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Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

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中国・蘇州、南京、無錫

■蘇州:長江三角洲の最も豊かな地区、太湖の浜にある。東の上海までは100km。2500年以上の歴史を有する長江南岸の文化の都市として、川と街とが相い伸び、「小橋、流水、人家」といった古朴な風貌はいまもなお残っている。宋代に築かれた数多くの民間の庭園によって、「古典名園の域」としての地位が囲められた。庭園、小橋と流水は蘇州観光の特色である。
■南京:江蘇省の省都であり、古(いにしえ)は金陵と称されていた。山に囲まれ、長江が市内を貫いて流れる地勢の極めて険しい長江下流にある。気候は湿潤である。前後して10の王朝が都をここに置いていた。面頓は6500km2で、人口は506万。秦淮河夜泊、孔子廟の夜間市(いち)見学は観光客の間で人気が高い。
■無錫:江蘇省の南部、長江三角洲の中心部にある。東は蘇州と隣り合わせ、上海までは128km離れている。長江南岸の商工業が発達した魚米の郷であり、3000年の歴史を有する古い都市である。南は太湖に臨み、古代大運河が市内を貫いて流れる。山水は麗しく、古跡は多く、物産も豊富である。山水文化と地方風情に富んだ名高いレジャー観光地である。

中国索引 [ 北京・大連上海蘇州・南京・無錫 ]
  (ページ内索引)風景 風俗 人物・女性 人物・その他 動物 植物・花       ご注意)画像の無断転用はお断りします。
Openning:いかにも中国といった風情が多いのが蘇州です。

拙政園(せっせいえん)蘇州四大名園の一つで中国四大名園の一つにもなっています。拙政園は世界遺産としての「蘇州古典園林」の主格です。中国庭園のモデルとして事実上中国No.1の庭園と言えます。紅楼夢に出てくる光景を目の当たりにて、びっくりどころか仰天同地です。蘇州古典園林の庭園の多くは明の時代に建設された。これらの多くは地元の名士により作られたもので、公共事業としてではなく、個人の趣味で置かれたもので、皇帝所有の庭園である皇家園林に対して私家園林というそうです。拙政園は明の時代に中央政界で失脚した御史の王献臣が寺を買い取って造営した庭園です。

拙政園 いかにも中国 蘇州 中国

■蘇州古典園林 とは、主に明代に建設されたいくつかの庭園の総称。拙政園、留園、網師園、環秀山荘、獅子林などの庭園が含まれる。これらはユネスコ世界遺産に選定されています。


中国 蘇州 4大名園 拙政園 切手   
切手に掲載された蘇州。拙政園 [切手のリンク:アジア切手デッドカントリー切手アジアの世界遺産 中国の世界遺産 ]
 
風景(観光地と市内風景等)

■南京長江大橋(自動車、鉄道両用橋梁。長江北岸の浦口区と、長江南岸の南京城側の下関区とを連絡する。1960年に建設開始、1968年に完成。):揚子江に掛かる大橋は必見ものです。長さといい大きさといい流石大陸を実感しました。撮影は南京から。道路橋は全長4,589m、幅19.5m、長江にかかる主な部分は長さ1,577mであり、上部が道路、下部が鉄道(中国人民鉄道京滬線)と2階構造となっており、橋の両端には4つの橋頭堡があり、各橋頭堡の高さは70mである。鉄道橋は全長6,772m、幅14m、長江にかかる主な部分は道路橋同じく長さ1,577mである。

南京大橋 揚子江
南京大橋完成時に発行された切手。文化大革命の頃と思います。
南京大橋 揚子江 文革 切手

■南京近郊の寺院・寒山寺で  寒山寺右端の写真の場所(鐘楼)にて鐘をつくことが出来る。言い伝えによれば、除夜の鐘の音を聴くと、10歳若返るという何ともありがたい御利益があるとのこと。中央の塔は、登ることもできますが、階段はとても狭い上、沢山の人です。蘇州の拓本と言えば張継の“月落烏啼霜満天” で有名な『楓橋夜泊』(ふうきょうやはく)です。蘇州の郊外にある寒山寺がこの詩にも詠まれています。日本でも有名なこの詩は多くの日本人に愛されています。また、この『楓橋夜泊』は漢詩の選集『唐詩選』と『三体詩』の両方で選ばれています。寒山寺は南北朝梁の天監年間(502〜519年)の創建。後に5度の焼失再建を繰り返した。 唐代に、高僧寒山と拾得が住んだことから寒山寺と呼ばれる。また、現在の鐘は明治時代に日本から贈られたものだそうです。

