Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

Kunioの世界の切手紹介と海外写真集
美術切手|浮世絵師・歌川広重が描いた「東海道五十三次」 近江の国・水口(みなくち)から京都・三条大橋まで 
天保の大飢饉もこの時期です。 近江国(水口、石部、草津、大津)、山城国(三条大橋)

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日本切手 東海道五十三次 水口から京都・三条大橋 の切手

 いよいよ京の都まであと僅か、店長の家の近所の水口を出発する、江戸の浮世絵師・安藤広重(歌川広重)が描いた日本切手・東海道五十三次(国際文通週間、浮世絵)です。水口の干瓢は美味かったと思います。近江の国・水口から京都・三条大橋までを掲載。18世紀の初めころの京都と大坂はともに40万近い人口をかかえていた。 5月の葵祭、夏の京都は、祇園祭一色です。 懐かしい思いが沢山詰まっています。 また安藤広重が京都に行く数年前の天保元年(1830)、京都は大地震に見舞われ7,000人からの死者を出し、余震が翌年まで続いたと記録に残っています。 天保の大飢饉もこの時期で道中だけでなく、大変だった時期に京都に行ったのかと思いを馳せました。 近江国(水口、石部、草津、大津)、山城国(三条大橋)

  

 歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」の道順 索引

江戸〜京間里程124里8丁。

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 東海道五十三次の切手と浮世絵(水口から京都・三条大橋まで)

近江国

今の滋賀県

水口(名物干瓢)

水口(名物干瓢)

■50. 水口(みなくち)宿(滋賀県甲賀市(旧・甲賀郡水口町)) - 2里25丁
■碧水城と呼ばれた美しい水口城(みなくちじょう、小堀遠州作)の城下町の面影を漂わせています。信楽の近くになります。特産品は広重53次に描かれている「干瓢(かんぴょう)」「藤細工」「煙管」などがある。また4月に行われる水口曳山祭は有名です。絵は宿場の外れの干瓢農家を描いてる。干瓢は 栃木の生産であったが、城主の移動と共に伝わったものと言われてる。水口はみなくちです。歌舞伎の「重の井の別れ」の舞台となったところです。今も国道1号線が通っています。

水口  安藤広重 東海道五十三次 浮世絵

■水口城の城下町としても整備され、「街道一の人留め場」と言われるほどにぎわいをみせました。名物は葛藤細工、干瓢(かんぴょう)でした。
■水口では、力石が有名で、小坂町の曲がり角にある。江戸時代から知られていて、浮世絵師国芳が錦絵の題材に使っている。他には東見付跡、高札場跡、問屋場跡、からくり時計が有名です。 シーボルト が「江戸参府紀行」に水口のことを書いています。享保20年(1735)、町民がまちの発展を願って曳山を建造し、水口神社に奉納しました。これが水口曳山祭(4月19日〜20日/水口神社)の始まりだと伝えられています。

甲賀市・水口の近郊

水口の黄昏

甲賀市・水口の近郊 水口の黄昏

石部(目川ノ里)

石部

■51. 石部宿(滋賀県湖南市(旧・甲賀郡石部町)) - 3里12丁
■「京立ち石部泊り」と言われ、京都を出て1日の行程にあり、京都から東へ下る旅人の多くが最初に泊まる宿場である。広重描く石部は遠くに琵琶湖が見渡せる草津に近い目川の里、画中の田楽焼豆腐「いせや」はすでに無い。近くには金山の採掘跡があり、堅実な人のたとえで呼ばれる「石部金吉」はここから出た。歌川広重画 東海道五拾三次之内 石部(滋賀県湖南市)

石部  安藤広重 東海道五十三次 浮世絵

石部(目川ノ里) 

■石部の宿場内には、本陣2軒(小島本陣、三大寺本陣)、旅籠32軒を含む458軒が街道の両脇約1.6キロメートルにわたって建ち並んでおり(1843年現在)、その中央には宿役人の詰める問屋場と高札場があった。

