核廃絶
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世界初の反核キャンペーン(ニュージーランド,1995年)
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フランスの核実験(ムルロア環礁)に反対して発行された反核キャンペーン切手とFDC(ニュージーランド) クリックで拡大します
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■ニュージーランドはロンギ労働党政権下の1985年に核兵器積載、原子力推進の艦船、航空機のニュージーランドへの立ち寄り禁止をふくむ反核法案を議会に提出した。これに対しアメリカは、オーストラリア、ニュージーランドの3国でつくるアンザス条約にもとづくニュージーランドへの防衛義務の打ち切りで圧力をかけたが、反核法は87年に成立した。 ムルロア環礁では、フランスは75年から91年までに108回の地下核実験をくりかえした。95年から96年にかけて地下核実験を再開すると、多数の太平洋諸国や環境保護団体がはげしく反発。
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長崎・原爆投下(平和記念像)
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■1945年(昭和20年)8月6日に広島、ついで9日には長崎に人類史上最初の原子爆弾が投下されました。これによって両市は一挙に壊滅し、同年12月末までに、広島で約14万人、長崎で約7万4千人もの生命が奪われたと推定されています。最近のアメリカの大統領の言葉ではありませんが「世界の核廃絶」を切に願っています。
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広島の原爆ドーム(世界遺産)
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核実験禁止(国連、原爆)
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■2009年4月5日、チェコのプラハのオバマ米大統領の「核兵器を使った唯一の核兵器国の道義的責任」という発言は、日本で感動を呼んだ。また、核兵器のない世界を目指すことを明確に宣言した。しかし、「原爆は第二次大戦を終わらせた良い兵器」という考え方は、米国世論だけでなく、韓国、中国など日本がかつて植民地化・侵略した国に広範に残る。アジアの核軍縮は歴史認識問題抜きに語れない。
■原爆切手発行問題とは、アメリカ合衆国郵便公社(以下USPS)が1995年9月に発行しようとした第二次世界大戦50周年切手のうち、原子爆弾のキノコ雲のデザインをめぐり、日米間で政治問題化したものである。最終的には発行は中止されたが、広島市および長崎市への原爆投下に対する歴史認識の日米間の違いが顕著化したものであった。
■Originally established by George Washington during the Revolutionary War(アメリカの独立戦争),
the Purple Heart was reinstated in 1932 as an award of appreciation to
American military casualties.
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the Purple Heart(usa,2006年)
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武器・兵器(戦車除く)
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Historical Firearms(ピストル、チェコスロバキア,1969年)
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古きへブ(Cheb)時代のピストル
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ドイツ細工のイタリア・
ピストル、1600年
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フリントロック(Flintlock)・
ピストル、1760年
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ベトナムの戦いやベトナム戦争関連の武器・兵器
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ベトナムの女性民兵の鉄砲・銃
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■ベトナム戦争(Vietnam War)は、インドシナ戦争後に、ベトナムの南北統一を巡って起こった戦争である。形式的には南北ベトナム間の戦争だが、実質的にはソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営と、アメリカを盟主とする資本主義陣営の対立(冷戦)を背景とした「代理戦争」の様相を呈した。
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ベトナムの女性民兵の鉄砲・銃
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ベトナムの女性民兵の鉄砲・銃
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■ベトナム民主共和国(北ベトナム)の切手:ベトナム戦争では女性兵士が非常に重要な役割を果たしていましたが、この切手を含め、切手に描かれている戦闘場面では女性兵士の姿が非常に目立ちます。反乱の指導者である姉の徴側(ちょうそく[チュン・チャック])と妹の徴弐(ちょうに[チュン・ニ〕)は、ベトナムのジャンヌ・ダルクとも称され国民的英雄になっているそうです。
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ベトナム 姉妹 象 反乱の指導者である姉の徴側(ちょうそく[チュン・チャック])と妹の徴弐(ちょうに[チュン・ニ〕)は、ベトナムのジャンヌ・ダルクとも称され国民的英雄になっているそうです。
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M-16自動小銃を持つベトコン
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■紀元40年越人たちはついに怒りを爆発させ、漢族支配に対する反乱を起こしました。反乱軍のリーダには土地の有力者で詩索の妻でもあった徴側とその妹、徴弐が祭り上げられました。加わったのは合浦・九真・日南各郡65の県の貉将・貉侯と言いますから北ベトナムのほとんどが反乱に加わったのでしょう。 徴姉妹は戦象の上に乗って反乱軍を指揮、またたくまに駐留していた漢軍を撃破します。もともと剽悍な民族である越族が異民族支配に怒っていたのでその強さは恐るべきものでした。 徴側は「徴王」を自称し、自らの宮殿を築き独立を宣言します。事態を憂慮した後漢の光武帝は名将、伏波将軍・馬援を総大将、劉隆を副将に任じ反乱鎮圧を命じます。