  寒山寺 塔   寒山寺で購入した石碑の拓本

石碑の拓本 楓橋夜泊 寒山寺

楓橋夜泊(ふうきょうやはく) 張継(ちょうけい)

(原本) 
月落ち烏啼(ないて)霜天に満つ  
江楓(こうふう)漁火(ぎょか)愁眠に対す
姑蘇(こそ)城外の寒山寺(かんざんじ)
夜半の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到る

(現在語訳) 
月は西に落ちて闇のなかにカラスの鳴く声が
聞こえ、厳しい霜の気配は天いっぱいに満ちている。
運河沿いに繁る楓と点々と灯る川のいさり火の光が、
旅の愁いの浅い眠りにチラチラかすめる。
そのとき姑蘇の町はずれの寒山寺から、夜半を
知らせる鐘の音が、私の乗る船にまで聞こえてきた。
 

中華東方航空ジェット機(関西国際空港にて)

蘇州といえば、これでしょうか 右の写真は、印象派の絵画のようです。 一押しです。
 各家には川に降りる階段がついています。い壁の住宅が続きます。洗濯物など生活観があふれている運河です。

蘇州の運河

生活観が出ています。最近では、長嶋一茂が出ているANAのコマーシャルで有名になっています。いくつもの太鼓橋の下をくぐりました。

蘇州 運河

南京・中華門 ・・・ 日本軍の大きな汚点です。

南京の中華門

■南京の中華門は明代には雨花台の位置する聚宝山に由来し聚宝門と称されたが、1931年に現在の名前に改名された。周囲33.676Kmの南京城墻の一部であり南京城最大の城門であり東西の長さ128メートル、南北の長さ129メートル、面積16512平方メートルあり、3つの小城郭、4つの城門と27の蔵兵洞がある。 中華門には3000人の兵士を配置することが可能で南京防衛の要であった。中華門は城門であるがその規模の巨大さから要塞に近い。中国軍事史における現存する貴重な実物資料でもある。

 
大きな地図で見る(南京市) 大きな地図で見る(蘇州市)    
風俗・市街地

■南京・中華門からみた市街地の光景  (南京市は明代の城壁で取り囲まれています)

南京 中華門

■蘇州・寺院の門前にて 何となく懐かしい原風景にあるような気がします。 駄菓子屋風のお店が並び、リヤカーに焼き芋の釜を乗せ、一時代前の日本と同じように売っていました。もう一つ気になったのですが中国の人は赤と黄色が好きな様です。

■蘇州の運河地帯に住む老夫婦の日常です。奥さんは炊事しているようです。運河では炊事だけでなく洗濯もトイレも何でもありです。 ■蘇州駅です。田舎です、古都−蘇州らしく、中国の伝統建築で、蘇州に着いたことを旅人に実感させてくれます。
蘇州駅

上右が蘇州の駅前・観光名所どこに行っても、同じ物売りが行く先々までついてきて、本当にウンザリでした。行く先々まで。 
下は蘇州の運河。周荘、同里 は 明代・清代の建築物も残る、古い水郷の街として人気があります。
蘇州は北京から南京を経て、昆山、上海を結ぶ京滬線が通り、蘇州駅には特急が停車します。上海から高速道路で1時間の距離にあり、上海の国際マーケットと国内マーケットをつなぐ要所でもあえいます。

蘇州の運河

■蘇州の歴史は、なんと4000年以前に遡ります(文字記録のある歴史)。約2500年前(紀元前514年)の春秋時代に、蘇州は「呉」の国の都としてはじめて蘇州城を造りました。隋王朝の開皇9年、一州となって郊外の姑蘇山にちなんで蘇州と名づけました。 蘇州城は非常によく保存されており、今の蘇州のレイアウトは2500前の古城そのままです。それは、歴史の長い中国でもめずらしいことです。歴史と文化の名城として、蘇州には名所旧跡が非常に多いです。■蘇州は運河による水運が生活に溶け込んでいることから、旧市街地及び周辺の水郷地帯を含めて、「東洋のヴェニス」と呼ばれるが、ヴェネツィアよりも歴史は古い。臥薪嘗胆、呉越同舟の舞台である。

 

蘇州から無錫に向かうバスの車窓から見た現地の車事情。
 箒は何をするのでしょうか?農家のおばさんらしき人を乗せた、タクシーらしき3輪車の運転手は女性(日本でも最近珍しくない)。

 

