乗り物の切手|蒸気機関車(SL:Steam Locomotive)
世界で最初の鉄道は、イギリスのストックトン〜ダーリントン(ジョージ・スチーブンソンが実用化)で営業開始が1825年だった。 その後、鉄道の有効性が世界に広まり切手にも多数採用されている。ここで紹介するのは鉄道切手の蒸気機関車(SL:Steam Locomotive)を中心に纏めています。 煙を吐く蒸気機関車は懐かしいですね。 D51形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計したテンダー式蒸気機関車です。日本の鉄道は1872年に開業したが、このとき投入された車両は1号機関車などすべて、外国製の車両であった。 その後、官営鉄道(国鉄)ではイギリス様式の鉄道が建設されたため、車両も同国からの輸入が多かったが、北海道の官営幌内鉄道では7100形(弁慶、静などの愛称がついた)などアメリカ様式による施設・車両が導入され、九州鉄道ではドイツ様式を採用しました。 日本では、蒸気機関車は明治時代には蒸気船に対して陸の上を蒸気機関で走ることから、「陸蒸気」(おかじょうき)とも呼んでいました。 既に姿を消した蒸気機関車ですが、最新の蒸気機関車は1983年に開園した東京ディズニーランドのアトラクション「ウエスタンリバー鉄道」用に、協三工業が1Bテンダー機関車3両を製造した(のち1両を追加)。燃料は重油専燃である。テーマパークのアトラクションではあるが、日本のそれとしては珍しく「本物の蒸気機関車」を使用することが特筆される。
乗り物の切手索引 [ 自動車関係(バイク・自転車 |自動車切手、バス、馬車 |レーシングカー・ラリーカー)| |
|||
鉄道・列車・電車の索引 [ 蒸気機関車|電気機関車・新幹線|ディーゼルカー|その他機関車・列車・電車|鉄道全般 ] |
|||
■弁慶号(べんけい号)は、7100形であり1880年(明治13)11月に開通した開拓使煤田開採事務係経営の幌内鉄道、手宮-札幌間で使用のため、同年アメリカのペンシルベニア州ピッツバーグのH・K・ポーター社で製造された、ICテンダ機関車2号。「弁慶号」と命名、運転室の横にローマ字、炭水車の横に漢字で記された。先輪1軸、動輪3軸の意味)のテンダー式蒸気機関車である。弁装置はスティーブンソン式である。日本の鉄道は1872年に開業したが、このとき投入された車両は1号機関車などすべて、外国製の車両であった。そもそも、明治政府が発足して間もない時期であり、技術のノウハウなどまったくない時期であったため、当然の判断と言えた。その後、官営鉄道(国鉄)ではイギリス様式の鉄道が建設されたため、車両も同国からの輸入が多かったが、北海道の官営幌内鉄道では7100形(弁慶、静などの愛称がついた)などアメリカ様式による施設・車両が導入され、九州鉄道ではドイツ様式を採用した。 |
|||
C59形式2C1形蒸気機関車 |
べんけい号 1947年 |
D51蒸気機関車登場(1936年、日本) |
|
■D51形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である |
|||
C62形蒸気機関車 |
19世紀のアメリカの急行列車 |
||
単式膨張型関節式(単式マレー式)はユニオン・パシフィック鉄道4000形蒸気機関車(4014号機)日本にはない形式で、simple expansion
articulated engine の訳語である。本来のマレー式は複式であるがこれは前部・後部のシリンダーが同径で、同じ圧力の高圧蒸気が供給される単式となっている。以下代表的なものを。 |
|||
ベトナムの蒸気機関車(ドイツ鉄道150周年、バヴァリア号・ノイシュタット号)、1985年 |
アメリカの蒸気機関車の歴史 |
||
下の画像の上から |
|||
Class 231-300 |
Class 230-000 |
Class 140-601 |
|
Class 141-500 |
Class 150-000 |
パフィングビリー,1811、fusse,1829 |
|
タイの蒸気機関車は、 |
ベトナムの蒸気機関車(1991年) |
||
500d:スティーブンソン,1825、1000d:クランプトンNO.80,1852 |
2d:Class 241-000、2000d:蒸気機関車,1825 |
||
■蒸気機関車の簡単な仕組み・・・・蒸気機関車は、石炭を燃やしてその熱で水を温め、発生した蒸気の力を利用して動きます。 |
|||
カナダの蒸気機関車(1984年) Scotia、Countess of Dufferin、E3形式Grand Trunck、D10aカナディアン・パシフィック |
1400形式・蒸気機関車 |
ボールドウイン社製蒸気機関車 |
|
8550形式・蒸気機関車 |
機関車製造 日本・高額切手 (昭和すかしなし、1952年) |
||
クリックで拡大 |
|||
アフガニスタンの機関車 |
蒸気機関車(ルーマニア、1963年) |
||
■日本の蒸気機関車の国産化:大正初期に、最初の本格的な量産型国産機である9600形・8620形が成功したことで、以後国内向けの蒸気機関車は国産でまかなわれることになった。第一次世界大戦後の好況による輸送量増大に伴い、鉄道省は蒸気機関車のさらなる性能向上と標準化を推進した。その結果、画期的な大型機関車のC51形・D50形が大量生産され、以後第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)までに、各種用途に対応する蒸気機関車が続々と登場することになった。C61・C62形が登場した1940年代後半、日本の鉄道は極端な石炭不足に悩まされており、主要幹線など電化の必要がある路線の電化を行った。だがそれでも鉄道の電化率はまだ10%程度であり、依然蒸気機関車が輸送の主役に立ち続けていた。これは1950年代に入ってからC63形の製造が計画されたことからもうなずける。この間、1949年にE10形5両が製造され、日本の蒸気機関車の製造は終了した。私達が子供の頃は、蒸気機関車にも乗りました。電気機関車は当時は乗り心地も非常に悪く、乗り物酔いの薬が必須だった思い出があります。 |
