Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

Kunioの世界の切手紹介と海外写真集
世界遺産の切手|アジア 西アジアのトルコ : イスタンブール歴史地域、ディヴリーイの大モスクと病院、ハットゥシャ、ネムルト・ダウ、クサントス・レトーン、サフランボル旧市街、トロイの考古遺跡、ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群、ヒエラポリス-パムッカレ 

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西アジア・トルコの世界遺産・遺跡の切手

 イスラム圏の西アジアの撮るこの世界遺産・遺跡を中心にした切手です。 トルコの世界遺産としては、@イスタンブール歴史地域、A ディヴリーイの大モスクと病院、B ハットゥシャ、C ネムルト・ダウ、D クサントス・レトーン、E サフランボル旧市街、Fトロイの考古遺跡、Gギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群、H ヒエラポリス-パムッカレ が登録されています。 トルコ共和国はイスラム圏に属するが、その領土となっている地域の悠久の歴史を見ると、古代オリエント文明、古代ギリシアローマ文明、ビザンティン文化、イスラム文化などが栄え、多様である。また、同国最大の都市イスタンブルはローマ帝国、東ローマ帝国、オスマン帝国と3つの世界帝国の首都となった稀有の都市です。
参考:社団法人 日本ユネスコ協会連盟のHP(世界遺産活動

  
 

世界遺産(西アジアのトルコ編)

イスラム圏の他の国[ 西アジアイラン・イラクトルコシリア ]

トルコ・ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群

トルコ・ヒエラポリス(Hierapolis)-パムッカレ

■カッパドキア(ラテン語: Cappadocia)とはトルコの首都アンカラの南東にあるアナトリア高原の火山によってできた大地をいう。ヘロドトスの時代には、「カッパドキア人」がタウルス山脈から「ユークシン(Euxine、すなわち黒海)」までのすべての地域を支配した。カッパドキアという呼称の最初の記録は、紀元前6世紀後半に遡る。

■ヒエラポリス-パムッカレはトルコ西部にあるユネスコの世界遺産(複合遺産)の登録名。パムッカレは石灰棚の丘陵地帯の名前であり、2世紀頃、ヒエラポリスというローマ帝国の都市が存在した。現在は遺跡が残る。パムッカレとは、トルコ語で「綿の宮殿」という意味。パムッカレの石灰棚の一番上にある遺跡。

Urgup(ウルギャップ) 、カッパドキア

2人のアケメネス朝初期の王ダレイオス1世とクセルクセスについて3言語で書かれた碑文に、ペルシア帝国を構成する一地方(古代ペルシア語でdahyu-「州」)で現れている。"妖精の煙突"と呼ばれる岩の形成物の間に位置するギョレメ は、トルコの歴史地区カッパドキアの町である。ギョレメ国立公園はトルコのカッパドキア地方ネヴェシェヒル県にある国立公園で,奇岩群と古代ローマ時代にギリシア人のキリスト教徒によって建設された地下都市がある。 

         ギョレメ
ギョレメ(カッパドキア) 世界遺産   

ヒエラポリス-パムッカレ

パムッカレの温泉石灰棚
Urgup(ウルギャップ) 、カッパドキア ヒエラポリス-パムッカレ 世界遺産 トルコ

ローマ帝国の温泉保養地として栄えた。ローマ帝国時代にも地震で破壊されるがその後、復興。しかし1354年の大地震で完全に廃墟と化す。ローマ劇場、ローマ浴場などが残る。

ギョレメ(カッパドキア)

イスタンブールの
アヤソフャ モスク

イスタンブールの町並み

カッパドキア ギョレメ 世界遺産 イスタンブールのアヤソフャ 世界遺産 イスタンブールの町並み トルコ 世界遺産

トルコ・トロイの古代遺跡

Archaeological Site of Troy

トロイ遺跡

トロイの木馬

トロイ遺跡出土品

■イリオス(イーリオス)は、ギリシア神話に登場する都市。イリオン(Iliov イーリオン)、トロイア(Troia トロイア)、トロイ(英語:Troy)、トロヤ(古典ラテン語:Troja トロイヤ)などとも呼ばれる。現在のトルコ北西部、ダーダネルス海峡以南にあったとされる。ハインリッヒ・シュリーマンによって発掘された遺跡がイリオスに比定されている。

