Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

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スポーツの切手|世界のサッカー (Soccer)

 世界のサッカーに関する切手です。サッカー (Soccer) は、数あるフットボールのうち、アソシエーション・フットボールないしはアソシエーション式フットボール等と示されます。サッカーで最初の国際大会は、オリンピックにおけるサッカー競技であった。公開競技としては第一回のアテネオリンピックから行われており、1908年のロンドンオリンピックで公式競技として採用された。1904年に結成された国際サッカー連盟(FIFA)は、1930年からプロフェッショナルも出場可能なFIFAワールドカップを開始した。なお、「ワールドカップ」という名称を最初に用いたのはサッカーである。以降アマチュア中心のオリンピックは急速に興味を失われていくことになる。世界のサッカー団体の頂点にたつのが「FIFA=国際サッカー連盟」です。FIFAは、サッカーの国際統括団体として、最大のイベント「ワールドカップ」の主催・運営を行っており、このFIFAの傘下に6大陸ごとにサッカー連盟が存在します。AFC=アジアサッカー連盟、CONCACAF=北中米カリブ海サッカー連盟 、CONMEBOL=南米サッカー連盟、CAF=アフリカサッカー連盟、OFC=オセアニアサッカー連盟、UEFA=欧州サッカー連盟の6つの大陸連盟に各国のサッカー協会が加盟しているのです。因みに、Jリーグの発足は1993年(平成5年)です。 

 

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サッカー オリンピックと地区大会

ユーロ2004・ギリシャ優勝 国旗と優勝杯、喜ぶ選手、選手と優勝杯(ギリシャ、2004年)

ユーロ2004・ギリシャ優勝 国旗と優勝杯、喜ぶ選手、選手と優勝杯(ギリシャ、2004年) ユーロ2004・ギリシャ優勝 国旗と優勝杯、喜ぶ選手、選手と優勝杯(ギリシャ、2004年)

■UEFA欧州選手権(ユーロ、UEFA European Football Championship)は、欧州サッカー連盟(UEFA)が主催する、ナショナルチームによるサッカーの大陸選手権である。EURO(ユーロ)とも呼称される(たいていは年度を付加して“EURO2008”などのように使われる)。4年に1度、ワールドカップの中間年に開催される。州において、UEFA欧州選手権はFIFAワールドカップに次ぐ重要な大会と考えられている。 

欧州連合サッカー選手権
(リヒテンシュタイン)

ヨーロッパ・ジュニアサッカー選手権(ルーマニア、1962年)
背景はヨーロッパの地図

欧州連合サッカー選手権
ピッチ(スイス、2008)

サッカー(ルーマニア) ヨーロッパ地図 欧州連合サッカー選手権(スイス、2008) サッカー 

サッカーの様子(オーストラリア、2006年)
ヘッディング、シュート、ゴールキーパー、右は拡大

サッカー(アルバニア、1952年)
サッカーボール

第6回世界サッカー選手権
(スウェーデン、1958年)

サッカーの様子(オーストラリア、2006年)ヘッディング、シュート、ゴールキーパー サッカーの様子(オーストラリア、2006年)ヘッディング、シュート、ゴールキーパー サッカー(アルバニア、1952年) サッカーボール 第6回世界サッカー選手権(スウェーデン、1958年)

アフリカ諸国カップ・サッカー、大陸をかたどったマスコット、
人、サッカーボール、トロフィー(チュニジア、2004年)

皇帝・ベッケンバウアー、
アンディ・ウォーホル画

東京オリンピック・サッカー

アフリカ諸国カップ・サッカー、大陸をかたどったマスコット、人、サッカーボール、トロフィー(チュニジア、2004年) アフリカ諸国カップ・サッカー、大陸をかたどったマスコット、人、サッカーボール、トロフィー(チュニジア、2004年) ベッケンバウアー、アンディ・ウォーホル画 東京オリンピック・サッカー

