Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

Kunioの世界の切手紹介と海外写真集
海外写真集|ヨーロッパ・ポルトガル共和国(Portuguese Republic) ヨーロッパでもっとも古い国の一つ

ホーム>海外写真集>ヨーロッパ>ポルトガル共和国(Portuguese Republic)


ポルトガル共和国(Portuguese Republic) 日本との接触の歴史も長い国

 ポルトガル共和国(Portuguese Republic)。 ヨーロッパ大陸南西部、イベリア半島西端に位置する共和国。正式名称はポルトガル共和国Repblica Portuguesa。大西洋に面し、アゾレス諸島およびマデイラ諸島を自国領に含む。首都はリスボン。国名はローマ時代のドーロ川河口付近にあった植民地ポルトゥス・カレPortus Cale(現在のポルト市)に由来する。国旗は緑と赤の地に国家の紋章をあしらう。12世紀から13世紀にかけてイスラム勢力と角逐し、1297年ほぼ現在の国境を確定した。その意味でヨーロッパでもっとも古い国の一つである。 大航海時代のスペインと並ぶ雄、ポルトガルはユーラシア大陸最西端の国家であり、かつてはヨーロッパ主導の大航海時代の先駆者ともなった。そのためヨーロッパで最初に日本や中国など東アジアとの接触を持った国家でもあります。 ポルトガルは2011年3月15-24日。
 旅行予定でしたが、スペインとポルトガルはツアー人数不足で中止、イタリアに変更になりました。当面は切手のみでご容赦下さい。
 ポルトガル政府観光局 (日本語)、ポルトガル観光貿易振興庁 (日本語)
 


 海外旅行写真|ヨーロッパ(Europa travel picture)

■ [ オーストリア(Austoria (2005年(Wien)|2006年(Zaltburug))|チェコ(Cezh)|フランス(France (パリ(Paris)
  |ルーブル美術館(Louvre))|オランダ(Holland)|ハンガリー(Hungary)|ドイツ(Germany (ベルリン、ポツダム(Berlin、Potsdam)
  |ロマンチック街道)|スイス(Switzerland)|イタリア(Italiana)|バチカン市国(Governor of Vatican City)
  |ポルトガル(Portugal)|スペイン(Spain) ]
 

下のサムネイルをクリックすると大きな写真で閲覧できます。   ご注意)写真は当方が撮影したもので著作権があります。

 ポルトガル共和国(Portuguese Republic) 大航海時代のスペインと並ぶ雄

■国名の由来は、ポルトの古い呼び名であるポルトゥス・カレの訛りに由来するとされている。 公式の英語表記は、Portuguese Republic (ポーチュギーズ リパブリク)。通称、Portugal (ポーチュゴル)。日本語の表記は、ポルトガル共和国。通称ポルトガル。漢字では葡萄牙と表記され、 葡と略される。
現在から35,000年前にはクロマニョン人がピレネー山脈を越えてイベリア半島に進出し始め、ポルトガルにもフォス・コア川沿いに動物壁画が残されている。紀元前3000年頃に新石器時代に突入すると、この地でも農業が始まった。 ポルトゥカーレ伯のアフォンソ・エンリケスは、1139年にオーリッケの戦いでムラービト朝を破ったことをきっかけに自らポルトガル王アフォンソ1世を名乗り、カスティーリャ王国との戦いの後、ローマ教皇の裁定によってサモラ条約が結ばれ、1143年にカスティーリャ王国の宗主下でポルトガル王国が成立した。ポルトガル人は、1541年〜1543年には日本へもやってきた。ポルトガル人の到達をきっかけに日本では南蛮貿易が始まり、織田信長などの有力大名の保護もあって南蛮文化が栄えた。