■石部の宿場は、幕末には征夷大将軍徳川家茂が上洛の際に(1863年)、新撰組局長近藤勇も江戸下向の際に(1864年)それぞれ小島本陣に宿泊し、のちに最後の征夷大将軍となる一橋慶喜も上洛の際小島本陣に小休止(1863年)している。大岡越前も多少関係がある。 

歌川広重画 東海道五拾三次之内 石部(目川ノ里)

草津(名物立場)

草津(名物立場)

■52. 草津宿(滋賀県草津市) - 2里25丁
■東海道と中山道が合流・分岐する交通の要衝として栄えた宿場町である。宿場の歴史は古く、鎌倉時代から交通の要として重要視され、信長・家康の政策により宿場機能が整備された。今でも草津宿本陣が公開され貴重な資料が残されています。名物は広重の画中にもあるように「姥が餅」が有名。今は新興住宅街となりつつあります。名物は「姥がもち」。

草津 東海道五十三次 草津(名物立場) 滋賀  安藤広重 東海道五十三次 浮世絵

大津(走井茶店)

■53. 大津宿(滋賀県大津市) - 3里24丁
■大津宿は東海道53番目、中山道69番目の宿場で、琵琶湖の湖上交通や陸路の要衝であり近江商人の町として栄えた。東海道五十三次中宿場数は街道一といわれ、宿域規模も広大であった。また、この地では木曽義仲の自刃、ロシア皇太子襲撃などの事件が起きている。現在は、滋賀県の県庁所在地で大いに賑わっている。逢坂峠を越えて京都側に下るところに位置して、今では滋賀県の県庁所在地です。副題の走井茶屋は、走井餅と湧き水で旅人を引き止め大いに潤ったそうです。北国の産物も多数この宿場では取引された。
■京の都と近江を分かつ逢坂山。その逢坂越えの大津追分には、清らかな水が勢いよく湧き出す井戸があり、古来より「走井(はしりい)」と呼ばれてきました。枯れることのない清浄な泉として平安時代から名高く、大宮人たちが歌に詠んでいます。

大津 滋賀  安藤広重 東海道五十三次 浮世絵

■江戸時代、街道が発達すると茶店が建ち並び、その名を冠した大津追分「走り井餅」が東海道大名物となります。逢坂の関は京の都の玄関口。清浄な水の湧く走井が旅人のオアシスとなり、人々は走井の甘露でついた「走り井餅」で旅の疲れを癒し、都へ入る装いを整えたといいます。  「走井」は湧き方がとくに勢いよく、あふれて・走る・清水を囲った井戸。そばに建つ「走井茶屋」で休憩をとる旅人たちの風景は、東海道五十三次の浮世絵や東海道名所図会に克明に描かれています。 写真:滋賀・大津&琵琶湖

琵琶湖大橋と名勝
「粟津の晴嵐」の碑

琵琶湖・大津港

JR大津京駅前・万葉歌

錦織遺跡・説明1

瀬田の唐橋

最初に架けられた橋は両岸に生えていた大きな藤の木を利用したつり橋で、景行天皇(日本武尊の父)の時代に丸木舟を横に何艘も並べ、藤や葛のツタで絡めた搦橋が架けられた。壬申の乱(671年)では、大友皇子と大海人皇子の最後の決戦場となった。大友皇子方が、橋板をはずして大海人皇子方を待ち受けたが、突破されて滅んだ。御霊神社の主祭神は大友皇子である(「日本書紀」 天武天皇 上 元年七月)。これが瀬田の唐橋の文献上の初見である。

芭蕉翁堂と義仲寺境内の風景

山城国

今の京都府

京都(三條大橋)

京師(三條大橋)