■フランツ・アントン・ベッケンバウアー(Franz Anton Beckenbauer, 1945年9月11日 - )は、ドイツ(旧西ドイツ)・ミュンヘン出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ピッチ上で味方の選手達を操るその威風堂々とした風格と、『神よ、皇帝フランツを守り給え』に詠われたオーストリア皇帝フランツ1世(最後の神聖ローマ皇帝フランツ2世)と同じファーストネームであることから、der Kaiser(皇帝)と呼ばれた。バイエルン・ミュンヘンでは長らくリベロの役割を任されていたが、代表では1966年と1970年の2つのW杯で中盤の底(今で言うボランチ)で攻守のバランスを取りながら果敢にゴール前に上がり、チャンスメイクと自らゴールに向かう動きをみせていた。 1971年から代表でもリベロに移り、1972年の欧州選手権と1974年のW杯という2大タイトルの制覇に大きく貢献した。 

サッカー ペレとマラドーナ 北京オリンピック(2007年)

サッカー ペレとマラドーナ 北京オリンピック(2007年)

サッカー・ユーロ96 (西ドイツ・フランス・オランダ・デンマーク) 英領ジブラルタル発行

Jリーグ

サッカー◎ユーロ96☆西ドイツ・フランス・オランダ・デンマーク★英領ジブラルタル発行 Jリーグ Jリーグのマスコットと開幕時の公式サッカーボール


Jリーグのマスコットと開幕時の公式サッカーボール

第1回世界女子サッカー選手権(中国、1991年)

■FIFA女子ワールドカップ(FIFA Women's World Cup)は、国際サッカー連盟(FIFA)が主催する女子サッカーの世界選手権大会で、国または地域を代表して選出されるナショナルチームにより行われる。 第3回大会までの正式名称は「FIFA女子世界選手権」(FIFA Women's World Championship) であったが、すでに通称として「ワールドカップ」と呼ぶこともあった。なでしこジャパン(日本女子代表)は第1回から5回連続して出場している。
第6回FIFA女子ワールドカップは、2011年6月26日から7月17日にかけドイツで行われる予定の、FIFA女子ワールドカップ第6回大会で。
女子ワールドカップは1991年から4年に一度、近代オリンピックの前年に開催されてきたが、第6回大会については一時、男子大会と同じ年に開催することも検討された。しかし最終的にはそれまでと同様、4年後の開催となった。

第1回世界女子サッカー選手権(中国、1991年)

ヨーロッパ・サッカー選手権(スウェーデン、1992年)

ヨーロッパ・サッカー選手権(スウェーデン、1992年)

左はグンナー・ノルダル
右はT.ブローリンとL.マッタウス
UEFA欧州選手権

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 FIFAワールドカップ・サッカー

2010 FIFAワールドカップ(英語: 2010 FIFA World Cup South Africa)は、2010年6月11日から7月11日まで南アフリカで開催される第19回FIFAワールドカップ。大会会場の半数が1000mを超える高地。

FIFAワールドカップ・南アフリカ大会(2010年)

FIFAワールドカップ・ユニフォーム型の変形切手
(バヌアツ、2006年)

FIFAワールドカップ・南アフリカ大会(2010年)

サッカー応援用の管楽器「ブブゼラ」を吹く人と
「南アフリカ」の文字(2010 FIFA World Cup South Africa)

FIFAワールドカップ・ユニフォーム型の変形切手(バヌアツ、2006年)

アルゼンチン、フランスなどW杯で過去に栄冠をつかんだ優勝国のうち6カ国が、躍動感をそのままに切手に再現されています。優勝国の国旗と優勝年度がデザインされていますので、過去にその国が何度優勝国となっているかも一目でわかります。(イギリスで2006年)

日本と韓国で開催されたワールドカップ(2002年)

■2002 FIFAワールドカップは、日本と大韓民国(韓国)で共同開催された第17回FIFAワールドカップ。
21世紀に入って、初となるFIFAワールドカップは大会史上初めてとなる日本と韓国の2国間による共同開催となったが、大会はアジアで開催された事自体が初めてでもあった。2002年5月31日 - 6月30日の31日間に、日本と韓国それぞれ10カ所、計20都市で64試合を行った。 ブラジルが優勝し、ドイツが準優勝となった。開催国である日本は決勝トーナメント進出、韓国は4位の成績を残した

FIFAワールドカップ(2002年)の時、中国で発行された
切手シート(縮小)

ワールドカップ(中国香港、2002年)

サッカーに関する書籍・DVD紹介

ワールドカップ・メキシコ'86
(ルーマニア、1986年)

ワールドカップ・メキシコ'86 ボールのトラップ(ルーマニア、1986年)

