Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

Kunioの世界の切手紹介と海外写真集
乗り物の切手|世界のツェッペリン号やヒンデンブルグ号に代表される飛行船(airship) 広告宣伝用や大気圏の観測用で利用 / 飛行船(ひこうせん、英:airship)とは、空気より比重の小さい気体をつめた気嚢によって機体を浮揚させ、これに推進用の動力をつけて操縦可能にした航空機

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乗り物の切手|世界のツェッペリン号に代表される飛行船

 夢の乗り物・世界の飛行船(airship)を中心にした切手(stamp)です。飛行船(ひこうせん、英:airship)とは、空気より比重の小さい気体をつめた気嚢によって機体を浮揚させ、これに推進用の動力をつけて操縦可能にした航空機である。機体の大部分を占めるガス袋(気嚢)には水素もしくはヘリウムがつめられている。 この世界で大きな貢献をしたのはツェッペリンですね。 中でも飛行船に関しては、ツェッペリン伯爵の功績は大きいと思います。 ツェッペリン硬式飛行船の第1号は1900年のLZ1で、1909年にはツェッペリン伯爵は飛行船製造事業とともに、DELAG(Deutsche Luftschiffahrt Aktiengesellschaft)という世界初の旅客を運ぶ商業航空会社を創立した。 20世紀前半に飛行船は、大西洋横断航路などに就航していたが、1937年に発生した「ヒンデンブルク号」の墜落事故を契機に飛行船の信頼性は失墜し、航空輸送の担い手としての役割を終えた。 その後、飛行船は広告宣伝用や大気圏の観測用等として、不燃性のヘリウムガスを利用した飛行船が小規模に使われている。 ページの飛行船はドイツ切手を中心に利用していますが、世界で多数の切手も発行されています。

 

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飛行船 ・・ ドイツ切手を主に利用してます

■飛行船による初の世界一周飛行:1927年8月8日〜8月29日 飛行船LZ 127 グラーフツェッペリン(LZ127 Graf Zeppelin)による。公式な飛行経路はレイクハースト(Lakehurst)(アメリカ、ニュージャージー州)−フリードリヒスハーフェン(ドイツ)−東京−ロサンゼルス−レイクハースト。飛行距離:32,790km、実飛行時間:288時間11分、総時間:21日7時間33分。実際の全行程は、フリードリヒスハーフェンから出発し上記飛行をした後フリードリヒスハーフェンに戻るものであり、その全飛行距離は49,618kmであった。

ツェッペリン号(ドイツ1928-31年、超高額切手) Zeppelin

ヒンデンブルク号 Hindenburug

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ツェッペリン号(ドイツ)

飛行船のゴンドラ

ヒンデンブルク号

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★1891年のドイツでは、ツェッペリン伯爵が退役後に独力で硬式飛行船の開発に乗り出し、1900年には飛行に成功。1909年にはドイツ海軍に飛行船を納入し、1911年にはドイツ国内民間航路(ヴィルヘルムスハーフェン〜ベルリン)を開設した。ツェッペリン伯爵の成功によりツェッペリンは飛行船の代名詞となった。1929年にはツェッペリン伯爵号で世界一周飛行を行い、当時の飛行機の限界をはるかに超える長距離・長時間の飛行性能を見せ付けた。ドイツは第一次世界大戦の敗戦国ではあったが、飛行船の製造および運用技術ではアメリカやイギリスなどを引き離していた。

飛行船ツェッペリン号
(usa,1893年)

ツェッペリン・ニカラグア発行

ツェッペリン・ニカラグア発行

飛行船 ツェッペリン LZ3 ベルリン上空の初飛行(1909.8.28)

ニカラグア発行 飛行船 ツェッペリン ツェッペリン・ニカラグア発行 切手 飛行船 飛行船 ツェッペリン LZ3 ベルリン上空の初飛行

LZ3 Z I (試作/軍用)は、 1906年10月9日 1906年10月9日と翌10日に2時間、1907年に8時間飛行した。修理後、1908年にLZ4の契約の一部としてドイツ陸軍に売却され、練習船として使用された。1913年廃棄。

モンゴルの飛行船(ホログラム切手、右の拡大)

モンゴルの飛行船(ホログラム切手 モンゴルの飛行船(ホログラム切手

ハンガリー発行の
ツェッペリン伯爵

スイスの飛行船

北極上空のツェッペリン、オソアヴィアシム(ロシアの局地輸送船)
モンゴル発行

ハンガリー発行のツェッペリン伯爵 北極上空のツェッペリン、オソアヴィアシム(ロシアの局地輸送船) モンゴル 1977年

初期のツェッペリン号と男爵

ツェッペリン・アルプス上空のLZ130、係留中のLZ-4(モーリタニア)