■ポルトガル料理は魚介類を使うことが多く、鰯、鯖、鮟鱇などの多様な魚の中でも、特に干鱈(バカリャウ)がよく用いられる。穀物としては小麦、トウモロコシ、ライ麦、米が用いられ、米はヨーロッパで最多の消費量である。他には豚肉が使われる。主な料理として、フェジョアーダ(ブラジルのものとは異なる)、石のスープ、ガスパチョ、パステル・デ・ナタ、アルフェニンなどが挙げられる。
ポルトガルワイン(ポルトワイン、マデイラワイン、ヴィーニョ・ヴェルデ、ダンワイン)は古くから高い品質を保っている。

 リスボン

■リスボン(ポルトガル語:Lisboa 、英語:Lisbon )はポルトガルの首都であり、ポルトガル最大の都市である。南ヨーロッパ有数のグローバル都市でもある。ポルトガルの政治、経済、文化、教育の中心である。リスボン港はポルトガル最大の海港。テージョ川沿いのすぐ近くまで丘が迫っており、市街地の多くはその丘の上に発達している。そのため坂の多い街であり、別名「7つの丘の街」とも呼ばれる。これらの坂を上り下りする市電とケーブルカーが名物。

■リスボンは古代からフェニキア人(カルタゴ人)などにより港として利用されてきた。当時はフェニキア語でアリス・ウボと呼ばれた。紀元前のギリシア人の集落跡が出土している。大プリニウスは『博物誌』でリスボンの創健者をオデュッセウスであるとしている。
ポルトガル語では「リジュボア」という。 リスボンは、ポルトガルの政治、経済、文化、教育の中心で、リスボン大学を始めとする高等教育機関の所在地でもあります。 リスボン港はポルトガル最大の海港です。
紀元前205年にローマの支配下に入り、オリピソの名で知られる。紀元前48年にはガイウス・ユリウス・カエサルによりローマ都市の資格を与えられ、フェリキタス・ユリアと改名。属州ルシタニアの首都となった。
また、15世紀はじめには大航海時代の幕開けとともに、世界貿易の中心都市となって35万人の人口を有し、当時の世界最大級の都市となった。

リスボンの
守護聖人「聖ヴィセンテ」彫像

リスボンの守護聖人「聖ヴィセンテ」彫像

4月25日橋とポルトガルのリスボンの街を見下ろすクリスト=レイ像 (Cristo-Rei)

4月25日橋とリスボンの街を見下ろすクリスト=レイ像 (Cristo-Rei) 4月25日橋とリスボンの街を見下ろすクリスト=レイ像 (Cristo-Rei)

■クリスト=レイ像 (Cristo-Rei)は、ポルトガルの首都リスボンを見渡すカトリックの記念碑。リオ・デ・ジャネイロにあるコルコバードのキリスト像に触発されて造られた。1959年5月17日除幕。当時ポルトガルはアントニオ・サラザールの独裁下にあり、像の建設はサラザールの命で行われた。 像はテージョ川左岸に建てられ、リスボン市街と対岸を望む。アルマダに属する。 像の基礎は建築家アントニオ・リノが造り、門の形をしていて高さは75mある。頂上にはフランシスコ・フランコ・デ・ソウサ設計の28mのキリスト像が立つ。184メートル地点の像の観察デッキで、そこからリスボン市街のパノラマとすぐ近くにある4月25日橋が眺められる。

△TOP

 世界遺産・エヴォラ歴史地区

■エヴォラ はポルトガル南東部アレンテージョ地方にある町紀元前57年、エヴォラは、共和制ローマの支配下に入った。。1世紀に建てられたディアナ神殿。ローマのものですが、こういう建築ってギリシャを思わせてとてもいい感じです。中世には柱の間をふさいで要塞として使われていた。ディアナは月の女神。ローマ帝国時代からアレンテージョ地方の中心地として栄え、ルネサンスの時代には、大学もおかれた学芸の都でもある。1584年9月には、伊東マンショらの天正遣欧少年使節が立ち寄った街でもあります。

エヴォラ歴史地区
ローマのディアナ神殿エヴォラ

ローマのディアナ神殿エヴォラ
(Roman Temple)