 ボールのトラップ

日本と韓国で開催されたワールドカップ(2002年)の寄付金切手 マスコット・スフェリックス 
高円宮夫妻が韓国を公式訪問し、開会式に出席した。皇族の韓国訪問は第二次世界大戦後初である。

日本サッカーの飛躍/1198W杯アジア地区最終予選

日本と韓国で開催されたワールドカップ(2002年)の寄付金切手 マスコット・スフェリックス 日本と韓国で開催されたワールドカップ(2002年)の寄付金切手 マスコット・スフェリックス 日本サッカーの飛躍/アジア地区最終予選

サッカーワールドカップ・アルゼンチン大会(1978年)
ヘッディング、オーバーヘッドキック(ルーマニア)

FIFAワールドカップ(1998年)フランス大会・サッカーボール

サッカーワールドカップ・アルゼンチン大会(1978年)ヘッディング、オーバーヘッドキック(ルーマニア) サッカーワールドカップ・アルゼンチン大会(1978年)ヘッディング、オーバーヘッドキック(ルーマニア)

1998 FIFAワールドカップ (1998 FIFA World Cup France) は、1998年6月10日から7月12日までフランスで開催された第16回FIFAワールドカップである。

FIFAワールドカップ(1998年)フランス大会・サッカーボール

FIFAワールドカップ(1998年)フランス大会

FIFAワールドカップ、イギリス大会(アフガニスタン、1966年)

FIFAワールドカップ(1986年)
イギリス大会

FIFAワールドカップ、イギリス大会(アフガニスタン、1966年)

フランス1998.1.24. ワールドカップサッカーフランス大会

フランス1998.1.24. ワールドカップサッカーフランス大会

1998 FIFAワールドカップ (1998 FIFA World Cup France) は、イングランド代表のベッカムやオーウェン、ブラジル代表のロナウド、イタリア代表のデル・ピエロ、スペイン代表のラウルといった初登場の若手が活躍した大会本大会前には、三浦知良、ロマーリオ、ガスコイン、カントナらが代表に選ばれなかったことが話題となった。

フランス1998.1.24. ワールドカップサッカーフランス大会

ワールドカップ、サッカー選手権大会アメリカ大会(USA、1994年)  右は拡大

ワールドカップ、サッカー選手権大会アメリカ大会(USA、1994年) ワールドカップ、サッカー選手権大会アメリカ大会(USA、1994年)

1994 FIFAワールドカップ は、1994年6月17日から7月17日までアメリカ合衆国で開催された第15回FIFAワールドカップ。ブラジルが優勝。

 サッカーの特徴

他のフットボールと比較して、サッカーでは手の使用が極端に制限されるという大きな特徴がある。
1チームは11人以下でどちらかのチームが7人未満の場合はプレイしない、2チームが敵味方となり、1個のボールを主に足を使って移動させ、自チームのゴールを守りつつ、相手チームのゴールへと運ぶ。相手ゴールにボールが入ると得点が1加算される。試合は制限時間の満了によって終了し、時間内により多くの得点を記録したチームが勝ちとなる。
足以外でも手と腕以外は使って良い。手や腕でボールに触れた場合は反則となる。各チームには1人だけ、ゴールキーパー というゴールを守る特別な役割のプレーヤーを置くことが定められている。ゴールキーパーだけが、自ゴール前の一定の領域(ペナルティエリア)内に限り、手を含む全身でボールを扱うことを許される。   参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Jリーグ、発足当初来た外国人選手の華麗な技には驚いた。ジーコ、ストイコビッチ、リネカー、リトバルスキー、レオナルド、スキラッチ、アルシンド・・・・.。流石に当時の日本人を凌駕していた。

「ASCATグランプリ受賞」

「ASCATグランプリ受賞」 フィーゴ

超スター軍団、レアル・マドリッド、このレアルのスーパーミッドフィルダー、ルイス・フィーゴ!!
ポルトガル代表としても、超々有名人ですよね!サッカーが好きな人は当然、少しでも興味がある人なら絶対に知っているスーパースターです♪♪このフィーゴ選手のシルエットを図案にした切手がモナコから発行されました。 切手の名称は「ASCATグランプリ受賞」さてこのASCATグランプリというのは、国際切手展。グランプリのことで、フィーゴの“切手収集への功績が認められて”、この賞を受賞し、この切手展を開催したモナコにて、記念切手が発行されました。 実を言うと、フィーゴ選手は有名な切手のコレクターなんです