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M-16自動小銃を持つ女ベトコン
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世界各国で勃発した戦いや戦争で使われた武器・兵器
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■ヘイスチング(Hastings、ヘイスティング)の戦い900年(イギリス、1966年) Hastingsは、1066年、ノルマンの王様が、このヘイスチングで、英国の王様を打ち破った。そんな戦いの場所も今は、 英仏海峡を望む小高い二つの丘がそびえ立つちょっと賑やかな海岸町。 Old Townと呼ばれる丘の下に位置する街並みは今も昔の面影を残しています。
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ボカヤの戦い150年
(ヴェネズエラ、1970年)
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国防宣伝・90mm高射砲
(アメリカ、1940年)
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エジプトの武器
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■英雄・ボリバル(ボリバルは、ベネズエラのカラカスで南米屈指の名家の長男)は、1819にスペイン軍の裏を描き、アンデス山脈を越えたボカヤの戦いで勝利した。
1819,12には、ヌエバグラナダ共和国の大統領と軍指揮官に成った。
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那須与一(源平屋島合戦)弓
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忍者と伊賀上野城・手裏剣
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重機関銃(ソ連、1938年)
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Kim's Gun(大砲、パキスタン)
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重機関銃を撃つ少年と指揮官
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1960年の第3回国際ボーイスカウトの開催記念で発行された。
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■那須 与一(なす の よいち、嘉応元年(1169年)? - 没年不詳)は、平安時代末期の武将。系図上は那須氏二代当主と伝えられる。父は那須資隆(太郎)。妻は新田義重の娘。幼いころから弓の腕が達者で、居並ぶ兄達の前でその腕前を示し父を驚嘆させたという地元の伝承がある。治承・寿永の乱において、源頼朝方に加わり源義経に従軍。元暦2年(1185年)の屋島の戦いでは、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とすなど功績を挙げ、源頼朝より丹波・信濃など五カ国に荘園を賜った(丹後国五賀荘・若狭国東宮荘・武蔵国太田荘・信濃国角豆荘・備中国後月郡荏原荘)。
■手裏剣(しゅりけん)は、敵の戦闘力を減退させるため相手に打つ、小形の刀剣・針様などの形状をもつ武器である。忍者が使用する武器として広く知られる。投剣、手離剣、削闘剣、流星、花ち弁ともいわれる。手裏剣には大きく分けて車剣(くるまけん)と棒手裏剣の2種類がある。車剣は十字形や卍形などの鉄板に刃をつけたもの、棒手裏剣は鉄でできた小棒の片方または両方をとがらせたものである。 車剣は投擲時の回転により飛行が安定するため、比較的短期の修練によって命中精度が向上するといわれる。その一方回転音があって相手に勘付かれやすい、携行に不便、などの欠点がある。 切手の女忍者が持つ手裏剣は車剣。
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弓(アーチェリー)の名手・ウイリアムテルとその息子(スイス)
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大砲の導火線に着火する女性
(リベリア、1947年)
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イタリア・サルディーニャ歩兵350年・軍服
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左に1659年当時の制服を着たサルディーニャ兵、右に現在の制服を着た精鋭部隊兵の列
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■伝説の人・ウイリアムテル:ヴィルヘルム・テル/ウィリアム・テル(ドイツ語:Wilhelm Tell 、フランス語:Guillaume Tell〔ギヨーム・テル〕、イタリア語:Guglielmo
Tell〔グリエルモ・テル〕、英語:William Tell)は、14世紀初頭にスイス中央部のウーリに住んだとされる伝説の英雄。伝承によれば、当時ハプスブルク家は、神聖ローマ皇帝アドルフの時代に強い自治権を獲得していたウーリの支配を強めようとしていた。ヘルマン・ゲスラー
(ウーリのアルトドルフにやってきたオーストリア人の代官) は、その中央広場にポールを立てて自身の帽子を掛け、その前を通る者は帽子に頭を下げてお辞儀するように強制した。しかし、テルは帽子に頭を下げなかったために逮捕され、罰を受ける事になった。ゲスラーは、クロスボウの名手であるテルが、テルの息子の頭の上に置いた林檎を見事に射抜く事ができれば彼を自由の身にすると約束した。テルは、息子の頭の上の林檎を矢で射るか、それとも死ぬかを、選択することになった。1307年11月18日、テルはクロスボウから矢を放ち、一発で見事に林檎を射抜いた。しかし、矢をもう一本持っていた事を咎められ、「もし失敗したならば、この矢でお前を射抜いて殺してやろうと思っていた」と答えた。ゲスラーはその言葉に怒り狂い、テルを連行する。しかし彼はゲスラーの手を逃れ、その後姿をくらましつつゲスラーを陰から狙撃し射殺。町へ戻った彼は英雄として迎えられ、この事件はスイスの独立に結びつき、反乱の口火を切った。
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リヒテンシュタインの昔の武器 アーチェリー、鏃(やじり)、ピストル
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英国陸軍・第1連隊と銃
