ジャポニカ関連索引 [ 女優|大阪万博|オリンピック|その他 ] 「外国から見た美しい日本女性」
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女優 南野 陽子(グレバダ発行のジャポニカ)
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グレナダで発行された南野 陽子の切手
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芸名
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南野 陽子
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フリガナ
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ミナミノヨウコ
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誕生日
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1967年6月23日
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星座
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かに座
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出身地
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兵庫
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性別
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女
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血液型
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B型
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身長
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162cm
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体重
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43kg
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ジャンル
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女優
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代表作品
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- スケバン刑事2 (フジテレビ) 主演(1985)
- はいからさんが通る (映画)(1987)
- 寒椿 (映画)(1992)
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出典:日本タレント名鑑
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日本万国博覧会(大阪万博、EXPO'70)のジャポニカ
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大阪で行われた日本万国博覧会(大阪万博) 歌手・三波春夫と万博会場(リベリア)
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イエメン発行の人形浄瑠璃
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大阪万国博覧会で発行
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■三波 春夫(みなみ はるお、1923年7月19日 - 2001年4月14日、本名・北詰文司(きたづめ ぶんじ))は、新潟県三島郡越路町(現・長岡市)出身の大衆歌謡の歌手。紫綬褒章受章、勲四等旭日小綬章受章、新潟県民栄誉賞受賞。
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大阪で行われた日本万国博覧会(大阪万博) 七夕、阿波踊り、佐渡おけさ(リベリア)
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何となく七重塔(万博、ルーマニア)
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藤娘か?(万博、ルーマニア)
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AJMAN(アラブ土侯国)でexpo’70用に発行された切手
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東大寺の「七重塔」
「古河パビリオン」で再現
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人形浄瑠璃
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人形浄瑠璃
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アルジェリアの大阪万博記念(オレンジとグレープ)
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■七重塔:741年(天平13年)に聖武天皇より各国に国分寺をおき、それぞれ七重塔一基を造る という勅命がだされ、各国それぞれ国分寺と七重塔は建立された。かって東大寺にも東西に100メートルの七重塔があり、東大寺の「七重塔」は、1970年に大阪・千里で開催された日本万国博覧会の「古河パビリオン」で再現されましたその後取り壊され、東大寺に相輪だけが残っている。
東大寺や各国の国分寺に建てられた七重塔,百済大寺の九重塔,西大寺の八角塔などもあった。密教の伝来にともなって多宝塔が始められ,平安時代には塔の造立はすこぶる多く,神社内にも建てられるようになり,平安時代末の京都では百塔巡礼が行われるほど数多くの塔が建っていた。
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チャドの大阪万博記念(太陽の塔と歌舞伎)
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■日本万国博覧会(にっぽんばんこくはくらんかい、英:Japan World Exposition)は、大阪府吹田市の千里丘陵(約350ヘクタール)で、183日間の会期(1970年3月14日
- 9月13日)で行われた日本で最初の国際博覧会。別名:大阪万博、EXPO'70。 主催は、財団法人日本万国博覧会協会(当時、現在の独立行政法人日本万国博覧会記念機構)。博覧会の名誉総裁は皇太子明仁親王(現・今上天皇)、名誉会長は当時の内閣総理大臣・佐藤栄作。 「人類の進歩と調和」をテーマとし、日本を含む77カ国と四つの国際機関が参加した。総入場者数は、6,421万8,770人と万博史上最多。さらに万博史上初めて黒字となった。東京オリンピック(1964年)以来の国家的イベントであり、多くの企業・研究者・建築家・芸術家らがパビリオン建設や映像・音響などのイベント制作・展示物制作に起用され、高度経済成長を成し遂げアメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意義を持つイベントとなった。
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大阪万博 三味線を弾く芸者とガボンの女性(ガボン、1970年)
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RAS AL KHAIMA(アラブ土侯国)でexpo’70用に発行された日本切手の切手
