世界のフィギュア(人形等)やプペット・影絵・切り絵・操り人形の切手
世界のフィギュア(人形等)や影絵・切り絵・操り人形の切手です。フィギュア(figure フィギア、フィギャー)は日本においては主に、キャラクターやロボットなどの立体造形物をさす言葉。本来の意味は「人の形をしたもの」。もともとは英語圏で、人の形を模したものを指す一般的な言葉であり、必ずしも立体をさす言葉でも無かった。また人の形を模したものを、すべてフィギュアと呼ぶかと言えばそうではなく、西欧圏では日本で言うところのフィギュアは、スタチューという呼び方の方が一般的と言える。また彫刻によってつくられた像はスカルプチュアと呼ぶ(彩色の有無、素材の違い、技法の違いなどから別称される)。彫刻・彫塑・立像などの分類から外れたものを指すことが多い。大航海時代の帆船が船首に取り付けていた像(多くは旅の安全を願うお守りで女神や妖精などの美女であることが多い)をフィギュア・ヘッドと呼ぶなど、西欧圏で一般化した言葉である。イスラム圏では人形文化そのものがほとんど発達していない。これは宗教上の理由(偶像崇拝の禁止)によるものだそうです。影絵や操り人形・人形劇(マリオネット、プペット)、人形浄瑠璃なども範疇に入れました。「人形の町」(東ドイツ)18世紀のチューリンゲンの宮廷と街を縮小し再現したもの、音楽家のバッハ縁の地のドイツのアルンシュタット博物館蔵は、フィギュアでは圧巻です。アメリカンフォークアートの人形(ドール)たちも可愛いですね。クリスマスに因んだフィギュアも多い。
最後に人形供養で有名な和歌山県・加太の淡嶋神社を紹介。(詳細は写真・関西で) "人形", "影絵"の最新ニュースを配信中。
マンガや娯楽・玩具の切手の索引 |
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フィギュア |
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■モナコ国立人形博物館:1972年にオープンした国立人形博物館は、主に19世紀後半から20世紀初頭のアンティーク人形を200点以上展示する、世界最大のドールコレクションです。パリとモンテカルロのオペラ座を設計したシャルル・ガニニエの手がけた建物と、40種以上のバラが見られるバラ園も見事です。その中からの人形・フィギュアが切手になっています。(モナコ政府観光会議局
日本事務所) |
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フランス・プロバンス地方のフィギュア(モナコ、1984年、クリスマスグッズ用) |
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羊飼い・フィギュア |
目が不自由な人・フィギュア |
幸せな男・フィギュア |
糸巻きする女・フィギュア |
エンジェル・フィギュア |
ニンニク売り・フィギュア |
ドラマー(太鼓をたたく男) |
ナイフ(包丁)砥ぎ師 |
年老いた夫婦・フィギュア |
お気に入りのフィギュア |
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籠つくり(モナコ、1992年) |
魚屋のおばさん(Fishmonger、 |
ドラマー・フィギュア |
アリエスからの女性 |
ハンガリーのフィギュア |
ハンガリーのフィギュア |
ハンガリーのフィギュア |
イエメン発行の人形浄瑠璃 |
大阪万国博覧会で発行 |
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ポーランドの人形(フィギュア)・・泥人形のようです。 |
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スイスのガラス製の木馬に乗る人とサンタクロース |
東ドイツの人形(フィギュア) 兵隊さんと王様とお妃 |
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「人形の町」(東ドイツ)18世紀のチューリンゲンの宮廷と街を縮小し再現したもの、アルンシュタット博物館。 |
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陶器と鏡台/見世物小屋の呼び屋/酒造でワインを賞味する主人/樽師と職人/肉屋の女主人と物貰いの女 |
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■アルンシュタットはテューリンゲンの森の麓にある街で、城の“ミニチュアコレクション”で有名です。テューリンゲンの森の入り口にあるオーアドルーフはかつて要塞都市でしたが、子供の顔をモデルにした人形キャラクターベビーや揺り木馬発祥の地でもあります。エーレンシュタイン城の市博物館に行けば、おもちゃ製造の歴史がよく分かります。ここでは焼き物や木工のほか、製紙業の伝統もありました。トゥルーゼタール渓谷の滝の側には小人公園があり、庭に置く小人人形が一揆の準備をしています。トゥルーゼタール渓谷にある”ヒューン”鉱山博物館では、実際に鉱山を体験できます。また今でも本物のトロッコが走行していて観光に花を添えます。(ドイツ観光局) |
