アフリカ・エジプトの写真|ルクソールの東岸 ルクソール神殿(LUXOR) |
ルクソール神殿(LUXOR)
ルクソール神殿(LUXOR)は、元々、カルナック神殿の中心を形成するアメン大神殿の付属神殿として新王国時代エジプト第18王朝ファラオ・アメンホテプ3世によってアメン・ラー神が妻ムートとの結婚1周年を記念して、アメン・ラー神に捧げるために建立された。 アメン大神殿とはスフィンクスの参道で結ばれていた。 神殿入口にはラムセスU世の坐像、その手前にはオベリスクが1本立っている。 初期の物はエジプト第18王朝アメンホテプ時代からのもの。 ツタンカーメン時代に修復がなされ、ラムセス2世(19王朝)は新しい入り口の塔門と中庭を付け加えた。 ルクソール神殿は、何世紀にもわたって高さ約15mもの瓦礫の下に埋もれていた遺跡で、フランスの考古学者のガストン・マスペロによって発掘が始まったのは1884年(明治14年)のこと。 周辺は未だに発掘調査中。
昼間とライトアップされた夜のルクソール神殿。 [ ブログ・FB ]
ルクソール神殿(LUXOR)
■神殿の入口にはラムセス2世によって建造された巨大な塔門があり、大きなラムセス2世の座像が1対構えています。 大列柱廊には巨大なU列14本の開花したパピルス柱(柱の上が花開いた形になっている)があり、アメンヘテプV世の中庭へと続いています。(新王国時代)
■オベリスク(obelisk)は、古代エジプト(特に新王国時代)に多く製作され、神殿などに立てられた記念碑(モニュメント)の一種。オベリスクの呼称自体は後世のギリシャ人たちがオベリスコ(串)から名付けたものであり、元来は「テケン(保護・防御)」と呼ばれていた。現在エジプトに立っているのは7基で、国外に持ち出された23基と合わせ30基が知られている。右側のオベリスクはムハンマド・アリ(1769〜1849)が1833年にフランス国王ルイ・フィリップに贈ってしまい、今は片方しか見ることができない。
ルクソール神殿入口の神殿の上に建てられたモスク(13世紀、聖人エル・ハガック) |
ライトアップされたルクソール神殿の第一塔門とオベリスク(高さ25m、重量254トン)とラムセスU世像。右側のオベリスクはフランスのコンコルド広場に。(ルクソール神殿の夕陽とライトアップの風景) |
|
■モスク(13世紀、聖人エル・ハガック)は、13〜19世紀にかけて建てられたエル=ハッジャージ(エル・ハガック)のモスクであった。バグダッド出身で、ここで生きて1243年に亡くなったイスラム聖人エル・ハガックを賛える所だった。 |
||
アメンヘテプV世の中庭から見た大列柱廊 |
ルクソール神殿とモスク |
|
■ルクソール神殿入口(Entrance of Luxor Temple)の第一塔門のオベリスクは本来左右2本あったが、右側の1本はパリに運ばれ、現在コンコルド広場にある。(詳細は「フランス」) |
■ルクソール神殿に入ってオベリスクの裏の左手の13世紀に造られたモスクは、アブ・エル・ハッジャージのモスクと呼ばれています。砂に埋もれていたルクソール神殿の上に建造。
■大きな開花式のパピルス柱(高さ19m)の大列柱廊の左右の柱にはオペトの祭りのレリーフが多数描かれている。
■ルクソール神殿の第二塔門をくぐるとラムセスV世の列柱廊があり、ツタンカーメン時代に施されたオペト祭りのレリーフが生き生きと描かれている。
■オベリスクは太陽神信仰が盛んだった古王国時代第五王朝時代(B.C.1500年頃)は、短くて太い石柱で神殿の中心に1本据え、崇拝の対象とした神殿が建てられていた。新王国時代になると塔門の前に2本のオベリスクを装飾をかねて建立するようになった。多くはアスワンで産出する花崗岩が使われた。 今、エジプト国内には10本のオベリスクしか残っていない。
■オペト祭:カルナック神殿やルクソール神殿の開花式のパピルス柱(高さ19m)の大列柱廊の左右の柱にはオペトの祭りのレリーフが多数描かれている。 オペトというのはそのものが「大収穫祭」とか「大祭」という意味なんですけど、オペトという固有名詞となっているので我々は「オペトの祭り」と言っています。豊穣神オペトの祝祭でアメン神の祝祭と同じ時期に年に一度、増水期(アケト)の第2の月に11日間に渉ってとり行われた。アメン神、その妻ムゥト神、息子のコンス神の像が聖船の輿にのり、カルナック神殿からルクソール神殿まで練り歩く祭り。
セラピス神の礼拝堂 |
世界遺産 エジプト・ルクソール ルクソール神殿の入場券 |
|
ルクソール神殿の第一塔門とラムセスU世像 |
||
ラムセスV世神殿 |
||
■列柱の間を通って奥に進むと至聖所の前のホールに出る。ルクソール神殿は、ローマ帝国で排斥されたキリスト教信者がこの地に来て、後にコプト教の礼拝の場として使われていました。その名残が壁面に残っています。
■セラピス神の礼拝堂は、古代エジプトよりはるかに後のローマ帝国統治時代に、ハドリアヌス帝によって建てられた礼拝堂。この時代にローマはこの神殿を要塞とした。セラピス神の詳細は「アレキサンドリア」。
Luxor Temple is a large Ancient Egyptian temple complex located on the east bank of the River Nile in the city today known as Luxor (ancient Thebes) and was founded in 1400 BCE. , Known in the Egyptian language as ipet resyt, or "the southern sanctuary", the temple was dedicated to the Theban Triad of Amun, Mut, and Chons and was built during the New Kingdom, the focus of the annual Opet Festival, in which a cult statue of Amun was paraded down the Nile from nearby Karnak Temple (ipet-isut) to stay there for a while, with his consort Mut, in a celebration of fertility - whence its name.
ブログとFacebook
ブログ |
|
|
|
アフリカ・エジプトの写真|ルクソールの東岸 |