■南京近くのお寺で、  虎丘(右は虎丘塔:中国の斜塔です。実は傾いています。虎丘 - 春秋時代、呉の国王夫差が埋葬されたことに由来。北宋代、961年に建立された八角七層の虎丘塔(雲岩寺塔)は、現在少し傾いているためイタリアのピサの斜塔と比されることもある。)
■中国式のお参りを見ました。 浅草寺の風景と似ているような・・・・  中国のピサの斜塔と呼ばれている雲岩寺塔の入り口にて

 虎丘塔 中国のピサの斜塔と呼ばれている雲岩寺塔

■「雲岩寺塔」:呉は6代王の闔閭の時代、名臣孫武、伍子胥を擁し当時の超大国楚の首都を奪い滅亡寸前まで追いつめました。しかし新興の越王勾践に攻め込まれ闔閭は重傷を負い、子の夫差に天下の覇権を託し死んでゆきます。夫差はこの場所に闔閭を葬ったところどこからともなく白虎が現れ、墓の上に寝そべったと言う言い伝えがあります。この地が虎丘(Tiger Hill)と呼ばれる所以。寺の入り口の門は虎の顔、丘の上にある雲岩寺塔がしっぽと見立てられています。夫差ぼその後の一連の史実が「臥薪嘗胆」「呉越同舟」「会稽の恥」などと呼ばれ有名です。塔は転落防止ネットも無くてはっきり言って恐いです。しかし、眺めは最高です。左の写真の前にいる女性は、ガイドの朱さんで、子持ちで頑張っていました。大阪にもよく来るそうです。 

虎丘塔 中国のピサの斜塔と呼ばれている雲岩寺塔 

南京にある中山稜(陵門)です中山とは偉大な英雄・孫文のことで、日本や台湾だけでなく中国でも偉大な人として評価されている
のだと思います。孫文がミイラ化されて保存されていると聞いてます。中山陵の西隣には世界文化遺産である「明孝陵」があります。

孫文

■南京:歴史のある都市であり、北京、安陽、西安、洛陽、開封、杭州と共に中国七大古都之一であり、紀元前472年に越王勾践が呉王夫差を破り、現在の中華門の南西にある雨花台に城を構え南京の城壁史が始まる。その後に東呉、東晋、南朝(六朝)の宋、斉、梁、陳、南唐、明が南京を都とした。明以降は太平天国、中華民国が首都に定めた。南京の名称は明代に始まり、それ以前は金陵、秣陵、建業、建康、白下、升州、江寧、集慶、応天の名があり、明成祖永楽帝が北京に遷都し応天府を南京と改称する。清朝では江寧と称し、太平天国では天京と改称し、辛亥革命(孫文)以降は名称を再び南京とし現在にいたる。但し、歴史としての日本との関わりも深いところです。雨花台の石(原石・岩石に掲載しました)は、非常に見事なものでした。 

一時期、南京に政府がありました。その時に押印された特印です。
  

■南京駅と南京駅のプラットフォーム 駅前の光景もプラットフォームも何故か昔の上野駅のイメージが拭いきれません。
中国は不思議な国です。世界の中の人口だけでなく技術等で中国の位置づけは相当なものですが、日本で数十年前に平気で見ていたものが目の当たりで、タイムトラベル・タイムスリップした感が否めない。

 

■無錫の市街地です。  雨に煙る町で、歌とは大きくイメージが違う町でしたが、考えようによっては何で日本でこの町の歌が流行ったのか判ったような気がします。 非常に郷愁を帯びた町でした。

■最上段は南京の水族館です。
南京は内陸で、とても海から遠く珍しいものです。
また、後ろにあるのは国営の土産物屋です。



下は太湖の船です。黄砂で霞んでいます。

太湖を行くボート

切手に描かれた昔の太湖
太湖 切手 中国 無錫

無錫
無錫の近郊の景色、蘇州似です。

南京ヒルトン(Grand Metropark Hotel)
南京ヒルトン(Grand Metropark Hotel)

■無錫は呉の発祥の地の一つであった。元来はスズ(錫)を多く産出する「有錫」という名の鉱工業都市だったという。余りにも多く掘り過ぎて前漢までに掘り尽くしてしまい、以来「無錫」になったといわれる。改革開放以来、急激に工業が発展し、とりわけ日本企業の進出が多い。(ガイド談) 太湖に接した無錫市街は、典型的な中国の古い城壁都市であり、中心を隋代以来の「大運河」が貫き、京杭運河となった今でも多くの船が行き来する。