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アメリカン・ドール(人形)コレクション アメリカンフォークアート美術館 |
ニューヨーク近代美術館MoMA(11 W 53rd St.) は、2011年に買収したAmerican Folk Art Museum(アメリカン・フォーク・アート美術館)の旧展示場ビル(45 W 53rd St.)取り壊しを発表した。82階建ての新タワー建設を予定しているMoMAは、現美術館と新タワーをつなぐ空中通路のスペース確保のために、買収したビルの取り壊しを発表。同ビルの透明感のない外観は、MoMAの美術的価値観に一致しないとして、今回の決定に至った。 アメリカン・フォーク・アート美術館は1961年に設立され、2001年にMoMAに近接した場所にビルを建設するも経営が悪化。救済措置としてMoMAが買収し、アメリカン・フォーク・アート美術館はリンカーン・センター近くに位置する小規模なスペース(2 Lincoln Square)に移動した。 |
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フォークアートとは、それぞれの地域社会が共有する価値観と美学を伝え、文化の独自性を表すものである。 |
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メキシコ・ジャリスコ地方トナラのフィギュア(人形) 王様と天使 |
フランス人形 コレクションドール(フランス、2009年) |
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フランス人形 : 磁器人形、ロードイド人形(GeGe社製)、ぬいぐるみの人形、ベラ人形、セルロイドのベビー人形(プチコラン社製)、ビスクドール/ジュモー・べべ 皆可愛い人形です |
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モナコ・フィギュア |
モナコ・フィギュア |
モナコ・フィギュア |
日本人形(モナコ) 扇子 |
スラニアによる彫刻凹版切手。4種のうち1種は日本のからくり人形を描いており、スラニアの作品の中では数少ないジャポニカ切手の一つ。 モナコ 1994.1発行。 |
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Creche figure |
Creche figure |
Creche figure |
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■テディベア(Teddy bear )は、クマのぬいぐるみ。その名前は、第26代アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトに由来する。 |
テディベア(Teddy bear ) |
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ルクセンブルグのフィギュア(キリスト教に関する出来事、1973年) |
羊飼いや聖アンナ/クリスマスグッズ |
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ジブラルタルのクリスマスに因んだ陶器のフィギュア(2007年) |
ジブラルタルのクリスマスに因んだ陶器のフィギュア(2007年) |
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パラオの2008年に発行されたクリスマスに因むフィギュア(キャンドルを持つ天使、ヴァイオリンを弾く天使、天使)と |
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民族衣装(仏領ポリネシア) |
ギターを持つ少女 |
民族衣装の女性 |
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カンガルー、マルハナバチの |
■バービー(Barbie)はアメリカの玩具メーカーマテル社が販売する着せ替え人形。30cmサイズ。マテル社の創業者であるポーランド系ユダヤ人のルース・ハンドラーがスイスへ旅行へ行った際に、娘のバーバラへの土産に購入したセクシードール、リリ(Lilli)が元になっている。そのため、極端なプロポーションを持っている。バービーは、本名:バーバラ・ミリセント・ロバーツ(Barbara Millicent Roberts) 、年齢:17歳 、職業:ファッションモデル |
バービー人形誕生50年 |