|||
日本の蒸気機関車 8620形式、C675 C11形式 |
ギュアナ(GUYANA)の蒸気機関車・切手 |
||
(タンク機関車) |
(テンダー機関車) |
||
■D51形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計した、単式2気筒で過熱式のテンダー式蒸気機関車。「デゴイチ」(「デコイチ」とも)の愛称は有名で、日本の蒸気機関車の代名詞にもなった。1936年から製造開始。動輪周馬力
1,280PS 。 |
|||
日本のテンダー機関車 D51形式、C57形式 |
日本のテンダー機関車 D52形式、C58形式 |
||
日本のテンダー機関車 C51形式、9600形式 |
日本の上記機関車 7100形式、C679 150形式 |
||
(テンダー機関車) |
(タンク機関車) |
||
蒸気機関車の種類 |
|||
スイス(1847年の蒸気機関車) |
スイス(1947年の蒸気機関車) |
キューバ(1837年,La Junta) |
キューバ(2-B-D No.12) |
チューリッヒ・バーデン間で操業 |
|||
manira-dagupan(フィリピン) |
1892年 Manila--Dagupanまで開通した当時使われてた機関車。歴史に関連して後ろに連結されてる貨車は、多数の死者を出した、フィリピンとアメリカの戦争を報道するため、General Aantonio Lunaが編集所と印刷所に使用した。 |
C62型蒸気機関車 |
蒸気機関車(ルーマニア) |
エジプト・1933年発行 国際鉄道会議から |
|||
エジプトの1号蒸気機関車 |
スチーブンソン社製 |
IAI形蒸気機関車 |
42BI形蒸気機関車 |
デンマーク最初の蒸気機関車 |
現在のSL(デンマーク,1947年) |
デンマークの郵便列車 |
エルサルバドルの蒸気機関車 |
(1947年) |
|||
■ロケット号とは、ロバート・スチーブンソン が設計した蒸気機関車。世界初の旅客鉄道である、リバプール・アンド・マンチェスター鉄道の機関車で、最高速度は時速46.6km/h。同鉄道で使用する蒸気機関車を選定するために行われたレインヒル機関車コンテスト(レインヒル・トライアル)に参加し、優勝した。後の蒸気機関車の標準となる煙管式ボイラーを初めて使用している。 |
|||
ロケット号・マンチェスター |
"Adler"ニュールンベルグ |
アメリカのSL(1860年) |
ウランバートルーnalajhを |
Stephenson's Rocket,1829 |
パイオニア号(シカゴ),1836 |
オリエント急行,1883 |
シベリア鉄道,1898 |
Drilling Rig,1926 |
Class B6,1910 |
Borsig engine,1925 |
7th class,1900 |
阿里山森林鉄道のSL |
満州(旧占領地)あじあ号 |
■左は満州鉄道(満鉄)の特急「あじあ」号パシナ形2C1形過熱テンダー機関車。南満州鉄道株式会社(略称: 満鉄.)は、日露戦争後の1906年(明治39年)に設立され、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦の終結まで中国東北部(旧満州)に存在した日本の特殊会社である。列車は流線形のパシナ形蒸気機関車と専用固定編成の豪華客車で構成される。 |
EAGLE蒸気機関車 |
鉄道1万キロ突破記念 1939年 |
パキスタンの鉄道100年 |
||
■阿里山(2663m)は台湾最高峰の玉山(新高山;3590m)の支峰です。鉄道は1906年(明治39年)日本の藤田組が着工しましたが財政的な問題などで一時中断したのち台湾総督府が工事を引継ぎ、1912年(大正元年)に嘉義-二万平間(66.6km)、1914年(大正3年)二万平-阿里山間(5.3km)が開通しました。この路線が現在の本線(阿里山線)で、その後奥地への木材積み出しの専用線が多数引かれました阿里山森林鉄道では、蒸気機関車、ディーゼル機関車、ディーゼルカー、客車、貨車が使用されました.阿里山第一世代の蒸気機関車は1910年から1917年にかけてアメリカのリマ(ライマ)社から輸入したシェイ式機関車です。この独特の駆動方式の機関車は、2シリンダーの18トンクラスが8両、3シリンダーの28トンクラスが12両の計20両が在籍しました。この機関車は阿里山鉄道を象徴する機関車で人気があり、現在台湾で16両が保存されています。 |
|||
19世紀の有名機関車(1975年,コンゴ)2B蒸気機関車の牽引するサンタフェ急行列車(1880)、 |
模型の蒸気機関車(米国) |
||
蒸気機関車(パラグアイ) |
モザンビーク鉄道の古典的蒸気機関車(1979年、モザンビーク) |
||
Cタンク機関車 狭軌用Bタンク機関車 2Bテンダー機関車 |
|||
1Bタンク機関車 1C1タンク機関車 2Dテンダー機関車 |
|||
1890年代の車掌車(USA) |
1870年代の蒸気機関車(USA) |
1870年代の歯車式鉄道(USA) |
1870年代の石炭運搬車(USA) |
乗り物の切手|蒸気機関車(SL:Steam Locomotive) |