スポーツの切手|体操(gymnastics)と新体操(Rhythmic gymnastics)
スポーツの切手|体操(gymnastics)。 体操競技(たいそうきょうぎ)は、徒手または器械を用いた体操(器械体操)の演技について技の難易度・美しさ・安定性などを基準に採点を行い、その得点を競うスポーツ。新体操には女子種目と男子種目があるが、種目の内容は大きく異なる。女子種目は柔軟性が高く華麗な演技に特徴があり、男子種目は宙返りなどのタンブリングや力強い演技に特徴がある。 新体操はボールやロープなどの道具を用いて美を競います。
スポーツ関連の切手 |
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■関連 [ スポーツ全般|有名人|格闘技|サッカー|日本の国体(国民体育大会)|体操|水泳|スケートとスキー ] |
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スポーツの切手|体操(gymnastics) |
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■「器械体操」「器械運動」の範囲は広く、学校体育で用いられる鉄棒・跳び箱・マット運動をはじめ、雲梯・ジャングルジム・登り棒・滑り台・ブランコ等も含めることができる。 体操器具は高価であり、日本国内では段違い平行棒等を所有していない学校でも競技に参加できるよう、代わりに低鉄棒を大会種目に設ける場合もある。 採点方法は、10点満点制が長年にわたり親しまれてきたが、高難度化にともない2006年に上限が廃止された。技の名前に、それを最初に成功させた選手の名前が付くことも特徴である。 |
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新体操競技 |
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■新体操(しんたいそう、Rhythmic gymnastics)はスポーツ(体操)の一種。リボンやボールなどの道具を使いながら音楽に合わせて、13m四方のフロアマット2面で演技をする。ただし、国内大会では1面でもよい。芸術性を競う採点競技である。女子種目は多くの国で行われており、1963年にハンガリーのブダペストで第1回世界新体操選手権が開催された。1984年のロサンゼルスオリンピックから個人総合がオリンピック正式種目として採用され、1996年のアトランタオリンピックからは団体も正式種目となった。日本では1968年、全日本学生選手権で初めて個人競技が行われ、この大会をきっかけに「新体操」という名称が使われるようになった。 |
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第31回国体・新体操 |
ソウルオリンピック・新体操 |
第59回国体・体操競技と彩の国 |
第23回世界新体操選手権・ |
バルセロナ五輪 新体操(キューバ) リボン |
新体操・オリンピック |
球を操る女子(新体操) |
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デンマーク世界体操祭 |
北京オリンピック・ |
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■バルセロナの女王 アレクサンドラ・ティモシェンコ (Aleksandra Timoshenko、1972年2月18日-)は、ソ連の元新体操選手。ウクライナ共和国北部のキエフ州ボフスラフ出身。 |
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バルセロナオリンピック(Games of the XXV Olympiad、1992年)の新体操か?(北朝鮮、1994年) |
■新体操の歴史は古く、20世紀はじめにロシアで始まったといわれています。新体操の歴史というと、世間一般に知られているのはドイツで生まれたものだということ。ですが、それ以前に当時のロシアで親しまれていたバレエをもとにした芸術体操がルーツだとわかったのです。日本では「新体操」という呼び名が付いていますが、それは1968年に開かれた全日本新体操学生選手権に由来します。 |
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インディアナポリスで行われたパンアメリカン大会での新体操 フープ (ニカラグア、1987年) |
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新体操・リボン(ドイツ、1986年) |
新体操・フープ(フィンランド) |
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新体操・ボール(ブルガリア) |
新体操(ブルガリア、1969年) |
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バルセロナオリンピック・新体操・棍棒(カンボジア) |
新体操・フープ(ブルガリア) |
新体操・ボール(ブルガリア) |
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新体操・リボン(ブルガリア) |
新体操・フープ(ブルガリア) |
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第13回新体操世界選手権(Varna、ブルガリア、1987年) 女王 ビアンカ・パノバは右端の女性、その左はリリア・イグナトバ |
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■ビアンカ・パノバ(Bianka Panova、1970年5月27日- )は、ブルガリアの元新体操選手。愛称は「Bibi」。女性らしい美を追求した優雅で繊細な演技に定評があり、日本にもファンが多かった。1987年に地元ブルガリア・バルナで開催された世界新体操選手権において、史上初の個人総合・種目別の全12演技で10.00点満点を記録し、完全優勝を飾り実質上、新体操の女王となる。 |
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■新体操女子の服装は、新体操レオタードを着用し、足にはハーフシューズを履くことが多い(または素足か、ダンスシューズかタイツを履くか)。技術と同時に美も競うため、デザイン・色・装飾などが凝っている衣装が多い。きれいに見せるため、化粧をすることが多い。 |