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バービー誕生50年記念Pスタンプのバービーコレクション「トラベル・アンド・キャリアウーマン」。様々なスタイルのバービー(ロンドン、パリ、ニューヨーク、イタリア、宇宙を旅するバービー。キャビンアテンダント、ファッションモデル、ファッションデザイナーなどキャリアウーマンに扮したバービー。) 「グラマー」。オートクチュールを着たゴージャスなバービーとバービーがモデル。(右) いずれもタイの発行で2009年、2010年 |
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カナダのフィギュア(人形) 親子 |
カナダのフィギュア(人形) 赤ちゃんと子供 |
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こけし(東北の玩具、1955年) |
三番叟人形(日本、1953年) |
阿波の木偶人形(日本) |
台湾の木製の人形(1967年) |
■阿波の木偶人形「阿波十郎兵衛」は、浄瑠璃作家近松半二の傑作「傾城阿波の鳴門」のモデルとなった庄屋・坂東十郎兵衛の事です。「傾城阿波の鳴門」とは、徳島藩のお家騒動に絡んで、阿波の十郎兵衛・お弓の夫婦は主君の盗まれた刀を詮議するため大阪玉造に盗賊銀十郎と名を変え住んでいる。そこへ巡礼姿の娘お鶴がはるばる徳島から父母を尋ねて来る。お弓は我が子と分かるが、そこで親子の名乗りをしたのでは、我が子にどんな災いが来るとも限らない。お弓は涙を飲んで別れる。名残惜しげに見送るのだが、ここで別れては今度いつ会えるか分からぬと追いかける。ここまでが順礼歌の段。十郎兵衛住家の段では、お弓と別れたあと、十郎兵衛はお鶴と出会う。我が娘とは知らない十郎兵衛は、金欲しさに我が子に手をかけ殺してしまう。 |
「青い目の人形」(神奈川) |
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享保雛 右は、世界人形劇フェスティバル飯田 人形劇の舞台であやつり人形 |
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■1979年に第1回の「人形劇カーニバル飯田」を開催して以来、今年は20年目という節目を迎えました。これを記念して、世界の人形劇が飯田に集い、平成10年8月2日(日)から9日(日)まで世界人形劇フェスティバルが開催されました。 開催中は、「人形劇のまち飯田」の各所において国際色豊かな人形劇が繰り広げられた。 |
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ベトナムのフィギュア(泥人形?) |
兵隊の人形(ドイツ) |
騎馬兵の人形(ドイツ) |
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ベトナムのフィギュア(泥人形?) 農作業、釣り、お祭りの太鼓たたき・・・ |
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モナコ・フィギュア |
台湾の人形(男女の子供)、 |
モナコ・フィギュア |
モナコ・フィギュア |
影絵・切り絵・操り人形・人形劇 |
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■タイの操り人形劇:フン・ラコーン・レック(Hun Lakorn Lek )は消滅の危機にある芸術、伝統的なタイの操り人形劇です。 この劇は、宮廷で演じられてきた伝統的なタイの仮面舞踊コーンに基づいています。コーンとはラーマーヤーナの叙事詩の挿話を基にした舞踏です。 フンラコーンレックに命を吹き込むには、芸術的表現の現れ、つまり人形をうまく作る高度な技術、仮面や衣装、音楽、背景幕、そして特に操り人形師の腕が関わってきます。 人形はそう大きくはありませんが、1体の人形(フン・ラコーン・レックの人形は、体長約1メートル)を3人の人形師がひとつになって操ることで、本物の技術が人形の動きの操作に表れます。この技術を完全に会得するには何年もかかります。 すぐれた技術は人形を魅力的で優雅な生あるもののように、まるで小さい演技者であるかのように見せます。操り人形劇や影絵の分野ではタイ王国国家芸術家 (人間国宝)を多数輩出しています。 |
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プペット操り人形(タイ、1977年) |
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世界人形劇フェスティバル(おはな、少女、影絵の女性、騎士 日本、1988年) |
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タイの影絵の人形 |
指人形(台湾、京劇,1967年) |
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■タイの影絵は、ナン・タルンと呼ばれ、スクリーンの前からは影絵で、後からは 色鮮やかな人形劇として見られます。象の鞣革(なめし皮)に彫金し、細工した影絵人形。 |
