Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

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世界遺産の切手|アジア 西アジアのイランとイラクの世界遺産・遺跡 : イラクは世界最古の文明であるメソポタミア文明が栄えた地域。 ペルセポリス、バム遺跡、バビロン、サーマッラーの考古学都市、ドゥル・シャルキン、クテシフォンの都市遺跡・・・ 

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西アジアのイランとイラクの世界遺産・遺跡の切手

 イスラム圏の西アジアのイランとイラクの世界遺産・遺跡を中心にした切手です。 イランの世界遺産としては、@チョガ・ザンビール 、Aペルセポリス、Bイスファハーンのイマーム広場 、C タフテ・スレイマーン、Dパサルガダエ 、Eバムとその文化的景観、Fソルターニーイェ、Gビソトゥーン、H イランのアルメニア人修道院建造物群(聖タデウス修道院、聖ステファノス修道院などの遺構群)、I シューシュタルの歴史的水利施設 が登録され、イラクの世界遺産としては、@円形都市ハトラ 、A アッシュール 、B サーマッラーの考古学都市 が登録されています。 イランの歴史はイラン高原の古代文明から現在のイラン・イスラーム共和国に至るまで数千年に及ぶ。こうした中でさまざまな王朝が興亡を繰り返し、イラン高原のみを領域としたものもあれば、アッバース朝やモンゴル帝国のような巨大な王朝もあった。イラク地域は、古代史ではメソポタミアとよばれた。 世界最古の文明であるメソポタミア文明が栄え、シュメール、アッカド、アッシリア、バビロニアなどの古代国家がこの地を支配した。 紀元前6世紀頃より、この地域は広大なペルシア帝国の一部となったが、イラク地域は帝国の主要地域で、帝国時代の大半ではイラク地域に首都が置かれた。 7世紀以降はこの地域は急速にイスラム化し、イスラム帝国やオスマン帝国などの大イスラム王朝の一部となった。
参考:社団法人 日本ユネスコ協会連盟のHP(世界遺産活動

  
 

世界遺産(西アジアのイランとイラク編)

イスラム圏の他の国[ 西アジアイラン・イラクトルコシリア ]

イラン・ペルセポリス

■ペルセポリス(Persepolis)はアケメネス朝ペルシア帝国の都。ダレイオス1世(ダーラヤーウ1世)が建設した宮殿群であった。遺跡はイランのファールス地方(当時の地名はパールサ地方)にあり、ペルセポリスの名はギリシャ語の記録に由来する。ペルシア語でなんと呼ばれていたのかは未だ不明である。紀元前331年、アレクサンドロス大王の攻撃によって破壊され、廃墟となった。切手は世界遺産ペルセポリスの遺産、イランの代表的住宅ほか。

ペルセポリスの廃墟(1915年)
 ペルセポリスの廃墟(1915年) イラン
イラン・ペルセポリス 愛知万博のイラン館とベルセポリス

愛知万博のイラン館とベルセポリス

下はペルセポリス
ペルセポリス チャド発行

チャド発行


ペルセポリスは、アケメネス朝(紀元前550年〜330年)ペルシアのダレイオス(ダリウス)1世によって造られ、アレクサンドロス大王によって破壊された世界史上の大いなる遺産です。1979年のイスラム革命によって追放されたパーレビ国王は、かつて大ペルシアの再現を夢見て、ここでペルシャ建国2500年祭を開きました。ペルセポリスはギリシャ語からきた呼び名で、古来イランでは「タクテ・ジャムシード」と呼ばれています。

ペルセポリスの廃墟(1962年)

ペルセポリスの廃墟(1966年)


パーレビ国王

パーレビ国王

イラン・バム遺跡 

■イラン高原の南端の砂漠地帯に位置するバムは、7世紀から11世紀にかけて、東西交易の拠点、絹製品や綿製品の生産地として栄えました。バム遺跡では、日干しレンガを重ねる独自の技法で築かれた、中世要塞都市の代表的な姿を見ることができます。
世界の天変地異(気象・地震・火山)や戦争の災害に関する切手」に地震情報

イランの世界遺産(イラン・バム遺跡)

バム(Bam)はイランの南東部ケルマーン州に位置する人口およそ80,000人の都市。古代の要塞都市アルゲ・バムが北東近郊にある。砂漠のエメラルドと呼ばれることもあります。
アルゲ・バム(Arg-e Bam)はイランのケルマーン州にある要塞都市の遺跡。近代都市バムの近郊に位置し、「アルゲ・バム」とは「バムの城」を意味する。 城はパルティア時代に遡ると推定されているが、サーサーン朝ペルシア期に最初の都市が作られ、サファヴィー朝期(16-17世紀)に現在見られる城壁が完成したが、アフガン人(パシュトゥーン人)の攻撃があった1722年以降に放棄され、廃墟となった。 2003年12月26日の地震で大きく損傷を受けた。

イラク・バビロン(Babylon)

■バビロンはメソポタミア地方の古代都市。 街の中央にはユーフラテス川が流れて、 街を二分していた。 街は矩形に城壁で囲まれていた。 街の東岸(旧市)には、 有名なイシュタル門や空中庭園などが作られ、 街の中央にはバベルの塔として有名なジッグラト、 エ・テメン・アン・キがあった。今では全ての遺構がなくなり、切手の様なレリーフのみが残っている。 旧約聖書創世記ではバベルと表記され、バベルの塔の伝承にて混乱(バラル)を語源とすると伝える。いま、バビロンの遺跡として残されているものは、時代と気候に浸食されながらも堂々とそびえる大ライオン像だけ。

バビロン 東ドイツ発行 イラク バビロン 東ドイツ発行 イラク バビロン 東ドイツ発行 イラク

1966年東ドイツ発行
バビロンの壁画

バビロンの空中庭園(七不思議)

