャナカレ

アマシカ

エラズー

トルコ 女性 服装 衣装 切手 カスタモヌ トルコ 女性 服装 衣装 切手 チャナカレ トルコ 女性 服装 衣装 切手 アマシカ トルコ 女性 服装 衣装 切手 

バリシケル

アフィオン

トカット

カルス

トルコ 女性 服装 民族衣装 刺繍 バリシケル  トルコ 女性 服装 民族衣装 刺繍 アフィオン  トルコ 女性 服装 民族衣装 刺繍  トカット トルコ 女性 服装 民族衣装 刺繍  カルス

■カフタン(caftan)はトルコの民族衣装。基本の形状は長袖・袷仕立ての長い前開きのガウンで、オスマン帝国の隆盛期には毛皮で裏打ちしたものや袖なしで別のカフタンの上から羽織るものも登場している。女性向けの広袖のものもあるが基本は先細に近い袖の男性服である。スルタンの衣装としてトプカプ宮殿などには、臙脂虫などを用いた緋色など鮮やかな色の絹の綴れ織りに高価な毛皮で裏地をつけ、金糸などで優美な植物文様を織り出したカフタンが保存されているが、近代化政策の影響で現在は街中でカフタン姿は殆ど見かけない。このままでは行動しにくいため、下穿きにシャルワールと呼ばれる非常にゆったりしたズボンを合わせる。こちらは男女共通であって、女性のブラウスにシャルワールを合わせる装いを英米では俗称でハーレムスタイルと言う。 西アフリカにおいては男性用の衣装として似た形状のブーブー(Boubou)が着られている。

 

■トルコ共和国(トルコきょうわこく、トルコ語: Turkiye Cumhuriyeti)、通称トルコは、西アジアのアナトリア半島(小アジア)と東ヨーロッパのバルカン半島東端の東トラキア地方を領有する、アジアとヨーロッパの2つの大州にまたがる共和国。首都はアナトリア中央部のアンカラ。トルコの国土の大半を占めるアジア側のアナトリア半島(小アジア)とトルコ最大の都市であるヨーロッパ側のイスタンブルは、古代からヒッタイト・フリュギア・リディア・東ローマ帝国などさまざまな民族・文明が栄えた地である。トルコ共和国の位置するバルカン半島やアナトリア半島は、古来より多くの民族が頻繁に往来した要衝の地であり、複雑で重層的な混血と混住の歴史を繰り返してきた。現在のトルコ共和国成立の過程にも、これらの地域事情が色濃く反映されている。

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シリアの民族衣装

シリアの民族衣装 MarjeSultan、Kalamoun、Moharde (1963年)

シリアの民族衣装 シリアの民族衣装 MarjeSultan、Kalamoun、Moharde (1963年)

■ヨルダンやシリア、イランなどのパレスチナ周辺地域の衣装。パレスチナの女性用民族衣装の特徴の一つとして胸や袖、裾の部分に施された刺繍が挙げられます。衣装に使用されている布(下地)は、平織りで刺繍が施し易い亜麻や光沢が有り生地自体の彩りも多彩なシリアの絹、マジュダルの布などがありました。衣装のスカート後ろ裾の部分に施された刺繍には魔除けの意味があるそうです。(参考:『パレスチナの民族衣装』展

シリアの民族衣装 Jabari-AL-Arab、Afrine、Hauran (1963年)

シリアの民族衣装 Jabari-AL-Arab、Afrine、Hauran (1963年)  

”The Beauty oy Palmra” パルミアのゼノビア(Zenobia)女王(シリア、1963年、1961年)

”The Beauty oy Palmra” パルミアのゼノビア(Zenobia)女王(シリア、1963年)