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インドの武装兵
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Piaveの兵士(イタリア,1967年)
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ジャンヌ・ダルク碑設立
(フランス、1979年)
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ジャンヌ・ダルク
(フランス、1946年)
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オーストラリアの女性達と戦場の兵達
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■ジャンヌ・ダルク(1412〜31)。フランスの国民的ヒロインで百年戦争のフランスの勝利に貢献したが、宗教裁判で異端とされわずか19歳で火刑になった。図案はジャンヌ・ダルク教会と十字架。
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オマーンの武器や武装兵達
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革命・親子の女兵士
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重装備の革命戦士
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■オマーンの兵士:1962年、ドファールの独立を目指してドファール解放戦線(DLF)が結成された。DLFに集まったのは、ドファールの各部族長たちのほか、スルタン軍やサウジアラビア軍、イギリスの休戦オマーン軍などにいたドファール人兵士たち、それと57年に滅ぼされたオマーン・イマーム国の残党や、汎アラブ主義団体のアラブ民族主義運動(MAN)のドファール支部(※)などと幅広く、反スルタンの統一戦線のような性格で、DLFはMANとの繋がりからカイロに対外代表部を置き、イラクで武装訓練を始めた。
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休憩中の革命戦士
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IBRI(イブリ)での族長達 |
重火器担当の兵士
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小物 短剣(オマーン)
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イエメンで言われるジャンビーアと呼ばれる半月形をした短剣
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■銃とは、拳銃、小銃、機関銃など、火薬や様々な気体の圧力を用いて弾丸を発射する武器の総称。特に大型の物は砲と呼ばれ区別される。「銃」という漢字は元来、斧の峰部分に設けられた柄を差し込むための穴を表し、転じて主に金属製の筒から弾丸を発射する武器を表すようになった。また現代中国語では、「鎗」の字を用いる。銃の誕生には諸説あるが、14世紀末に原型が開発されたといわれる。戦史上初めて登場したのは15世紀の初期。15世紀頃に使用されたハンドキャノンと呼ばれる銃の祖先は、パイプの一端を閉じて握りを付け、側面に小さな穴を開けた物で、使用時は側面の穴から火の付いた棒を差しこんで火薬に着火した。両手がふさがるため戦闘には不向きで、その後に片手で扱えるように着火装置が工夫され、取り付けられることになる。
火縄銃として知られる銃はマッチロックと呼ばれる着火方式の銃で、銃身と銃把を持ち、火皿を備えていた。火皿は銃身の横に取り付けられており、小さなくぼみの底に穴があり、それが方向を90度変えて銃身にあけられた穴とつながっている。火皿には火薬が盛られており、引き金を引くと火のついた縄が火皿に倒れこむ事で着火した。着火すると穴を通じて銃身内部の火薬に火がまわって弾が発射される。マッチロックは生火を扱うので悪天候に弱く、また燃え続ける火縄の補充と管理に手間がかかる。マッチロックの欠点を克服するために、火打ち式(または燧発式)が開発された。
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第2次世界大戦の兵士
(オランダ、1944年)
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オランダ海兵300年(1965年)
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イラン・ライフル(アジア大会)
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ライフルとヘルメット・軍隊の日
(イラク、1964年)
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軍隊の日(イラク、1959年)
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イラン・ライフル
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軍人(イラク、1974年)
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軍人の行進(イラク1958年)
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射撃(韓国)
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日本の戦争関連の切手
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日露戦争(日本、1904-05年)
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第一次世界大戦(1014-19年)
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五・一五事件(1932年)、
二・二六事件(1936年)
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真珠湾攻撃((1941年)
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終戦(1945年)降伏文書調印
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■五・一五事件(ごいちごじけん、ごてんいちごじけん)は、1932年(昭和7年)5月15日に起きた大日本帝国海軍の青年将校を中心とする反乱事件。武装した海軍の青年将校たちが首相官邸に乱入し、当時の護憲運動の旗頭ともいえる犬養毅首相を暗殺した。