初期のツェッペリン号と男爵 ツェッペリン・アルプス上空のLZ130、係留中のLZ-4(モーリタニア)

モンゴルのツェッペリン号等の切手の切手(1981年)

モンゴルのツェッペリン号等の切手の切手(1981年)

■ツェッペリン飛行船は、アルミニウムなどの軽金属の外皮を被せた枠組構造内に空気より軽い水素ガスを詰た複数の気嚢を収容している。乗客や乗員の乗る居住空間(ゴンドラ)が枠組構造の底部に取り付けられている。動力源は、数基のレシプロエンジンである
■ドイツのフリードリヒスハーフェンに本拠を置いたツェッペリン社は、建造した飛行船に"Luftschiff Zeppelin"(ツェッペリン飛行船)の頭文字である「LZ」で始まる番号を振っていたが、それとは別に民間用のものにはしばしば固有の名前が与えられ、また軍用の飛行船には別個に「戦術番号(taktische Nummerierung)」が割り当てられた。ドイツ陸軍は初期のツェッペリンを「Z I/II/・・・/XI/XII」のように呼んでいたが、第一次世界大戦中に「LZ」番号を使うように変更した。ドイツ海軍のツェッペリンは「L 1/2/・・・」という「L」で始まる番号で呼ばれた。

ツエッペリンとイタリアの名所旧跡(イタリア、1933年)サンタンジェロ、フォロ・ロマーノ 

ツエッペリンとイタリアの名所旧跡

■下の切手 ツェッペリンLZ2 試作 1906年1月17日 1905年11月30日、湖からの離水に失敗した。2回目の試みで初飛行に成功したが緊急着陸の際に修復不能な損害を受けた。 ツェッペリンLZ4 軍用(計画) 1908年6月20日 LZ3を含む契約の一部。1908年7月1日に12時間の飛行を行った。1908年8月4日に24時間の耐久飛行計画に挑んだ際、12時間経過後にエンジン修理のためにエヒテルディンゲン(Echterdingen)近郊に着陸したが、風が係留装置を壊したために破壊された。

ツッペリン、LZ2,1905年
(ハンガリー、1988年)

ツッペリン、LZ4,1908年
(ハンガリー、1988年)

Henry-Gifford、1871年

Lebandy、1910年

ツッペリン、LZ-2,1905年(ハンガリー、1988年) 飛行船 ツッペリン、LZ-4,1908年(ハンガリー、1988年) ベトナムの飛行船 1990年 Henry-Gifford ベトナムの飛行船 1990年 Lebandy

■グラーフ・ツェッペリン数多く生産されたツェッペリン式飛行船の中でも、LZ127とLZ130は機体そのものの愛称としてグラーフ・ツェッペリン(ツェッペリン伯爵号)を冠された、ただ2隻の飛行船である。LZ127は1929年に北半球周遊を行い、336,325kmを273時間27分で飛行したとされる。またこの際、日本の茨城県阿見町(霞ヶ浦)に寄港している。
■イギリスの硬式飛行船R101は1930年にフランスで墜落。1930年10月4日、イギリスの航空廠で建造された大型飛行船「R101(G−FAAW)」がカーディントンを出発して、エジプトのイスマイリアに向かった。出発して以来悪天候に悪天候に悩まされ、5日午前2時にフランス上空に到達したときは著しく高度を失っており、パリ北方80kmの丘陵地帯に突入し、炎上してしまった。

Graf-Zeppelin 1930年頃
(グラーフ・ツェッペリン)

イギリスの硬式飛行船
R-101,1930年

ソヴィエトの飛行船

Tissandir、1883年

ベトナムの飛行船 1990年 Graf-Zeppelin グラーフ・ツェッペリン ベトナムの飛行船 1990年 イギリスの飛行船R-101,1930年 ベトナムの飛行船 1990年 ソヴィエトの飛行船 ベトナムの飛行船 1990年 Tissandir、1883年

上はベトナム発行の飛行船切手です。

★日本においては、1912年、パーセヴァル式軟式飛行船P.L.13が臨時軍用気球研究会により輸入された。12月12日には横浜での観艦式に山下誠一海軍機関大尉、石本祥吉陸軍大尉、岩本周平技師らの搭乗で飛行した。
★1937年に大西洋横断航路に就航していたドイツのヒンデンブルク号が、アメリカ合衆国ニュージャージー州のレイクハースト空港に着陸する際に、原因不明の出火事故を起こし爆発炎上。この事故の後、航空機(固定翼機)の発達もあり、民生用飛行船は使われなくなっていった(→ヒンデンブルク号爆発事故)。