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体操競技 |
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■体操競技(たいそうきょうぎ)は、徒手または器械を用いた体操(器械体操)の演技について技の難易度・美しさ・安定性などを基準に採点を行い、その得点を競うスポーツ。 「器械体操」「器械運動」の範囲は広く、学校体育で用いられる鉄棒・跳び箱・マット運動をはじめ、雲梯・ジャングルジム・登り棒・滑り台・ブランコ等も含めることができる。 |
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ユニバーシアード神戸大会 |
第23回国体・鉄棒の女子体操 |
スポーツ世界選手権大会・ |
第43回国体・平行棒競技 |
体操(デンマーク) |
ライプチッヒ、スポーツコンテスト、吊り輪(旧東ドイツ、1956年) |
第10回国体・マスゲーム |
第41回国体・床運動 |
鉄棒競技のストップモーション(コートジボアール) |
ロスアンゼルス・オリンピック 平均台 |
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■平均台は、幅10センチの角材をある高さで水平に固定した器械運動用の器具。体操競技の場合は、高さ1.2メートル、長さ5メートル。女子体操競技の種目の一つ。平均台の上で、からだの平均をとりながら跳躍・回転・舞踊的動きなどを行う。 |
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バルセロナ・オリンピックの女子・平均台(カンボジア、1992年) |
バルセロナ・オリンピックの女子・段違い平行棒(カンボジア、1992年) |
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ロサンゼルス・オリンピック 男子体操 |
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吊り輪(中国、1971年) |
平行棒(中国、1971年) |
鞍馬(中国、1971年) |
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床運動(中国、1971年) |
平均台(中国、1971年) |
段違い平行棒(中国、1971年) |
跳馬競技(カナダ、1976年) |
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オリンピック体操メダリスト |
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新体操 アリーナ・カバエワAlina Kabaeva(アテネ、2004年) |
2004年10月のイオンカップで小座野容斉氏が撮影 |
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■アリーナ・カバエワ(Alina Maratovna Kabaeva、1983年5月12日 - )は、ロシアの元新体操選手。政治家。出生地はウズベキスタンの首都タシュケント。父はサッカー選手、母はバスケットボール選手。3歳から新体操を始める。 11歳のときに母と共にモスクワに出、名門クラブ・インターフィンで指導を受ける。 コーチはイリーナ・ビネル(現ロシアの新体操ヘッドコーチ)。2004年、アテネオリンピック個人総合1位で金メダル。同年、東京で開催されたイオンカップ優勝(5度目)後、引退を表明。 2008年、再度の引退を表明。ウラジーミル・プーチンとの交際が報じられたが、否定。この件を報じたタブロイド紙は突如、資金難を理由に休刊(但し1週間も経ずに再開)。 |
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ナディア・エレーナ・コマネチ(Nadia Elena Comaneci) モントリールオリンピックで10点満点。ルーマニア |
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ナディア・エレーナ・コマネチ |
■ナディア・エレーナ・コマネチ(Nadia Elena Comaneci:1961年11月12日 - )はルーマニアの体操選手。1976年に行われたモントリオールオリンピックで3個の金メダルを獲得した。またこの大会で体操競技選手としてオリンピックの舞台で初めて10点満点を獲得した。1980年のモスクワオリンピックでも2個の金メダルを獲得した。彼女はオルガ・コルブトと並び世界中で最も知られた体操競技選手となり競技の人気を高めた。14歳で参加したモントリオールオリンピックで、段違い平行棒と平均台の演技で近代オリンピック史上初めての10点満点を出し、個人総合と併せて金メダル3個、団体で銀メダル、ゆかで銅メダルを獲得した。この時オリンピックを運営するIOCや審判団は体操競技で実際に満点が出ることを想定していなかったため(当時は9.99までしか採点掲示板に表示できなかった)、掲示板には1.00点と表示された。日本では彼女のハイレグのウェアをもとに、ツービートのビートたけしが「コマネチ」というギャグをつくり、80年代前半に流行した。 |
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体操関連 |
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リング(スウェーデン、1939年) |
■スウェーデン体操は、国民の体力養成を念願し、解剖学、生理学、物理学的見地から合理的な体力養成運動を目指し、ペール・ヘンリック・リングによって創始された徒手体操である。スウェーデンではリングの没後100年を記念し、リンギアードと呼ばれる体操を中心とする大会が1939年に開かれた。 |
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スポーツの切手|体操(gymnastics)と新体操(Rhythmic gymnastics) |
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