■二・二六事件(ににろくじけん)は、1936年2月26日から2月29日にかけて、日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件である。
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筥崎宮の「勅額」
(日本、1945年)「敵国降伏」
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日本・真珠湾(ハワイ)の
空中攻撃(大東亜戦争)
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日露戦争凱旋観兵式記念 各種の陸軍の兵器(日本、1906年)
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■勅額切手は「敵国降伏」といった穏やかではない文字が入っているだけに、何かといわくつきの切手となるのですが、とくに水色で印刷されたこの10銭は発売前に終戦となり、未発行になったのです。元寇の際に亀山上皇が「敵国降伏」を祈願し、その時の勅額が筥崎宮の楼門に掛けられている。第二次世界大戦末期に日本の郵政当局は戦意発揚と戦勝祈願のため、この勅額をデザインした普通切手を昭和20年(1945年)に発行した。
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日清戦争勝利記念(1896年)
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日清戦争勝利記念(1896年)
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有栖川宮殿下
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北白川宮殿下
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■日清戦争(にっしんせんそう、中国語:甲午戦争、第一次中日戦争、英語:First Sino-Japanese War)は、1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)3月にかけて行われた主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる大日本帝国と大清国の戦争。
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ベトナム民主共和国(北ベトナム)の米軍機撃墜記念(ベトナム戦争)
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■米軍機の撃墜方法:@射程の短いライフルや軽機関銃の銃弾が十分届く高度を飛ぶヘリは、地上の敵からすればいいカモでした。Aあらかじめ着陸地点にワイヤーに連動させた手榴弾や爆弾などのトラップを仕掛け、着陸しようとするヘリがワイヤーを切ったときに爆発してヘリを損傷させるという方法もありました。Bジェット戦闘機でさえ低空を飛ぶときは地上からの小火器で撃ち落す。C北ベトナム軍は携帯式地対空ミサイルの供給を受けており、それなりの数を撃墜。
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500機撃墜
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2,500機撃墜(1967年11月)
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4,000機撃墜(1972年10月)
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高射砲が切手に印刷されています。
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2、000機撃墜と捕虜(1967年)
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3,000機撃墜(1968年6月)
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1,000機撃墜(1966年4月)
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撃墜女兵士と捕虜の米軍兵士
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2,500機撃墜
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ワーテルローの戦い(ワーテルローのたたかい、英: The Battle of Waterloo、仏: Bataille de Waterloo)
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■ワーテルローの戦い(ワーテルローのたたかい、英: The Battle of Waterloo、仏: Bataille de Waterloo)は、1815年6月18日にイギリス・オランダ連合軍およびプロイセン軍が、フランス皇帝ナポレオン1世率いるフランス軍を破った戦いである。ナポレオン最後の戦いとして知られる。 英語での発音はウォータールーである。ドイツではラ・ベル・アリアンスの戦い(ラ・ベル・アリアンスのたたかい,
独:Schlacht bei Belle-Alliance)とも呼ばれる。ベルギーのラ・ベル・アリアンスを主戦場としたが、ウェリントン公により近郊のワーテルローの名を取り、このように命名された。
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戦車(兵器)
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■戦車は装甲戦闘車輌の一種。履帯で走行し、火砲を搭載した旋回砲塔を持ち、なおかつ強固な装甲防御を持つ。現代の戦車はほぼ主力戦車(Main battle
tank、MBT)の事を指し、走攻守の能力バランスに優れた兵器で,初めて「戦車」としての基本形を整えたのは第一次大戦中に登場したフランスのルノーFT-17という軽戦車。第二次世界大戦中を含め、各国において開発されたものは巡航戦車、歩兵戦車、多砲塔戦車、豆戦車、軽戦車、中戦車、重戦車など多岐にわたった。
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中国・戦車
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パットン将軍と戦車隊
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パターン半島を進む日本軍戦車
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ギリシャ・戦車