トロイ遺跡 世界遺産 トロイ遺跡 世界遺産 トロイの木馬 トロイ遺跡出土品 世界遺産

トルコ・イスタンブール歴史地域の主な歴史的建造物

■ボスポラス海峡(Bosporus)は、トルコのヨーロッパ部分(オチデント:Occident)とアジア部分(オリエント:Orient)を隔てる海峡。ボスポラスとは「牝牛の渡渉」という意味で、ギリシャ神話の中で、ゼウスが妻ヘラを欺くため、不倫相手のイオを牝牛の姿へ変えるが、ヘラはそれを見破り、恐ろしいアブ(虻)を放った。そのためイオは世界中を逃げ回ることになり、牛の姿のままこの海峡を泳いで渡ったとされる。ルメリ・ヒサル(またはルメリ・ヒサール、英:Rumelihisari)は、オスマン帝国のメフメト2世がコンスタンティノープル郊外(現在のイスタンブール)に造営した城塞。「ローマの城」という意味をもつ。メフメト2世が東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを攻略中の1452年に、わずか4か月ほどの短期間で造営し、攻略の拠点となった。当時のコンスタンティノープルは、マルマラ海と金角湾にはさまれた半島の一帯に中心部があり(現在、旧市街と呼ばれている)、海と古代ローマ帝国来の堅固な城壁に守られた難攻不落の城塞都市となっていた。

スルタンアフメト・モスク
(1914年、トルコ)

■スルタンアフメト・モスク:1616年にアフメト1世が建設させたモスク。アヤソフィアの南隣、アト・メイダヌの東隣に位置し、一帯の地名、スルタンアフメトの由来となっている。6本のミナレットと直径27.5mの大ドームをもち、数万枚のイズニク製タイルによって青く輝くことから「ブルー・モスク」の通称で広く知られている。

トルコ・ボスポラス海峡のヨーロッパの城(トルコ、1914年)
ルメリ・ヒサル

スルタンアフメト・モスク  トルコ イスタンブール 世界遺産 ルメリ・ヒサル トルコ・ボスポラス海峡のヨーロッパの城(トルコ、1914年)

■ルメリ・ヒサールのすぐ北にはアジアとヨーロッパを結ぶ吊橋であるファーティフ・スルタン・メフメト橋 (Fatih Sultan Mehmet Bridge) がある。

イスタンブールのモスク
 イスタンブールのモスク 世界遺産

ドルマバフチェ宮殿

■ドルマバフチェ宮殿. 新市街のボスポラス海峡に面して立つ西洋風の宮殿で、アブドュル・メジド1 世時代の1857 年に落成した。以降のスルタンはトプカプ宮殿を引き払い、このヴェルサイユ宮殿を思わせる華美な宮殿に移り住んだ。

ルメリ・ヒサル

ドルマ・バフチェ宮殿 トルコ  世界遺産 トルコ

イスタンブールの王宮

トルコ・イスタンブールの

Leander's Tower

スレイマニエ・モスク

イスタンブールの王宮 トルコ 世界遺産 トルコ・イスタンブールのLeander's Tower 世界遺産

■スレイマニエ・モスク はオスマン帝国の旧都イスタンブルにあるモスク。1557年完成で、オスマン建築(トルコ建築)の最高傑作のひとつと言われる。イスタンブルの旧市街にある7つの丘のひとつの頂上に位置する。

■スレイマニエ・モスク は、主礼拝堂(トルコ語 : ジャーミー cami)の建物は前後59m、左右58mで、直径27.5m、頂点の高さは地上53mに達する大ドームを中心としたドーム群と4本の長いミナレットを持つ。大モスクの立ち並ぶイスタンブル旧市街の中でもひときわ大きく、丘の頂上よりやや北側の斜面に位置するため、旧市街北の金角湾方面から見て特に印象に残るモスクのひとつである。礼拝堂内部は大ドームを支える小ドームや柱の工夫によって広く明るい空間を実現しており、イズニク製タイルやステンドグラスで飾られている。
■ドルマバフチェ宮殿は、オスマントルコ帝国最後の宮殿で、トルコ共和国になってからアタトゥルクが亡くなるまで大統領官邸として使われたそうです。