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RAS AL KHAIMA(アラブ土侯国)でexpo’70用に発行された万博会場のパビリオンの切手
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FUJIEIRA(アラブ土侯国)でexpo’70用に発行された万博会場のパビリオンの切手
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MANAMA(アラブ土侯国)でexpo’70用に発行された日本の文化や古典芸能、彫像の切手
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能面、鎌倉の大仏 他
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国宝・木造仲津姫命坐像
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△TOP |
オリンピック関連のジャポニカ
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■東京オリンピック(Games of the XVIII Olympiad)は、1964年に日本の東京で開かれた第18回夏季オリンピック。
日本初であると同時にアジア初のオリンピックである。歴史的に見ると、「五大国」の一角をなし、第二次世界大戦前にも夏季オリンピックの招致(開催予定は大戦勃発後の1940年)に成功したほどの国力を誇った日本が、第二次世界大戦後の荒廃から19年を経て立ち直り復興を遂げた後、再び取り組む国家的イベントであり、再び主要先進国として国際社会に復帰するシンボル的な意味を持った。また、1940年代から1960年代にかけてヨーロッパ諸国やアメリカによる植民地支配を破り、次々と独立を成し遂げたアジアやアフリカ諸国による初出場が相次ぎ、過去最高の出場国数となった。
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ジャポニカ 東京オリンピック(コンゴ、1964年)
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ジャポニカ 札幌オリンピック(リベリア)
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北海道の有名な動物
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エゾシカ(Cervus nippon yesoensis)、リベリア
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クマゲラ(Dryocopus martius)
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エゾヒグマ(蝦夷羆、Hokkaido Brown Bear)、リベリア
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ウミスズメ(Uria aalge inornata)絶滅危惧種、リベリア
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エゾナキウサギ (Ochotona Hyperborea yesoensis)、リベリア
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■札幌オリンピック(XI Olympic Winter Games、第11回冬季オリンピック)は、日本の北海道札幌市で1972年2月3日から2月13日まで行われた冬季オリンピック。日本およびアジアで初めて開催された冬季オリンピック。札幌は、1940年に「アジア初の夏季オリンピック」として開催される予定であった東京オリンピックの開催と同年に、「アジア初の冬季オリンピック」としての開催が決定していたものの、1937年に勃発した日中戦争の激化を受けて、東京での開催とともに日本政府が開催権を返上してしまった。スキージャンプ70m級(現在のノーマルヒル)では、笠谷幸生が1位、金野昭次が2位、青地清二が3位と、日本人が冬季オリンピックでは初めて表彰台を独占した。日本は地元とあって大選手団を送り込み、冬季オリンピックの歴史上メダル獲得は猪谷千春によるコルティナダンペッツォオリンピックアルペン回転銀メダルの1個だけだった時代に、ジャンプ70m級の金銀銅メダル独占という快挙に結実した。
このメダル独占が、のちに、日本のジャンプ陣が日の丸飛行隊と呼ばれるようになるきっかけにもなった。
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RAS AL KHAIMA(アラブ土侯国)で発行された札幌オリンピックのメダリスト切手
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その他のジャポニカ
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沖縄海洋博覧会の切手
沖縄民族舞踊の衣装で(パラグアイ、1972年)
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国際ボーイスカウト大会
(日本地図と扇子、ドバイ)
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横山大観、画家 (チェコ)
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ジャポニカ(日本地図)
輸入博名古屋記念 1985年
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セント・ヴィセントで発行された「日本の列車(Train)」(1991年) 上段左から
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この他にも多数。
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Class181電気機関車、EH-10電気機関車、特急のエンブレム、仙台市トロリーClass1、Class485電気機関車(つばさ)、仙台市トロリー路面清掃車、ひかり号、ED-11電気機関車、EF-66電気機関車
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ED-17電気機関車(シエラレオネ、1991年)
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電磁石高速鉄道
(つくば万博、ルーマニア)
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モザンビークで発行された江戸時代から昭和にかけての日本の美術 クリックで拡大します
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左のシートは、歌川豊国(1769-1825)、歌川国貞(1786-1865)、歌川 国政(1773-1810)*市川鰕蔵(「暫」の碓井荒太郎貞光)ほか、鳥居清信(1664-1729)、狩野洞春(1747‐97。上村松園(1875-1949」*「蛍」ほか。
右のシートは。葛飾北斎(1760-1849)「東都浅草本願寺」(富嶽三十六景)ほか。シート地に歌川広重「神田紺屋町」(名所江戸百景)、棟方志功「弘仁の柵」ほか。
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MANAMA(アラブ土侯国)で発行された昭和天皇と平成天皇の御映切手
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土侯国切手では、1971年の昭和天皇訪欧の際には、昭和天皇と香淳皇后の肖像を使った切手を発行したため、宮内庁が正式に抗議する事態も発生した。また首長国のうちラサールカイマが1971年に札幌オリンピックを記念する切手のデザインとして札幌テレビ塔とサッポロビールが登場し、イスラム教徒が禁酒が教義であることを無視するかのような切手もあった。
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■海外の人達から見た日本?