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チェコスロバキアの切り絵 |
ジャワの人形(日本占領地) |
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ブルガリアの歴史を模した切り絵(ブルガリア、1970年) |
人形劇の人形 |
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チェコスロバキアの切り絵 |
チェコスロバキアの切り絵 |
■マリオネット(仏: Marionnette、英: Marionette)は、人形劇でよく使われる操り人形の一つであり、特に糸で操るものを指す。日本では糸繰り人形とも言う。マリオネットは中世フランスに起源を持ち、世界中で見受けることが出来る。マリオネットを扱った有名な話として『ピノキオ』が上げられる。 また、映画『サウンドオブミュージック』にはマリオネットがずいぶん正確に書かれた場面があります。『サンダーバード』の作者として知られるジェリー・アンダーソンによってスーパーマリオネイション(supermarionation)と呼ばれ、顔に使う部品もコントロールできる技術も開拓されている。『ひょっこりひょうたん島』も、マリオネット、あるいは操り人形で撮影された人形劇である。『からくりサーカス』には、人間サイズ(ないしはそれより大型)のマリオネットが武器として多数登場します。 |
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チェコスロバキアの操り人形(1955年) 少女、ピエロ・・・ |
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ギリシャの影絵のフィギュア(1996年) |
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操り人形(ドイツ) 道化師、ピエロ |
■ギリシャの影絵劇「カラギョージス」の主人公カラギョージスは、ねこ背で裸足。もう貧しすぎて身なりなんて構っていられない、という人物です。冗談は時折きついのですが、本当のところ心は優しく、楽観的で怠け者ながら、なんにでも興味津々で鼻を突っ込んでいって、自分や周囲の人をからかったり皮肉ったりします。ギリシャでは、「カラギョージス」とは単に劇の人物というだけでなく、日常的に、比喩で見た目や行動が笑いを誘う人などを表現する言葉にもなっています。「カラギョージス」とは、トルコ支配下のギリシャで、トルコ・ギリシャ両国で伝え継がれた影絵人形劇、そしてその劇の主人公自身のことです。ギリシャにおいて「カラギョージス」とは庶民のヒーローであり、トルコ支配下のギリシャで、貧しく苦しい生活の中、ずる賢く生き抜くギリシャ人を象徴する存在でした。 |
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人形供養で有名な和歌山県・加太の淡嶋神社 |
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加太・淡嶋神社 木彫り熊 |
3月3日のひな流しで有名 |
加太・淡嶋神社 招き猫 |
加太・淡嶋神社 |
■和歌山県にある加太・淡嶋神社は、その昔、神功皇后が三韓出兵からお帰りの際、瀬戸の海上で激しい嵐に出会いました。 沈みそうになる船の中で神に祈りを捧げると、お告げがありました。 「船の苫(とま)を海に投げ、その流れのままに船を進めよ。」 その通りに船を進めると、ひとつの島にたどり着く事が出来ました。 その島が、友ヶ島です。その島には、少彦名命と大己貴命が祭られていて、皇后さまは助けてくれたお礼の気持ちを込めて、持ち帰ってきた宝物をお供えになりました。 その後、何年か経ち、神功皇后の孫にあたられる仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来られ、いきさつをお聞きになりました。そこで、島では何かとご不自由であろうと、お社を対岸の加太に移され、ご社殿をお建てになったのが、加太淡嶋神社の起こりとされています。 供養のために2万体ともいわれるひな人形が奉納されている本殿は天正13年(1585年)、豊臣秀吉の紀州征伐で全焼した後、浅野幸長が再建、紀州徳川家初代・徳川頼宣が修復、江戸時代末期に第十代・徳川治宝が造営したものである。昭和54年(1979年)には傷みが目立つようになった社殿を覆うような形で新社殿が造営された。 神宝として神功皇后奉納の金銅造丸鞘太刀(国宝)、護良親王奉納の大円山形星兜(国宝)などが伝わり、この神社が古くから皇族や有力武士の厚い崇拝を受けていたことがわかる。 境内には紀文の帆柱(紀国屋文左衛門のみかん船の帆柱。願い事を唱えながら、この柱の穴をくぐり抜けると、願い事が叶うと言われています)があります。 |
世界のフィギュア(人形等)やプペット・影絵・切り絵・操り人形の切手 |
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