 

国産飛行機(1911年)と飛行船(1910年)

国産飛行機(1911年)と飛行船(1910年) 日本

モンゴルのツェッペリン号等の切手

飛行船 HMA.1 Vickers Mayfly(イギリス領南極、2009)

■私にとって飛行船とはファンタジーであり夢ですね。昔、ジブリでしたか漫画で「ピンクの豚」というような映画を見たことがあります。正しく空を飛ぶ事は人間の夢、形はともかくそらを自由に飛べることは人間の夢ですね。飛行船には飛行機では感じられないファンタジーを感じると思います。
■伊土戦争(いとせんそう、イタリア=トルコ戦争、リビア戦争、英: Italo-Turkish War, Turco-Italian War)は、1911年9月から1912年10月の間にイタリア王国とオスマン帝国の間で戦われた戦争ですが、この時に活躍したのがイタリアの飛行船です。この戦いでイタリアは2隻の飛行船に加えて28機の航空機を投入、偵察の他に爆撃も行った。

飛行船 HMA.1 Vickers Mayfly(イギリス領南極、2009)

■1911年にヴィッカースのバーロウ・イン・ファーネスで建造された、イギリス最初の飛行船の船名は "Airship No.1 Mayfly" であった。
最初に建造した飛行船に「飛ぶかも知れない」などと命名するなど、如何にブラック・ユーモアが好きと言っても度が過ぎている(結局、一度も飛ばずに解体されたが・・)。 1991年と言えば第一次世界大戦が始まる直前です。世界で始めて本格的な空襲を初めて実施したのは第一次世界大戦中のドイツで有名なものに飛行船「ツェッペリン」(LZ27、LZ31、LZ32、主はLZ36とLZ38,LZ40,LZ44,LZ45・・・LZ111、かくも多数)によるロンドン空襲があり、後に爆撃機ゴータ Gを開発し、航空機からの爆撃を行った。飛行機からの世界最初の爆弾による爆撃は1911年にドイツ軍の軽飛行機タウベによって行われたバルカン爆撃と1914年のパリ爆撃である。さらに英独両国とも、数トンの爆弾搭載量を持つ重爆撃機の開発を進めていたが、実用化前に終戦となった。 イギリスは先に見抜いていたのかも知れない。 HMA.1 Vickers Mayflyは、イギリス初の硬式飛行船でドイツの急速な飛行船開発に対抗し海軍により発注される。1911.9.24。所が、初飛行時に大破。

飛行船・ツエッペリン号(バーブーダ、1977年)
最初の飛行船75周年記念

飛行船・ツエッペリン号(バーブーダ、1977年)

飛行船初回飛行75周年、リンドバーク大西洋横断50周年

■フェルディナント・アドルフ・ハインリッヒ・アウグスト・フォン・ツェッペリン伯爵(Ferdinand Adolf Heinrich August Graf von Zeppelin, 1838年7月8日 - 1917年3月8日)はドイツの軍人(陸軍中将)であり、発明家・企業家。硬式飛行船を実用化した人物であり、「ツェッペリン」は幾つもの言語において「硬式飛行船」を意味する普通名詞となっている。 バーデン大公国のコンスタンツ(現ドイツ南部のバーデン=ヴュルテンベルク州)出身。エンジンや部下のトラブルには悩まされたものの、ツェッペリンは「硬いアルミニウムの外皮が複数の気嚢を包み、プロペラ、舵、エンジン、操縦室はいずれも固定される」という硬式飛行船のアイディアを煮詰めた。

飛行船初回飛行75周年、リンドバーク大西洋横断50周年

日本に飛来したツェッペリン号

■1929年(昭和4年)ドイツの大型飛行船「グラーフ・ツェッペリン」(LZ 127、ツェッペリン伯号)が、人類初の飛行船による世界一周を成し遂げました。この巨大飛行船は、ドイツのフリードリッヒスハーフェン市で建造された当時の最新技術の結晶で、全長236m、乗員65人、時速100kmでの飛行が可能でした。このツェッペリン伯号が、世界一周の途中、1929年8月19日、初めて降り立ったのが当時の霞ヶ浦海軍航空隊(現在の霞ヶ浦駐屯地の一角)でした。 写真(絵葉書)は拡大

日本に飛来した「グラーフ・ツェッペリン」(LZ 127、ツェッペリン伯号) ベルリン上空

   

乗り物の切手|世界のツェッペリン号に代表される飛行船

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