ある雑誌の掲載されていたものを引用すれば、先進技術・製品(自動車、カメラ、電子機器),勤勉・規律・集団高義(多忙、秩序、効率) , 歴史、文化(寺院、庭園、忍者、芸者、空手、サムライ、仏陀、着物),島国・人口過密
,戦争(真珠湾、アリゾナ記念館),経済発展(先進国、資本主義、経済大国) ,貿易不均衡(輸入、経済的脅威),東洋(遠い国、アジア),日本食(ハシ、コメ、スシ)
,日の丸 ,自然の美(桜、雪、富士山) 、被爆国(ヒロシマ、ナガサキ)
が日本のイメージだそうです。これ以外も多数あるように感じます。
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AJMAN(アラブ土侯国)でexpo’70用に発行された浮世絵切手
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鈴木晴信、喜多川歌麿
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喜多川歌麿、喜多川歌麿
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喜多川歌麿、錦絵
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錦絵
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■土侯国(どこうこく)切手の題材として、当地の文物や風景が登場することがほとんどなく、世界中の収集家に受け入れられるように、世界各国の動物や植物、著名な風景や絵画、そしてオリンピックやアポロ計画、日本万国博覧会などをテーマにした切手を濫発していた。その結果、日本でも1970年代の切手ブームの時には、同じく格安で販売されていた東欧の社会主義国の切手とともに駄菓子屋の景品として挿入されることが多かった。また切手の製造販売権を海外のエージェントに売り渡していたため、首長国の住民はイスラム教徒であるにもかかわらず、ヌード絵画まで切手にする通常ありえないことも横行していた。また日本関連でも浮世絵の春画を切手にする国辱的な事が発生したほか、1971年の昭和天皇訪欧の際には、昭和天皇と香淳皇后の肖像を使った切手を発行したため、宮内庁が正式に抗議する事態も発生した。
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親日の国・パラグアイの浮世絵切手
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パラグアイ発行の浮世絵切手
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■1937年に日系人が初めて入植して以来、日系人の貢献が高く評価されて伝統的に友好関係が続き、日本は非常に高い評価を受けている。日本人・日系人約7000人が住んでおり、2007年には移住70周年記念祭典が催された。パラグアイ国民の90%以上が、日本人と同じモンゴロイド系であるグアラニー人などのインディヘナの血が強い、スペイン人との間の混血(メスティーソ)である。
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東京国際切手展 ジャポニカ(オートボルタ、1971年)
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■主な土侯国としては、現在のアラブ首長国を構成するアジュマン(Ajman)、アブダビ(Abu Dhabi)、ウムアルカイワイン(Umm al
Qaiwain)、シャルジャ(Sharjah)、ドバイ(Dubai)、フジャイラ(Fujairah)、ラスアルハイマ(Ras al Khaimah)であるが、1964年ごろからアラブ首長国連邦の成立する1972年ごろまで各首長国による切手発行が行われていた。 参考:内藤陽介ブログ
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■シャールジャ(Sharjah)は、アラブ首長国連邦を構成する首長国のひとつ。1820年、イギリスとラアス・アル=ハイマ、ウンム・アル=カイワイン、アジュマーン、シャールジャ、ドバイの5つの首長国との間で平和協定が締結される。この協定は、オスマン帝国の影響をこの地から排除し、湾岸の海賊行為を防ぐ目的であった。シャールジャ首長国は、アラブ首長国連邦を構成する首長国のひとつで、ドバイの東、ペルシア湾岸にほぼ16km、内陸部に向かって80km以上にわたって広がっている。加えて、東海岸には、オマーン湾と境を接するシャールジャ首長国所属の3つの飛び地、カルバー、ホール・ファッカーン、ディッバーがある。面積ではアラブ首長国連邦で3位、ペルシア湾とオマーン湾に跨る唯一の首長国である。
■ウンム・アル=カイワイン(Umm al-Qaywayn)は、アラブ首長国連邦を構成する首長国のひとつ。ペルシャ湾に面して、連邦の北東部に位置する。ウンム・アル=カイワイン(Umm
al-Qaywayn)は、アラブ首長国連邦を構成する首長国のひとつ。ペルシャ湾に面して、連邦の北東部に位置する。
■アジュマーン(Ajman)は、アラブ首長国連邦に所属する首長国の一つ。連邦を構成する七首長国のうち、もっとも小さな首長国である。ペルシャ湾に面していて、シャールジャから10kmと近く、単なるシャールジャ郊外の町と勘違いする人も多い。
■フジャイラ(Fujairah)はアラブ首長国連邦に属する首長国。国土の西端は砂漠地帯だが、大部分は高度300m程度の侵食が進んでいない山岳地帯からなる。ワジが海岸線の手前に形成した扇状地は幅数kmの細長い平地を形成している。2001年に日本の自衛隊インド洋派遣部隊の補給基地として選ばれた。
■ラアス・アル=ハイマ(Ra's al-Khaima)は、アラブ首長国連邦を構成する首長国のひとつ。主要都市は、首都であるラアス・アル=ハイマ。都市人口は19万1753人(2007年)。
ラアス・アル=ハイマ国際空港がある。かつてはペルシャ湾の貿易に従事する海運国だった。現在では農耕を主産業とし、ナツメヤシや野菜や果物を生産する。1972年、他の連邦構成国の中で遅れて最後に連邦に加入した。
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