エヴォラ歴史地区
(ポルトガルの世界遺産)

エヴォラ歴史地区 ポルトガル 世界遺産 ローマのディアナ神殿エヴォラ エヴォラ歴史地区 ポルトガル 世界遺産 ローマのディアナ神殿エヴォラ エヴォラ歴史地区(ポルトガルの世界遺産)

ディアナ神殿(Roman Temple)、1世紀に皇帝アウグストゥスを祀るために作られた神殿。

ローマの遺産(モザイク画、建造物、彫像、彫刻)2006年

ギリシャ神話に登場する海馬“ヒッポカンポス”などのモザイク画
ローマの遺産(モザイク画、建造物、彫像、彫刻) 世界遺産 ポルトガル 2006年 世界遺産 ギリシャ神話に登場する海馬“ヒッポカンポス”などの
△TOP

 ロカ岬(Cabo da Roca)とシントラ(Sintra)

■ロカ岬(Cabo da Roca)は、ポルトガル共和国リスボン都市圏にあるユーラシア大陸最西端の岬である。位置、北緯38度47分、西経9度30分。西には大西洋が広がり、その遥か先にはポルトガル領のアゾレス諸島が点在する。シントラやカスカイスから、バスが出ており、リスボンからの日帰り観光も可能である。 またここには、ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスの叙事詩「ウズ・ルジアダス」第3詩20節の一節「ここに地終わり海始まる(Onde a terra acaba e o mar comeoa)」を刻んだ石碑が立っている。

■シントラ(Sintra)は、ポルトガルの都市で、首都・リスボンに隣接する地方自治体である。シントラの市街地には約27,000人が居住しているが、市全域では、36万人を超える人口を誇る。かつては王室の夏の離宮も置かれ、王宮とペナ宮殿はユネスコの「シントラの文化的景観」の名前で世界遺産に登録されている。また、ユーラシア大陸最西端のロカ岬への観光拠点でもある。シントラは、すでに11世紀のアラブ人の地理学者であるアル・バクルによる記述が残っており、後には、詩人バイロンが「エデンの園」と称賛した。

ポルト歴史地区
(ポルトガルの世界遺産)

バターリャ修道院
(ポルトガルの世界遺産)

ベレンの搭
(ポルトガルの世界遺産)

ジェロニモス修道院
(ポルトガルの世界遺産)

ポルト歴史地区(ポルトガルの世界遺産) バターリャ修道院(ポルトガルの世界遺産) ベレンの搭(ポルトガルの世界遺産) ジェロニモス修道院(ポルトガルの世界遺産)

マリア2世(MariaU、1953年)

■マリア2世(MariaU, 1819年4月4日-1853年11月15日)はブラガンサ朝のポルトガル女王(在位:1826年-1853年)。「教育王」(a Educadora)と呼ばれる。ポルトガルのコルテス(議会)は15歳のマリア2世に国王権力を正式に委譲した。

アズレージョ(装飾タイル)

伝統的操り人形「聖王妃」

イサベル2世(Isabel U, Isabel Maria Luisa de Borbon)


ポルトガルの女王

アズレージョ(装飾タイル) ポルトガル 伝統的操り人形「聖王妃」 ポルトガル

※ポルトガルの「シントラの文化的景観」として、1995年、UNESCOの世界遺産に登録された。主な物件は以下の通りです。
シントラ宮殿:14世紀にジョアン1世によって建てられた夏の離宮。
ペーナ宮殿: マリア2世の王配フェルナンド2世が建設した。
ムーアの城跡:7から8世紀にムーア人によって建設された。現在は、廃墟のようになっている。
レガレイラ宮殿:12世紀に建設された王族の別邸を利用して、20世紀前半に、イタリアの建築家ルイージ・マニーニによって改築された宮殿。

△TOP

ANAの旅行サイト【ANA SKY WEB TOUR】   カウンター