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1953年、アメリカ
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雪の進軍(アメリカ)
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戦車(タンク、イラン、1958年)
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飛行機と高射砲(イラン、1958年)
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■装甲戦闘車両(そうこうせんとうしゃりょう、Armored Fighting Vehicle、AFV)とは、装甲化され、攻撃兵器を備えた戦闘用の軍用車両のことであり、戦車や歩兵戦闘車などが含まれる。
武装を持つことで戦闘能力を備えた車輌である戦闘車両(せんとうしゃりょう、Combat Vehicle、CV、Fighting Vehicle、FV)は、その多くが装甲化されており、こういった車輌の呼称のために語頭に装甲(Armored)が付けられて装甲戦闘車両と呼ばれることになった。装甲車であっても固有の武装がなければ、装甲戦闘車両ではない。ジープやトラックの様な装甲化されていない「ソフトスキン」(Softskin)
に分類される車輌は、たとえこれらの無装甲車輌が火器を搭載しても、装甲戦闘車両には含まれない。
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国連25年 愛と反戦をあらわす3つのハート、平等と兄弟愛を表す4つ葉のクローバー
(スウェーデン、1970年)
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八紘一宇塔と富士山
(1942年)
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陸上自衛隊の装備品(List of JGSDF Equipment) 写真 2015年開設63周年記念行事 久居駐屯地にて
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82式指揮通信車
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73式大型トラック(新型)
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96式装輪装甲車
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★82式指揮通信車 コマンダー ※CCV、シキツウ 、戦後初の国産装輪装甲車。本部指揮車として使用。
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★96式装輪装甲車 :クーガー ※WAPC 、96式40mm自動てき弾銃を装備した「A型」
★87式偵察警戒車 :ブラックアイ ※RCV 、82式指揮通信車の派生型。
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87式偵察警戒車
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ヘリボン(UH−1J)
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AH-1S コブラ
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★74式戦車 :ナナヨン ※74TK 、装備の完全国産化を目指し開発された戦後二代目の国産戦車。
★10式戦車 :ヒトマル ※10TK 、陸上自衛隊の最新鋭戦車。C4I搭載。
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74式戦車
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74式戦車
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61式戦車と74式戦車
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61式戦車
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01式軽対戦車誘導弾
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87式対戦車誘導弾
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81mm迫撃砲 L16
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120mm迫撃砲 RT
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★01式軽対戦車誘導弾:ラット※ATM-5、LMAT、軽MAT、01ATM、01(まるひと)、赤外線画像誘導方式を用いた“撃ち放し式”の誘導弾。
★87式対戦車誘導弾:タンクバスター ※ATM-3、MMAT、中MAT 、発射機とレーザー照射機より構成される。
★81mm迫撃砲 L16 :ハンマー ※81迫、81モーター 、イギリスのL16 81mm 迫撃砲をライセンス所得により国産化したもの。
★120mm迫撃砲 RT :ヘヴィハンマー ※120モーター、120重迫 、フランスのトムソン-ブラーント社製MO-120-RT-61 120mm迫撃砲をライセンス取得により国産化したもの。
迫撃砲(はくげきほう、英: mortar)は、簡易な構造からなる火砲で、高い射角をとることから砲弾は大きく湾曲した曲射弾道を描く。
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88式地対艦誘導弾と12式地対艦誘導弾
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★88式地対艦誘導弾 :シーバスター ※88SSM、SSM-1 システム全体は発射機、装填機、捜索・標定レーダー装置、レーダー中継装置、射撃管制装置、発射統制装置で構成される。
12式地対艦誘導弾 :88式地対艦誘導弾の後継として「88式地対艦誘導弾(改)」の名称で開発が進められていたもの。
★155mmりゅう弾砲FH70 :サンダーストーン ※エフエッチナナマル、エフエッチ、新15榴(シンジュウゴリュウ) 補助動力装置を搭載し、砲の展開/収容操作が動力化されている他、短距離ならば牽引状態での自走が可能。 説明では久居から四日市まで届くといわれており40-50kmは砲弾が届くようです。
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155mmりゅう弾砲FH70 :サンダーストーン
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