■ゼノビア(ラテン語: Zenobia)は3世紀に存在したパルミラ王国の「女王」と呼ばれた人物。アラビアのベニサマヤド部族の長ザッバイ(Zabaii ben Selim又はJulius Aurelius Zenobius)を父、「Al-Zabba」(長い美しい髪を持つ娘)と称された母の間の娘として240年頃に生まれたとされる。ゼノビアはローマの迷走に乗じる格好で「サーサーン朝の侵略からローマ東部属州を護る」という名目で皇帝直轄領アエギュプトゥス(エジプト)及びカッパドキアやパレスティナ、カルケドン等のローマ東部属州・都市に軍を派遣して次々と「領土」を拡大していった。ゼノビアは自らを「エジプトの女王」と称し、またこれらの事件から「戦士なる美の女王(Warrior Queen)」とも呼ばれた。実際にゼノビアは騎馬術にも優れた才能を示したという。ゼノビアはカルタゴの女王ディードーやアッシリアの女王セミラミス、プトレマイオス朝のクレオパトラ7世の後継者を自称したとされる。

”The Beauty oy Palmra” パルミアのゼノビア(Zenobia)女王(シリア、1961年)

■シリア・アラブ共和国(シリア・アラブきょうわこく)、通称シリアは、中東・西アジアの共和制国家。北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境を接し、北西は東地中海に面する。首都はダマスカス。
シリアはアラブの世界ではエジプトに次ぐ軍事大国と知られる。シリアは徴兵制が敷かれており、男子の兵役義務がある。住民は、アラブ人が90%で、その他にクルド人、アルメニア人などがいる。アラブ人の中にはシリア語を母国語とする部族もいるため民族性も多様化している。少数民族としてネストリウス派(アッシリア人)、北コーカサス系民族、南トルコ系民族もいる。

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カザフスタン(中央アジア)の民族衣装

アジアン雑貨

AJARA アジア 雑貨

花嫁、花婿とユルタ(円形テント)内部

花嫁、花婿とユルタ(円形テント)内部 カザフスタン

■カザフスタン共和国(Kazakhstan)、通称カザフスタンは、中央アジアの国家。首都はアスタナ、最大都市はアルマトイ。
ロシア連邦、中華人民共和国、キルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタンと国境を接し、カスピ海、アラル海に面している。世界最大の内陸国。カザフ人が57.2%、ロシア人が27.2%、ウクライナ人が3.1%、ウズベク人が2.7%、ヴォルガ・ドイツ人が1.6%、ウイグル人が1.0%、朝鮮人が0.5%、その他6.6%となっている。 旧ソ連領中央アジアの中でも、もっとも文化的にヨーロッパ化された国と言える。

■中東は、気温が高く乾燥した地域が多いため、皮膚からの水分の蒸発を防ぐため、全身を覆うような形の衣服が多いです。また、イスラム文化圏では女性はむやみに他人に肌を見せないしきたりがあるため、顔を隠すベールも発展しています。イスラム教徒は、毛や絹の四角い布に頭や腕を通す穴を開けたアバを着用する。女性は肌を隠さなければならないので、チャドルと呼ばれる衣装は目の部分以外の全身をすっぽり覆う形になっている 

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パレスチナ(Palestine)の民族衣装

参考 『パレスチナの民族衣装』展

パレスチナ女性の衣装(パレスチナ、1995年)

パレスチナの女性用民族衣装の特徴の一つとして胸や袖、裾の部分に施された刺繍が挙げられます。
衣装の形や刺繍の模様は地域や年代によって違い、時代背景や文化の移り変わりによっても変化していました。衣装に使用されている布(下地)は、平織りで刺繍が施し易い亜麻や光沢が有り生地自体の彩りも多彩なシリアの絹、マジュダルの布などがありました。 詳細は上記のページで。

パレスチナ女性の衣装(パレスチナ、1995年) パレスチナ女性の衣装(パレスチナ、1995年)

説明の補足ではフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を利用させていただきました。


世界の衣装(コスチューム・ファッション)・民族衣装や伝統衣装の切手 アジア編 中近東

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