京都市写真集|ユネスコ世界遺産の金閣寺・銀閣寺 想い出写真 |
京都市
京都市は、京都府南部に位置する市。京都府の府庁所在地で、政令指定都市。日本の市では8番目の人口を有する。市内には794年(延暦13年)の遷都から、1869年(明治2年)の東京奠都までの1,000年以上にわたって日本の首都として平安京が置かれていたため、「古都」と呼ばれています。古くは京都が日本の政治・文化の中心となっていて、第二次世界大戦の戦災から免れたことから、国宝の約20%、重要文化財の約14%が京都市内に存在する。
1994年(平成6年)に、近隣の宇治市内と滋賀県大津市内に所在するものを含め、17件の文化財が世界遺産に登録された。 このページでは仕事の関係で京都市内(烏丸三条他)に10年間生活し、気が付けば何の写真も残っていないので、改めて撮り直した。 2020年8月現在、今は新型コロナウイルス感染症(
COVID-19(coronavirus disease 2019))が蔓延している状況で、写真や情報は2016年8月段階のものです。 まずは世界遺産の金閣寺と銀閣寺をご紹介。
ご注意)画像の無断転用はお断りします。
※ページの索引 [金閣寺|銀閣寺] 古都京都の文化財の切手
金閣寺
鹿苑寺は、京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺。建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築である舎利殿は金閣、舎利殿を含めた寺院全体は金閣寺)と呼ばれる。
寺名は開基(創設者)である室町幕府3代将軍足利義満の法号・鹿苑院殿にちなむ。 昭和25年(1950年)に放火により焼失し、昭和30年(1955年)に再建された。平成6年(1994年)にユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」の構成資産に登録されている。 残念ながら国宝はありません。
■室町幕府8代将軍足利義政は、祖父の義満が建てた舎利殿に倣い、造営中の東山山荘に観音殿(近世以降銀閣と通称される)を建てた。銀閣(慈照寺観音殿)、飛雲閣(西本願寺)と併せて「京の三閣」と呼ばれる。
■鹿苑寺金閣は国宝保存法により国宝に指定されていたが、1950年(昭和25年)7月2日未明、学僧・林承賢(当時21歳)の放火により炎上(金閣寺放火事件)。国宝金閣(舎利殿)は全焼、国宝足利義満坐像、伝運慶作の観世音菩薩像、春日仏師作の夢窓疎石像等10体の木像等も焼失した。
銀閣寺
慈照寺は、京都府京都市左京区銀閣寺町にある、臨済宗相国寺派の仏教寺院。相国寺の境外(けいがい)塔頭である。 室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築と庭園を有する。室町幕府第8代将軍足利義政が鹿苑寺の舎利殿(金閣)を模して造営した楼閣建築である観音殿は銀閣、
観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺と呼ばれる。「古都京都の文化財」の一部としてユネスコ世界遺産に登録されている。山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は足利義政、開山は夢窓疎石とされている。
■銀閣寺の俗称のとおり、慈照寺の象徴というべきものがこの観音殿(銀閣・国宝)です。義政公は自らの宗教観を託し、一層を心空殿(シンクウデン)、二層を潮音閣(チョウオンカク)と命名しました。鹿苑寺(ロクオンジ)の舎利殿(シャリデン)(金閣)、西芳寺(サイホウジ)の瑠璃殿(ルリデン)を踏襲、唯一現存する室町期の楼閣庭園建築の代表的建造物として有名です。白砂の砂盛り向月台(コウゲツダイ)と、波紋を表現した銀沙灘(ギンシャダン)とのコントラストは、訪れる人々を立ち去り難い世界に誘います。
■哲学の道は京都市左京区にある琵琶湖疏水分線に沿った歩道。
永観堂付近にある熊野若王子神社前の冷泉通若王子橋を南端として始まり、東山山麓の琵琶湖疏水に沿って銀閣寺西の今出川通銀閣寺橋を北端として続く約1.5kmの散歩道。
■世續茶屋前の、「銀閣寺開祖将軍義政公御近習頭(中尾城矢倉御殿采配)世續左衛門丞宗竹入道(殉死)拝領跡」の碑
世續(よつぎ)の名は、1480年代に三代足利将軍、義政が京都に東山殿山荘〔現在の銀閣寺)を開いた際、世續左衛門丞がこの地に近習頭(きんじゅうかしら)4人の筆頭として関東から同行して以来続いている古い家柄です。 近習は主君の側近く仕えること。またその人。
■に志田:京みやげ 茶房 花ぎんかくの飲食部門である、湯葉料理 に志田は、数寄屋風の完全しつらえで、店内も非常に趣があります。料理は京都にこだわりの生ゆばくみあげ造りと、くみあげゆばの葛御飯が特に注目。
慈照寺銀閣 |
鹿苑寺金閣 |
鹿苑寺金閣 |
慈照寺・雪の銀閣、慈照寺・銀閣 |
京都・金閣寺(国連発行) |
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注)Wikipediaと金閣寺や銀閣寺のHP、公式パンフレットを参考にさせてもらっています。
京都市写真集|ユネスコ世界遺産の金閣寺・銀閣寺 |