ドルマバフチェ宮殿

ドルマバフチェ宮殿 イスタンブール

エルズルム

シャンル・ウルファ

イズミル

コンヤ

アンタルヤ

イスタンブル

トラブゾン

アンカラ

エルズルム(チフテ・ミナーレ・メドレ:13世紀前半に建てられたセルジュク朝の神学校)、
シャンル・ウルファ(日干し煉瓦の家ほか) - メソポタミア北部の街、
イズミル(「エーゲ海の真珠」と言われている港湾都市)、
コンヤ(メヴラーナ博物館ほか)、アンタルヤ(海に流れ込むドゥデンの滝ほか)、
イスタンブル(歴史地区*世界遺産のアヤソフィア、第二ボスポラス橋、観光用の旧型の路面電車「ノスタルジックトラム」ほか)、
トラブゾン(アヤソフィア教会、絶壁に建つ14世紀のスメラ僧院ほか)、
アンカラ(コジャテペ・モスク、アタクレタワー、アタテュルク廟ほか)。

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トルコの遺跡

トルコ・エディルネ(アドリアノープル)の歴史的建造物

■エディルネ(Edirne)は、トルコの最西端の都市でギリシャとブルガリアの国境に近い町。エディルネはローマ帝国がトラキア支配の要とした古代都市ハドリアノポリス(アドリアノープル)の後身であり、トルコ語名のエディルネはハドリアノポリスがトルコ語化したエドレネボルの転訛である。14世紀にオスマン帝国の統治下に入って以降はルメリ州の州都となり、またブルサに次ぐ第二の宮廷が置かれてコンスタンティノープル(イスタンブル)が征服されるまで100年にわたり帝国の実質上の首都であった。15世紀にイスタンブルが正式の首都となった後もオスマン帝国の副都として宮廷が置かれ、帝国のバルカン半島支配の重要な拠点であり続けたが、近代にギリシャ、ブルガリアが相次いで独立、オスマン帝国も消滅したために国境地帯の地方都市に過ぎなくなった。1453年にイスタンブールに遷都するまでの100年の間に街は首都として繁栄を見せ次々とモスクが建てられていった。オスマン帝国時代の建造物の中でもっとも有名なものは、町の中央部の丘の頂上にあるセリミエ・モスクである。

セリミエ・モスク(1913年)

■セリミエ・モスクは、ミマール・スィナンによって1569年から1575年まで足かけ7年をかけて建設されたモスクで、イスタンブルのアヤソフィアを越える直径31.5mの大ドームを持ち、大建築家スィナンの最高傑作として名高い。

セリミエ・モスク トルコ

トルコの歴史的建造物(1952年)

ミラス(Milas)の廃墟

karatay gate、konya

kozak plateau

ブルサのモスク

ミラス(Milas)の廃墟 トルコ karatay gate、konya トルコ kozak plateau トルコ ブルサのモスク トルコ

■ブルサ (Bursa) はトルコ北西部の都市。この地にあった古代の都市シウス (Cius) が、紀元前202年にマケドニア王フィリッポス5世からビテュニア王国の王プルシアス1世に与えられ、その名にちなんでプルサ (Prusa) と名づけられたといわれる。シルクロードの西端の都市として繁栄した。1326年から1365年までオスマン帝国の首都が置かれていたため、オスマン帝国初期のスルタンたちの廟が残る

アンティオキア(antioch)

■アンティオキア【Antiochia】 :トルコ南部の小都市アンタキアの古称。前300年ごろ古代シリア王国のセレウコス1世が首都として建設。のちエルサレムに次ぐ初代キリスト教会の中心地。

Mivianaの緑のドーム(KONYA)

アンティオキア(antioch) トルコ Mivianaの緑のドーム トルコ KONYA

■トルコ共和国の国土の中心となっているアナトリアは世界的にも歴史の古い土地で、紀元前18世紀にはインド・ヨーロッパ語族のヒッタイト王国が建国された。鉄器を最初に使用したというヒッタイトは紀元前14世紀には全盛期を迎えるが、紀元前1200年頃には海の民によって滅ぼされた。紀元前9世紀にはフリュギア王国、紀元前7世紀にはリュディア王国がこの地に建国された。330年ビザンティウムはローマ帝国の首都となりコンスタンティノポリス(現在のイスタンブル)と改名された。395年にはローマ帝国が東西に分裂すると東ローマ帝国の首都として前代未聞の繁栄を見せた。


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