 サッカーのシンボル(八咫烏)

八咫烏(やたがらす、やたのからす)は、日本神話で、神武東征の際に、タカミムスビによって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる3本足の烏、日本サッカー協会のシンボルマークにも用いられている。これは、東京高等師範学校(東京教育大学を経た、現在の筑波大学)の漢文学者であり、日本サッカー協会の創設に尽力した内野台嶺らの発案を基に、日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助(内野台嶺の東京高等師範学校の先輩でもある)に敬意を表し、出身地である那智勝浦町にある熊野那智大社の八咫烏をデザインした物であり、1931年に採用された(podcast:ギリシャ神話と日本の神話(4)/eureka!より)。

 国際サッカー連盟(FIFA)100年記念・・2004年

ブラジル・FIFA100年・記念ロゴ

アンゴラ・FIFA100年

ブラジル・FIFA100年

■FIFAワールドカップ(FIFA World Cup)は、国際サッカー連盟(FIFA)が主催する、ナショナルチームによるサッカーの世界選手権である。サッカーの大会の最高峰と位置付けられ、テレビの視聴者数ではオリンピックを凌ぐ世界最大のスポーツイベントである。

順位   国・地域名 出場   優勝   準優   3位   4位   試合  
1 Flag of Brazil.svg ブラジル 18 5 2 2 1 92
2 Flag of Germany.svg ドイツ 16 3 4 3 1 92
3 Flag of Italy.svg イタリア 16 4 2 1 1 77
4 Flag of Argentina.svg アルゼンチン 14 2 2 0 0 65
5 Flag of England (bordered).svg イングランド 12 1 0 0 1 55
6 Flag of France.svg フランス 12 1 1 2 1 51
12 Flag of Uruguay.svg ウルグアイ 10 2 0 0 2 40

FIFA優勝国・イタリア

FIFA優勝国・アルゼンチン

FIFA優勝国・西ドイツ

FIFA優勝国・フランス

FIFA優勝国・ブラジル

FIFA優勝国・イングランド

 サッカーの歴史

■足でボールを蹴る遊戯は、考古学的には、古代エジプト、古代ギリシャ、古代ローマから足でボールを蹴る人物のレリーフが発見されている(紀元前200年古代ギリシャのエピスキロス、紀元前200年古代ローマのパルパツウム)。中国では戦国時代に足で鞠を蹴りあう蹴鞠(しゅくきく)という遊戯が存在したことが、前漢末(紀元前一世紀)の「戦国策」に見える。なお、FIFAのホームページでは最も古い形態のサッカーとして中国の蹴鞠(しゅくきく)を載せています。 文献や出土遺物でなく、現代まで人により伝承されているものとしては、中国の蹴鞠(しゅくきく)が日本に伝わり、独自の発達を遂げた日本の平安京の「蹴鞠(けまり)」が最古。蹴を「け」、鞠を「まり」と読み、鹿皮製の鞠を一定の高さで蹴り続け、その回数を競う競技です。
15世紀イタリアでも、イングランドのフットボールに良く似た「カルチョ」(Calcio) という遊びが存在した。都市の限られた空間である広場で行われていたことである。そのため自ずとフィールドが限定され、参加人数も限られたものとなり、簡単な役割や作戦も決められていたようで、これは現在のフットボールにかなり近い存在であったと言える。18世紀中頃から19世紀にかけて勃興した産業革命によって、イングランドのパブリックスクール(ジェントルマン階層の師弟の中等学校)では都市の狭い空間でも出来るスポーツとしてサッカーが始まった。途中、1863年同じフットボールのラグビーとは決別し、サッカーが一人歩き始めた。ルールは1846年ケンブリッジ大学が共通ルールを考案し現在に至っている。

第58回国体・サッカーと富士山とツツジ(静岡、2003年)

第29回国体・サッカーと
霞ヶ浦と帆曳船(1974年)

第58回国体・サッカーと富士山とツツジ(静岡、2003年) 第29回国体・サッカーと霞ヶ浦と帆曳船(1974年)
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