■三条大橋(京都府京都市東山区) - 3里
■江戸の日本橋を出発し、終着駅が三條大橋、約500kmの道程を2週間掛けて歩いてきた。鴨川に架かる大橋、遠方は清水山で清水寺や八坂の塔も見えている。背景の茶色の山は比叡山を寄せて描いたものの様です。
知恩院の屋根も見えます。
■ここは2005年迄、店長は京都・烏丸御池に住んでいました。会社が市役所前のため、毎朝本能寺を経由して出勤。三條大橋はものの10分で非常に近いです。いつも20〜30分かけて散策しながら歩いて帰りした。これ以上の説明は不要かと思います。

京師 京都(三條大橋)  安藤広重 東海道五十三次 浮世絵

■三条大橋は京都市にある三条通の橋。鴨川にかかっており、東海道と中山道の終点。橋が架けられた時期は明らかではないが、豊臣秀吉の命により増田長盛を奉行として改修された記録があり、欄干には当時の擬宝珠も一部残っている。
■京師(けいし)とは、日本で天皇の都のこと。京(平城京、平安京など)。

■浮世絵師・安藤(歌川)広重(廣重)が描いた日本切手・東海道五十三次(国際文通週間)です。ご自身の旅行した時の事を思い出してください。 この頃の武蔵国の人口は1834年(天保5年) - 171万4054人。 葛飾北斎は、天保2年に「冨嶽三十六景」を刊行し、その影響もあったのか、広重は天保の大飢饉の最中の天保3年(鼠小僧次郎吉が獄門になった年)夏、幕府が朝廷に御馬を献上する八朔御馬献上儀の旅に、加わりこの模様を写生したそうです。このスケッチをもとに「東海道五十三次続絵」を保永堂より出版しました。「日本橋」から「三条大橋」までの宿場を舞台に、旅に関わる風物、人物を自然の景観のなかに抒情ゆたかに描き、雪や雨など、自然現象がかもしだす風情をたくみにあらわしています。広重の個性がよく発揮されたこの連作は、旅行ブームを背景に庶民の間で大いに人気を博しました。

※京都三大祭り(きょうとさんだいまつり)とは京都府京都市内で行われる3つの祭りのこと。この3つの祭りは成立の時期、事情、行事の内容などがそれぞれ大きく異なっており、祭り文化の3つのタイプを示しているとされている。ご紹介します。一度はご覧下さい。
葵祭(5月):賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)で行われる祭り。
祇園祭(7月):八坂神社で行われる祭り。山鉾巡行や宵山が中心となっている。  
時代祭(10月):平安神宮で行われる祭り。明治時代に平安遷都1100年を記念して始まりました。    

■江戸後期の浮世絵師・歌川広重によって描かれた錦絵による名所絵(浮世絵風景画)揃物『近江八景』は、彼の代表作の一つであり、かつ、近江八景の代表作である。名所絵揃物の大作である『保永堂版 東海道五十三次』が成功を収めた後を受けて、天保5年(1834年)頃、版元・保永堂によって刊行された。
石山秋月 [いしやま の しゅうげつ] - 石山寺 / 勢多(瀬田)夕照 [せた の せきしょう] - 瀬田の唐橋 / 粟津晴嵐 [あわづ の せいらん] - 粟津原 / 矢橋帰帆 [やばせ の きはん] - 矢橋 / 三井晩鐘 [みい の ばんしょう] - 三井寺(園城寺) / 唐崎夜雨 [からさき の やう] - 唐崎神社 / 堅田落雁 [かたた の らくがん] - 浮御堂 / 比良暮雪 [ひら の ぼせつ] - 比良山系

The 53 Stations of the Tookaidoo (東海道五十三次, Tookaidoo Gojuusan-tsugi) are the rest areas along the Tookaidoo, which was a coastal route that ran from Nihonbashi in Edo (modern-day Tokyo) to Sanjoo oohashi in Kyoto.


日本切手 東海道五十三次 水口から京都・三条大橋 の切手

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