人物・女性 

■蘇州は、絹製品で有名です。 その絹製品の製造工場兼販売センターで行われたファッション・ショーのモデルさん達です。スタイルもよく美人ばかり、格好はパリコレでした。 ショーは団体が来ると突然始まります。 蘇州は古くから中国の先進的な絹織物産地として経済的富裕な町であったが、南宋時代に付近で木綿栽培が広まると綿織物の分野でも屈指の生産を図るようになりました。 だが、アヘン戦争後の上海開港にともなってその経済的地位を幾分か低下させました。 2000年の歴史を持つ蘇州の刺繍は三国時代に端を発し、民代にはすでに刺繍の研究所が設けられ、清代末期にはパリの万博にも出展。両面刺繍が特徴で、絵柄は糸の結び目がない精巧さを誇っている。 見事ですよ。

中国に行ったら、一度は国有鉄道に乗ってみてください。 設備の悪さはともかく、皆がワンカップのようなお茶をお持込み、乗務員がそれにお湯を注いでくれます。 日本とは大違いのサービスです。 また、売り子がいて、それとの掛合い漫才もどきな光景も見れます。 本当に時間が経つのを忘れるようです。

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人物・その他    

■一時期流行った「無錫旅情」の無錫の市街地です。何かものが無いのか、一寸寂しい情景です。 バナナの叩き売りのようです。 3輪車など、古きよき時代に戻った気がします。大都市と田舎のギャップは想像を絶するもので、田舎ではうら若き女の子が、川でお尻を出して屈託無く笑いながら用足する光景に出くわし、面食らいました。

■無錫:上海の北西、車で2時間ちょっとの街で中国でも有数の大きな湖「太湖」(琵琶湖の3倍の面積)に面している。大昔は錫がたくさん採れたが、調子に乗って全部採り尽くしてしまい(漢の時代(紀元前200年頃))、錫がなくなっちゃったよということで無錫という街の名になったと聞きました。 淡水真珠が今の特産で、販売店に入り値切り倒し(アジアはみなそうです)お土産を買いました。

      

■南京の宿泊場所の南京ヒルトン・ホテルの前は大きな道路があり、中心部とはいえ夜は寂しく、交通量は少ない。見れば前に大きな雑貨やが有りました。中に入ると日本と同じような雑貨やお菓子が10分の1−2程度の値段で販売されていました。すぐさま買い込みお土産にさせてもらいました。また雨花石はヒルトンで購入しています。5つ星なので安心とは思います。

動物

■中国では犬猫を余り見かけず、蘇州の寒山寺で実演・販売が行われていた刺繍を撮影しました。 非常に精巧にできている刺繍で、裏から見ても前のものと一緒でした。 凄い技術ですね。 その頃は、ペットブームだそうです。真偽の程は兎も角もブームだそうです。 ただ裏腹で道端には、いくつもの籠の中に動物をいれ、通行客に販売している光景も多数見られました。 これは何を意味しているのか解りませんでした。確かに街にはペットショップ等無かったように感じたのですが・・・。

  オオパンダ 切手

中国と言えばパンダですが、実際には見れませんでしたが1973年に発行されたオオパンダを掲載しておきます。
 

■「寒山寺」は、南北朝梁代の創建。その後何度か焼失しているので現在の建物は清代に立てられたもの。もともとは「妙利晋明塔院」という名だったが、唐代に高僧「寒山」が住んだことから改名された。除夜の鐘で有名な鐘楼がありました。現在の鐘は明治時代に日本から贈られたもの。ひと突きで10年長生きするとの言い伝えがある。唐代の詩人張継の七言絶句「楓橋夜泊」で有名です。本当は、石碑とそれを写した掛け軸・拓本を出そうと思っていましたが、飽くまで文物以外と決めていますので、ご容赦ください。このお寺は、とっても日本とつながりが深いようで、伊藤博文から贈られた鐘や、空海の像、森鴎外、李香蘭という名前も出ていました。 

植物・花

■蘇州のさるお寺にて 盆栽が多きくなったようです。 写真以上に見事な出来栄えでした。 いかにも中国です。石は太湖の石です。

 

■中国では各名所で花の無い時期に、写真を撮るために造花を飾っているところが多い(商売かな?)、蘇州の拙政園(中国4大名園のひとつ)では、撮影しただけで10元も要求されました。これから出掛けられる方は、ご注意を。
■盆栽は、中国で唐の時代に行われていた「盆景」が平安時代に日本へ入ってきて始まった。1990年代以降盆栽が海外でも注目を集めるとともに見直す動きが高まり、若者の間でも粋な趣味として再認識されるようになってきている。

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