バビロンのライオン像
(イラク)

バビロンのライオン像
(イラク)

バビロニアの遺物

バーニーの浮彫
(Burney Relief、夜の女王)

バビロンのライオン像(イラク) 世界遺産

■バビロニア(Babylonia)、またはバビュロニアは、現代のイラク南部、ティグリス川とユーフラテス川下流の沖積平野一帯を指す歴史地理的領域である。バビロニアは世界で最も古くから農耕が行われている地域の一つであり、前4000年期には既に中東の広い範囲との間に交易ネットワークが張り巡らされていた。前3000年期には文字が使用され始めた。メソポタミア北部。
■バーニーの浮彫(Burney Relief、夜の女王) は、メソポタミアのイシン・ラルサ期または古バビロン期のテラコッタで作られた高浮彫であり、翼を持つヌードの女神の姿を描いている。紀元前19世紀 - 18世紀 大英博物館とナショナルギャラリー  
 

イラク・サーマッラーの考古学都市

アッシリア人(イラク、1923年)

■サーマッラーの考古学都市は、イラクの首都バグダッドの北、ティグリス川の両岸にある。サーマッラーの考古学都市は、836年に、アッバース朝の首都となった都市で、イスラム教シーア派の聖地としても知られている。アッバース朝の時代に、カリフのムータスィム(位833年-842年)が、バグダードからサーマッラーに都を遷した。その後、サーマッラーは約50年間にわたって首都として繁栄し、壮麗な宮殿や巨大なモスクが建造された。イラクのシーア派の四大聖廟の一つで、7万2千枚の黄金タイルを張られたイスラム世界最大級のドームと2つの黄金のミナレット(尖塔 高さ36m)で知られるアスカリ廟は、スンニ派の過激組織による犯行によって、2006年にドームが、2007年にはミナレットも爆破。

大モスクのミナレット(後9世紀)

アッシリア人(イラク、1923年) イラク・サーマッラー、大モスクのミナレット(後9世紀)
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イランとイラクの遺跡

イラク歴史遺産・ドゥル・シャルキン(現在のコルサバード)

イラクのクテシフォンのアーチ Arch of Ctesiphon遺跡

■紀元前8世紀後半、この彫像は、イラクのドゥル・シャルキン(現在のコルサバード)の王、サルゴン2世の宮殿を城門から見下ろし、守っていた。だが王が亡くなり、ドゥル・シャルキンが廃墟となると、羽根をもつアッシリアの神をかたどったこの石膏像は、何世紀もたつうちに土砂に覆われ、地中に埋まった。

■クテシフォンの都市遺跡は、このアーチ以外にはほとんど残っていない。クテシフォンは、ペルシャ人国家のパルティアにより紀元前2世紀に建設された。このアーチは大宴会場の一部で、単一構造のものとしては、おそらく世界でもっとも大きなアーチ形遺跡だろう。宴会場のほとんどを破壊した1887年のチグリス Tigris 川の氾濫にも耐え抜いた。

羽をつけた雄牛

クテシフォンのアーチ 遺跡

イラクの歴史遺産ドゥル・シャルキン(現在のコルサバード) 羽をつけた牛 イラクのクテシフォンのアーチ Arch of Ctesiphon

■イラン高原には考古学的には約10万年前の旧石器時代中期以降の遺跡が確認されている。紀元前6世紀にファールス地方から興り、当時の文明世界の大部を支配するハカーマニシュ朝(アケメネス朝、アカイメネス朝)が成立した。この王朝の王であるダーラヤワウ1世(ダレイオス1世)は諸王の王を名乗った。
■約6万年前のイラクには、ネアンデルタール人が住んでいた。 当時、ネアンデルタール人は、ヨーロッパを中心に西アジアから中央アジアまで分布していた。 イラク北部のシャニダール洞窟で化石が発掘されているが、同時に数種類の花の花粉が発見されたことから、ネアンデルタール人には死者を悼む心があり、副葬品として花を添える習慣があったという説がある。

馬をひく男(アッシリア) 前8世紀末 新アッシリア時代

「人頭有翼のライオン」 前883-前859年頃 新アッシリア時代

「鳥頭有翼の神」 前883-前859年頃 新アッシリア時代

「人頭有翼の神」 前883-前859年頃 新アッシリア時代

馬をひく男(アッシリア)


NYCメトロポリタン美術館より

「人頭有翼のライオン」(石灰岩) Human-headed winged lion (lamassu), 883-859 b.c.


NYCメトロポリタン美術館より

「鳥頭有翼の神」 前883-前859年頃

■アッシリア(Assyria)は、メソポタミア(現在のイラク)北部を占める地域、またはそこに興った王国・世界帝国。首都は、初期はアッシュールで、後にニネヴェに遷都した。南側にバビロニアと隣接する。チグリス川とユーフラテス川の上流域を中心に栄え、後にメソポタミアと古代エジプトを含む世界帝国を築いた。アッシリアの偉業は、ペルシア帝国に受け継がれてその属州となった。

「人頭有翼のライオン」(石灰岩) Human-headed winged lion (lamassu), 883-859 b.c.;
Neo-Assyrian period, reign of Ashurnasirpal II    NYCメトロポリタン美術館

Human-headed winged lion (lamassu), 883-859 b.c.; Neo-Assyrian period, reign of Ashurnasirpal II Human-headed winged lion (lamassu), 883-859 b.c.; Neo-Assyrian period, reign of Ashurnasirpal II

紀元前9世紀から紀元前7世紀にかけてアッシリアの王達は広大な土地を支配した。この頃の最初の偉大な王はアッシュールナシュルパル2世で、宮殿の浮き彫りや像など沢山のものを建設した。(メソポタミア、ニムルド、新アッシリア時代)


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